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テヘラン日記

日常と会話 ペルシア/イラン

(★コピーライトは著者に帰属します)

Tomoko Shimoyama

パリの街を行き交う犀 (イヨネスコの風刺劇)

2008-12-30 | アート
冬至も明けて冬のまっただ中のテヘランから久々の日記です。
演劇好きな友達に誘われて、久々にteator shahr(City Theater)に足を運んできました。

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待ち合わせの場所に着くと、演劇ファンの彼女は黒いケープとスカーフに黒いブーツというシックな出で立ち、周囲もニートなおしゃれさんで溢れていて、どうやらテヘランの若者のあいだでとても評判を呼んだ公演のようだ。演目はルーマニア生まれのフランスの劇作家ウージェーヌ(orユージン)・イヨネスコ Eugène Ionesco(1912-1994)の「犀」で、舞台が始まってみると、予想外の展開の風刺劇に引き込まれてしまった。


   

カフェで講義中の論理学者(左) / 練習風景から(右)


舞台は日曜日のパリの街角、近所のカフェでたわいない雑談に花を咲かせる人々。半ばアル中のブランジェに酒を断つよう勧めつつバーに誘うジャン、全ての存在が猫に行きつくという怪しげな論理学談義に夢中な二人の男、ペットの猫を抱いて街中の人に嬌声で愛想を振りまくマダム、デッサン中の画学生、美しく気だてのよいデイジーetc…街中の人たちの話し声が溢れてもう殆ど何を話しているのか解らないほどのノイズになった時、突如、街の遠くをけたたましく一頭の犀が走り過ぎる。呆気にとられつつも、気を取り直し、半信半疑で再びお喋りに興じる人々の前をまた別の犀が駆け抜ける。パリの街で犀が野放しになっているなんて!と驚愕する人々、最初の犀は一本角だったが次の犀は二本角だったから原産地が異なるのじゃと長々と講義する論理学者、駆け抜ける犀のデッサンに夢中な画学生、愛猫が犀に踏みつぶされてしまったと涙に震えるマダム、マダムの愛犬のお葬式に夢中になる街の人々… 酔いつぶれたブランジェだけが無関心に平静を保っているのだ… 翌日になって、ブランジェとデイジーの職場でも犀のニュースで持ちきりなのだが、熱血漢の同僚が絶対に信じない!犀を見た奴らは精神病だ!と熱弁をふるうなか、皆の視線は職場の入り口を徘徊する一頭の犀に釘付けになっている。すると、病気で寝込んでしまった主人の欠勤を知らせに来た一人の女性が、あの犀は私の主人です!と行って通りに飛び出して行く。 … 何が起こったのか信じられないまま避難する人々、そしてパリの街はひっそりと夜に包まれる。

夜更けの裏通り、アル中のブランジェは友人のジャンを訪ねて彼のアパルトマンのドアを叩く。ジャンはひどい高熱にうなされ、病院に行こうというブランジェの心配にも耳を貸さず、熱に浮かされつつ自分の不甲斐なさや人間の愚かさについて胸の内を語るうちに次第に攻撃的になっていき、自然を見ろよ!人間と違って自然は崇高だ、人間は自然に帰るべきだ!僕は野生に帰ったような気がする!などと叫びつつ、ブランジェに突進していく。悲しみと恐れに震えるブランジェ。ジャンもはっとしてたじろぎ、ごめんよ…とつぶやくが、浴室に駆け込み、次の瞬間には巨大な一本の角が浴室のドアを突き破る。驚いてアパルトマンを後にするブランジェ、裏通りに出ると、彼は更に目を疑う。街の人々が一人また一人と犀になって街を彷徨っているのだ。翌日、ブランジェは自宅のアパルトマンで悪夢から覚める。

