ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧中仙町豊岡を往く-4①

2024年06月04日 | 旧中仙町を往く

<今回のログ(足跡)>

●歩いた日:2024年5月12日(日)

●歩いた所

 ・斉内(旧太田町):川原

 ・大神成       :前田、上村、フカウヂ

●歩いた位置


 
●歩いたログ(足跡)(道のり5.4km)

(以上の地図:国土地理院地図に加筆)

 前回の記事の最後に書きましたように、「大神成」には前回歩いた地域のさらに東側、「東山(奥羽山脈)」の山間(ヤマアイ)に入り込んだところにも集落があります。そこがどんなところか是非見てみたいと思っておりました。

 また、以前立ち寄った「神成橋」のすぐ上流、「斉内川」が平野部に出たところを、「第二田沢開拓」の幹線用水路が川を渡っており、さらにそれと並行して非常に珍しい潜水橋があるということなので、それらの様子も見たいと思っておりました。

 ということで、もう一度だけ「斉内川」シリーズの記事を綴ることにしました。

 それでは本文に入ります。

 以前、「旧太田町長信田を往く-5」で立ち寄った「神成橋」の南側たもと(「斉内川原」)に駐車場があったことを思い出し、そこを目指して車を走らせる。「みずほの里ロード」を北上してその駐車場に到着。

 まずは「神成橋」に向かう。

(「神成橋」から「斉内川」上流を望む)

 「神成橋」の上から撮った写真は「長信田を往く-5」でも掲載したが、もう一度載せる。

 橋のすぐ上流側に堰堤と魚道(右側)がある。ログ地図を見ると、この辺りの「斉内川」には狭い間隔で堰堤が数多く築かれている。かなり傾斜があるのだろう。

 川の右手(南側)は河川公園の広場が整備されている。また、左手奥に、川を横断する、「第二田沢開拓」のパイプラインが見えている。

 橋の中ほどに立派な「鷲」の像が建つ。

(「神成橋」上の像)

 「みずほの里ロード」と書かれた太い木の枝に、舞い降りたばかりの、羽を広げた鷲の像である。なかなか立派な像である。「神成橋」が完成したことを記念して設置されたようだ。

 橋を渡り切ったところで北西方向を望む。

📸001:「前田」、「西村」方面を望む

 「みずほの里ロード」が右手にカーブしながら登り始める辺りに、大きな段丘が見える。小さく写る軽トラと比べると、5mは優に超える高さと思われる。その手前までは「斉内川」の氾濫原だったと考えられる。

 その氾濫原も現在は田んぼになっているが、手前の砂利のところは、さすがに田んぼにはできなかったのであろう。それにしてもこんなに砂利が多い土地を田んぼにするのは大変なことだったろうと思われる。

 段丘上に見え隠れする集落は、前回、「豊岡を往く-3」で歩いた「前田」、「西村」のようだ。

 この(2024年)春は全般的に暖かかったので、軽トラが停まっているところでは早くも田植えが行われている。その手前の田んぼは代掻きの作業中だ。

 「みずほの里ロード」をさらに北に向かう。道端に懐かしい感じがする草?が生えている。

(道端の「スイバ」)

 なぜ懐かしいかというと、子供の頃春になると、この草の若い茎を折り取り、持ち歩いていた塩を付けてかじって遊んだからである。

 その頃は確か「スカナ」と言った気がする。しかし、「スカナ」はこの辺りの方言で、本当は「スカンポ」と言うんだと、いつの頃からか思い込んでいた。

 今改めて調べて見ると、実は「スカンポ」も方言で、ところによって「イタドリ」のことだったり、「スイバ」を指したりする、とある。写真は「スイバ」である。

 「スイバ」はかじると酸っぱい味がする。漢字で書くと「酸葉」である。「スカンポ」は「酸模」と書く。すると、「スカナ」は「酸菜」と書くのだろうか。

(②に続く)


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