今年の米国アカデミー賞は日本の映画「おくりびと」や「つみきのいえ」が受賞した事で日本でも多くの注目を浴びた。しかし、今回のアカデミー賞の主役はこのインドを舞台にした映画だ。作品賞、監督賞など史上最多の8部門を受賞したこの作品は果たしてどんな映画なんだろう?
「スラムドッグ$ミリオネア」
この映画のメインの舞台は、クイズショーである「クイズ$ミリオネア」のスタジオの風景だ。「クイズ$ミリオネア」は日本でもみのもんた氏の司会で有名で、あの「みのだめ」にすっかりはまった人も多かったはず。このクイズショーはイギリスの制作会社が企画しライセンスを持っている。世界中でこの「クイズ$ミリオネア」は流れていて、日本のものもライセンス提供されているものだ。映画を見てびっくりだが、クイズの方法やスタジオの設定などもほとんど同じで、効果音まで全く同じ。もちろんライフラインもあって、この映画の物語でも重要な役割を果たす。答えが決まった時のあのセリフ「ファイナルアンサー」も同じで映画でも印象的だ。日本でも有名な番組なので、クイズの進行内容が理解出来るので、感情移入し易かった。
インドの大都市ムンバイのスラムで育ったジャマール(デーヴ・パテル)はインドで大人気のクイズ番組「クイズ$ミリオネア」に出場していた。スラム育ちで学校も行った事も無く、子供の時に親を亡くして、兄のサリーム(マドゥル・ミッタル)と二人で過酷なインドの現実をたくましく生きてきた彼にとってはクイズで勝ち抜いて大金を手に入れるなどは夢のような話だった。彼の経歴を聞いた番組ホストのプレーム・クマール(アニル・カプール)を始め聴衆は嘲笑を浮かべる。早速2問目の簡単な問題で1つめのライフライン「オーディエンス」を使うジャマール。とても勝ち残る事は難しいだろうと思われた。しかし、ここから彼は驚異的な力を発揮して次々と正解をしていく。そして残り1問となったところで、彼は不正の疑いで警察に拘束され厳しい尋問に遭う。その中で語られる彼の人生の真実。そしてその中で彼が何故次々と解答出来たのかが明らかになっていく。彼の目的は大金ではない。幼い頃から一緒に過ごした愛するラティカ(フリーダ・ピント)にもう一度出会う為だった。果たして彼は最後の問題に答えられるのか?その”ファイナルアンサー”とは?
「クイズ$ミリオネア」の問題が出される度に、彼のこれまでのスラム育ちゆえの過酷な人生が振り返られる。クイズショーで勝ち抜いて行くストーリーはファンタジーだが、そのウラには過酷なインドの現状が映画を観る者に叩きつけられる。何故に彼は一見難しい問題に答える事が出来たのか?それは普通の生活では得られない知識や情報が彼らには、命を繋ぐ生命線とも言えるものになるからだ。ジャマールにとっては10ルピーに描かれるマハトマ・ガンジーよりも、100ドル札に描かれるベンジャミン・フランクリンの方が”命を繋ぐ”ものだっただけに過ぎない。
小さい頃から過酷な環境の中でたくましく生きていく事を強いられる中で、兄のサリームは大きな野望を持ち、自分の知恵と弟さえも利用するようなしたたかさでのし上がっていく。一方のジャマールは純粋なものを持ち続け、そしてその思いは幼なじみのラティカへの思いへと繋がっていく。彼もまたしたたかに生きていく事を余儀なくされるが、過酷なインドのスラムの現状に時に心痛めながら生きて行っている。
印象的なセリフがある。
「ボンベイはムンバイになった・・・」
かつてボンベイと呼ばれた彼らがスラムで生まれ育った都市は、”ムンバイ”という名前に変わって大きな変貌を遂げる。一度は追われるように飛び出したボンベイの街から、ラティカを探す為に再び”ムンバイ”に戻る決意をするジャマールと兄のサリーム。
ボンベイとはかつてのイギリス統治の名残による英語読み。それが今は現地語の読みにならって”ムンバイ”となった。インドは多種多様な民族が集まって出来た国家だが、イギリス統治の名残で英語が普及している。「クイズ$ミリオネア」でも英語だし、ジャマールも普通に英語を話す。それが英語が公用語になった世界で、インドが躍進する大きな原動力になっている。そしてムンバイは世界に注目される都市になった。しかしその為に更なる人口流入によるスラム街の拡大と貧困の差が大きくなっている。そこで兄のサリームは権力(銃)と金を生きていく手段として力で自らの人生を切り開こうとする。
