
ブラームス:交響曲第1番
・新日本フィルハーモニー交響楽団
・2018年3月10日 すみだトリフォニーホール(東京)
・SACD:OVCL-00712(EXTON)
1mov. 11:44
2mov. 7:15
3mov. 4:21
4mov. 15:47
演奏 ★★★★☆
音質 ★★★★☆
今回は、朝比奈のベートーヴェンの前にどうしても書いておきたかった1枚について。
私は現在、東京の複数のオーケストラの定期会員であるが、そのうちで特に強い思い入れのあるのが新日本フィルである。
このオケの定期会員になったのは2016年からなのだが、会員になった理由は上岡敏之が音楽監督に就任したことにある。
私がこの指揮者のことを知ったのはほかでもない宇野功芳氏が雑誌上で絶賛していたのを目にした時で、そこで書かれていたのは2006年の読響とのモーツァルトの「リンツ」とブラームスの第1番についてであった。私は残念ながらそのときの実演は聴けていないが、後日テレビで放送されたのものを聴いた。その放送からは、確かに凡百の指揮者とは違う何かを感じた。
その後に私がこの指揮者の実演に接することになったのは翌2007年のことで、それは当時の手兵であったヴッパータール交響楽団との初の来日公演であった。私はベートーヴェンの第5番、ブルックナーの第7番、チャイコフスキーの「悲愴」をメインとした3つのプログラムを聴いた。そこで確かな手応えを感じることが出来たので、続いて2010年の同オケとの再来日、そして読響をはじめとする日本のオケへの客演、さらには「魔笛」「椿姫」といったオペラを聴くことも出来た。
宇野氏の初期の上岡評における「シューリヒトの再来」という捉え方がとても興味深かったのだが、上述の曲目のうちブルックナーの7番はチェリビダッケよりもさらに演奏時間の長い超スローテンポのもので、実演に接する前に同コンビの同曲のCDが2枚組になるという情報を目にしていたものの、客席で聴くその演奏に私は大いに面喰らった。それは全く異形の演奏であり、シューリヒトどころか他の誰の演奏とも異なる問題作であった。
他の曲については確かにシューリヒトに通じるように感じる部分もあったが、回数を重ねるにつれて、この人の感性は誰に似ていると言えるようなものではないと思うようになった。作品の捉え方が全く独自の視点に基づいており、その現れ方は曲によっても大きく変わってくることを強く感じた。(もっとも、シューリヒトについてもセッション録音とライヴでは大きく印象が異なることを知っている人も多いだろう。しかし、上岡の振り幅の広さはそれとはまた違った性質のような気がする。)
ヴッパータール響との演奏で特に素晴らしかったものを列挙すると、モーツァルトのピアノ協奏曲の弾き振り、ワーグナーの「ジークフリート牧歌」、上述したチャイコフスキーの「悲愴」(但し、CDのは採らない。CDなら新日本フィルとの再録音を聴くべきだ。)が挙げられるが、それらを上回る最も鮮烈な体験となったのはベートーヴェンの「エロイカ」である。
この曲は2010年の来日時に演奏されたのだが、なぜか東京・首都圏ではプログラムに組まれず、名古屋と松本のみで演奏された。私は観光を兼ねて松本まで足を運んだのだが、その時に訪れた上高地の美しい景色や澄んだ空気と併せて、あの衝撃的なエロイカを私は一生忘れないだろう。
第2楽章については他日公演のアンコールでも演奏されたので聴かれた方も多いかと思う。それはアラ・ブレーヴェを強く意識して異常に速いテンポで運んだもので葬送のイメージからは遠かったが、それでいて個々の音符には過去に聴いたことのないようなニュアンスが込められ、そのスタイルとして高度に完成された妙演であった。そして松本で聴いた全曲、とりわけ第1楽章のユニークさも全く予想の範疇を超えるものであったが、その内容を言葉で表現するのは第2楽章以上に難しい。テンポは中庸より僅かに速い程度だったと思うが、強弱のつけ方が全く独特、そして終盤の燃焼度の高さは滅多に聴けない命懸けのようなものであった。
私は上岡のエロイカをもう一度聴きたくて待っているのだが、まだ実現していないのは本当に残念だ。
そのエロイカと並んで最も強く印象に残っているのが、ここで紹介する新日本フィルとのブラームスの1番である。
これは2018年の3月に演奏されたもので、上岡のブラームスを聴きたくて待ち続けていた私にとって待望の公演であった。実は2016年に九州交響楽団との初共演でも同曲をとりあげており、私はそれを聴くために福岡と大分まで足を運んだ。その際の演奏も悪くはなかったが、初共演ということもあって指揮者の意図が充分に音化されているとは言えない部分を残していたと思う。
従って音楽監督を務める新日本フィルとの同曲には期するものがあったのだが、それは予想していた以上に強いインパクトを与えてくれるものとなった。
