多摩川 健・・リタイアシニアのつれずれ・・時代小説

最近は元禄時代「寺子屋師匠 菊池三之丞 事件控え」全30話書いてます。週2-3回更新で順次 公開予定。

江戸元禄人模様 寺子屋師匠 菊池三之亟事件控え 火付け その2

2023年10月09日 10時54分33秒 | 時代小説

門前仲町を左に折れ、仙台掘り方向の万年町。代貸三蔵の家では、酒肴が準備され、肥前藩浪人大西主馬、同じく肥後浪人石橋一之介が歓待を受けている。二人は木場の先に巣食う、食い詰め浪人だ。もはや土地の無頼者と同じであった。

「・・というわけで。先生方に、やっていただくほどの仕事ではないんだがね。先生のところにいなさる・・伊勢崎の・・たしか・・」

「三平のことかね。奴はあれでなかなかK役に立つ。度胸もあるしな」

「ボヤ程度とはいえ、お調べは厳しいから、よそ者ですぐに江戸から出れる奴がいいんでね。どうかお願いいたしますよ。とりあえずこれは前金で」

  と大西の前に三蔵は四両を置いた。

「いいだろう。引き受けた。それでいつまでに・・」

「年内ですがね。できればここ四、五日で片を付けたいんでござんすよ。くれぐれもわしらの筋は・・・ご内聞に」

  うわ瞼の厚い三蔵は念を押す。 

 その晩、伊勢崎の三平は大西から薬研堀の船宿 井筒に呼ばれた。

「大西の旦那。簡単な仕事だ。五日以内にやってみせやしょう。江戸では旦那方にお世話になりましたし、ちょうど潮時で伊勢崎に帰ろうかと。し遂げた後・・すぐにご府内から消えておりますよ」

 と餞別の二両を受け取る。

 

 

  伊勢崎の三平は深川から永代橋を北へ渡り、神田から八丁堀に向かっている。 師走の南八丁堀のあたりに強い北風が時々吹き抜ける。

 仕掛けるにはまだ早い宵の口で、職人や棒手ぶりが行きかっている。

風の様子も見ながら、三平は、三池屋の表口から左に折れる路地の火桶置き

の傍らで、たたずみながら北風の様子を探っていた。 

ーーボヤ程度に収めるには・・少し周りに人がいる方がいいかもしれないなーー

  大西の旦那が言うには評判を落とす程度でいいと。表口はすでにしっかりと閉められていて、火桶置き場の上の松の木のあたりの二階には、明かりがともっていた。風が少し下火になった。よし。いまだ!

  このこのあたりがよかろう。三平は懐からすっかり乾いた紙と火打石をとりだし、あたりをを見回す。緩やかな冬風が吹く・・人通りはほとんどない。

 素早く火打石をたたき、乾いた紙に向ける。さっと、火が付く。さらに乾いた紙に火を移し、塀越しに投げこもうとした。 と。 その時、ーー強く北風が吹いて、三平のほお被りの手ぬぐいを飛ばすーー

 火はあっという間に乾いた松の枝に、燃え広がり、勢いよく三ツ池屋の二階の戸袋に燃え移る。

「これくらいで、よかろう」

  落ちた手ぬぐいを拾って、横丁から出ようとしたとき、

「あれ。火が。これは大変だ! 風がつよくなってきて」

  夕刻の商売から帰宅途中の、棒振り魚売りの男とぶつかりそうになる。

下あごのとがった顔の三平は、無言で男の傍らを走り抜け、永代橋の方向に走り抜ける。

 ーー顔をみられたかもしれねえなーーと右目の下の痣をなでる。

  火に気付いた奴がいる。まぁ、ぼや程度で済むだろう。こりゃ溜池の巳之助のところに隠した金をもって、すぐに伊勢崎に帰ったほうがよさそうだ。



 松の木に移った炎は、思いの外に大きく、、シューと音を立て、母屋二階の羽目板に、あっという間に燃え広がる。炎の周りがまことに早い。風が吹く。

北風にあおられ、炎は、瞬く間に上下にメラメラと燃え広がる。

 三ツ池の弥一郎は、ちょうど丁場の仕事を全て済まし、二階の居間に上がるところであった。

 二階の天井のあたりから糸を引くような白煙とミリミリという木が裂けるような音。これはいかん。二階が火事だ。慌てて駆け上ろうとしたとき、前方からものすごい黒煙がこちらに向かう。

 妻がたもとで口を覆い必死で階段にはいだしてきた。弥一郎も姿勢を低くしながら、左たもとで口を覆い、思い切り右手を伸ばし妻の腕をつかみ、下に引っ張る。その時乾燥した室内では、すでに大きな炎が上がっていた。急ぎ妻を引いて階段を降りようとしたまさにその時、すでに下に回った烈火のような炎が階段下に一気に迫る。

 二人は階段下に転げ落ちた。朦朧として意識が薄れ始める。阿修羅のごとく燃え広がる炎の中をそれでも必死に妻を引いて、正面戸口の土間に転がったが、そこでふたりは意識を失った。

ジャンジャンジャンと半鐘が急を告げる中、尾張藩蔵屋敷の蔵掛、田島牛乃進は、池之端の道場帰りで、役宅の長屋を目指して駆け出していた。尾張藩蔵屋敷の少し手前の商家三ツ池屋から、ものすごい黒煙が上がり、やがてあっという間に師走の北風にあおられて、暗い夜空に大きな炎が上がっている。まさに数軒先は蔵屋敷であった。店の正面戸口が、今まさに燃え落ちんとしていた。牛乃進は戸口にうずくまる二人の姿を見た。蔵屋敷まではまだ数軒あったので、とっさに動く。二人を通りまで何とか引きずり出した。

