多摩川 健・・リタイアシニアのつれずれ・・時代小説

最近は元禄時代「寺子屋師匠 菊池三之丞 事件控え」全30話書いてます。週2-3回更新で順次 公開予定。

全文掲載 江戸元禄人模様 寺子屋師匠 菊池三之亟 事件控え 第三話 火つけ・・前篇

2024年04月29日 17時34分00秒 | 時代小説

 

 第三話      泥棒村  

 つけ火の捕縛に活躍した、三之丞と田島牛乃進の親交が深まり、その一年後の元禄三年同じ師走のことであった。 
 三之丞は鍵屋長屋東北角の厠を使い、露地右に折れて井戸に向かう。長屋の木戸の方角から、小男が,師走の寒い風を避けるように、北西の奥に向かっていくのを見ていた。

 三月ほど前にも確か、あの男は大圓寺の裏門、北西角の家にきたような気がする。竹のぶらしで歯をすすぐと、ゆっくと木戸入口右側の自宅へと向かう。北の方角から、強い風が吹き長屋の路地に土埃が舞う。

 「おいとさん。これはお頭からの、例のものでござんすよ。まあ村内でも試してみましたが・・なかなか使う量が難しい。簡単に、誰かに試すわけにもいかないからね。私も少しやってみたんですがね・・意識が朦朧として、そのまま寝込ンじめえましたよ。若い筏師の連中は、うなりっぱなしで・・寝つけずにうなっている者もおりやした」 

   丸顔の目じりをさらに下げ、弥助が薬草の説明をする。

「そうなの・・・・量を間違えたら大変なことになるのね」

「お頭は、年が開けてすぐにとおっしゃっておられるので・・なんとか準備を願いたいものでございます」

   渋茶をすすりながら、弥助はしょってきた荷を下ろす。

「いよいよですね。五年がかりで準備してきたのですから、失敗するわけにはいきません。この薬草は私も少し試してみましょう」

   小型の壺に薬草茶が入っている。

「くれぐれも量には気をつけなすって」

   薬草を一つまみする。

「分かっていますよ弥助さん。ところで銭は、ここに揃えてあります。少し重いようですよ、背負ってなるべく早くお帰りなさいまし」

   布団の奥から箱を出すおいとであった。

「おいとさん。分かりました。夜のうちにひとっ走りして、飯能河原まで戻ることにいたしましょう。今日の荷は、この三百両でございます。あと年内にもう一度参りますので、それまでにいつものように、銀貨と小銭にお願いします。ではわしは、これで失礼して」

「弥助さん気をつけてお帰りなさいよ」

「おいとさんも気をつけなすって」

   寒空の中、急ぎ、弥助は引き上げっていった。



  武蔵国。飯能河原の村では、西川の捨松が子の刻すぎのこの時刻まで、弥助の帰りを待っていた。がっしりとした下あご膨れの音松は、囲炉裏にじっと座っていた。 

「西川のお頭。いつものように、渡して参りました。おいとさんの方も、ほとんど準備が整ったようでございます。年明けにはと。申しておられました」と弥助。

「そうさなあ。大黒屋も五年もかけて準備をしたんだ。苦労なことだ。年明けといわず、この師走に一挙に頂きということにするか」

    ゆっくりと煙草に火をつける西川の捨松。

  五年前の酒田でのーーいただきーーは苦労した。酒問屋、井筒屋から越後を超え、中山道までの山道を、千両箱を運ぶのは並大抵ではなかった。江戸府内は取り締まりも厳しいだろうし、この度の仕事は、この飯能河原の村まで運ぶ手段が一番の難題だった。

「弥助さん。皆の衆に、年末の二十五日いうことで、寄合いを私の家でやりますからな。頼みましたよ」

   捨松もいよいよ決心したようであった。

「承知いたしました。二十五日には、それぞれの役のものが集まってくると思いますので、歳の垢を落とす酒盛りの前に、江戸でのーいただきーの打ち合わせをいたしましょう」

   弥助は副お頭格で村人の信頼も厚かった。

「そうだな。来年がが良い年になるようにな。どの村も、今年は作物の出来があまり良くないようだ。西川材はなんとか商売になっておるが、近郷の百姓たちを助けてやらねばなるまい。人目がつくのでの、小判を、小銭に替えて百姓たちに明るい春が来るようにしてやりたいと思っているのだよ」

    囲炉裏の燃え炭をかきだす捨松であった。

「久しぶりのーーいただきーーでござんすね」

   と弥助も目を細める。

   入間川上流から流れが荒川に向かう前に、川は、ここ飯能河原で大きく蛇行していて、鬱蒼とした杉や檜を切り出し運ぶ西川材のおかげで、この村はずっと豊かに暮らしてきている。この左右に広がる山々からの杉と檜のおかげで、村人たちは豊かに暮らして行けるのだから、そのお返しをしなければなるまい。と西川の捨松も、村人も考えていたのだ。

 

 

おいとは鍵屋長兵衛の口利きで芝、源助町綿糸問屋大黒屋に入って、早くも五年の年月がたっていた。はじめのころは、勝手口の手伝いや下働きであったがその気遣いの良さから、台所・炊事のことは次第に任され、三年目には女中頭のような塩梅になっていた。

おかみさんも信頼し、よくしてくれている。このようになれた店でーーいただきーーをしなければならないのは、少しつらいものがあった。 通い奉公でもあり、店でも長屋でも、できるだけ目立たないように暮らしてきたつもりではあったのだが。

大黒屋の旦那も女将さんも、蔵の鍵だけは、決して使用人任せにはせず、女将さんの化粧箪笥の三段目に保管し、蔵の開閉には必ず、どちらかが立ち合う日常であった。蔵のカギの在処もわかるし、店への手引きも簡単であったが、今回は少し気が晴れないおいとであった。が・・五年の準備を無にすることはできない。優しい目のおいとは気を取り直す。

 

 江戸での綿糸の扱いは、菱垣廻船、樽廻船で、西の難波や京から全国の良質綿糸や綿織物が入り、それを東回りや西周りの航路で、山陰から秋田、山形、岩手、青森の卸商や藩に転売し、莫大な商いになっていた