パリ中の人々が次々と犀になっていく中、ブランジェと友人達はブランジェのアパルトマンで今後のパリの行く先を案じつつ、窓から犀に溢れた街中を眺め震えている。だがブランジェの必死の説得も虚しく、友人達は一人また一人と彼の許を去って犀達の群れに入っていく。最後まで理性を保っていたドゥダールも憧れのデイジーへの片恋に破れ、失意のうちに街に飛び出して犀になってしまう。ブランジェから愛を打ち明けられたデイジーはいっとき愛の目覚めに声を震わせるが、やがて犀だらけのパリで暮らして行く不安とおののきに震えていき、半狂乱のうちに街に飛び出し犀になってしまう。パリ中で最後にたった一人残ったのはアル中のブランジェ。何故愛するデイジーを引き留められなかったのか、孤独に耐えかねて何度も鏡を見ては、僕にも角が生えてくればいいのに!と息も絶え絶えなブランジェは最後にこう叫ぶ。犀たちが仲間に溢れてどんなに素晴らしくてもいい、一人ぼっちでもいい、僕は僕なんだ!ありのままの僕で人間なんだ!




理性を失っていく美しいデイジー(Atene Faqih Nasiri)と、懸命に引き留めるブランジェ(Mehdi Hashemi) 


イヨネスコはベケットに並ぶ20世紀の劇作家として名高く、人間社会の不条理を描いた数々の風刺劇を発表しているそうなのだが、友人の説明を受けるまで実は知識がなくてちょっと面目がない。後でインターネットを覗いてみたら、日本にもイヨネスコ劇団が来日して別の風刺劇「授業」の上演があったようだけれど、ベケットに比べたらそれほど知られていないのではないだろうか(?) 「犀」はイヨネスコがナチス台頭時代のパリをモデルに書いた戯曲だと言われているそうだが、なんだか今の時代の世界中のなんともいえない薄暗い雰囲気も映しているようで、舞台はちょっとした切迫感に包まれていた。私のようにこの作品を知らなかった人はぜひ読んで欲しいと思う。通りすがりに話した観客の人達のなかでイヨネスコ劇団の本場の公演を見たことがあるという人がいて、今回の舞台はそれに比べると幼稚なつくりだったと酷評も述べていた。でもこんな戯曲がロングランで上演され、若者の話題を呼んでいるところは、きっと、文学の延長に演劇や風刺劇の長く豊かな伝統があり、ブレヒトもチェーホフもベケットもイヨネスコもほぼ当たり前の一般教養になっているイランの文化事情によるものなのだろう。歴史的にイランの演劇界はロシアやヨーロッパの直接の影響を受けてきたし、革命以降、多くの知識人や学生たちが欧米に流出したり、若い人たちが常に衛星放送やインターネットをチェックしている関係で、現在もかなりアップトゥーデイトに欧米の演劇事情が伝わってきているような印象がある。去年のファジュル演劇祭でも幾つかとても目を引くいかにも新しい作品が欧米からの翻訳物として上演されていて、そんな時は自分がテヘランにいるのを忘れてしまったり、テヘランとヨーロッパの文化的な距離がそんなに隔たっていないことを感じたりする。たとえば「演劇」というジャンルを通して見た場合のことなのだけれど。

映画は以前から好きなほうだったけれど、演劇についてはテヘランに来てから段々と面白くなってきたように思う。どちらもなかなか時間がなくて、そんなに数が見れないのが残念だけれど、時々演劇好きな友達に混じってteator shahr(City Theater)などに足を運んだり、演劇談義に耳を傾けたりするのは楽しい。もうすぐファジュル演劇祭も始まるし、また近いうちに演劇事情についても何かレポートしたいと思います。


ファジュル音楽祭

2008-02-11 | アート
今回、ファジュル音楽祭で聴きに行ったコンサートは、国際部門では、ライラ・アフシャールのクラッシクギター(アメリカ在住のイラン女性)、バッハの室内楽(オランダ+イラン)、国内部門では、テヘラン交響楽団の新作「ルーミー交響曲」(フーシャング・カームカール作曲、指揮)の3つで、どれもとても引き込まれる素敵なコンサートだった。ちなみに、国際部門では他に、フランスやオーストリア、アゼルバイジャン共和国、インド、アルバニア、トルコからのグループが招待されていた。

