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ミドリノサラリーマン

京阪神中心のお花屋さん、ホームセンター、植物園やお花スポットに出没し、花を買いまくり、育てまくります。要注意。

5月・6月・7月・8月

2006-01-03 | Weblog
<5月>
・always Find Basic and Return to Basic
・”おきらくごくらく”
・- FOLLOW YOUR HEART -
・それが価値です!
・MARC JACOBS、POUL & JOE
・提供価値と存在意義
・第8の習慣
<6月>
・ヴェジタルテキスタイル、マリテ・フランソワ・ジルボー、四緑園
・ドリームゲート
・僕といっしょ、グリーンヒル、シガテラ
・トラックバック
・早起き
・落語
・4行日記
・訪問社数
・会う人会った人リスト
・夕刊
・大黒
・競争から共生へ
・当たり前のことを当たり前に
・西暦と元号
・スウィング・ガールズ、スクール・オブ・ロック
・成果主義とキャリア自立の補完関係
・世の中の3分の1の仕事は天職になる
・結婚して3年間で、幸せな結婚生活のプラットフォームを作成
・入門 人的資源管理
コンサル
・mixi
・『さよならさよならハリウッド』『インタープリター』『ステップフォードワイフ』
・dot the i
・コミュニケーション
・「プロフェッショナルの条件」「7つの習慣」「すべては『単純に!』でうまくいく」
・フィッシュ!―鮮度100%ぴちぴちオフィスのつくり方、11分間、アルケミスト
・天の瞳、ラブコメ
・新しいチームの考え方エクスターナル・チーム
・クライアント・ファースト、マネー・フォローズ
・「何をしなくちゃいけないか」ではなく、「何をしたいか」
・コジコジ
・”感性を研ぎ済ませろ!”、”センスを磨け!”
・レイバーからワーク、アクトへ
・HRM COMING 10YEARS
 - Human Capital Intangibles
 - HR as a Decision Science
 - Leadership Talent
 - HR Technology
 - Outsourcing HR Administration
 -Future Context Of HR
・百貨店の屋上のガーデニングコーナー
・明日は明日の風が吹く
・Que ser ser
・ダミアン・ハースト
・ワークとライフ、真面目さといい加減さ、意志を貫くことと妥協すること
・みんな誰かの愛しい人
・関西地銀十四行
 池田、近畿大阪、泉州、関西アーバン、大正、京都、
 みなと、但馬、滋賀、びわこ、南都、奈良、紀陽、和歌山
・ボーダレス経済、サイバー経済、マルチプル経済
・デイブ・ウルリッチ<著書インタンジブル経営 競争優位をもたらす「見えざる資産」構築法>
実行スキル、才能豊かな人材、イノベーション、チームワーク、スピード、コラボレーション、説明責任、学習、効率、考え方の共有など
働くことの意義と希望
「自分の行動に大きな意義を感じている従業員だけが顧客のニーズを満たすことができる」
<7月>
・「何が足りていないかというのは、何がしたいかによるだろう。
 大事なことは、自分たちが今どこにいるのかを知ることだ。」
 Ivica Osim
・プロフィット・ゾーン経営戦略―真の利益中心型ビジネスへの革新
 エイドリアン・J. スライウォツキー (著), デイビッド・J. モリソン (著)
・「諺にもあるじゃないか。”自分の馬を信じろ”
 自分が自分を信じてなかったら、誰が自分を信じるんだ?」
・「毎晩、寝る前に必ず”夢”を創造してから眠りなさい。
 今日の努力が実を結んで、明日、どんな自分になっているのか、
 その夢を描いてから眠りなさい」
・「謙虚に純粋に、そして素直に育ってほしい」
・ジェームス・C ・アベグレン
 「アメリカの企業が純粋な利潤追求組織であるのに対して、日本の企業は社会組織である」
 日本における企業の存在理由は、社員の幸福と安寧を実現することだ。
・楠田丘
 アセスメントの整備
 (総合的かつ多面的な評価制度の構築)
 →部下による上司の「指導力・育成力の評価」
 →同僚による「責任感や協調性の評価」
 →その人と同じ専門性をもつ先輩による「知識や技術の評価」