 芝の大黒屋の本蔵には、千両箱が二百以上あると噂されていた。千両箱には 八百枚から九百枚の小判が入っていたから・・現代の価格で言えば、一両二十万円弱としても・・ 一箱二千万万円弱くらいということになるが・・五両あれば、一人一年暮らせる当時としては、莫大な金額であった。

 今回のーーいただきーーは、千両箱五十箱ということになろう。全部頂かずに、その大店が、再建できる程度にするのが西川の捨松の決め事であった。さすれば大黒屋も、何とか再建し、商いをやって行けるであろう。最大の問題は、五十の箱の運搬にあると考えていた。飯能河原までこれだけ運ぶのは並大抵のことではない。それこそが今回のーーいただきーーの重要な肝でもあった。

 

 

  芝御殿。中之御門橋の南が松平肥後守。北が松平陸奥守の屋敷であった。大川から江戸湾に入り、この中之御門橋のあたりであれば、大船が係留できることも、西川の捨松には調べがついていた。大川から、千住の先までは大船で運ぶことができるだろう。そこからさらに数隻の小舟に荷を積み替え、荒川の上流まで。と。手はずは整えていた。この方法について、捨松は弥助と何度も相談していたし・・実はそのための大掛かりな準備を、一年前から行っていたのだ。

  飯能河原のこの村は、戸数四十数軒、総勢は百二十人強であったが、西川材のおかげで豊かな暮らしであった。左右の山林から、杉や檜を伐採し入間川から荒川、千住から大川を下り、木場まで筏を組んで運搬し。生計を立てていた。このいきさつは、西川の捨松が東北釜石の浦で網元漁師の子として育ち、竹馬の友、寺子屋で一緒に机を並べた土地の豪商佐野家の惣領佐野吉秀との関連であったが、その話はまた後程にしよう。

  西川材の仕事のために二代にわたって、村では分担が決まっていた。熟練の筏乗り職人二十数名を、頭の半七がまとめていた。剛力百姓十数人は、みの助が そのほかに、つなぎの徳、よろず調達の五名は三次が、錠前と鍛冶屋は仁兵衛、早や走り連絡のよし他数名、寺と墓は山寺の田の助、寺子屋と医者を兼ねた、方徳は子供達と女房どもをまとめていた。この連絡網に乗って、すでに鍵屋長屋のおいとからは、芝大黒屋の詳細な図面も入手していた。

 ーーいただきーー当日の四十数名の黒装束や、足回りはすでに三次が調達準備を終わりーー当日、店の者を眠らせておく薬草の準備は方徳が準備していた。  

   ここ数年江戸の町はやや華美に流れ、市民の生活は豊かになりつつあったが、ここ川越や飯能あたりの百姓は、日照り続きもあって、貧しく苦しんでいる。かって貯めた小判は小銭に変え、近隣の村々にそっと施してきた。このたくわえ金はこの村のためだけではなく、近隣の生活をも救っていたのだ。村では頭の西川の捨松、弥助だけでなく皆結束が固い。男も女も自分たちの使命をわきまえ秘密を守ってきた。こんな奇妙な村が、一つくらい世の中にあってもいいのかもしれない。 

  

 亥の刻少し前、少し肩を丸めながら鍵屋長兵衛は長屋の木戸をくぐる。長兵衛は、時々夕餉もすんで仕事の段取りが付くと、こうして巡回する大家であった。

 大きな三棟の右の一角を、煮売り屋から東に回り北東の厠のそばまで来ると門口から出るおいとに出会った。

「おや おいとさん今日は早いお帰りだったかい」

「あ。 大家さん。いつもお世話様でございます。久しぶりに早く上がりましたんで、これから湯屋へ行こうかと」

   優しい目と大きな耳のおいとだ。

「しばらく姿を見なかったが元気で暮らしおるようじゃな」

「もうかれこれ・・ここと、大黒屋様にお世話になって五年でございますね。お店でもすっかり慣れ、よくしてもらっております」笑うおいと。

「それは良かったのう。ところで・・・おいとさん・・・誰かいい人はできたかね」

  こずくりだが愛嬌のある襟足のきれいなおいとだ。

「鍵屋さんいやですよう。私みたいな女では、とてもとても・・・」

「いやいや、私も心にはかけているのだが。いつまでも一人暮らしのままというわけにもいくまい。捨松さんからも、誰かいい人がいればと。飯能の村の方々も元気でおられるかのう」

   丸顔でつややかな髪の大家の鍵屋だ。

「筏で、西川材を木場に降ろした後、いつも誰かが帰りがてらに寄って、村の様子を聞かせてくれていますよ。おかげさまで、皆元気でやっておるようでございます」

「それはそれはよかったの。江戸でも、このところ普請が盛んで材木の需要は増すばかりでな。それなら皆の衆も安心して暮らせるな」

「はい、さようでございますね。寒いので鍵屋さんもお気をつけて」

 

三乃丞は牛込での稽古を終え、金杉橋を増上寺の方角から渡って鍵屋横丁木戸口まで来ると、東の長屋奥の方角からどこかでみかけたような・・気のする・・男と出会った。男は顔を背け会釈すると、足早に木戸を抜けて出て行った。確か・・あのお方は・・二年前、私が川越の剣の友、及川治三郎を訪ね江戸へ帰る途中、腹痛で、街道の地蔵尊の前で下腹を抑え、冷や汗を流していた時に、お助けいただいた医者では・・・・・・

印籠から漢方の薬草を出し、手当てしていただいた・・・その折お聞きした・・飯能の村医者で、方徳様ではなかったのか。それとも人違いだろうか。

そしてその三日後にまた増上寺の前で、あの方に出会う三之丞であったが、先方は、北へ急ぐ様子で足早に去って行った。

 

師走の忙しさが鍵屋横丁にも漂い、朝から大騒ぎであった。棒手振りの魚売りや大工の職人、鍛冶屋、竹職人、砥ぎ師、小間物行商、薬売りなど。 師走になんとか付け支払いを済ませ、新年を迎えようと、仕事納めに向かって奮闘中であった。三之丞はこうした長屋のたくましい連中を見ると自分は・・どこかへ・・おいて行かれるような気がして・・ふとさみしさも感じていた。