「ルーミー交響曲」は、ペルシア文学の中でもとりわけ名高いルーミーの神秘主義詩から構想を得た、クルド系の人気の作曲家フーシャング・カームカール氏(Hushang Kamkar)の新作で、西洋的なオーケストラにイランの古典楽器(サントゥール、タール、セタール、ダフetc…)や伝統的な歌唱を加えた迫力のある楽曲だった。カームカール氏は、クルド系カームカール家の一族兄弟姉妹で構成された「カームカール・アンサンブル」のメンバーとしても有名で、この「カームカール・アンサンブル」は、イランやクルドの民俗音楽のダイナミックかつモダンな編曲で、イラン国内はいうまでもなくヨーロッパでも人気のあるグループだ。日本ではそれほど知られていないかもしれないけれど、ルーミーの神秘主義詩は一時期アメリカでベストセラーにもなっていて、英語でもいくつも翻訳が出ている。



交響楽団の新作「ルーミー交響曲」(フーシャング・カームカール作曲、指揮)


ライラ・アフシャールはアメリカ在住の女性ギタリストで、イラン人女性として初めてギターのPh.Dを持ち、現在はメンフィス大学で教鞭をとりつつ、アメリカ国内をはじめ、イタリアやスペインなどヨーロッパ各国でもリサイタルを行っている。古典的なギター曲から、スパニッシュ、イランの音楽まで、幅広く手がけていて、特にイラン独特の哀愁を帯びたメロディーの熱っぽくリズミカルな演奏は、とてもファンが多い。

バッハの室内楽は、オランダの声楽家、リュート奏者、チェロ奏者に、イランの音大生が加わったはやごしらえのアンサンブルだったのだけれど、2,3日の練習とは思えないほど息があっていて、特に、まだ学部生の男の子たちが弾いていたバイオリンやチェロは、オランダからのプロに負けないくらい上手だった。

この室内楽のコンサートでは、オランダ人の声楽家がとても印象に残るアンコールを披露してくれた。それは、イランで革命前から親しまれているフォークソングで、彼がおぼつかないペルシア語で歌い始めたとたん、会場がわっと歓声で一杯になった。でも、もっと心に残るのは、なぜこの歌を選んだかというエピソード。彼にはオランダでイラン人の隣人がいて、長いことオランダに住んでいるそのイラン人の老婦人は、毎日のようにイランを懐かしんでこの歌を歌っていたそうで、毎日そのメロディーを聴いているうちに、いつしか彼にも忘れられない歌として心に残ったのだという。本当に音楽は、国境や言葉の違いを超えて人々の心をとらえるんだ、と素直に感動できる場面だった。このコンサートの模様については、オランダでも年末のニュースを彩っていたそうだ。


  

ペルシア語で歌うオランダの声楽家(左) アルバニアの民族音楽(右)


ちなみにこの室内楽コンサートは、イランの他に、マグレブやシリア、エジプト、イラク、シリア、香港 etc…各国で様々な音楽フェスティバルの顧問として活躍しているオランダの音楽プロデューサーの企画によるものだったのだが、特に彼が今手がけている、2009年に香港で開催の「シルクロード・フェスティバル」は、中東から中央アジア、東アジア諸国の音楽が幅広く紹介される催しとして、とても面白くなりそう、とのこと。彼もイランには9回目の訪問だそうで、イラン各地の民族音楽の収集にとても熱を入れている。

今年はこのファジュル音楽祭に続いて、「テヘラン・ミュージック・エキスポ」という初の催しが開催されて、とても話題になっていた。豪華なファジュル音楽祭に比べて、このエキスポはカジュアルでフレンドリーな雰囲気で、こちらは会場がアパートの近くだったこともあって、ほとんど通い詰めてしまった。このエキスポについても、また次回レポート。

ファジュル国際芸術祭

2008-02-10 | アート
テヘランはファジュル映画祭でにぎわう季節になりました。

この映画祭は、今年で26年目を迎えるファジュル国際芸術祭の一部門で、世界各国から多くの著名な監督の作品がよせられる、中東随一の映画祭。ファジュル国際芸術祭は映画部門のほかに、音楽、演劇、また今年で2回目を迎える詩の部門があり、どの部門でも、テヘランのあちこちの劇場や芸術会館などで、朝から晩まで、各種セミナーやワークショップ、公演など、様々な活気あるプログラムが組まれている。今年のイラン映画部門では、最近ベルリン映画祭で金熊賞を受賞したマジッド・マジディ監督の「スズメたちの歌」もプログラムに入っているらしく、楽しみだ。




