
まだ、パソコンが、卓上電子計算機と言った方が良かった時代の話。Windowsもなければ、ネットもない。もちろん、スマホどころか、携帯さえなかった時代だった。そんな時に、会社が、情報システムの提供を受けていたF社のパソコンのソフトの社内研修を受ける機会を、貰った。外注することなく、各職場の実情に合わせて、ビジネス資料の簡略化、自動集計システムなどを作る。それが出来る、現場担当者を養成する狙いだった。

そこまでに、半年。その後、更に半年。会社のホストコンピュータのプログラミングの初歩を学ぶ。その業務に連携出来る、現場要員にまで養成する、と言う話だった。
しかし、一番アナログな営業部門所属の自分は、単に、営業成績が悪いから、出向させられただけ。老舗のアパレル商社の営業の役員、管理職なんて、体育会系体質。業務の簡素化なんて、ちんぷんかんぷんの根性論一筋。一番、向かない自分が、厄介払いになっただけだった。

しかし、バブルに向けて、経済が、究極の成長軌道に向かっていた時代だった。猫の手も借りたいと、猫の手の自分。敢えなく、最初の半年で、所属部署に戻されてしまった。あわよくば、専門学校卒業程度の知識を得て、肌の合わない接客系の営業職から、新しい業界にでも転職出来ないかなとか、甘い考えを抱いていたのだが。
しかし、役立たずの足手纏いとして、研修に出された筈が、営業目標や業績を管理するビジネス文書作成の自動集計などのパソコンによるプログラミング技術を取得出来たことは、職場で随分と重宝されて、自分の立場も、かなり良くなった。
しかし、その技術も、汎用ソフトのWindowsが普及し始め、会社にも導入されると、まったく意味を成さなくなっでしまった。ただ、その前の期間に、営業職を外れて、営業役員のラインスタッフになったことがあった。結局、上司と合わずに、挫折してしまったが。

その時代の、ちょっと、理解に苦しむ話。オフィスで、残業をしていた。すると、パソコンが!接続のプリンターが、稼働し始めたのだ。
もう、電源は、落としていた。本社ビルの1フロアぶち抜いた、だだっ広いオフィス。夜も遅く、他の部署の照明は、殆ど消えていた。その薄暗いフロアの一角の少し仕切られた担当役員席の前に、自分の配属された直属の部署があった。その時間には、もう役員も女性たちも退社していた。仲の悪い課長と自分の二人切り。もちろん、お互い会話もなく、周囲は、静まり返っていた。
そんな時に、忽然とプリンターの稼働音が⁉︎低く響き始めたのだ。さすがに、課長とは、一瞬、目を合わせた。しかし、知識のあまり無い課長は、どうせ自分が、管理を怠ったのだろうと言うような表情で、見に行けとばかりに軽く顎をしゃくり、目を書類に戻してしまった。とにかく、自分が管理責任者のようなものなので、見に行くしか無い。もちろん、背筋には、ちょっと寒気。何しろ、本体パソコンは、どう見ても、電源が落ちている。プリンターは、今のような汎用プリンターなどではなく、電源を入れた後は、パソコンだけで操作して、パソコンで作成された文書のみをプリントすることが出来る代物なのだ。だから、勝手に動くことなど、決して、あり得ない。

筈とは思ったが、そんな神秘思考をしない自分なので。背筋を凍らせながらも、きっと、知らないマシントラブルのようなものだろうと思った。覗くと、何故か、自分がプログラミングした営業マンの個人予算の取引先別の予算表が、1表だけプリントアウトされた。そして、また忽然と、電源は落ちた。パソコンは、その間、びくりとも、動いていない。
その予算表は、自分が以前所属していた婦人衣料の百貨店向け営業部の予算表だった。品種別担当者別に実績と販売計画をもとに予算が策定されている。それを、月別に、販売額、返品額、差し引き販売額、利益額、利益率など詳細に目標が設定されて、個人予算、部署予算にまで積み上げられる。自分が作成した予算表集計プログラムは、営業マン個人が、取引先別月別に、予算をパソコンにインプットすると、自動集計されて、取引先別予算や個人別予算がシュミレーション出来ると言うものだ。営業マン個人が手集計していた煩雑な作業を省くことが出来た。しかし、自分の所属していた婦人衣料部門も、品種別に三課に分かれているし、その品種別取引先別の予算表となると、100枚を遥かに超える膨大な枚数となる。そのうちの一枚だけを、予算表を内蔵するパソコンの稼働もなしに、電源を切っていた筈のプリンターが、突然に入電して、打ち出したのだ。分からない。背筋を、もう一筋、冷たいものが、流れた気がした。
電源が切れたことを、再度確認。不気味なプリント書類を、用紙ロールから切り離して、席に戻った。日頃、冷戦気味の課長と、交流を復活させる良い機会だと思い、ややおどろおどろしく説明してみた。しかし、機器に疎い課長は、唸るだけで、言葉が出てこない。多分、自分の言動を信じることはなく、怪しんだだけだったと思う。
この話は、それだけだ。ひょっとすると、もう一回似たことが起きたような記憶もあるのだが、あやふやだ。何の実害もある訳ではなかったし、専門職などに相談するのも気恥ずかしくて、誰にも話していない。だいたい、やはり、おおかた、自分の知らないマシントラブルの一種なのだろうと思っている。しかし、ネットなどもなく、リモート操作の可能性などあり得ない時代で、あの機器の接続環境で、どうしたらあんなことが起こり得るのかと考えると、… 分からない。
何か、自分の大好きな映画、キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」の人工知能の暴走を、予感させるような恐怖も、感じた。ただ、忘れてしまって良い筈の程度の話だったな、とも思う。その近い時期に、もっと理解出来ない、しかも、やはり実害は無かったのだが、余程不気味な体験をしていたのだ。その為に、この出来事も、合わせて、忘れられなくなってしまった…
