ぼやきくっくりさんからの記事紹介の5回目です。
■ハーバート・G・ポンティング=イギリス人。1910年(明治43年)にスコット大佐の第二次南極探検隊に加わり記録写真を撮った写真家。1901年(明治34年)~1902年(明治35年)来日。日露戦争にも従軍。
「英国人写真家の見た明治日本」より
プラットホームに立っていると、そこにロシア軍の捕虜を満載した列車が到着した。乗っていた捕虜の全員が戦争から開放された喜びで、大声で叫んだり歌を歌ったりしていた。・・・反対の方向から別の列車が入って来た。それは日本の兵士を満載した列車で、兵士達は前線に行く喜びで同じように歌を歌っていた。
ロシア兵と日本兵はお互いの姿を見るや否や、どの窓からも五、六人が頭を突き出して、皆で歓呼の声を上げた。ロシア兵も日本兵と同じように懸命に万歳を叫んだ。列車が止まると日本兵は列車から飛び出して、不運?な捕虜のところへ駆け寄り、煙草や持っていたあらゆる食物を惜しみなく分かち与えた。一方ロシア兵は親切な敵兵の手を固く握り締め、その頬にキスしようとする者さえいた。私が今日まで目撃した中でも、最も人間味溢れた感動的な場面であった。
(中略)松山で、ロシア兵(捕虜)たちは優しい日本の看護婦に限りない賞賛を捧げた。寝たきりの患者が可愛らしい守護天使の動作の一つ一つを目で追うその様子は、明瞭で単純な事実を物語っていた。
何人かの勇士が病床を離れるまでに、彼を倒した弾丸よりもずっと深く、恋の矢が彼の胸に突き刺さっていたのである。ロシア兵が先頃の戦争で経験したように、過去のすべての歴史において、敵と戦った兵士がこれほど親切で寛大な敵に巡り合ったことは一度もなかったであろう。それと同時に、どこの国の婦人でも、日本の婦人ほど気高く優しい役割を演じたことはなかったのではあるまいか。