「芸術家の家(khaneye honarmandan)」の一角に飾られた、伝統的な操り人形


革命後に始まったファジュル国際芸術祭は、2月11日の革命記念日を祝う一連のセレモニーの一環として開催されているが、実は、ファジュル国際芸術祭の前身には、王政時代の「シーラーズ国際芸術祭」があって、その伝統を引き継いで始まったものと言われている。たまたま王政時代の芸術誌をめくっていると、この「シーラーズ国際芸術祭」の批評記事が載っていて、例えば、アケメネス朝時代の壮大な遺跡ペルセポリスを舞台にモダンバレエの公演が行われたり、楽器の代わりにラジオの音波や色々な電子音によるドイツのカールハインツ・シュトックハウゼン(Karlheinz Stockhausen) の電子音楽オーケストラを招いたり、70年代の当時、国際的にも知られたとてもモダンな芸術祭だったようだ。イランは古くから芸術を愛する国で、長い歴史をもつファジュル国際芸術祭や、近年のイラン映画の世界的な活躍ぶりも、こうした長い伝統に支えられている。

年末には音楽祭がトップをきって開催され、私もチケットのおこぼれを頂いて、日頃あまりふれる機会のなかったイランの音楽シーンにはまった数日間だった。今回のファジュル音楽祭では、初めて、ポップ部門も開催されたとかで、私自身は行くチャンスがなかったのだけれど、コンサート会場の近くを通りかかると、こぞっておしゃれをして集まった若者たちで一杯だった。コンサートや劇場では、日中、通りを歩いている格好とは全くうってかわって、思い思いにおしゃれをして集まってくる色々な年代の人たちを観察するのも、また別の楽しみだ。

ファジュル音楽祭のレポートはまた次回!


テヘラン日記再開です/映画「ハーフェズ ペルシアの詩」

2008-01-20 | アート
ずいぶん長いことお休みしてしまいましたが、久しぶりに「テヘラン日記」に戻って来ました。時々覗いて下さっていた皆さん、長いあいだ更新できなくてごめんなさい。

こちらのほうはまだ留学中で、テヘランでの毎日も続いています。今年は少しづつでもまた更新予定なので、またおつきあい頂けたら嬉しいです。




イランの写真家の作品から


日本では今日から、麻生久美子さん主演の映画「ハーフェズ ペルシアの詩」が公開されたとか。制作前からイランでも時々新聞などで話題になっていて、ずっと公開が待ち遠しい映画だったので、とても嬉しい。でも残念なことにイラン国内ではアボルファズル・ジャリリの映画は上映の許可がなく、海外から入ってくるCDやDVDを探して見るしかなく、実際に映画を観るのはDVDを入手するまでもうしばらくお預けになってしまいそう。

アボルファズル・ジャリリは現在フランス在住で、各国際映画祭での受賞を通してイラン映画の代表的な監督として世界的に知名度が高いけれど、残念なことに本国イランでは少数の映画ファンやアート関係者などを除いて、ほとんど知られていない。これは彼が、イラン本国では上映許可がないことから海外に拠点を移したアーティストだからだ。

少し前、アボルファズル・ジャリリがイランにも来ていて、深夜のトーク番組に出演していたのだけれど、そのときに自分でも「僕は海外では知られているけれど、イランでは知られていないんだ」と涙混じりに切々と語っている姿が印象的だった。キアロスタミをはじめとして、現在、世界的に1つのジャンルを築き上げるまでになったイラン映画は、精神的な世界に比重を置くイランの文化や人々の生き方を何よりも雄弁に伝えるメディアとして、イランの知識人のあいだではとても高く評価されていて、本当ならイラン本国でももっと見直されていいはずなのだけれど、芸術の保護よりも規制や「指導」のほうに力を入れるイスラーム指導省の政策下では、残念ながら、ジャリリのようなアーティストはまだなかなか国内での活躍の機会がないようだ。だから、イランにいるのに映画館でイラン映画が見れないというジレンマに陥ってしまうのだけれど、DVDを手に入れる画策をしながら気長に待つのも、この国に暮らす知恵で、それもまたなかなか楽しいものだ。

映画「雨の降った夜」

2006-11-03 | アート
(1967年制作 Kamran Shirdel)