 →顧客による「折衝力・商品説明力の評価」など
・トイストーリー
・過去一ヵ月学習をまったくしなかったという社会人 82.4%
・100人の高校生のうち、大学進学、1000人以上の企業に就職、三年以上勤務は6人。
・奈良美智
・岩崎ちひろ
・ブレイブストーリー 宮部みゆき
・観葉植物 山と渓谷社
・夜回り先生
・whatを考える力への要請
 ビジョン、フォーキャスト、アウトルック
 マイルストーン、フェーズ、プロセス
・<ワクワク感、みんなが燃えてくる何か>
・完全なる経営 アブラハム・マズロー
・Elements of Organization
 Social Stracture、Technology、Goals、Participants
・ビジョンというのは、各人の心に思い描かれた最高の状態にある組織の姿。
 完全に自己実現的な組織の姿。組織の自己実現は、社員の自己実現によって
 もたらされるが、それが起こるのは、「その組織で働くのが楽しいとき」である。
                      A.H.マズロー
・「人的資本」「知的資源の管理」「独創性ある人材の育成」
・「音楽は感情の原因でも療薬でもなく、それらの論理的表現である。
 …人間感情の諸形式は、言語の諸形式よりもはるかに
 音楽の諸形式に適合しているために、音楽は言語の及び得ない
 詳細さと真実さを持って感情の本質を表し、示すことができる」
 『シンボルの哲学』S.K.ランガー
・『文明論之概略』福沢諭吉
・Will-Can-Must→Will-Can-Happy
・人材価値評価
・恋に落ちる確率
・Frengers Mew
・バッドサンタ
・イブラヒムおじさんとコーランの花たち
・Planned Happenstance Theory(プランド・ハプンスタンス・セオリー)
 1、Curiosity … 新しい学びの機会を模索せよ
 2、Persistence … 失敗に負けずに努力し続けよ
 3、Flexibility … 姿勢や状況を変えよ
 4、Optimism … 新しい機会は必ずやってきて、
            それを自分のものにすることができると考えよ
 5、Risk-taking … 結果がどうなるか見えない場合でも行動を起こせ
 好奇心、持続性、柔軟性、楽観性、冒険心
・キャリア開発のために必要な3つの行動。
 1、自発的ジョブデザイン行動
 2、ネットワーキング行動
 3、スキル開発行動
・「チャンスは心構えをしているものに選んで訪れる」 パスツール
・平和な生活を守るには利己主義を抑える必要があり、教養はその有効な手段である。
・価値意識の理論―欲望と道徳の社会学 見田 宗介 (著)
・「隠れた投資が成長を支える」 英経済学者 E・T・ペンローズ
・ヴィレッジ
・dot the i
・オーシャンズ12
・ボーン・スプレマシー
・ディズニー7つの法則
「積極的にフレンドリー」、「語りかけ歩みよる」
・波動で上手に生きる
・ザ・ビジョン
・「おもしろくて、ありがたい」池波正太郎
・祇園の教訓
・ダイエー閉店、ホームズOPEN
・SINGER SONGER
・TAXI NY
・恍惚
・笑の大学
・サーバント・リーダーシップ
・ブリジット・ジョーンズの日記2
・天神祭り
・「想像力は頭の働き」か 安藤忠雄
・雨ニモマケズ
<8月>
・「一番大切なことは、自分を信じること。やることは変わらないんだ。」キングカズ
・「自信がないから失敗する。信じることが大切。感情を抑えよ。未来は揺れ動く。」ヨーダ
・村上和雄、小柴昌俊、西澤潤一
・「H&M」ヘネス・アンド・モーリッツ
・10年後の人事 舞田竜宣(著)
・10年後の人事労務 日本経営者団体連盟弘報部(編集)
・「存在の耐えられない軽さ」
・「いつまでもバカでいたいですね」
・「世界一受けたい授業」
・大いなる休暇
・イルギオットーネ
・ルパン
・RSS,リッチサイトサマリー
・セルフイメージ、メタ認知
・「亡国のイージス」「ローレライ」福井晴敏
・「本を読む時間はもったいない。
 オレがどういうものから影響を受けているのかというと、
 99%が映画で、残りの1%のうちマンガが0.7%を占めている。
 0.3%はさまざまなものが入り込んでいる感じですね。」
・RSSを使って、1日500本、1週間で3500本のニュースを読む 大前研一

