S.E裏千家茶道教室 お茶のひと時

つれづれなるままにパソコンに向かいて
心にうつりゆく茶道教室の話題を書きつくれば。。。。

利休屋敷 in 堺

2017-10-11 13:13:36 | 紅茶、茶道&マナ-のお話

夏の暑さがぶり返しの10月10日、利休の出発点の堺に行く。

本来の目的は、東洋陶器美術館開催の伊勢彦信コレクションを見る事だったけれど、10日は、祝日の次の火曜日でトホホ~~休館。

間抜けな二人。

同伴のYさん、「それなら堺に行ってみる?」。。。と

一度行ってみたかった利休の屋敷跡がある堺はYさんの地元。

せっかく大阪まで来た事だし、それではとYさんの案内で堺へGO!

ついにやって来ました、利休誕生の屋敷跡へ。

ボランティアの方の話だと、昔は今の10倍くらいの広さだったとか。

今は利休が産湯を使ったと言われる井戸が残るのみ。(井戸の屋根は後に作られた)

手水鉢へ注がれる水は、井戸からポンプで汲み上げている。

495年前、利休も使ったであろう水で、自分の手を清める。感慨深い!

昼間は暑く夏の錯覚、しかし、堺着地は遅く、おまけに季節はつるべ落とし、次なる目的地、南宋寺(なんしょうじ)へ急ぐ。

             (南宗寺の瓦で出来た道)

堺の町の歴史はまるで知らなく、ガイドさんの説明によると、豊臣秀吉は夏の陣の前に徳川が堺に入り込まなくするために、焼き払ったそう。その後再興、しかし第二次世界大戦で再び焼野になったとの事。

南宗寺の出発点は、大徳寺、古嶽宗亘。そして後、大林宗套に帰依した戦国武将、三好長慶が大林宗套(だいりんそうとう)を開山として建立。

竹野紹鴎も利休も、この寺に参禅したと言われる。

そのほか、堺は今井宗久、津田宗達、山上宗二他、名だたる茶人がいる。

名物道具=富の図式だろう。

利休の弟子、利休の言動を書き留めた「南方録」を作った”南方宗啓”はここ南宗寺、集雲庵2世。

”家は漏らぬほど、食事は飢えぬほどにて足る事也、是、仏の教え、茶の湯の本意也、水を運び、薪をとり、湯をわかし、茶をたてて、仏にそなへ、人にほどこし、吾も飲む”・・・・・は名文。

南宗寺の敷地は広い。

秀忠のおなりを記した板額のかかる坐雲帝、家康の墓(?)、三好一門の墓、三千家の供養塔、唐門と回るけれど、季節外れの暑さのせいか、蚊に襲われ、かゆく、説明にも熱が入らない。

南宗寺を後にし、利休敷地跡近くにある、利昌記念館でお茶を頂く。

宝泉庵製、銘:”まさり草”。まさり草とは菊の古名と言われる。

疲れた体にお菓子&抹茶が美味しい!!

最後に又妙斎愛用道具を拝見し、夕暮れの堺を後にする。

今回は、突然のバタバタの堺訪問。この地には仁徳天皇陵古墳もあると言うので、機会があれば再訪してみたい。

 


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