チーム わたほい (Team Watahoi)

東日本大震災で被災したメンバーが、地元石巻で支援のサポートのために立ち上げたボランティア団体です。

秋祭り

2013-09-24 14:16:07 | ボランティア活動

 9月21日、石巻市長浜町のチームわたほい基地において、秋祭りが開かれました。
 今回は5月に花壇に花を植えてくださった
「㈱トップツアー
浜松・東日本大震災復興支援ボランティアツアー」48次隊の皆さんのご協力を得てのお祭りです。
Img_5879_2
  Img_5880
 静岡県を中心に36人もの方が9時半にバスで到着。受け入れ側はチームわたほいの他、石巻千人風呂・有元堂出羽表具店・TEAMみちのく・一般社団法人いがすファーム・チーム神戸・宮城大学学生団体OSP等宮城県の団体が協働でおこないます。
Img_5882_2 Img_5883 
スタッフが大勢なので、テントもあっという間に設営されます。正午のお祭り開始まで着々と準備が進みます。ツアー参加者の中にはもう数回、数十回も経験している方も多く、またしっかりと班編成で役割分担と時間割り付けも組まれており、むしろ大人数でイベントを行ったことのない我々がもっとそれを活用すべきだったと、あとから反省することしきりでした…が、どんどん会場は整っていきます。
 12時、お祭りの始まりです。

Img_5886 Img_5887
 以前は住宅が立ち並び、田舎ながら人々の生活圏だった沿岸の町は、すっかり草の原になりました。そこに、どれだけの人が来てくれるのか。前もって近隣の商業施設や仮設住宅を回り、チラシを貼ってもらい、保育所に渡しに行き、伝手を頼り、と出来ることはしたつもりでしたが、不安は募ります。
Img_5892 Img_5905
 結果は…この賑わい!
 大人も子どもも、お年寄りも、近くからちょっと遠くから、たくさんの人が次々訪れました。久しぶりに顔を合わせる人、打ち解けて話に加わるボランティア、走り回る子どもたち。

Img_5896_1_2 Img_5894_1_2

Img_5898_1 Img_5897_2
 ツアーの方々や参加者個人の協力の、人形すくい・射的・ヨーヨー釣りに、子どもたちは夢中です。わたほいメンバーの差し入れのスイカは、急遽スイカ割り大会に使用です。晴れて暑かったので、スイカや静岡茶の振る舞いは皆の喉を潤しました。
Img_5906 Img_5907_2
 こちらでは、牛タンつくね焼き、フランクフルト、味噌焼きおにぎり、焼きそば…お茶にジュースを販売中。皆交代で火の前に立ってくださいました。
Img_5913 Img_5916_1_3
 千人風呂からはkumanecoさん登場。多彩なジャンルの歌と音楽に会場もなごみます。元・渡波住民(心は今もきっと住人)、ハーモニカで美しい飛び入り演奏です。
 車で一緒に連れて来たのはあなたのお母様ですか?とツアーのひとりが石巻の男性に質問していました。「いや、仮設住宅で同じ棟に住む一人暮らしのおばあさんですよ」と彼が答えると、彼女はとても驚いていました。続く「同じ避難所や仮設で支えあっていれば、もう親戚のようなものだねえ」の言葉に、周囲のボランティアさんたちも深くうなずいていました。

Img_5918 Img_5925
  そして、本日のメインイベント・ビンゴ大会の始まりです!進行は、この復興ツアーをずっと企画してきた、トップツアー浜松支店のフジヌマ
さん。
 ツアーの参加者がそれぞれ一押しの地元のものや、素敵なものを用意してくださっています。…皆真剣に数字を聞きます。
Img_5924 Img_5927_2
 「ビンゴ!」と見事数字が揃った子
には、このPR合戦!「石巻のお子さんは遠慮深いのねー」の声がありましたが、違います。圧倒されているだけです…!
Img_5926 Img_5909
 午後4時。大盛況の内にお祭りは終了。疲れも見せず一行は素早く片付けにかかり、手際よく会場を元通りにしてくださいました。
 閉会式では、人形すくい、射的やヨーヨー釣りの売り上げを贈呈していただきました。
 5時にバスが迎えに来ると、乗り込む皆さんも見送る我々もなんだか別れ難く、人と人のつながりは素晴らしいなぁ、と感傷的になりました。
 受け入れる我々にはたくさんの課題が残りましたが、来てくれた人たちの笑顔が、大きな支えとなりました。ありがとうございました。また、何かやりましょうね!!