 


  一方 飯能河原の村ではいよいよ最後の詰めに入っていた。

「方徳さん。この薬草の効き目は、しっかりと確かめてくれたかい」

   と西川の捨松。

「はい。西川のお頭。大丈夫でございますよ。何度も試し・・私も試しました」

「この辺りで取れるこの麻が、それほど効果があるものかい」

「左様でございます。この麻は、一年草で丈は三丈ほどになりますが、夏に花を落とした後、麻糸を取るんでございますが、この少しとがった葉が、曲者でござりまする。これを干しまして、通常、は天日干しに長い間するわけでございますが、私は短期に大量に作るため、家の中に小さな炉をを作りまして、この麻の葉を大量に乾燥させました」

   眉の濃い角張った目でじっと薬草に太い腕を伸ばす。

「黒ずんだ葉と言うか・・・そうな感じだな・・」

   と西川の捨松。

「左様でございますね。これを飲んでみたら、大変なことになります。色々試しましたが、やはりこのひとつまみの乾燥した麻の葉で、土瓶一杯分の薬になります。まず、すぐに頭の脳みそがいかれてまいります。幻覚を見るような感じになり、意識がもうろうとして、昏睡状態に陥ります。つまり適量を飲んでおれば、命に別状はないが、昏睡状態がほぼ半日は続くという代物でございます」

「そんなに、昏睡状態になるものなのか。しかし量を間違えたら大変だな」

「その辺は、おいとさんともよく相談いたしまして、命を殺めないようにいたしましょう」

   自信ありげな方徳であった。

「そうだな。決して女子供を犯さないこと。財産を全て取らないこと。人を殺めないこと。これが我々の掟であるからな」

    方徳がうなずく。

「心得ております。明日にでも、これをもちまして、おいとさんと相談してまいりましよう。おいとさんは、大黒屋の炊事場を一手に仕切っておりますのでーーいただきーーの当日の夕餉。味噌汁の中に、これを入れて全員、眠らせましょう」

「それでおいとは・・そのあとどうするつもりかの・・・」

「先日の、おいとさんとの打ち合わせでは、後の詮議で、内部の手引きなど調べが厳しくなるので、自分も勝手口の芯棒を外したら、味噌汁を飲む、と言っておりますが。そのほうが、決して疑われないだろうとも。翌日、目が覚めても皆、覚えもないことで、不思議な一家全員の昏睡中の盗みで・・・証拠も挙がらないわけですから」

   薬草を箱に戻した方徳が、捨松から濃い茶を受け取りゆっくりと啜る。

「そうか・・・大変なことじゃが、そのようにおいとが覚悟を決めているのであれば、そのようにしようかの。半金は残しておくわけだから、大黒屋も立ち直るであろう。半年か一年して、ほとぼりが冷めてから、引き上げさせればいいだろう。確かおいとは、筏職の半七といい仲であったな。五年も引き離し、不憫であったな。引き上げたら盛大な祝言をしてやろう」

   と捨松は煙管に火を付ける。

「それはようございますね。半七もおいとさんも、喜ぶことでしょう」

「この師走の二十八日だ。雨が降ろうが、雪だろうが、大船の準備もしてあるので、外すわけにはいかない。しかと伝えておくれよ。万一の時に備え、宵の刻につなぎの徳をおいとの家に詰めさせておくからな」

「承知いたしました。抜かりなく伝えますです」

    方徳が捨松のもとを去る。


  西川の捨松は、東北の海岸線釜石浦の出身であった。東日本の物流を抑える豪商佐野吉秀とは幼馴染の仲だ。数年前から佐野とのやり取りを、捨松は頻繁に行っていた。そしてこの師走の約六ヶ月ぐらい前からは、村のおもだった男たちを、釜石浦に派遣し、大船の操船技術を実地で訓練してもいた。

 筏職半七ほか九名、強力百姓みのすけ他4名。食料、装束、工具などの調達の三蔵。はや走りのよし、総勢十六名の男どもが、別動隊で準備していた。佐野とは、五十数年の付き合いである。うすうすと、捨松の狙いを察知していたが、西川材の重要な供給先でもあり・・・・深くは追及しない佐野であった。

 

 師走二十三日。三乃丞が寺子屋をしまい、湯屋へ行こうとしていた戌の刻。久方ぶりに妹の弥生が訪ねてきた。
「兄上お変わりはありませんか」

「変わらず元気にいたして居る。そちは、道場の帰りかな。今日はまた何用じゃ。お父上、母上、兄者ども、みな息災でおろうな」

「はい。柳井道場の帰りでございます。お父上が、様子を見てこいと仰せられましたので、ご機嫌うかがいでございます」

 と胸元から袱紗に包んだ金を置いた。

「そのような心配はせんでよいと母上に伝えてくれ。寺子屋も順調でな。一人で食うて、生きて行くにはじゅうぶんなのだよ」と三之丞。

「まあまあ、まあそうおっしゃらずに。それが父母の心とゆうものですよ」

「お。 なんだ。そちは説教に来たのか」二人は笑い合った。

 菊池の後妻みとの実子は、三之丞と弥生であった。長男と次男は先妻とよの子である。家督は長男太郎左衛門が継いでいる。

 三之丞と弥生は何かと気の合った兄妹で、二人供母みとに似て、すらりと背も高く、切れ長の目の美形で、色白であった。

 弥生は幼いころから兄に負けまいと勝ち気で、習い事よりは、兄との剣術を楽しみにするような旗本の一人娘で、薙刀の稽古からはじめ、今では父母を説得し、溜池の柳井道場に通い、八年後の今は、師範代柳井正勝の代理を務める腕前であった。若衆髷に袴姿である。

  しばし無言の二人であったが、遠く時の鐘が響き渡ると・・兄が目を細める。

「兄上。何を考えておいでなのですか」

「いや、このところ長屋やこの付近でよく会うお人がいての、こちらは見知っておるのに、先方は避けるようにして行き過ぎる。何か不思議な気がしてな」

「はてそれはまた不思議でございますね。人違いではありませんぬか」

「いや。人違いではなかろう。ま。夜も遅い。もう帰りなさい。皆様によろしくな。旗本の三男坊が、こうして市中で気楽に暮らせるのも、お父上のお許しがあればこそだ。まことに感謝いたしておる」