この演奏がディスク化された意義はとても大きいと思う。
改めてじっくりと聴き返してみた。
まずは第1楽章。
序奏は落ち着いたテンポで悠々と運ぶ。ティンパニーは特に強調されないが、格調高い弦楽器とうまく共存している。
そして低弦の8分音符の動きの意識的な強調は隠し味となってじわじわと効いてくる。
しかし主部に入ると一転して驚くほど軽やかだ。弦楽器は力みを徹底的に排除しており、下降音型のレガートは独特で、かかとを踏まずにつま先だけで先に進むような趣もある。
提示部はリピートをしないが、そこからは後ろを振り向かない意志の強さを感じる。そして速めのテンポで曲の内面にしなやかかつ鋭く入り込んでいく。
所謂ドイツ的、ブラームス的な重厚さや粘りはここにはほとんど感じられないのだが、サラリとした進行の中で各声部の動きが室内楽的な対話を繰り返していく。
しかしいざという時の一撃は意味深く轟き、情景の変化を鮮やかに刻印。
終盤でもほとんど粘らずに意外なほどにポーカーフェイスで進むが、終結のスリムな織り込み方には独自の色合いがある。
第2楽章もテンポが速いが、その限られた時間の中で微細なニュアンスが瞬間芸的に連続する。
往年の巨匠のような太ったロマンはここにはないが、機械的な冷たい演奏とは全く次元が違う。
音が鳴り終えた後から、ほのかな情感がさりげなく、ふわりと立ち昇ってくるような趣がなんとも心憎い。
ヴァイオリン・ソロは特に高音域のヴィブラートに共感が滲み、強く胸に迫ってくる。
爽やかでささなやかな詩がここにある。
第3楽章も速めのテンポでスイスイと進んでいくが、各パートの細部の彫琢に周到なリハーサルの跡が感じられる。
そして第4楽章だが、ここでは上岡の特性が最も強く発揮されている。
序盤は比較的落ち着いた運びだが、やはり暑苦しさはない。徐々に前進性を増していくが、ここでも音の重ね方に並ではないセンスが感じられる。
アレグロ・ノン・トロッポからの例のテーマはそれぞれ後半の2小節分をうっすらと漂うような弱音へ抑制してしまう。(これはとても特徴的な表現だと思うが、音楽雑誌でのレビューにおいてこの部分に誰一人として言及していないのはどういうことだろうか?)
そしてアニマートに入ってからは溜め込んだものを開放するように前進する。ここではアクセント記号のついた4分音符を音量の変化ではなくレガートにすることで独特のニュアンスを表出しているのが初めて聴く表現で、これは器楽的というよりも声楽的なアプローチと言えるかもしれないが、とにかく聴きなれたこの曲が実に新鮮に響く。
弦楽器のアーティキレーションはとても斬新だが、全体が一本の筋で貫かれており、聴き込むほどに唸らされる。
終盤のコラールの部分では、高らかな勝利を宣言するような表現をとる指揮者がほとんどの中、上岡は逆に音量をぐっと抑えてここでも声楽的な高級感を醸し出す。
渓谷を進んでいよいよ頂上に着いたところで、輝かしくも優しい光が天から差し込んでくるような表現で、これは極めて独創的だ。
この演奏を客席で聴いたときにはなんとも言えない皮膚感覚が終演後もしばらく残っていて、自分の中へ収めきるのにゆっくりと時間をかけながら帰路についたことを思い出す。終演後のロビーでは物凄いものを聴いたという表情をしている客を多く見かけた。やはりじわじわと湧き上がってくるような静かな興奮を内に秘めているように思えた。
当盤の印象をここに書くにあたって、先述した読響との同曲の映像も改めて見返してみた。読響の特性(及びそのときの会場であった東京芸術劇場の音響)も関係していると思うが、そちらの演奏がドイツ的な厚みや慣習を随所に残しているのに対し、この新日本フィルとの演奏では全体が上岡独自の新鮮な感覚で貫かれている。下手をすれば実在感の乏しい薄っぺらい音楽になる危険もあるアプローチだが、ここでは全体のバランスが絶妙な位置で保持されており、ひとつの完成形に達しているように思う。
この演奏はフルトヴェングラーのようなドラマ、朝比奈のような重厚さ等からは隔絶された世界と言える。また、新しいブラームス像と言えばピリオド勢の演奏も存在するが、上岡の演奏はあちらのようなアカデミックな匂いを残すものとは全く違う。
しかし奇を衒ったり軽薄な思い付きによる演奏では全くなく、ひたすらに自分に正直な音楽を奏でていることが強く伝わってきて、私にはそれがたまらなく大切なのだ。
そして作品そのものの見方を改めて考えさせてくれるという点で強い存在意義を持つものであると思う。
ちなみに当盤の『レコード芸術』誌上での月評は芳しいものではなかった。
