くれはやしさんの
熊蔵じいさんと人力車という記事を読んで初トラバします。
僕には、祖父が3人います。
1人は、僕の父親の父で、父親が幼い頃に亡くなっているので、
実際に会ったことはありません。
もう1人は、僕の母親の2番目の父(僕の祖母の再婚した人)で、
鈴木三郎という名前です。
僕が小さい頃、よくかわいがってもらった、じいちゃんです。
この三郎じいちゃんが実は、ばあちゃんの再婚相手で、
母親の本当の父ではなく、母親の本当の父は、母親が小さい頃に
戦争へ行き、そのまま帰ってこなかった、ということを随分大きく
なってから聞かされました。
三郎じいちゃんが亡くなってから、お墓参りはなぜか3ヶ所で、
父親の実家のお墓と三郎じいちゃんのお墓に、もう1ヶ所誰のお墓か
分からずにお参りしていました。
僕の記憶の中の三郎じいちゃんは、とても優しい人ですが、
母親に聞くところによると、母や祖母にはとても厳しい人
だったようです。
そんな三郎じいちゃんですが、僕の弟が生まれてちょうど
3ヶ月になった頃、交通事故で亡くなってしまいました。
当時まだ3歳だった僕は、その時の記憶は全くなく、
その後母親や祖母や叔父に聞きました。
その頃、母親の実家は、八百屋と削り節の製造をやっていて、
野菜や削り節をお得意さんに配達していました。
冷凍のカツオを仕入れて来て、それを木の箱が何段も
積んである蒸し器?で蒸して、乾かしたものを大きな機械に
1本づつ入れると、削り節がぱらぱらとすべり台のような
ところから受け皿に落ちてくるのです。
(うまく描写できない・・・。ウム)
僕はじいちゃんのところへ行くと、良くその手伝いを
させてもらいました。 楽しかった♪
という訳で、その日もお得意さんのおそば屋さん
(十八丁目)の配達にじいちゃんが行くと言うので、
僕も付いていこうとしたのですが、
その日は母親が「夕方だからやめなさい。」
と、僕を行かせなかったのです。
その配達を終え、家の車庫にバックでじいちゃんが
戻ろうとしていた時でした。
1台のハイヤーが、じいちゃんの乗っていたトラックの
脇腹に突っ込んだのです。
すぐさま、じいちゃんは病院へ連れて行かれたのですが、
今の病院とは違いすぐに手当てしてもらえず、
そのまま病院で息を引き取ったそうです。
もし、あの日母親が止めず、
じいちゃんと一緒に配達に行っていたら・・・。
きっと、誰かが母に知らせてくれたんだろうと僕は信じています。
そして、これも随分後になって聞いたのですが、
火葬場でじいちゃんの横に眠っていたのは、
なんと、ちょうどその時の僕と同じぐらいの男の子だったそうです。
僕は、その男の子の名前も顔も知らないのですが、
いつかお墓参りに行きたいと、思っています。
ある時、僕の実家に帰ったときに、
実家の庭先に季節はずれの1匹の蛙
を見つけたのです。
その蛙は、多分「あま蛙」だと思うのですが、
緑色ではなくて、茶色でした。
それ以来、毎年庭に同じ色の蛙が現れるようになった
のですが、僕はじいちゃんが来てくれたんだと思っていました。
そしてこの前、今僕の住んでいる家の庭の草刈を僕の父がしていたら、
僕のうちの庭にも蛙
が1匹いたのです。
今までは、その蛙はじいちゃんだとずっと思ってきましたが、
今日この文章を打ちながら思いました。
もしかしたら、あの日じちゃんの横で眠っていた男の子
だったのかもしれませんネ。
なんだか、そんな気がしてきました。
では・・・。
なさい。(^^)zzz