   三之丞の本心であった。

「うらやましい兄上ですこと・・・・・」弥生は帰っていた。

 

 

「兄上。何か!」その翌日の宵遅く、三乃丞が厠を使って井戸端から部屋へ戻ろうとする。木戸から入ってくるあの男にまた出会った。顔を背け、奥の方向に行こうとする。間違いない。あの時お助けいただいた方徳様だ。思い切って三之丞は声をかけた。

「川越でお助けいただいた方徳様ではありませぬか」 

  男は、はっとしたように顔を上げた。間違いなかった。

「あの折はありがとうございました。川越在の友人を訪ねた帰り道に腹痛で。お助けいただいた菊池でございます」

  三之丞の礼に、男はとぼけ顔で答える。

「おうおう。あの時の吾人か。確か寺子屋の師匠とか。ここであったか。旅の途中難儀をしておられる方を助けるのは、医師として当然ですよ」

   眉の濃い角張った目の方徳。

「誰かお知り合いがこの横丁長屋に・・」

「はい。時々薬草の仕入れに江戸に参りますが、今日は飯能河原の村の、家族からの届け物を、ついでにおいとさんに置いて帰るところです。時々こうしてよらせていただいております」

「たしか、おいとさんは近くの芝大黒屋さんに通いで・・」

「さようでございます。年頃でございますので、村の両親も、そろそろ帰って嫁入りの支度をさせたいと考えておるような次第でして」

「さようでございましたか。夜も遅い、気を付けてお帰りください」

 方徳は急ぎ足で、北東角のおいとの家に向かった。

 

 「おいとさん。今そこの井戸端で、昔、川越の街道で腹痛のところをお助けしたお方から声をかけられましてな。時々、村からの届け物と・・いたしておきましたが、どのようなお方ですかな。用心にこしたことはありませんからね」

「ああ。あのお方は、旗本菊池様の三男坊で家督の見込みなく、街中で気楽な仕事をと・・寺子屋の師匠で、長屋の子供たちが毎日世話になっております。趣味は銭湯の長湯と剣術だそうですよ。牛込の堀内道場では三羽烏とか」

「そのような方がおられるのか。用心じゃな」

   濃い眉の下の鋭い目が光る。

「この暮れの二十八日と決まりましたよ。雨が降ろうと、雪であろうと江戸湾から芝に大船も用意しています。万一のつなぎには、徳が当日宵の刻、この家に待機です。どうしても具合が悪い場合以外は、必ず決行と西川のお頭からの伝言でございます」

   再び方徳の目が鋭く光る。

「わかりました。いよいよですね。五年の準備が。ところで方徳さん。この麻の薬草はそんなに効果があるものですか」

  小箱を開けるおいと。

「私も試しましたが、間違いなく昏睡状態に陥ります。肝心ことは、使う量でございます。決してお間違えにならないように。味噌汁大鍋いっぱいに、土瓶いっぱい分のみでお願いします。それ以上では万一昏睡から冷めず・・もございますので」

   小箱の中の乾燥させた麻の薬草を、おいとの前に置く。

「では方徳さんがお帰りなったら、今日、自分で試してみましょう」

「おいとさん。お試しなら、くれぐれも碗の三分の一になさいませ。間違えては危険ですから。それと勝手口の芯棒だけは、夕餉前に外してくださいませ。道具で壊すことは簡単ですが、近所に物音が漏れて、悟られては面倒ですから」

「わかりました。それでは私も疑われないように、夕餉を食べまして・・」

「西川のお頭は、それを心配しておりますが・・本当に・・それでよいのですか」

「半年もしたらお店を引き上げ、村に帰ることにいたしましょう。覚悟はできておりますゆえ。半七さんも、待ってくれるでしょう」

   しっかりとしたおいとだ。

「それではおいとさん。身体を壊さぬようにお気をつけて」

   方徳は夜泣き蕎麦屋が横丁を通るそばを、さっと木戸を抜け暗闇に消えた。(前篇終了)

 

  
  


江戸 元禄 人模様 寺子屋師匠 菊池三之亟事件控え 第三話 「泥棒村」その4

2024年04月15日 14時53分13秒 | 時代小説

  

 

うっすらとした明かりの中を、四艘が北千住から荒川をさかのぼる。漕ぎ手は、熟練のようで船足は相当に早い。川越からさらに入間川上流に入ってゆく。やがて川が二筋に別れ、入間川本流から右手の飯能方向に入る。土手沿いをわずかな提灯の光で、馬上は前が三之丞、後ろが弥生であった。あたりは川越藩の所領であったろう。しばらく進むと入間川が川上から大きく蛇行する地点。 飯能河原で四艘の船は係留し、千両箱を、河原の横の広場に降ろし積み上げた。あたりは、朝のひかりが立ち始めている。土手の手前で、馬から降りた二人はその様子をうかがう。さてどうしたものだろうか。

 「思いの外にうまく運んだな。さて最後のの仕事じゃ。皆頑張っておくれ」 広場の奥には杉、檜が筏としてにいつでも組める状態で大量に置いてある。百姓強力みのすけの合図で、十人の屈強な男どもが、奥まった個所の杉や檜を運び出す。