2名の評者のうち一人は毎回、上岡の音楽に対して厳しいことを書き続けているので、否定的な文面であること自体には驚きはなかったが、なんだか聴く前から「嫌い」と決め込んでその理由を探しているような内容に終始しているのにはがっかりした。また、そこでは新日本フィルの楽員の退団についても触れられていて、それがまるで音楽監督が原因のように書かれているが、これはウラをとった話なのだろうか?もしそうでないなら憶測だけで書いてよいレベルを超えてしまっているように思う。(普段は的確な分析力で読み応えのある文章を書いてくれる人なのだが、この回については失望した。演奏への賛否は別として、もっと演奏の意図を創造的に探るような視点が欲しかった。)
もう一人は上岡のプロフィールで文字数の半分を埋めるという、もうどうしようもないもの。
もっとも、この演奏の実演を知らずに録音だけで聴いて真価を捉えるのは難しいかもしれず、上岡の音楽の魅力を確実に味わうにはやはりホールで聴くのが最上だとは思う。
(上岡の演奏を録音で聴くのは少し難しい側面もあって、高音質で知られるエクストンでさえ、最上とは思えないものもある。このブラームスは比較的良い方だと思うが、マルチマイクよりもワンポイント的な収録の方が真価を伝えるような気もする。)
世界中からコンサートが姿を消して数ヵ月になるが、新日本フィルについては中止になってしまった公演のうちのかなりの部分が上岡監督の登板回であったのは非常につらい。曲目がとても魅力的だっただけになおさらだ。
この記事のタイトルに「その1」と記したが、続編となるべき第4番の公演が中止となってしまったので、「その2」は当分書けそうにない。
上岡のブラームスとしては北西ドイツ・フィルとの2004年の第4番の録音が自主制作盤で存在し、私も所有しているのだがそれについては今は書く気はない。私が聴きたいのは現在の上岡の演奏だからだ。第4番(加えて第2・3番も)についてはいずれ改めてプログラムに組んでほしいと思う。
ところが先日、上岡敏之と新日本フィルの契約が5年目となる次シーズン(2020年9月~2021年8月)をもって終了することが発表された。
私は大いにショックを受けている。こう書くと大袈裟に感じる人もいるだろうが、私としては朝比奈隆の逝去以来の衝撃である。
退任の理由が公開されることはないだろうが、なんとなく想像はつく。
上岡のユニークな音楽の理解者はまだ多いとは言えないのだろう。楽員の中での評判は分からないが、客席の埋まり方を見て、いつも私はもっと多くの人に聴いてほしいと感じていた。
(日本国内での上岡の知名度を高めるきっかけとなった宇野氏が2016年の6月、つまり上岡の音楽監督就任の目前に亡くなってしまったことも残念だった。宇野氏が上岡について最後に書いたのは読響との第九についてであったが、これが氏の上岡評の中で最も否定的な内容だったのも辛かった。しかし、もし宇野氏の上岡/NJP評が読めれば良きにつけ悪しきにつけ、このコンビの注目度は今よりも高いものになっていたことは間違いないと思う。)
なお、上岡の任期中にはブルックナーやマーラーが多く組まれていたが、これは得策だったのだろうか?もちろん手応えのある演奏もあったが、私はモーツァルトやベートーヴェン、そしてシューマンやブラームスについてもっと聴きたかった。この指揮者の稀有の才能が強く輝くのはその辺りのレパートリーにあると信じているからだ。
でもそれらは6年目以降のシーズンでとりあげられるのだろうと思うことにして待っていた。モーツァルトなどの弾き振り、そしてオペラについてはオケとの関係が熟成してから聴かせてくれるものとばかり思っていた。
だからこの度の退任報道には満了ではなく「打ち切り」感が強く残るのだ。
退任後に日本で上岡敏之の音楽を聴ける機会がどのくらいあるのかは分からないが、新日本フィルへの客演は続いてほしいと強く思う。
もちろん他のオケとの共演も聴いてみたいとは思うが、この人の感性には長くつきあったオケでないと成就しない微細な表現が多くあるように感じるからである。
ちなみに次シーズンのプログラムは、上岡監督の回に限って言えば個人的にはやや肩透かしの感がある。従って、この数ヵ月間で中止になった公演の曲目をなんらかの形で復活させていただきたいと強く思う。(12月の第九の公演もいつかは上岡が振ると期待し続けてきた。来年以降でも良いから実現してほしい。)
日本が生んだこの突然変異的な異才によるブラームスやシューマン、そしてモーツァルト、ベートーヴェンをこれからも聴けることを強く祈りたい。
出来うるならば今からでも上岡監督の任期を延長し、このコンビの集大成をさらに質の高いものへ昇華させてほしいというのが私の願いである。
とはいえ現在、自主運営のオーケストラは存続の危機に陥っており、ほとんどの楽団が寄附を募っているような状況で、しばらくは公演内容にも何らかの制限がかかるのは避けられないようだ。
この先、音楽が、文化が、社会全体がどうなってしまうのか本当に不安だが、なんとかこの苦境を乗り越えられるよう信じたいと思う。