一方のジャマールはラティカとの再会だけを果たそうと知恵を働かせて行く。そして、最後に望みとして掛けたのがこの国民的な”クイズショー”だ。
この映画はストーリーからすればジャマールとラティカのラブストーリーであり、そして「クイズ$ミリオネア」を舞台にしたスリリングなエンターテイメントである。それでいて、心を揺さぶられる強い力を持っている。それは”ムンバイ”そしてインドとその中の特にスラムに住む人々のパワーに起因する。身分制度や女性差別の激しい国でありながら、今のインドを取り巻く状況は目まぐるしく、”スラムの負け犬”であっても夢を掴むチャンスが蠢いている。そのインドという国の圧倒的なパワーがもう一つのこの映画の主題なのかもしれない。
一度は警察に拘束され厳しい尋問を受けるジャマール。しかし、その過酷な人生とそれを生き抜いてきた彼のエネルギーに彼を取り調べた警部は彼の中には真実しかないと思い、彼に告げる。「お前はスタジオに戻って、最後の問題に答えてこい」。
そして、その最後の問題が出題されるが、ジャマールは自分の人生を象徴したようなその問題に思わず笑みを浮かべながらも、その解答を知らない。その最後の問題の為に彼は最後に残された”ライフライン”テレフォンを使う。そして、その携帯電話に出たのは・・・。そして、彼は遂に最後の問題の「ファイナル・アンサー」を告げる・・・
この映画の冒頭で出されたこの映画の主題とも言える問題。その最後の解答こそがこの映画の全てだ。
ミリオネアになれる人間。それは”運命だった”からに他ならない。そして運命とは自分で自分の夢を掴む”意志”であるという事に気づかされる映画だ。最高のカタルシスを得られる映画。こんな時代だからこそ夢を見続ける意味を問いただすこの映画が必然的に米国アカデミー賞で高く評価されたのではないか。
「スラムドッグ$ミリオネア」
この映画のメインの舞台は、クイズショーである「クイズ$ミリオネア」のスタジオの風景だ。「クイズ$ミリオネア」は日本でもみのもんた氏の司会で有名で、あの「みのだめ」にすっかりはまった人も多かったはず。このクイズショーはイギリスの制作会社が企画しライセンスを持っている。世界中でこの「クイズ$ミリオネア」は流れていて、日本のものもライセンス提供されているものだ。映画を見てびっくりだが、クイズの方法やスタジオの設定などもほとんど同じで、効果音まで全く同じ。もちろんライフラインもあって、この映画の物語でも重要な役割を果たす。答えが決まった時のあのセリフ「ファイナルアンサー」も同じで映画でも印象的だ。日本でも有名な番組なので、クイズの進行内容が理解出来るので、感情移入し易かった。
インドの大都市ムンバイのスラムで育ったジャマール(デーヴ・パテル)はインドで大人気のクイズ番組「クイズ$ミリオネア」に出場していた。スラム育ちで学校も行った事も無く、子供の時に親を亡くして、兄のサリーム(マドゥル・ミッタル)と二人で過酷なインドの現実をたくましく生きてきた彼にとってはクイズで勝ち抜いて大金を手に入れるなどは夢のような話だった。彼の経歴を聞いた番組ホストのプレーム・クマール(アニル・カプール)を始め聴衆は嘲笑を浮かべる。早速2問目の簡単な問題で1つめのライフライン「オーディエンス」を使うジャマール。とても勝ち残る事は難しいだろうと思われた。しかし、ここから彼は驚異的な力を発揮して次々と正解をしていく。そして残り1問となったところで、彼は不正の疑いで警察に拘束され厳しい尋問に遭う。その中で語られる彼の人生の真実。そしてその中で彼が何故次々と解答出来たのかが明らかになっていく。彼の目的は大金ではない。幼い頃から一緒に過ごした愛するラティカ(フリーダ・ピント)にもう一度出会う為だった。果たして彼は最後の問題に答えられるのか?その”ファイナルアンサー”とは?
