<「丸子橋」から「西山」を望む>
●歩いた日:2019年12月9日(月)
●歩いた所
・大曲:通町、中通町、黒瀬町、大町、上大町、栄町、上栄町、日の出町、金谷町
※ いずれも新町名である。正式には町名の前に「大曲」が付く。
●歩いたログ(足跡)(道のり5.8km)
(以上の地図:国土地理院)
※ 市街地で見づらいですが、ご容赦願います。
「丸子橋」に至る。橋にも広い歩道があり、橋上公園として整備されている。橋の上に「菅江真澄」が書いた「大曲の郷の眠流」の紀行文のパネルが置かれている。
(「丸子橋」上の「菅江真澄」の紀行文)
右端に字がのぞいているのは、絵の上に書かれている文を書き写したもの。それには「棚機祭(たなばたまつりと読むようだ)はいづこも文月七日の夜ながら、このいではち(出羽地)には六日にこれを祭る。それを眠り流しという」などと書かれている。あわせて、祭りの様子の絵が描かれている。
絵を見ると、大勢の人が提灯を掲げ(小さな「竿灯」のようにも見える)て「丸子橋」を渡っている。また川の両岸には大きな建物が大きな建物が描かれており、江戸時代(末期)の「大曲」のたたずまいがわかって面白い。右側は「御前井」のところの家と思われるが、前掲写真に写る昔風の家とよく似ている。江戸時代から続く旧家だろうか。
薄くてわかりづらいが、橋の奥に花火が写る。下の説明書きには最古の「大曲の花火」とある。
右奥に描かれているのは「西山」である。一見無造作に描かれているように見えるが、矢印に注意しながら、橋上から写した写真を見てほしい。
(「丸子橋」から「西山」を望む)
一番高い「姫神山」以下、矢印のピークを前掲「真澄」の絵と比較すると、「姫神山」は多少デフォルメされているがきっちり描かれていることがわかって面白い。
下流に写る橋は「旧国道13号」(現「県道36号」)に架かる「大盛橋」。かつての「雄物川」のその橋のすぐ奥を流れていた。橋の左たもと、木の陰にのぞく建物は総合宴会場の「グランドパレス 川端」で老舗の店であるが、昔は名前のとおり、「雄物川」と「丸子川」の合流地点の川端に立地していた。
橋の上にはドイツの建築家、「ブルーノ・タウト」が1936年(S11年)に「大曲」を訪れた時の紀行文(日記)が書かれたパネルも置かれている。それには「大曲は小さな町である。・・・。最も佳絶なのは、とある橋(丸子橋)から眺めた月夜の景色であった。まさに一服の絵である。・・私はこれほど美しい絵をまだ見たことがない。・・・」とあり、少しオーバーにも感じられるが、非常に感激した様子を印している。文章の横に地元の写真家「大野源二郎」氏が写した写真もある。
S20~30年代の写真だろうか。白黒の写真がむしろ「タウト」が見た月夜の雪景色の雰囲気がよく出ていると思う。
橋の上で撮った写真をもう一枚。
(「丸子橋」から東を望む)
橋の上から東(上流)を望んだもの。こちらの橋は「館の橋」。橋の向こうに見える山は「真昼岳」。
橋の右手の大きな建物は最近オープンした「花火伝統文化継承資料館 はなび・アム」。左手の大きな建物はホテルで、川端にあるので、こちらは英語で「リバーサイドホテル 大曲」。
橋の上でしばらくウロウロしていたが、橋を渡り切ったところで振り返る。
📷005:「大町」から「丸子橋」を望む
道の奥が「大曲駅」で、「花火通り」は駅から橋までのようだ。雪と植え込みの雪囲いで橋上公園の趣が失われている。
橋向こうの左手、松のあるところが「御前井」の場所。左端の白い大きなビルは移転改築なった「大曲厚生医療センター」(元の「組合病院」)である。
(その5に続く)
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