ーーなんとその地点には、鉄の板で頑丈に入口を覆った竪穴の入口が現れたではないかーー

筏職の男も加わり千両箱、百箱はあっという間に地下に運ばれた。

あとはまた杉、檜で入口をすっかり覆い、その上にまた大量の杉、檜を載せた。 

「さて。これで良し。この百箱と、ためておいた百箱。合計二百箱あればここ、五年は持つであろうな」

   頭の西川の捨松は満足そうだ。

「当分は大丈夫でしょう。うまくいきましたね。五年間の準備が」

   補佐の弥助も満足げにうなずく。
「では弥助さん。皆を帰しましょう。明日からはまた・・今までどうり平穏に西川材の仕事に精を出してな・・・・」

    いつもの村人にかえって皆が家に戻る。


「まあ、ともかくも、この不思議な村の内容を調べねばなるまい」

   驚く三之丞。

「まるで夢のような・・・・・村の男たちがほとんど大泥棒んて・・」

  弥生も茫然とつぶやく。二人は頭と思しき男の後をそっと追う。

ーー後ろから人の気配を察知しながらも、捨松はゆっくりした足取りで、落ち着き払って左手奥の、やや大きめの百姓家に入っていったーー

「ここは多勢に無勢。われら二人ではいかんともしがたい」

  百姓屋の入り口脇、薪を積んだ一角で、二人は中の様子を探ろうと・・その時・・・・・・

「こんなに朝のはようから何かご用かな」落ち着いた声だ。

  しまった。きずかれたようだ。さすがに勘の鋭い男であった。

二人はじっとしばらく無言。飯能河原の宵が明けようとしていた。

「ま。そこでは、寒いじゃろうて。おはいり」

  二人は迷ってまた無言。

その時三之丞の直感が頭を貫いた。目顔で弥生に合図を送ると扉を開けた。

大きな土間と左右は、何段もの棚が並び道具類が整然と詰まっている。その正面に囲炉裏が切ってあり、正面に白髪の老人がこちらを凝視している。再び無言。

「そこへお座り。若衆。おお、おう。凛々しい娘さんも一緒かな」

  優しい言葉とは別で、二人を見定めるしもぶくれの顔の瞳の光はまことに鋭い。

 危害は加えられないと三之丞の直感が告げていた。意を決して、

「今宵。芝、大黒屋から大船で千住河口へ。積み替え荒川、入間、そしてここ飯能河原まで、すべて見届けましたぞ。ま。 芝での偶然からですが。まことに驚いた大泥棒で言いようもない」

  弥生もうなずく。捨松は依然二人を凝視して品定めであったが、彼にも直感があった。わきまえのある若者であろうと。囲炉裏の炭火をおこし、土瓶の湯を茶入れに注ぐと、二人に差し出す。

「それはそれは。すべて見られてしまっては、観念せねばならんかのう」

「整然たる所業は、見事と言わざるは得ないが、泥棒は泥棒。このままにしておくわけにはいかんだろう。まもなく、江戸から奉行一行が来る手筈をしてある。ここは神妙にする方がいいのでは」

   ゆっくり毅然と三之丞。

「そうか。奉行たちが来るまでに間があるならば、少しわしの話も聞いてもらおうかの。少し長くなるで、ゆっくり茶で、手足を温めて聞いておくれ」

ーー信頼せよと直感が告げた捨松はゆっくりと村のいきさつを話し始めたーー

ーー自分は東北、釜石浦の生まれであること。漁師の息子であったが海よりも山や樹木が好きであること。秩父のこの山中に、良質な杉やヒノキが豊富にあること。四十年前から東北一円の飢饉で悲惨な暮らしの農民や漁民と、この地に移り住んだこと。二十数年前からここ飯能、川越、深谷、熊谷などの洪水や飢饉での悲惨な生活を見かね、「いただき」を始めたこと。そして今宵の五年がかりの、芝大黒屋での顛末。今回を含めこの村には千両箱が二百あること。これで当分数年は近隣・近郊を助けることが可能なこと。そして・・・・すべては自分一人の責任であって、村人は従わざるを得なかったであろうことーー
   話し終わると、捨松はほっとした表情で二人を見た。 

「あなたの話は承った。同情の余地もあるが、それと犯した罪は別であろう」

「それは覚悟はできているさ。ただ村の女子供や若衆たちは、何とか軽い裁きというわけにはいかんものかの」

   弥生も小さくうなずいている。

「できる限りの口添えはしてみよう」

  三之丞もそういうほかはなかった。

 

 夜が明けた。南町奉行所からは与力服部采女之介を頭に与力三名、同心三名が村に到着した。服部は御家人の出であった。三之丞は昨晩からこの明け方までの顛末、また頭の捨松の話など詳細に報告する。

 服部は落ち着いた大柄、で顔の小さな心きく与力であった。川越藩への応援も頭をよぎったようであったが、今宵の主犯捨松と弥助。他数名の主だった男、合計五名を捕縛し、奉行所に引き立てることとした。ほかの村の者たちは追って沙汰があることを告げる。

「弥生。馬で。そなたは直ちに兄上と父上に、事の次第を知らせなさい」

  その時三之丞の頭をよぎったのは、ことの重大さと、隠居とはいえ父と柳沢吉保公との関係であった。奉行から老中には即刻報告が行くであろうことも。

「兄上。それではお先に。お気をつけて」

   火急を悟った弥生でもあった。

 

 

  築地の屋敷につくと直ちに弥生は二人の兄上と父の居間へと急いだ

「何。千両箱が今宵で百箱。村には二百はあろうと。芝の大黒屋といえば綿糸問屋でも屈指の大店。一人も傷つけずにし遂げただと。大事じゃ!」

  普段は物静かな父が真剣なまなざしで一瞬考え、言った。

「柳沢公のところへ参るぞ。太郎左衛門。弥生も同行せよ。次郎左衛門は屋敷でわれらが連絡をまて」

  まだまだ衰えていない左衛門であった。

 

明けの四つ。常盤橋の柳沢屋敷では吉保が登城に備え、腰元の介添えで召し換えの最中であった。

「なに。朝はようから菊池が息子、娘と参ったと。火急とな。よしこのままでよいからこの間にとおせ」

   直ちに着替えの間に三人が平伏した。

「菊池殿。朝はようから何事じゃ。おうおう。そなたが娘の弥生殿か。また凛々しいお姿じゃな。剣術のほうも相当と聞いて居るが」と吉保。

「殿。朝はようから、ご登城の折にまことに失礼仕りますが・・」

    と事の次第を述べた。

「弥生。付け足すことはないか」弥生は平伏のままであった。

「む。さようなことが・・・・千両箱で二百か。おそれいったな」

  じっと庭の先を凝視していた。考え事があるようだ。三人は黙ったままだ。

「あいわかった。登城して老中、奉行からも話があるだろうて。大儀であった」

 