あたりはすでに野次馬が出始めていた。野次馬の若い男に、老女のほうを見るように声をかけ、牛乃進は主人と思われる男の呼吸を探った。黒煙と炎で真っ黒の男の胸前を大きく開いて、心の臓に耳を当てる。ほとんど反応がない。やむなく道場で会得した、心の臓に両手をあてがいグイグイと押す。依然反応がない。そこへ一番組、は組の頭と思われる男から声がかかる。

「お侍。ちーっと無理かもしれねえが、あとはお任せなさい」

「そこの妻女も頼んだぞ。拙者は、この先の尾張藩蔵屋敷の田島牛乃進!」

  叫ぶと蔵屋敷に向かって急ぐ。と 数歩先、店の勝手先から黒煙で真っ黒になりながら、若い娘と老爺が転がり出てきた。

「お嬢様もう無理でござんすよ。旦那様と奥様は、外に出たかもしれませんから」

 戻ろうとする娘を必死で引き戻す老爺。

身体中、煤と黒煙で真っ黒になった老爺が、これも真っ黒な娘をやっと引き戻す。それでも女は、燃え広がる正面戸口に向かって、養親を助けに行こうとしている。牛乃進は、通りの奥で介助されている二人のことを知らせた。ふたりは、は組の火消しの方向に急いで走った。あの老夫婦は助かるだろうか。

蔵屋敷では上役の指示のもと、若党他全員が類焼を防ごうと、は組の火消と相談中であった。火はこちらに向って、北風の中を衰える様子はない。 

「ここまで、火元からあと十数軒でござんす。中ほどの、ここから五軒を急ぎ取り壊し、日除け地を作るしか仕方ない!」

は組の屈強な若党の声に、蔵元上役と供に出張っていた尾張屋長三郎も、同感であった。上役が藩の全員に取り壊し手伝いを即刻命じた。それから一刻後、火は何とかおさまり類焼を防ぐことができた。

野次馬たちも三々五々引き上げる中、田島は店から引き出した二人の夫婦のことがきがかりで、三ツ池屋の向かいに戻ってみると、先ほどの娘と老爺が、横たわる二人に取りすがって泣いていた。いくら声をかけても、もう答えはない。

「お二人はだめでござんした。喉から黒煙を相当吸っていなさって・・」  頭がまことに残念そうに田島に声をかけた。この寒空に番所というわけにもいかず、手下に娘と老爺の今夜の宿の手配を言いつけていた。

「頭。わが蔵屋敷の長屋が空いています。しばらくでしたらそこにお連れしてもかまいませんが」

 と田島が声をかける。

「お武家様助かります。あまり身寄りもないようですので、そうしていただければ。後でそちらに土地の目明しなどから、お調べもあるとは思いますが。二人がしばらくは落ち着く場所が必要かと。わっちどもは、一番組。は組の次郎と申します」

そんな経緯で、田島はその場を去りがたい二人を、尾張藩蔵屋敷長屋へ引き取ることとなった。

この日はたまたま番頭、手代や通いの女中たちも、早めに引き上げた後であったため、三ツ池屋は亡くなった主人と妻、娘のしのと老爺弥助の四人だけであったのが、不幸中の幸いであったかもしれない。

煤で黒くなった姿で長屋に入った二人は、長屋の妻女たちの世話で、顔と身体を洗い清めたが、放心状態であった。田島と尾張屋は、その遅い宵、二人に必要なものと、様子を見るために長屋を訪ねた。尾張屋はまだ放心状態の娘の顔を見たとき・・・・・

ーーおや この顔は・・いずこかで・・・お。そうじゃ五年前のあの時の娘と老爺ではないかーー  

それでも必死に礼を述べようと、しのは二人に向かって顔を上げた。老爺のほうが先にきずいたようだ。

「あ 五年前、駿河の峠でお助けいただいた!」

 絶句する。その声に、しのも尾張屋と田島をじっと見る。驚きの表情であった。必死で両手をつくと、

「このように二度までお助けいただき誠に、まことにありがとう存じます。養父母は残念でございました。手塩にかけて可愛がっていただきましたのに」     思い出したのか整った顔から大粒の涙が光る。

「これも何かの縁じゃのう。江戸で暮らすと聞いてが、三ツ池屋であったのかのう。しばらくは落ち着かぬであろう。お調べや、御養父母の弔いなどもあろうから、何でもここの田島と長屋の妻女達に相談なされ」

ふたりは深く頭を下げた。

 

  翌日昼。九ツ。北町奉行所与力、権田十郎は同心山内与十郎と深川の岡っ引き三次を従えて、南八丁堀の尾張蔵屋敷を訪ねた。まずは家族で生き残った娘と老爺の聞き取りを開始するためであった。

「昨晩の火災では、尾張藩の皆様方にもお世話になり、日除け地で、何とか類焼も防ぐことができました。奉行からもお礼をということでございました。本日は、まず生き残りの娘さんと老爺に話を伺いに参りました。二人の藩長屋へのお引き取りにも感謝申し上げます」

  上役と田島牛之進に丁寧に申し述べる。

「ご苦労様にござりまする。娘たちは昨晩のことでまだ落ち着かないさまでござる。拙者が同行させていただいてもよろしいかな」

  と牛乃進であった。 


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