 


くるくる市に参加しました

2013-09-17 10:30:34 | ボランティア活動

 台風18号が接近中の9月15日、石巻市湊町にある チーム神戸のサロンで、恒例の くるくる市が開催されました。わたほいは支援物資の衣類を皆さんに分けるため、初めて参加させていただきました。
Img_5810 Img_5804
 被災家屋を直して借りているサロン。周りは解体工事が進みます。近所の方から頂いた山野草も素敵に活けられて、お客様をやさしく待ちます。
 Img_5802 Img_5806
16日は敬老の日。今回はお赤飯を振る舞うことになりました。近くに住んでいる赤飯名人・石川さんが前日から5キロのもち米を研ぎ、小豆を炊いて、せいろを持ち込み、美味しい赤飯をつくってくださいました。チーム神戸のひろみさんが試食係としての使命を遂行すべく、横で見守ります。
Img_5799 Img_5800
  「くるくる市」参加者にと、岐阜県美濃市に住む中学2年生の男の子:辻 彩登くんから、手作りのブラウニーとメッセージカードが届きました。彼は震災直後 石巻にボランティアとして参加した後も、地元で支援活動を続けてくれています。登校前の早朝に焼いたというブラウニーは、今まで作って販売した手作り菓子の売り上げから材料費を捻出、メッセージカードは、彼のお姉さんとお母さんが和紙のちぎり絵を貼って作ったカードに、たくさんの方からメッセージをもらってきてくれたものです。支援には様々な形がありますが、このような自分なりの方法で長く手を差し伸べるやり方を考え、実行している彼には頭が下がる思いです。
Img_5808 Img_5809
 さあ、準備は万端ですが、雨脚は強くなるばかり…人は来てくれるのかしら、の心配を払拭するように玄関から「こんにちはー!」の声が。外を見れば斜めに傘を構え、長靴を履いたご近所の方が、ぞくぞくと歩いていらっしゃいます。
Img_5813_2  P1001031
  
 この日は、大阪からABC朝日放送のアナウンサーさん達が参加して、準備から片付けまでをずっと手伝ってくださいました。
Img_5828 Img_5827
 お茶っこの席で、アナウンサーの研修では必須の早口言葉をご披露。プロの技に沸く一同。近所の皆さんも石巻弁を教えたり、テレビ局のことを質問したり、賑やかに時は流れます。
Img_5814_2 P1001032_2
 もちろん、くるくる市(屋内バージョン!)も大盛況。
 この後、足元が悪かったりして来られなかった近所のお年寄りにもお茶、赤飯とお菓子を届けて周ったり、片づけをしたり、有意義な一日はあっという間に終了。その合間にも、また多くのことを学ぶことができました。
堀江政生アナはじめ素敵なアナウンサーの皆さん、芸能ネタではなく、阪神の復興のことが知りたくて、質問攻めにしました。ごめんなさい。被災者の輪の中にすっと入り、熱心に耳を傾けていらっしゃる姿に感銘を受けました。ありがとうございました!
 チーム神戸の方々にも感謝です。地元の方の安らぎの場となっているサロンを見て、根を下ろした活動の意義を感じています。


海苔(のり)のことを知っていますか?その3

2013-09-09 18:11:13 | インポート

B12 B14
 海苔網に付いた殻胞子は、すぐに細胞分裂を始めます。やがてそれが海苔の幼芽となるため、水車からはがされた網は、別の水槽に漬けられてひと網ごとに束ねられ、その芽が立ち上がるように出てくるのを助けるため、数時間養生します(芽立て)。
B18 B16_2
 裸になった水車にはすぐに新しい網が張られ、次のカキ殻糸状体が用意され、また同様の作業を繰り返します。この辺りで明け方の作業開始から4~5時間が経過、漁師さんは代わる代わる朝ごはんを食べます。

 そして、午後2時前。養生させて芽立ての終わった網を、水切りし、それぞれの冷凍庫に運ぶ作業が始まります。海苔の芽を、海水温が生長に適した温度に下がるまで、冬眠のような状態にしておくのです。これも近年の技術です。
B21_2 B24_2
 海苔は、一定の温度より高くなると死滅してしまいます。そのため、水切りして袋詰めされた海苔網は、一刻も早くそれぞれの冷凍庫に入庫する必要があります。あらかじめずらりと作業場の横に着けられたトラックの列、慌ただしく網の印から屋号を告げる声、正確に持ってこられるビニール袋がセットされた箱、次々と袋の口が閉じられ、トラックに積まれていくのを、迫力に押されながら眺めました。
B25 B22_2
 網を満載したトラックは大急ぎで冷凍庫へ走り去ります。見学に行った日は量が少なかったといいますが、多い時はトラックで2往復することもあるそうです。
 9月9日、今年はとても早く『リクサイ』が終了しました。「沖出し」と呼ばれる海での育苗も、まもなく始められるのではないかと相澤さんが説明してくれました。海水が順調に下がって、適温になってきているようです。
 シーズンは始まったばかりですが、晩秋には育苗からそのまま育成に入った海苔が収穫され、貴重な一番摘みの商品に加工されることでしょう。