  江戸城本丸。通称大城では明八つ。将軍綱吉の執務開始の時間であった。

 平伏する吉保。綱吉の機嫌は普通だなと顔色から判断すると、大黒屋の昨夜の件を順を追って話し始めた。

「・・・・という次第でございます。まことに恐れ入った大泥棒。泥棒村でございます。が・・しかし飯能の河原の村にはなんと二百箱の千両箱がございます。・・・・・・・・・そのほとんど百五十箱を差し出させてはいかがでしょうか。もちろん頭と主だったもの数名は捕縛いたしておりますれば・・処罰することはできますが。村内の女子供 若衆はなんとか助けてやるわけには・・・・・・・」

「なに。柳沢。御政道を曲げろと申しておるのか。まことに不届きな奴らだ。それに差し出させるとはどうゆうことだ!」

「は。恐れながら・・・・海に運搬中の捕り物で、賊たちが箱をすべて江戸湾に沈めてしまったという次第では・・・・・」

   上目で御上をうかがう吉保。

「大黒屋に全額返却せぬのか。それこそ、われらが大泥棒ではないか!」

「御上。大黒屋はまだまだ千両箱が百箱以上残りおり、傷ついたものとて一人もなく立派に立ち直りましょう」

「それに・・・・」

「なんだ。ほかにもあるのか」

「勘定方が苦労いたしております。御上もご存じのように、このところ金のひっ迫で、小判、大判ともに鋳造がままなりませぬ。ご老中から建白の改鋳の儀にも、この百数十箱は重要と・・・・・お恐れながらでございます・・」

   じっと黙る綱吉。その時奥から猫が走り、綱吉の膝に乗る。

「柳沢。そちも・・・・・くせものよのう。ま。あいわかった。老中とよしなに。くれぐれも事件の尾を引かぬようにな。川越藩にもな」

  と綱吉。

 

 

 

夕刻柳沢がいったん下城し屋敷に戻ると、菊池家の三人が待っていた。

「お帰りなさいませ。奥方様から昼餉をごちそうになり、お待ちしておりました。して、飯能の件は」

   遠慮がちに聞く菊池左衛門に、

「おう。そちらの急報のおかげでな、南町奉行飛騨ノ守と老中から相談を受けてな・・ある提案をしたさ。ま。ここからは内聞にな。捕えた頭の捨松と奉行のあいだでな、百五十箱は御政道のために、代わりに、頭と数名の男の島流しで他は穏便に・・・いうことになった。捨松はなかなかの男であったそうな。飛騨ノ守も、戻って褒めておったは」

   面長の顔で笑う吉保であった。

「それはそれは、間に合ってようございました」

「そちらのおかげじゃな。よい子息、娘御を持たれたものよ」

菊池家の三名は深く平伏して屋敷を辞去した。捨松は八丈島へ長く十年。副頭格の弥助が三宅島に五年、半七、みのすけが神津島に二年の流しと決まった。百五十箱は幕府の金座に運ばれた。表向きは賊を船で追う中で、百の箱は江戸湾に沈められた・・ということになっていた。主だった賊どもが島流しから帰った後、また何事かが仕組まれても・・それはその時のこと。われらの時代ではないわ。柳沢は割り切って御政道を考えていた。いいもわるいもそれが政治とゆうものかもしれなかった。  

 

大晦日の煮売りやおみよ店。菊池家の兄弟の忘年会であった。長男太郎左衛門、次男次郎左衛門、そして三之丞と弥生。店奥の飯机で、珍しい四兄弟の会食でもあった。小松菜の煮びたし、たこと里芋の煮もの、マグロのねぎま鍋からは、いい匂いと湯気が上がっている。

「いやあ。このようなものがいただけて。このたこと芋はうまい」と次郎。

「三之丞。お手柄であったな。そちのおかげで普請頭を命ぜられたは。また、お奉行からいただいた酒もある」

   太郎左衛門が剣菱の樽から酒を三之丞に注ぐ。

「それにしても村人の多くが救われましてございますね」と弥生。

おみよが入ってくる。満面笑顔を絶やさない。

「さあさあ。お話はそのくらいにして。鮪もこうして、根深と煮合わせるとおいしくいただけますよ」

 と鍋を皆に勧める。四人は、剣菱を冷で茶碗でやりながら、湯気の立つねぎま鍋に箸を出す。


「それにしても 兄上の縁談がまたお流れですね」

   弥生が笑う。

「まずは兄上たちであろう。順番というものがあるからな」と三之丞。

「いや。三之丞。遠慮はいらんぞ。母上は、まずそちと次郎を、何より気にかけておられる。そうじゃた。弥生もな」

  と太郎左衛門。

「太郎殿も家督で長男ですから・・まずはお先に」

「弥生 そちはどうなんだ」

   酒の勢いで次郎座衛門んが聞いた。

「兄上様方がいかれてから・・まだまだ、よいご縁もごいませんし」

  その時、北の方角から増上寺百八つの鐘が寒空に響き始めた。

 

 二年後の皐月、菖蒲の薫る入間川を、おいとと半七の祝言に赴く三之丞、弥生の姿が小舟の上にあった。

 

                          完


江戸 元禄 人模様 てらこや師匠菊池三之亟 事件控え・・第三話 「泥棒村」その3

2024年04月08日 10時37分02秒 | 時代小説

    

 

  

 

     「泥棒村  その3」

それから一刻。新橋の金春湯屋に出向き、ゆっくり湯につかった三之丞は、帰りに店じまいした煮売りやおみよの店によって、頼んでおいた野菜の煮しめとイワシのめざしを受け取ると、遅い夕餉をゆっくりと食べ終わった。明日の子供たちへの手習いの準備も終わり、床をのべようとしていた。時はすでに子の刻に近い。入口をたたく音が聞こえた。

「兄上、兄上。まだお休み前ですか」

 弥生の声がする。外は漆黒の闇だ。

「なんだこんなに遅く・・一人でまた参ったのか」

「母上がどうしても、今晩中でとお待ちでございます。どうしても連れてこいとのおおせでございますよ」

   苦笑しながら三之丞は袴をはいた。

二人が外に出たその時・・三乃丞が門口で立ち止まり、ふーと天を仰ぎ見るとじっと立ち止まったままであった。

 鋭い直感が三之丞を貫いたのだ。前にもしばしばこのような兄の直感に驚かされた弥生は・・思わず、

 

