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明日は明日の風が吹く

妙國寺探訪その1~堺事件と五代友厚~

堺事件を調べるため妙国寺に行ってきました。天王寺から阪堺電車に乗り約30分。そういえばこの阪堺電車にも五代さんが関わってたんでしたね。






前から行きたかったけど、怖くてビビってました。

というのも

織田信長が蘇鉄を安土城に移植したが、毎夜「堺に帰りたい」という声が聞こえ、激怒した信長は部下に命じて蘇鉄を切らせました。切り口より鮮血が流れ大蛇が悶絶した様に見え、さすがの信長も恐れ「妙国寺に戻せ」と叫んだそうです。








1849年2/15土佐藩士とフランス水兵といざこざが起こりフランス水兵が殺傷されます。切腹を命じられ妙国寺の境内で行われました。
その時の外国事務局判事が五代友厚です。
当初打首に決まっていたのを名誉を残す為に切腹に変更させたのが五代さん。
そして20名を11名に減らす事になった時、「11名の切腹で良い」と大使と面談して了解を得たのも五代さん。書面に残した記録がフランスの資料に残ってるそうです。
海に沈んだフランス水兵を引き揚げる為に、地元の方に「一人引き揚げると30両」の報酬を出したのも五代友厚さんだそうです。
(再度山外国人墓地埋葬)

妙国寺の外に土佐藩士の石碑があります。




ガイドさんの説明と妙國寺パンフレットより抜粋
次回、徳川家康の話を投稿します。
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