 「海で見る海苔養殖の景色が、本当にきれいなんですよ!」
 疲れも見せず、弾むような相澤さんの声に、この人たちは心から海苔を愛しているのだ、と感動した会となりました。
       B8
 私たちの大切な仲間、相澤さん、ホントにありがとう!今日から海苔を食べるとき、あの皆の真摯さを思い出します。
 いつか、その先の作業も見学させてくださいね!!
 カメラマン・ケイスケさん、きみちゃん、誘ってくれたこと、感謝しています。ケイスケさんはじめ、たくさんの人が応援する『「天まで届くおやつ海苔」ファンクラブ』も見てくださいね!
   https://www.facebook.com/oyatsunori?hc_location=stream
                24295_591373920888403_352765350_n


海苔(のり)のことを知っていますか?その2

2013-09-09 18:09:58 | インポート

 海苔の仲間の海藻は、意外にも北・南極を除くほとんどの海に生息しています。日本で海苔に使われるアマノリ属だけで20種類もの海藻が存在するとか。
 日本人は古くから海苔を食べており、1300年前の「大宝律令」に記載があるそうです。その頃は、海藻として用いていたようです。今のような四角い板海苔が作られるようになったのは はるか後、江戸中期のこと。養殖自体は江戸時代初期に、偶然 木の棒に付いた海苔が発見されたことから始まり、枯れた木や竹を浅瀬の海中に立てる技法が、東京湾沿岸を中心に広がっていきました。
 宮城県では、明治の初め頃から養殖がおこなわれるようになりました。
 活発に養殖がおこなわれていたにもかかわらず、海苔の生態は解明されておらず、漁師の勘や経験を頼りに種付けがされていたため、年ごとの採取量が安定しませんでした。そのため「海苔1枚、米1升(10合=1.8㎏)」というほど高価なものとなり、さらに昭和に入ると、台風や水質汚染で養殖産業は壊滅の危機に瀕します。
 そのピンチを救ったのは、イギリスの海藻学者、ドゥルー女史でした。彼女はアマノリの研究をしていて、ウェールズ地方の海岸で黒く変色した貝殻を見つけ、調べたところ、この黒いものが海苔の胞子であることを発見したのです。
B1 B2
 カキ殻の内側に黒く繁殖させた海苔の胞子(糸状体)と、剥離剤で採取して顕微鏡で見たところ。
 これ以前は、海苔の種ともいうべき胞子は、海中を浮遊するか、岩場に根付いて夏をやり過ごし、秋口に生長するのではないかと推測されていました。この発見により、海苔の生活史が明らかになりました。春に海苔の葉体からオス・メスの有性胞子が放出されると、それらは海中で接合し、果胞子と呼ばれるものになります。この果胞子はカキ殻などの貝殻にもぐり込み、糸のように形を変え(糸状体)、貝の石灰質の中に枝分かれしながら繁殖し、さらに胞子のうを形成します。秋、成熟した糸状体は胞子のうの中に殻胞子を作り、それは海中にいっせいに飛び出し、それが網などに付いて大きく育つというわけです。
 イギリスでドゥルー女史が1949年に発表した研究結果は、1955年、熊本県での人工採苗成功へとつながり、その後、日本各地で安定した生産が出来るようになりました。彼女は、今日の養殖発展の救世主と称えられています。
B13_3 P1001016_2
 さて、陸上採苗では、温度管理し、成熟状態を調整して出番を待つ、胞子の付いたカキ殻を大きな水槽に入れ、殻胞子が放出された海水の中、海苔網を何重にも張った水車を回転させます。この間も、せっかくの種が死んでしまわないように、水温や塩分濃度をしっかり管理します。
B10_2 B11_2
 状況によって、5分から1時間以上と差があるようですが、通常数10分程度水車を回した頃、海苔網の一部を切り取り、殻胞子が網に付着しているかを顕微鏡で確認します。網に付く胞子は少なくても、多すぎても駄目なのだそうです。
B6 B9
 この日の顕微鏡係には相澤さんも。こちらの培養顕微鏡では胞子がわずかにあずき色に見えるだけで、素人には確認しづらいのですが、相澤さんは次々と10数台ある水車から持ってくる網を、素早く判断していきます。もう一台の蛍光顕微鏡では、殻胞子の中に含まれるクロロフィル(葉緑素)が赤くきらきらと光って見え、我々も解りやすく観察しました。ひと網ごとに2回、十分な数の付着が確認できると、「〇番(水車の番号)、上げ!」の声が飛び、網が一枚ずつ外され、担架のような板で別の水槽へ運ばれていきます。     《その3に続く》