「いかん。この辺りで何か大事が起こるぞ。弥生はしばらくここにおれ」    そういうと、井戸端から向こうの長屋の端まで確かめに行った。北西の角のおいとの家の方向から、黒い影が飛び出し木戸へと駆け抜ける。

「弥生。今の男を追うぞ。大丈夫か」

 その時黒い影の男は、木戸を大きく飛び上がり、通りを新橋方向に走る。

「兄上。何者でしょう。おいとさんの家からですね!」

   三之丞と弥生は新橋方向に宇田川町から柴井町へと、男の後を追って走る。右に浜御殿と松平肥後守屋敷。露月町の角まで来ると、三之丞は立ち止まり、無言で姿勢を低くしろと弥生に合図した。

先ほどの男の影は見えない。と、 その時、浜御殿の海の方角から十数名の黒装束の賊が、西の源助町の方向に、疾風のような速さで走り抜ける。西の方角からも、別の十数名の黒装束の男たちが、あっというまに源助町の大黒屋の前で合流する。一団は勝手口に回り込み、大黒屋の屋敷内に消えた。くらい静寂だ。

「どうするべきか」

 三之丞と弥生が、南町奉行所に走ろうとしたその時、三十数名の黒装束の賊たちは戻って、三丈間隔ほどで、浜御殿横の海に向かって走る。その先には大船が待ち構えていた。

「なんと準備の良いことだ!」

二人は驚いた。大黒屋からは、千両箱が手渡しで三十数名に引き継がれ、大船にあっという間に入ってゆく。猶予はない。まことに驚くはやわざだ。大黒屋の店の者たちはなんとしたことか。

「弥生。わしはあの大船の行く先を見届けねばならん。江戸湾に入ったからには、海から千住の河口か、西なら三浦から、伊豆半島方向に向かうだろう。わしの勘では千住方向だ。深夜だが、そなたは直ちに南町奉行所にいきさつを届け出ろ。築地の家から馬を用意し、千住の河口に向かってくれ。あの大船は河口口までしか入れんだろう。多分積み替えを準備していると思われる。頼んだぞ」 

  三之丞は東の両国方向に向けて走る。

「兄上。お気をつけて、相手は三十数名と思われますので!」

 と声をかけると、新橋から数寄屋橋の南町奉行所へ、弥生も漆黒の闇を走った。

 

 

 この疾風のーーいただきーーから一刻前のことであった。

西川の捨松は、増上寺方向から師走の寒風の中を二十名ほどで芝、源助町の大黒屋に向かって、音もたてずに走り着いていた。三十数名で勝手口から一階の店内に入る。夕餉の後か十名ほどが眠りこけ、ぐったりしていた。その中には、手引きのおいともいた。奥の店主夫婦の寝間に回ってみると、ここでも夫婦は昏睡中。まことに見事な薬草の効き目であった。かねてのつなぎのとおり、化粧棚の三段目から本蔵のカギも出てきた。

「予定どうりじゃ。皆の者。千両箱を、大船まで引継ぎで渡すのだ」

泥棒村の三十数名の賊たちは一気に店から大船まで走った。そして千両箱が、次々に大船へと運び入れられた。半時もかからない五年準備の早業であった。

人の命も殺めず、女子供も犯さず、本蔵から、二百箱近い千両箱の内、きっちり百箱ーーーいただいたーーーというわけであった。

「予定どうりであったな。おいとも、よく辛抱して成し遂げてくれた。さあ皆。大船に引き上げだ。千住でもう一仕事、残っておるからのう」と捨松。   

 

 

三之丞は師走の闇を両国橋をぬけ、三ノ輪から千住に向けて走る。芝の江戸湾から大船で北を目指すなら、まずは千住の河口であろうと直感が告げていた。 

千住の宿場を超え大橋を渡る。右は荒川、大川から江戸市中へ。左は千住の河口へ向かう土手であった。暗闇の向こうから海のざわめきが聞こえてきた。  いた!  大船は砂州の先に、すでに係留されていた。下には小舟が四艘。まさにいま、黒装束を脱いだ屈強の男たちが、千両箱を小舟におろしている。薄い月明かりの先で、頭と思われる男が声をかけていた。土手の右側に杉林があり、小さな地蔵堂があった。地蔵堂に姿を隠し、船の行方を見定める。宿場の方角から、馬に乗った弥生がやってくる。朝明けに、近づく影が大きくなる。

「おい ここだ」

   三乃丞が一声かける。弥生は地蔵堂の蔭の柱に馬をつなぐ。

「兄上。ここでしたか。大船から、あの四艘に荷下ろしして、どこに向かうつもりでしょうか。南町奉行は二手に分かれ、西は東海道三浦方面と、こちら東は千住から銚子方向に向かう手筈ですが、到着は明け方になりましょう」

「それまでに、行き先を確かめねばならぬな。四艘が川を上り始めたぞ。われらは二人だけ。向こうは数十名の屈強な男どもだ。うかつなことはできんな。まずは悟られぬように、船を追って、奴らの拠点を突き止めねばならん」

「兄上の縁談話が・・とんだことになりましたね。父上も母上も、必死で止めましたが、概略だけ話して馬で飛んでまいりました」

   気負いたつ弥生。「この馬で、賊どもを追うことができる。一人ではとてもな。しかし弥生。今後、無理はいかんぞ。腕に覚えがあろうとも、多勢に無勢であるからな


寺子屋師匠 菊池三之亟事件控え 第三話 泥棒村その2

2024年04月01日 11時18分08秒 | 時代小説

 

 

 

 

「兄上。何か!」その翌日の宵遅く、三乃丞が厠を使って井戸端から部屋へ戻ろうとする。木戸から入ってくるあの男にまた出会った。顔を背け、奥の方向に行こうとする。間違いない。あの時お助けいただいた方徳様だ。思い切って三之丞は声をかけた。

