多摩川 健・・リタイアシニアのつれずれ・・時代小説

最近は元禄時代「寺子屋師匠 菊池三之丞 事件控え」全30話書いてます。週2-3回更新で順次 公開予定。

78年生きて・・・おじんおつぶやき

2022年02月21日 12時22分28秒 | 意見

つぶやき その2

  

今日は1943年昭和18年から 子供の頃2、3歳のあまり覚えてない・・うろ覚えも多いのですが・・当時を振り返ってみましょう

 

生まれた年の昭和18年は学徒出陣の年で・・・国際的には米 英 中がカイロ会談をやった時期に相当しています。

少し早く生まれていれば まぁ太平洋戦争に行って生きて帰れなかった可能性もあると思っています

 

 

 当時 昭和1943年にはもう日本各地への、 空襲が激化してまして・・・アメリカ軍が連日  東京にも B 29での爆撃が多かったと思います。

 

昭和19年は東京空襲の影響で学童疎開なんかもあったようですが・・・私はまだ乳飲み子でしたので・・今覚えているのはウーウーと長く尾を引く空襲警報が鳴ると・・まず自分のフクチャン人形を抱えて母親のほうに急ぎます・・防空頭巾・・・これは綿入れだったと思いますが・・頭にかぶり、そしてなんか暗いとこへ入るということを・・・・うっすらと覚えています。多分防空壕だったんだろうと思います・・まあそれ以外・・・・飛行機の襲来姿・・焼夷弾の雨あられというのはあまり直接的には記憶にはありません。二歳の頃ですからね。

 

 

もう一つ覚えているのは・・まあ疎開先がなかったんですが、多分昭和19年ころでしょうか・・・20年・・・終戦の直前に田舎の町・・多分親戚を訪ね歩いて疎開先探しと言うか・・・夜の寒い日の東北の方・・多分秋田県あたりと・・伊豆・・・祖母が伊豆韮山の出でしたから・・・伊豆半島の網代辺りを母親の背におぶさって歩いたのを・・・・とうっすらと覚えたりしています。

 

当時の写真はあまりなくて・・誕生の時のまるまるとした赤ん坊の写真1枚だけが残っています。2歳3歳まではだいたい今の実家の東京都目黒区の洗足の辺りで・・今の実家にちょっと近いところ・・・・女性家族ばかりで学生相手の下宿をやっていたようですが・・・・・そこで生まれたと思っています。

 

今日はここまでです


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