チーム わたほい (Team Watahoi)

東日本大震災で被災したメンバーが、地元石巻で支援のサポートのために立ち上げたボランティア団体です。

『葵(あおい)会』(2)

2014-11-04 01:24:58 | ボランティア活動

 もうひとつ、今日の大きなサプライズを用意してくれたのは、カメラマンの平井慶祐さんでした。彼はカメラはもちろん、相方さんのきみちゃんとパソコンとプリンターまでも運び入れ、出張写真屋さんになりました。
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集合写真を撮った後、皆次々と葵ちゃんとのツーショット写真撮影をおこない、その場で大きくプリントし、葵ちゃん本人と、一緒に写っている人との双方にプレゼントしてくれたのです。これには誰もが大喜び。緊張する人、よそ行きの顔になる人、わははと笑ってしまう人。
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 そこは「けいちゃん」マジック。全員が本当に良い顔で、葵ちゃんと素敵な写真をとってもらい、お互いのを見せ合ってはキャーキャー。
新しく来てくれた人にもどんどん声をかけて、夕方まで賑やかな撮影会は続きました。

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 今回慶佑さんはじめいろいろな方から写真を提供していただきました。
どれも穏やかで、滑稽で、幸せな写真ばかりで、葵ちゃんを思う皆の気持ちが表れているなぁ、としみじみ感じました。

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 日没も近づき、片付けが始まっても、仕事や用事の後に駆けつけてくれる人たちがいて、笑い声の絶えなかった会は辺りが真っ暗になって間もなくお開きとなりました。
 葵ちゃんが故郷の北海道に帰るという実感が、まだ本人にも我々にも薄いのが困ったところですが、私たち皆にとって、人生の一番つらいときを助けてもらった家族のような彼女の存在は、遠く離れても変わらないように思っています。
                                  
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 幸福な1日を作ってくれた皆にも感謝です。

     葵ちゃん、またすぐ会えるといいなあ。
             本当にありがとう。元気でね!
                              



『葵(あおい)会』(1)

2014-11-04 00:54:37 | ボランティア活動

 私たちと「葵(あおい)ちゃん」緑川 葵さんとの出会いは、3年半前、避難所として使用させてもらっていた旧 渡波(わたのは)保育所でのことでした。
 水道やガスなどのライフラインが復旧しない中、「フェニックス救援隊」の援助で屋外に薪釜のお風呂を設置してもらい、避難所の方や近所の方も、たくさん入浴に訪れました。
 水を汲んで来たり、薪を焚いたり、お風呂の運営をしてくれたのはNPO「オンザロード」のメンバーで、葵ちゃんはその一人でした。2011年5月から避難所が閉鎖した10月まで、彼女はお風呂の責任者として活躍しました。

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 その後も彼女は石巻に残り、被災した家屋に住み込み、アルバイトをしながらボランティア活動を続け、いつしか私たち「チームわたほい」の大事なメンバーとしても多くの作業をこなしてくれるようになりました。
 穏やかな優しい性格で、どこに行っても皆から「あおいちゃん」と可愛がられ、資格を生かして市内の福祉施設に就職してからも、様々なイベントを一緒におこない、自発的に被災者を訪ね、時には病院や買い物に高齢の方を連れて行き、県外からの招待にも出向いたり、多忙な毎日を送ったことと思います。
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 あっという間に3年半もの月日が経ち、彼女が以前から悩みながら決めていた「石巻を去る時期」がこの秋に迫ってきたため、私たちは感謝の意を伝えたいと思い、「葵会」なる集りを企画しました。

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 10月18日の秋晴れの日、渡波の通称「わたほい基地」には朝からメンバーが集まり、慣れた手順で鮮やかな色のテントを張り、火をおこし、暖かい料理を作ります。
 今回の主役であるはずの葵ちゃんも当然のように手伝い、のんびりと用意が進められました。

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 人々が集まる頃には、室内のテーブルに手作りのパンプキンケーキ、頂いたお菓子、果物等が所狭しと並び、豚汁のいい匂いが漂いました。近所の魚屋さんに注文した立派なサンマや帆立はテント下の炭火で上手に焼かれ、この日のためにと届けられた近江牛のカレーライスも熱々で登場です。
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 この日のメインイベント、葵ちゃんの今までの写真をアルバムにしたものなどを贈呈し、皆が感謝の言葉を述べました。本日の主役も皆にお礼の言葉を。
晴天の下で皆で笑い合い、幸福な時間を過ごしました。