測れない心が測れる結果をつくる

2005-08-11 | Weblog
人と組織の新論点
CATALYST
辻秀一

○力を発揮するために心を見つめ心を鍛える

「試合で勝つために何が必要ですか?」
と私がラグビーやバスケットボール選手に尋ねると、
選手は、持久力、瞬発力、正確なパス、集中力、
自信などを挙げます。
そして選手は実際の走り込みや、パスの練習をしています。
 では心を鍛えるためには何をしているでしょうか。
必要だとしながら何もしていないことが多いようです。
 スポーツ心理学では、心の状態を「セルフイメージ」と呼んでいます。
嬉しいときや楽しいときはセルフイメージが大きくなり、
苛つくときや不安なときは小さくなります。
このように心の状況は常に大きさを変え、揺れ動いているのです。
 私がセルフイメージに注目するのは、心の状態が
直接パフォーマンスや行動に影響を与えるからです。
 例えば、緊張して心の状態が小さくなっているときは、
バスケットボールのフリースローが入る確率が下がります。
技術的には7割の確率で入られる選手でも、
3割になってしまうでしょう。
もっている能力を十分に発揮するには、セルフイメージを
大きく安定させ、揺らがないようにすることが必要なのです。
 心が揺れないようにするには、まずは自分の心の状態に
関心を向けることが大切です。
そこで、トップの社会人スポーツの選手たちには
「1ヵ月間、練習中も仕事中も、一日中そのときの心の状態
に気づくこと」を課題にしています。
 そして、今の自分は審判が誤審をしたから苛ついているな、
とか朝会社に来るときに財布を落としたから集中できないな、
と心の状態に気づくだけで心の揺らぎは減るのです。

○一流選手がライバルを応援、感謝する理由

 セルフイメージを大きくするには、どうすればいいのでしょうか。
 一流のスポーツ選手を見てみると、タイガー・ウッズ選手は
自分のライバルを心から応援しています。
高橋尚子選手は30キロ付近で競っている選手には
「この人に負けない」ではなく、感謝しているのです。
なぜなら、相手に対して応援や感謝の気持ちをもつことが、
自分のセルフイメージを大きくし、
結果的に良い成績を出すことを知っているからです。
 心の状態の安定が良い結果をもたらすことは
スポーツに限りません。
毎日の生活や仕事でも心を大きく保つことで、
良い結果を出すことができるのです。
 こうしたスポーツのもつ価値を、毎日の仕事や教育の分野でも
役立つと信じ、活かしていくことがスポーツドクターとしての
私の仕事だと考えています。
 心は見えないし、測定できないものです。
しかし心という測れないものにも努力というエネルギーを注ぎ、
心を大事にすることが、結果的に試合での勝利といった
測れる結果や成果を導くのです。
 今のあなたのセルフイメージはどうですか。
大きくなっているでしょうか。





☆セルフイメージ、小さくなってないですか?
 元気出していきましょーね。

cf.メタ認知
 その2

~世界が認めた達人たちの奇跡~ 私のキャリアノート 首都大学東京学長 西澤潤一

2005-08-02 | Weblog
wisdomというサイトは、内容盛りだくさんで、お薦めです。
盛りだくさん過ぎて、とても全部は読めないけど、
一度、ゆっくり見てみて下さい。
その中でも、”私のキャリアノート”というコーナーは、お気に入り。
村上和雄さん、小柴昌俊さんの話も、とてもいい話でした。
今回は、西澤潤一さん。
第1回分だけ、載せときます。

第1回 「闘い続けるわが独創人生」

終戦直後、私は東北大学電気工学科の学生でした。焼け野原となった街には、必死に
生きようとする人たちがあふれていました。その様子を見ながら私は毎日真剣に考え
ていました。「資源のない島国日本が立ち直り、生きていくためにはどうしたらよい
か」。

考え続けた挙句、「科学技術で立国していくしかない」という確信を持ちました。科
学技術こそが、戦後日本の生命線であると。この時私は一生を科学技術立国のために
貢献しようと決心したのでした。

私はもともと頑固一徹。科学技術で世の中に貢献したいという使命感と、それを実現
するためには「独創」を貫くしかないという信念のもと、今日まで研究人生を送って
きました。

「西澤潤一」というと、どうも「世の理不尽と闘う科学者」というイメージが強いよ
うです。たしかに、私の研究人生は闘いの歴史だといっても過言ではありません。し
かし、私は自分の名利のために闘ってきたわけでは決してなく「独創」をもって世の
中に貢献したいという強い信念を貫いているだけなのです。

私は、日本の科学技術風土になじめなかったのか、日本の学界からは様々な理不尽な
目に遭い、中傷も受けてきました。しかし、私はその都度、自分の主張を曲げず、あ
きらめずに研究を続けてきました。世の中に貢献できる「独創」を何とか世に出した
い一心だったのです。

2002年に世界最大の学会である米国電気電子学会(IEEE)が、私の名前を冠した
「Junichi Nishizawaメダル」を制定しました。日本人としては初めてで、身に余る
光栄を感じています。以前私も受賞いたしましたIEEEエジソンメダルと並ぶものだそ
うで、皆様からはエジソンと並んだと言われ、さすがに恐縮しています。

私は、この4月に新設された首都大学東京の学長に就任いたしました。今でも、私の
信念は少しもゆらいでいません。今、首都大学東京の学長として“独創教育”の実現
に命を燃やしています。

○1+1はなぜ2になるのか?