海苔(のり)のことを知っていますか?その1

2013-09-09 17:58:49 | ブログ

 多くのボランティアの方がそうであるように、私達「チームわたほい」のメンバーも、本業の仕事と並行して活動をしています。ここ石巻においては、仕事を再開できたことは喜ぶべきことで、メンバーはそれぞれの事業を尊重し、応援し合ってきました。
 今日は、仲間の本業の仕事を紹介しましょう。
 石巻で海苔を作り続ける 相澤さんの話です。

 2011年の津波は、相澤さん始め、宮城県のほとんどの海苔漁家に未曾有の被害を与えました。(右の写真はフェニックス救援隊提供・当時の相澤さんの工場前)

Img_5784 R0013709_1
 
 
この年の3月は、海中の栄養状態も十分になり、4月まで品質の良い海苔の生産に気合が高まっていた時期だったそうです。
 震災はたくさんの命とともに人々の生活も奪い去りました。海苔漁家は、製造機械や付随する作業に必要な機器、トラック、製造中だった数万枚の海苔が工場もろとも流され、海では、船、海苔網 などを流失しました。1漁家あたりの被害額は、8000万とも1億円ともいわれています。

 東日本大震災以前、国産の海苔は、九州の有明海で生産されるものが約50%を占め、この沿岸の佐賀、兵庫、福岡、熊本各県に続いて第5位の生産量を、宮城県が作っていました。
 宮城産の海苔は寒・暖流が混ざり合う栄養豊富な海水の中で作られます。海苔は、秋から春にかけて海水温の低い環境で育つので、東北の宮城県は日本で最も早く養殖を始めることが出来る、恵まれた産地でもあったのです。

Img_5785_3 Img_5786_2
 
 
大きな被害にも負けずに、残った資材や機械を共同で使用したりして、次の漁期から海苔養殖を再開できた漁家は、昨年までの4分の1ほどだったそうですが、その後も少しずつ厳しい環境下で復興した方も増え、今シーズンはより多くの生産量が見込まれています。

 
 
 相澤さんの家も、大変な道のりを経て、昨年から再び美味しい海苔を作っています。
 「今年も海苔のシーズンが始まりました。今、『リクサイ』真っ最中なんですよ」と、彼に聞いたのは9月になった時。リクサイ?
 海苔は身近な食品なのに、地元の私たちでさえ詳しい製造過程には疎いものです。今回は、漁期の始まりを告げる「種付け」を、石巻市の渡波で見学することができました。
 海苔は、海水の温度が23℃から12℃程度になると良く生育するため、毎年9月頃、養殖の漁場に張り込む網に、人工的に「種(海苔の胞子)」を付着させる作業がおこなわれます。「採苗(さいびょう)」と呼ばれるこの工程には、海辺でおこなう野外採取と、作業場を陸に設けておこなう陸上採苗とがあり、今では、東京湾、伊勢湾、瀬戸内海など多くの漁場で陸上採苗の手法が取り入れられています。この「陸上採苗」を『リクサイ』と漁師は言うのでした。

 
   
B19_2 P1001016_2 
 渡波祝田の石巻湾漁協共同かき処理場に設置された『リクサイ』作業場。ここで15組の海苔漁家が共同で種付け作業をおこないます。一軒ずつ単独で養殖するのが常の海苔漁家ですが、この過程だけは皆で協力しあって進めるため、作業場はにぎやかで、活気に溢れています。
  早
朝4時から午後までかかる長い仕事です。 右写真の大きい水車に網を何重にも巻き付け、海苔の胞子の入った水槽の中を回転させて、網に付着させるのが主な作業です。この日はあいにくの雨模様でしたが、合羽を着た漁師たちはきびきびと仕事を進めます。私たちは朝6時に集まり、相澤さんの説明を聞きながら、作業場を見せてもらいました。大人の社会科見学は、子どものようにワクワクします。   《その2へ続く》