「クイズ$ミリオネア」の問題が出される度に、彼のこれまでのスラム育ちゆえの過酷な人生が振り返られる。クイズショーで勝ち抜いて行くストーリーはファンタジーだが、そのウラには過酷なインドの現状が映画を観る者に叩きつけられる。何故に彼は一見難しい問題に答える事が出来たのか?それは普通の生活では得られない知識や情報が彼らには、命を繋ぐ生命線とも言えるものになるからだ。ジャマールにとっては10ルピーに描かれるマハトマ・ガンジーよりも、100ドル札に描かれるベンジャミン・フランクリンの方が”命を繋ぐ”ものだっただけに過ぎない。
小さい頃から過酷な環境の中でたくましく生きていく事を強いられる中で、兄のサリームは大きな野望を持ち、自分の知恵と弟さえも利用するようなしたたかさでのし上がっていく。一方のジャマールは純粋なものを持ち続け、そしてその思いは幼なじみのラティカへの思いへと繋がっていく。彼もまたしたたかに生きていく事を余儀なくされるが、過酷なインドのスラムの現状に時に心痛めながら生きて行っている。
印象的なセリフがある。
「ボンベイはムンバイになった・・・」
かつてボンベイと呼ばれた彼らがスラムで生まれ育った都市は、”ムンバイ”という名前に変わって大きな変貌を遂げる。一度は追われるように飛び出したボンベイの街から、ラティカを探す為に再び”ムンバイ”に戻る決意をするジャマールと兄のサリーム。
ボンベイとはかつてのイギリス統治の名残による英語読み。それが今は現地語の読みにならって”ムンバイ”となった。インドは多種多様な民族が集まって出来た国家だが、イギリス統治の名残で英語が普及している。「クイズ$ミリオネア」でも英語だし、ジャマールも普通に英語を話す。それが英語が公用語になった世界で、インドが躍進する大きな原動力になっている。そしてムンバイは世界に注目される都市になった。しかしその為に更なる人口流入によるスラム街の拡大と貧困の差が大きくなっている。そこで兄のサリームは権力(銃)と金を生きていく手段として力で自らの人生を切り開こうとする。
一方のジャマールはラティカとの再会だけを果たそうと知恵を働かせて行く。そして、最後に望みとして掛けたのがこの国民的な”クイズショー”だ。
この映画はストーリーからすればジャマールとラティカのラブストーリーであり、そして「クイズ$ミリオネア」を舞台にしたスリリングなエンターテイメントである。それでいて、心を揺さぶられる強い力を持っている。それは”ムンバイ”そしてインドとその中の特にスラムに住む人々のパワーに起因する。身分制度や女性差別の激しい国でありながら、今のインドを取り巻く状況は目まぐるしく、”スラムの負け犬”であっても夢を掴むチャンスが蠢いている。そのインドという国の圧倒的なパワーがもう一つのこの映画の主題なのかもしれない。
一度は警察に拘束され厳しい尋問を受けるジャマール。しかし、その過酷な人生とそれを生き抜いてきた彼のエネルギーに彼を取り調べた警部は彼の中には真実しかないと思い、彼に告げる。「お前はスタジオに戻って、最後の問題に答えてこい」。
そして、その最後の問題が出題されるが、ジャマールは自分の人生を象徴したようなその問題に思わず笑みを浮かべながらも、その解答を知らない。その最後の問題の為に彼は最後に残された”ライフライン”テレフォンを使う。そして、その携帯電話に出たのは・・・。そして、彼は遂に最後の問題の「ファイナル・アンサー」を告げる・・・
この映画の冒頭で出されたこの映画の主題とも言える問題。その最後の解答こそがこの映画の全てだ。
ミリオネアになれる人間。それは”運命だった”からに他ならない。そして運命とは自分で自分の夢を掴む”意志”であるという事に気づかされる映画だ。最高のカタルシスを得られる映画。こんな時代だからこそ夢を見続ける意味を問いただすこの映画が必然的に米国アカデミー賞で高く評価されたのではないか。
![]() | スラムドッグ$ミリオネアA・R・ラフマーンユニバーサル インターナショナルこのアイテムの詳細を見る |