私は大正15年、父が化学工学者として赴任した仙台市で生まれ、4歳の時に実の母親
を亡くし、“三河義通(きっとう、頑固一徹な三河人)”の血を濃く持つ父親と義母
に育てられました。父は平成13年、満103歳で大往生するまで生涯にわたって私の上
に君臨した専制君主でもありました。

私がまだ、小学校に入る以前のことでした。母と連れ立って歩いているとき、いつも
遅れてしまい叱られていました。それは、「1+1はなぜ、2になるのだろう?」とい
うようなことをいつも考えていたからです。

例えば、「りんご1個とみかん1個を足すと何個になるでしょう?」といった問題があ
ります。普通の考えでは、当然答えは2個となります。しかし、本当に2個と言えるの
でしょうか?なぜなら、りんごとみかんはあくまで別の物体であり、一緒にする(足
す)ことはできないからです。

つまり、2個という答えは単に「数」を足すという前提にたったものなのです。この
前提をはずした場合、答えは別のものになるはずです。子供の私は、その前提にこだ
わり、そこに疑問を抱いていたのです。

私は、これまでの研究人生で「常識や定説を疑え」という態度を一貫してきました。
これは、物事を縛る約束事にとらわれていては、真実を見抜くことはできないと思う
からです。思えば、幼き日の私にはすでにその後の研究人生を貫く姿勢が芽生えてい
たのかも知れません。

このような子供でしたから、小学校に入り父親のゲンコツに強制されて机に向かって
はみても、さっぱり学問が身につきませんでした。小学校低学年のころの私は成績も
かんばしくなく、父は私よりも2歳年下の秀才の弟のほうに期待をかけていたぐらい
です。

ところが小学校高学年になって担任になった先生に可愛がられ、奇跡が起こりまし
た。4、5年時の千葉英胤先生と6年時の高橋裕先生の優しさに触れ、好きな先生に
認めてもらおうと、大いなるやる気が出たのです。その結果、成績は急上昇、中学校
進級の選別を兼ねた卒業試験の成績はとうとう一番になりました。

中学生の頃、生涯にわたって影響を受けた言葉があります。当時の林信夫宮城県知事
が来校されて講演された「未見の我を発見せよ」という言葉です。人間は誰も優れた
能力を持っているが、若い時から切磋琢磨しないとそれに気づかず一生を終えてしま
うといった意味でしょうか。

○戦時下の大学で黙々と実験に励み“特別研究生”に

中学3年の昭和16年、戦争が始まりました。そして戦局いよいよ厳しい折、高校は1
年短縮されて2年で卒業、昭和20年4月、東北帝国大学に進学しました。専攻は、4
月から工学部長に就任する父の鶴の一声で決まりました。

「成績が悪い者が理学部で物理や数学を専攻してもつぶしが利かない。工学部、それ
も通信学科は難しいから電気工学科へ行け」というものでした。しかし、東北大の電
気工学科は、「八木アンテナ」で知られる八木秀次先生以来の伝統を誇る名門でし
た。

大学では、中学のとき水木先生に薦められて高校時代に繰り返し読んだ『現代物理学
の論理』を私なりに実践したいという希望がありました。高圧物理学の専門家で、後
にノーベル賞を受賞した大学者である著者のブリッジマンは、「学問とは、人間が自
然現象を観察し続け、その中に法則性を見出して記述すること」と明示しています。
それに感銘した私は、工学的な手法で裏づけを取りながら科学を探求していくため、
思う存分に実験をしたいと強く感じました。

大学入学後の教養課程での2年間は、教師は戦時研究に忙殺されて休講ばかり。教科
書や参考書も少なくじっくり勉強した記憶もないまま、1年繰り上がった3年目に渡
辺寧教授の研究室で、八田吉典助教授の指導を受けながら卒業研究がスタートしまし
た。