数日前、テレビでイランの古いドキュメンタリー映画を放映していた。最初はイラン映画だと思わず、イタリアかどこかの片田舎の古い映画なのかと思って見ていたら、革命前の古い映画なので、ネクタイをしめたり帽子をかぶったりと人々の服装が欧米風で、ぱっと見ても分からなかったのだった。




 - So, you don't even see this boy? - No


イラン映画ではたとえばキアロスタミのドキュメンタリーとフィクションを混ぜ合わせたような独特な手法が有名だけれど、テレビなどで見ていると、キアロスタミ以前にもずっと前から斬新なドキュメンタリー映画が沢山あって、こうした過去の作品の積み重ねの中から、80年代後半頃から世界の映画祭で注目されるようになったイラン映画が出てきたのだろうと思わされる。イランでの映画の歴史は実はとても古くて、1900年、パリの万国博覧会でルミエール兄弟が初めて映写機を紹介した時に、ちょうどヨーロッパ視察旅行でパリを訪れていたイランのカージャール朝の王モザッファルディーン・シャーがこの新しい発明の虜になって、即座に一式を購入してイランに持ち帰ったのが、イラン映画史の始まりだった。

モザッファルディーン・シャーは映写機を購入した当時、かなりの歳だったのだけれど、すっかり映画に夢中になって、自ら指揮をとって映画を撮ったり、役者として演技したりしていたらしい。彼が撮った映画は、コサック兵と王の行進、馬に乗るシーン、テヘラン郊外やゴレスターン宮殿での運動の様子、女性たちが通り過ぎるシーン、シーア派の殉教祭など、カージャール朝時代の王宮その他の生活を伝えるイラン最初のドキュメンタリーだそうで、(残念ながらまだ観たことがないのだけれど)想像するだけでも面白そうだ。史料には「映写技師!明日はライオンを撮るのだから、明日の朝早く映写機(シネマトグラフ)を2,3のフィルムと一緒に持ってくるのだぞ!」とか、映画に夢中な王の命令がちゃんと記録に残されている。残念ながら、モザッファルディーン・シャーと映画のこの蜜月期はやがて1905~1911年にかけてのイラン立憲革命の政治的変動*のなかで終わってしまう。でも立憲革命の時期には、それまで王宮で映画を上映してもあまり興味を示さなかった貴族たちのあいだで、国内の厳しい状況に対する反動として、欧米の進歩や新しい技術としての映画に関心を持つ人々が生じたという。

[*19世紀以来のイギリスやロシアの政治的干渉や、カージャール朝の財政難に伴うヨーロッパの投資家への多数の利権譲渡のなかで、対外的従属を深める王朝権力に対する全国的な抗議運動を通じて、イラン初の国民議会と憲法が制定された。だが結果として、このナショナリズムの運動はイギリスやロシアの干渉に遭って挫折し、1979年のイラン・イスラーム革命はこの立憲革命の挫折を克服する意味も持っていた。]


  -Pure lies, its all made up, sir
 -The Gorgan village boy doesn't exist


1967年制作の「雨の降った夜」はイランの映画史のなかでもドキュメンタリーの名作に数えられている。ストーリーはというと、ある日、大雨のために線路が決壊しているのを一人の少年が見つけて、人々に知らせ、脱線事故を防いだ。だが、調査の段階になると、鉄道会社は自分たちの過失を隠蔽するため、そのような出来事はなかったと主張し、現場近くに住む男は手柄を自分のものにしようと虚偽の主張をする。大人たちのこのような嘘に対して綿密にカメラが回され、少年はカメラの前で緊張した面持ちで「雨の降った夜」について語る。近くの牧歌的な風景を挟みながら、様々な関係者の発言がはじめはごく普通のインタビューとしてひとつずつ紹介されていくのだが、やがて彼らの発言に矛盾や疑惑が生じるにつれて、映画の文体も少しずつ崩れていき、最後には大人たちの発言ではなく、表情や、背広の勲章や、恰幅のよい身なりや、落ち着かない身振り・・といったディテールがクローズアップされ、彼らの嘘が映像として示される。また画面の所々に、映画を撮っている監督や映画技師たちの写真も挿入されていて、〈嘘をつく大人たち〉と〈嘘を見抜く大人たち〉が何気なく対比されているようにも見える。映画のなかで映画を撮ってしまったり、〈映画の監督キアロスタミを演じる役者〉と〈映画のなかの映画の監督キアロスタミを演じる役者〉が対話したりするキアロスタミの作風のルーツにも思えたりして、「イラン映画史」という視点で見るともっと面白いかもしれない。ドキュメンタリー映画をシニカルな視点と小気味のよいリズムで芸術映画に書き換えているような感じで、素人目にも映画史の教科書のなかに書かれているのが納得できる作品だった。