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ど根性ヒマワリ写真展

2014-11-04 00:18:57 | ブログ

 石巻市門脇町にある「頑張ろう 石巻!」の大看板。
 3年前の夏、どこからかここに流れ着いた種がひまわりの花を咲かせ、その姿は皆に大きな希望をくれました。「ど根性ひまわり」と名付けられたその花のことを「頑張ろう~」のメンバーが発信したところ、「種を分けてほしい」という声が全国からあり、それらは国内外の人々の手から手に渡って行きました。
 この夏4世が世界中で開花し、「咲きました!」という報告や写真が、世界中から送られてきているそうです。
 

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 「秋田ど根性ヒマワリ保存会」を率いて、被災地で支援活動をしながら撮ってきた写真の展示をすることにより、復興の支援と風化の歯止めをしたいと尽力してきた秋田県在住の石郷岡さんの写真展が11月2日、青森市でおこなわれました。主催は同じ志を抱く「ど根性ヒマワリ保存会青森支部」の方々です。
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 青森駅からすぐ、 かつては青函連絡船の引き込み線用地だった場所に開発された青森ウォーターフロントの一角に建つ「ねぶたの家 ワ・ラッセ」。青森ねぶた祭の歴史や魅力を紹介し、大型ねぶたを年間を通して展示する施設の中にあるフリースペースで、1日限りの開催となりました。

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 予報では降水確率が高かったのに、晴天に恵まれ、暖かい朝を迎えました。
 前日から会場で搬入・設置をしてきた関係者は、この日の朝も大忙しです。
 写真は2011年の被災地の様子や、初代ど根性ヒマワリの写真、この夏に4世の花を咲かせた場所に石郷岡さんたちが赴き、ひまわりと育てた人とを一緒に撮影した写真、そして世界中から送られてきた様々な写真、と大中小合わせて110数枚、小さなスナップも70枚弱が、会場狭しと飾られました。

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 9時の開館とともに大勢の人々が来場し、熱心にパネルを眺めました。
 会場正面では石郷岡さんの開会挨拶、子どもたちによるテープカット、青森市立冲館小学校音楽部の合唱、とイベントもおこなわれました。こども音楽コンクール東北大会出場も果たした児童たちの歌には思いがこもっていて、会場の皆を魅了します。「ふるさと」の歌詞が流れると、観客が涙する姿があちらこちらで見られました。

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 遠藤はこれまでの活動や思いを講演という形で話させていただき、今回、司会に準備に大活躍だった青森の歌手 今 千里さんは、追悼の歌「水平線を超えて」を披露、その後この夏に咲いたあとに乾燥したひまわりの花から種を取って、希望者に持ち帰ってもらう企画に、大人も子どもも熱心に取り組みました。
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 連休中とあって観光客も多く訪れ、またわざわざ遠方から駆けつけてくださった皆さんもいて、受付の芳名帳には東北のみならず津々浦々の地名が並びます。
 1日を通して300人前後の方が観覧してくださったようです。
 閉会間近には、気仙沼フェニックスバッティングセンターをつくった千葉 清英さんが講演、彼の壮絶な体験、強い行動と考える力の話に引き込まれて、時間はあっという間に過ぎていきました。

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 この日、受付には募金箱が設置され、たくさんの方が東北支援の活動のために寄付をしてくださいました。それらの寄付金は、閉会式で ど根性~青森支部代表の津田氏から、我々のことも支援してくれている「テイラー・アンダーソン記念基金」と、気仙沼フェニックスバッティングセンターとに贈呈していただきました。
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 いつしか外では雨が降り始め、5時の閉会から名残を惜しみながら片付けをし、慌ただしく帰途に付きましたが、未だ熱意を持って支援を継続してくれる人たちがいることに力をもらい、そこに関心を持って足を運んでくださった方に感謝し、そして、様々なつらい体験を抱えながら歩く姿を見せてくださった人々との出会いに励まされた1日となりました。
 大きな写真に誇らしく咲いたひまわりのように晴れやかな気持ちをいただいたことに、心から感謝いたします。ありがとうございました。