テーマは放電管の絶縁破壊。壊れた実験器具を調整したり、方法を工夫したりしなが
ら黙々と実験を続けました。この時はすでに、自分の頑固一徹ぶりが育まれていた気
がします。こんな努力が実を結んだのか、昭和23年3月の卒業時には成績が1番にな
り、「特別研究生」として返済義務のない奨学金をもらいながら大学に残れることに
なりました。実験に情熱を注いだ結果でした。甚だ成績の悪い1番で、同級生に悪
かったなと思いました。

一方で文学や哲学、芸術などにものめり込んでいました。特に、本については読書と
いうよりも濫読といったほうが良いほどの状態でした。今振り返ってみると、おそら
く今までの人生で5000冊は読破しているのではないかと思います。古本屋さんとは
すっかり馴染みになって、ニーチェやプラトン、キルケゴールの哲学書も濫読しまし
た。

これらの哲学から私が学んだのは、既成の価値観念を破壊し尽くした後に「真実の愛
を基準に本当の価値観を構築していく姿」です。こうして私の人生観は固まっていき
ました。人生とは「愛」を求めることだと思います。私の独創を求める研究人生も
「愛」を抜きには語れません。

こうした、文学や芸術は若い私の心を癒してくれただけでなく、私の研究人生の糧と
なり、土台を築いてくれたと言えます。その後も、研究で壁にぶち当たった時、困難
に見舞われた時など、ずいぶん、文学や芸術に救われたものです。

○“魔法の石”を追い求めて

昭和23年暮、大ニュースが飛び込んできました。私はまだ22歳で、特別研究生になっ
たばかりでした。米国ベル研究所がゲルマニウム(金属と絶縁体の中間の性質を持つ
半導体材料)を使って「トランジスタ」という“魔法の石”を開発したと、連合国軍
総司令部を訪れた渡辺教授から知らされたのです。

何の変哲もない数mm角の固体が、形状が複雑でかさばる真空管に替わって電気を自在
に増幅したり、制御(どちらか一方だけに電気を流す)できる。今になってみれば、
後にIC、LSIへと進化し、エレクトロニクス産業、コンピュータ産業へと20世紀後半
に始まる技術革新時代到来を、高らかに告げる号砲でした。

渡辺先生はさっそく私を含む三人の特別研究生にトランジスタの研究を命じました。
敗戦で荒廃した日本の将来を憂い、世の一隅を照らしたいと気負っていた当時の私た
ちは、トランジスタの研究に挑戦することを決意します。これが私の転機となりまし
た。研究の方向が見えたのです。

トランジスタについて昭和24年当時知らされていたのは、「半導体の表面に2本の細
い金属の針を立てると、一方の針に入れた電気信号が他方の針から増幅されて出てく
る」という断片的な情報だけでした。私は、初めから針2本では複雑だと思い、1本の
針を表面に接触させていわゆる鉱石検波器をつくり、整流特性を調べることから始め
ました。つまりトランジスタよりシンプルなダイオードから攻略しようと考えたので
す。そして、これが図に当たりました。

○ベル研のショックレーとしのぎを削る

一方からは電流が流れるが他方からは流れない、整流特性と信頼性に優れた半導体を
求めて実験を続ける中で、ドイツや米国の文献で「絶縁膜」の存在が特性向上の鍵を
握ると知りました。その理由をあれこれ考えながら、大学院2年目が終わろうとする
昭和25年春、風呂焚きの薪をくべる最中に新しい理論をひらめきました。

半導体には、自由に動き回れる電子が存在する「n型」と、電子が足りなくなって正
孔と呼ばれる空洞が存在する「p型」とがあります。この両者の間でキャリア(電子
や正孔)が移動して電気が流れるのですが、それなら「p型」の代わりに絶縁物を置
けば電子や正孔はより加速されて飛び込み、半導体中の電子が絶縁物中に注入される
こともあり得るのではないか。

言わば、バック台の前に助走区間が出来るようなもので、n型のところを走った電子
はバック台に跳び上がれる、つまり半導体の中で助走が出来るという考えです。私は
これを「ホットエレクトロン注入理論」と名付けました。

ところが昭和25年の夏、米国物理学会誌に、トランジスタの発明で後にノーベル賞を
受賞したベル研のショックレー博士が「pn接合」と呼ばれる新理論を発表しているで
はありませんか。恐る恐る貪り読めば、何と私の「注入理論」とほぼ同じ主旨だった
のです。