キアロスタミはもちろん大好きだし、日本でもイラン映画の様々な名作が紹介されているけれど、イラン映画が国際的に知られるようになる以前の作品のなかにも面白い作品が色々ありそうだ。国営放送だけなのだけれど、テレビもなかなかいいなぁと思ったのだった。

 
 May he lives six ― score years in this life― time shed no tear

テヘランアート事情① "Image of Garden"

2006-04-23 | アート
 タブリーズの話題ばかりなので、テヘランからも別の話題を。

 ノウルーズの少し前、テヘランの目抜き通りVali Asr St. から少し入った閑静な住宅街にあるギャラリーで開催されていた、Ms. Moqaddamという陶芸作家の個展に行ってくる。この日はちょうど初日で、多くのアート関係者や顧客の人たちが訪れ、お茶やお菓子も振る舞われて、ちょっとしたパーティーのような華やかな雰囲気だった。

 個展は "Image of Garden" (hiyal-e bag)と題され、ペルシアの庭を様々にイメージしたカラフルな陶器が展示されていた。Ms. Moqaddamはまだそれほど名前が知られている作家ではなく、口コミで少しずつファンが増えているそうなのだが、彼女の作品は繊細で暖かく、躍動感のある独自の世界が展開されていて、予備知識が何もなくてもすぐに引き込まれてしまう。

 目を引かれた作品は・・・


ザクロの果樹園と水路(qanat)で泳ぐ魚。(左)
にっこりと微笑む太陽はkhorshid khanomという愛称で親しまれている図案。

     

水盤を模した大皿の中で泳ぐ小さな魚。(右)
水盤の上にはザクロの花が咲いていて、まさにペルシアの春のイメージ。大皿の外側には雲の陰で微笑む太陽の姿。


糸杉(sarv)の木。(左)
糸杉はイランの神話やゾロアスター教のなかで聖なる木として大切にされていて、色々な物語があり、
またすらりとした肢体の美女も糸杉に喩えられる。

   

糸杉と不死鳥(simorgh)。(右)
不死鳥は、燃えながら飛翔し、身を焦がして燃え尽きた灰から再び生まれ変わってまた羽ばたくといわれていて、
イランでは再生のシンボルとして特別な意味をもつ。


糸杉と小鳥。(左)
自然をシンメトリーな幾何学的な図案にするのはイランの美術の得意とするところ。

   

水面に映った太陽と、そのまわりを泳ぐ魚、小鳥たちと葡萄の木。(右)
ゾロアスター教では葡萄酒も神聖な役割を果たした。


 このように、彼女の作品はあちこちにイランの神話的なモチーフを配していて、「庭」といっても、人間の手で作られた庭ではなく、神話的な色彩を帯び、人間の時間感覚を超えて存在する大きな自然そのものをイメージさせる。魚や鳥、木や水、太陽などのひとつひとつのモチーフはどれもペルシア文学や美術などではなじみぶかいものだが、どれもモダンなデザインに作り直され、楽しげな躍動感に溢れている点が魅力的だった。

 さて値段のほうは、どれも1点もので、日本円にして7~20万ほど。イランの人にとって安い金額ではないと思うけれど、数日後に再び訪れた時にはほとんどの作品が売却済みになっていた。できれば1つほしいと思って少し考えたのだけれど、とりあえずMs. Moqaddamのイメージの世界に浸ることで満足することに。後で聞くと、彼女もタブリーズの女性だという。20代の娘さんがいる初老のご婦人だが、薄桃色のコートと同じ色の長いショールを上手に着こなして、とても可愛らしい人だった。

 
   公園に植えられたザクロの木。テヘランではもう少しするとザクロの花の季節です。