「川越でお助けいただいた方徳様ではありませぬか」 

  男は、はっとしたように顔を上げた。間違いなかった。

「あの折はありがとうございました。川越在の友人を訪ねた帰り道に腹痛で。お助けいただいた菊池でございます」

  三之丞の礼に、男はとぼけ顔で答える。

「おうおう。あの時の吾人か。確か寺子屋の師匠とか。ここであったか。旅の途中難儀をしておられる方を助けるのは、医師として当然ですよ」

   眉の濃い角張った目の方徳。

「誰かお知り合いがこの横丁長屋に・・」

「はい。時々薬草の仕入れに江戸に参りますが、今日は飯能河原の村の、家族からの届け物を、ついでにおいとさんに置いて帰るところです。時々こうしてよらせていただいております」

「たしか、おいとさんは近くの芝大黒屋さんに通いで・・」

「さようでございます。年頃でございますので、村の両親も、そろそろ帰って嫁入りの支度をさせたいと考えておるような次第でして」

「さようでございましたか。夜も遅い、気を付けてお帰りください」

 方徳は急ぎ足で、北東角のおいとの家に向かった。

 

 「おいとさん。今そこの井戸端で、昔、川越の街道で腹痛のところをお助けしたお方から声をかけられましてな。時々、村からの届け物と・・いたしておきましたが、どのようなお方ですかな。用心にこしたことはありませんからね」

「ああ。あのお方は、旗本菊池様の三男坊で家督の見込みなく、街中で気楽な仕事をと・・寺子屋の師匠で、長屋の子供たちが毎日世話になっております。趣味は銭湯の長湯と剣術だそうですよ。牛込の堀内道場では三羽烏とか」

「そのような方がおられるのか。用心じゃな」

   濃い眉の下の鋭い目が光る。

「この暮れの二十八日と決まりましたよ。雨が降ろうと、雪であろうと江戸湾から芝に大船も用意しています。万一のつなぎには、徳が当日宵の刻、この家に待機です。どうしても具合が悪い場合以外は、必ず決行と西川のお頭からの伝言でございます」

   再び方徳の目が鋭く光る。

「わかりました。いよいよですね。五年の準備が。ところで方徳さん。この麻の薬草はそんなに効果があるものですか」

  小箱を開けるおいと。

「私も試しましたが、間違いなく昏睡状態に陥ります。肝心ことは、使う量でございます。決してお間違えにならないように。味噌汁大鍋いっぱいに、土瓶いっぱい分のみでお願いします。それ以上では万一昏睡から冷めず・・もございますので」

   小箱の中の乾燥させた麻の薬草を、おいとの前に置く。

「では方徳さんがお帰りなったら、今日、自分で試してみましょう」

「おいとさん。お試しなら、くれぐれも碗の三分の一になさいませ。間違えては危険ですから。それと勝手口の芯棒だけは、夕餉前に外してくださいませ。道具で壊すことは簡単ですが、近所に物音が漏れて、悟られては面倒ですから」

「わかりました。それでは私も疑われないように、夕餉を食べまして・・」

「西川のお頭は、それを心配しておりますが・・本当に・・それでよいのですか」

「半年もしたらお店を引き上げ、村に帰ることにいたしましょう。覚悟はできておりますゆえ。半七さんも、待ってくれるでしょう」

   しっかりとしたおいとだ。

「それではおいとさん。身体を壊さぬようにお気をつけて」

   方徳は夜泣き蕎麦屋が横丁を通るそばを、さっと木戸を抜け暗闇に消えた。

 

  
  師走の二十四日夕刻。半年間鍛えた操船を、身をもって試す時が来た。半七と筏職十名。 みのすけと強力百姓四名は、大船を、江戸に向けて釜石浦からまさに出航させるところであった。同時にはやばしりのよしは、飯能河原に走った。 船上ではみのすけたちが、足回りの手甲脚絆、黒装束、工具、食料の点検をしていた。こちらは大船の別動隊が総勢十五名。飯能河原の村からは頭の捨松、弥助ほか十七名。総勢で三十二名の、五年がかりの大部隊であった。訓練のおかげもあって、大船は穏やかな波をけって南下し、銚子沖を二十五日には超えた。

 

   暮の二十八日夕刻。今日も江戸の町はよい天気だ。三之丞は稽古で汗を流し、牛込の道場から長屋まで戻り、井戸で洗い物をする。

「お師匠様。お帰りなさい」

「おうおう、はなと里ではないか。どこへでかけるのじゃ」

「はい かかの許しをえたので、二人で増上寺まで行くところよ」

   年上の里が答える。

「もう夕の刻だ。二人きりなら、すぐに帰るのだぞ」

「はい。お師匠様」

 と二人が手をつなぎ木戸を出るとすぐに、見慣れぬ男が、木戸を入り井戸端の三之丞をすり抜け、足早に北東のおいとの家に向かっていく。

・・・・・はて、おいとさんはまだ大黒屋のはずだが。届け物かな・・・  

  寺子屋に戻り居間で茶を飲んでいると、表から弥生の声がする。

「兄上 お帰りでございますか」

「今、稽古から帰ったところじゃが、よく参るのう。何用じゃな」

「お母上様からの書状を持ってまいりました。兄上の縁談ですよ。羽生家の娘御で、よいご縁ですから、すぐに返事をするようにとのおおせです。すぐに返事をしたいから、今晩、必ず築地の家に来るようにとのお言葉でございますよ」
「わかったが、まだわしにはその気はないのでのう。困ったな。丁寧にお断りはできぬものかな」

   と母上の書状を傍らに置く。

何か気になることがあるようだ。弥生は兄のしぐさで分かるのだ。

「前にも話したがな。このところおいとさんのところに、飯能の村からよく人が出入りするのでな。先日は、川越で助けていただいた村医者方徳さん。今日もおいとさんが、大黒屋の務めのはずなのに。また知らぬ男が家に入って行った。届け物にしてはのう。男が帰らぬのもなあ・・・・不思議な気がしてな」

「それではおいとさんの家を訪ねて、男の方に・・どんな御用かとお聞きしてはいかがですか」

   と弥生は澄まして言う。

「ま・・そこまで詮索するわけにはいくまいて」  

「ところで母上へのご返事はいかがいたしましょう」

「お前から、まだその気がないようだと、母上に話してくれないものかのう」

「あら。いやでございますよう。兄上から今晩直接お話しくださいませな」

「ひとまずわたくしは築地に帰ります。今宵、必ずおいでくださいませよ」

  


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