先を越されたと悔しがってばかりもいられません。負けん気の強い私は、ショック
レーの新理論を細かく分析していきました。彼の「接合理論」をよく読み返すと、
「pnダイオード」には逆向きの電圧の場合に大きな電圧を加えられず、周波数特性も
落ちる弱点がありました。ところが私は、pnの中間に絶縁性の半導体層(i層)をは
さめば、その弱点を克服できるのではないかとひらめいたのです。

こうして「pinダイオード」と後に世界の半導体製造技術の基本となる「イオン注
入」技術の構想が完成。昭和25年9月11日、私の誕生日の前日に特許を出願しまし
た。

○信念で逆境に立ち向かう

この成果を学会で発表したところ私は総攻撃を受けました。「若造のぶんざいでベル
研の理論にケチをつけるとはなにごとだ!」とはねつけられ、えらい学者先生から
は、公の場で平然と嫌がらせも受けました。

観察と実験を注意深く繰り返し重ねていくと、時折定説とは違うデータが現れる。そ
れを片田舎の若造が実証し、その現象に仮説を立てて報告しても、「文献にない」と
か「欧米では違う」と叩かれる。「珍説」とからかわれ、論文は塩漬けにされ、実用
化研究の協力も拒否され、挙句の果てはほかの研究者に次々に先を越される――。

私にとって初めての学会発表だったのですが、これ以降、私は学界や産業界の理不尽
さと闘い続けることになります。こんなことで私の信念がゆらぐことはなかったので
すが、正直言ってつらい時期でもありました。しかし、このときは無視されたpinダ
イオードでしたが、私はその後も研究を続け、アメリカで評価され大評判になりま
す。

このように、常識や定説にばかりこだわっていては、「独創技術」など生まれようも
ありません。科学技術立国の実現を願う若い私は、こうした逆境にも打ちのめされる
ことなく、ますます果敢に立ち向かっていったのです。

一方で私は、ごく自然と「光」分野の研究に入って行きました。そこで、光通信の三
大要素である「光⇒電気(フォトダイオード)」「光伝送(光ファイバ)」「電気⇒
光(半導体レーザー)」のすべてについて発明することになります。次回はその経緯
からお話しましょう。

雨ニモマケズ

2005-07-29 | Weblog
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキ小屋ニイテ
東ニ病気ノ子供アレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニ疲レタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ

「なぜ?」から始めよう

2005-07-26 | Weblog
・公理でさえも前提条件により真理は異なる。

・そもそも人生で大事なことの大半には正解など無い。
 必要なのは決意する意志で、「生きる」ということは
 「正解の無い問い」の正解を求め、悩み、努力することだ。
 悩まないやつは「生きていない」し、「正しい生き方」とは
 「正しい悩み」の別称であろう。

「想像力は頭の働き」か 安藤忠雄

2005-07-26 | Weblog
「想像力は頭の中の働きだけだと思われがちですが、そうとばかりは言えません。
実際に行動することで他社の痛みが分かり、見えないものへの想像を働かせられるようになる。想像力は感動体験とか生活感覚の中から生まれてくるものです。」

「もちろん、実際に体を動かすことに限らず、読書や映画などに接して感動することも大切な経験となります」

「人間はプロセスを踏んで成長していくこと、つまり年齢に応じた経験を積み重ねていくことが必要です。しかし現在は幼稚園、小学生、中学生、それぞれの段階で体験しておくべきことをしないままに大人になってします。知識の総量ばかり気にして、プロセスの重要性を親も教師も忘れている。生活の中にもプロセスがないんです。…」

「社会のデジタル化でプロセス軽視、体験軽視の傾向は強まるばかりです。色んな意味で、心の底から感動することが少なくなってしまい、頭の中ですべてを了解したと思い込んでいる」

「大人になってからでは遅い。子どもを自由にさせることです。自由を認めて初めて、子どもたちは体験の中で自分なりの価値基準を築き、判断力を高めていける。自由にはそれなりの責任がついて回ります。そのことが想像力を養うことにもなる。親は放任ではなく、子供を自由にさせる勇気が必要です」

「自由ということとは違いますが、小さい時に、苗木から木を育てさせるにも面白い。十㌢の苗が小学校卒業時には見上げる木になります」

「最近、失敗を極端に恐れる子どもがいますね。子ども自身、フラストレーションのまっただ中にいるのではないでしょうか。子どもが子どもらしく生きられない。でも、そうして育った子どもたちが次は親になる。今何かを変えないと、大変なことになる」

※安藤さんが言いたいことの主旨をまとめると、小さい頃から、ガーデニングをさせましょう、ということです。