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カオスの世紀

カオスとは「混沌」、そしてこの21世紀に生きる自分の混沌とした日常を気ままに書き綴っていきます。

蒼き狼~地果て海尽きるまで~(ネタバレ注意)

2007-03-02 | 映画(邦画)
まずは大前提として、映画は全編日本語である。しかし、舞台はもちろんモンゴル。この事を了承しない限りはこの映画は成り立たない。この事をモンゴルの人が了承しない限りは、この映画はただの日本人が描いた絵空事になる。
だから、モンゴルの人が見て、まずは基本となる言語という1点においてこの映画はモンゴル人の描いた映画では無いという事を了解しなければならない。幾ら、その精神は受け継いだとしても、”言語”を変えた民族の物語は成り立たない。それこそ角川春樹監督がかつて描いた、”川中島の戦い”(映画「天と地と」)を全編英語で描かれて日本人は果たして感情移入出来たであろうか?その大前提でこの映画は幾らモンゴル建国800年の記念映画といえど、モンゴルの人にとっては大英雄チンギス・ハーンを忠実に描いたものでは無いという事は始めに了解しておくべきだと思う。

さて、その前提を踏まえて敢えて映画としてこの作品を語るなら、その出来映えはなかなかのものであると言える。
原作は、森村誠一氏の「地果て海尽きるまで 小説チンギス汗(ハーン)」である。私個人はかつて小説では井上靖氏の原作を読んでいたので、チンギス・ハーンはそのイメージがある。森村誠一氏は読んでいないのでどこまで原作に忠実なのかは分からない。
ただ、どちらも同じ、というかチンギス・ハーンのこの征服欲の原動力が、「蒼き狼」の証明の為であったというところは同じではないだろうか。そして、その根底にあった、自らの出自の問題が大きな影響を与えたという描き方はかなりの説得力があると言える。

モンゴルなどの中央アジアの遊牧民族にとって、その血筋の存続は大きな問題だった。それは日本人のように”土地”というものに固執しない民族の宿命だったのかもしれない。その広大な土地故に土地を守る事よりも、民族の血筋にこだわった故に、侵略した民族の男子はその赤子に至るまで殺し、しかしながら女性は全て奪って、自身の民族との融合を進めてその地を他民族にまで及ぼす事で征服していったというこのモンゴル民族の特性によって、ある意味世界最大の帝国を築く事が出来たとも言える。

映画では、チンギス・ハーン(反町隆史)自身が、その母親ホエルン(若村麻由美)が、メルキト族から、チンギス・ハーンの父親イェスゲイ・バートル(保阪尚希)が奪った後に生まれて、自分はモンゴル族(=蒼き狼)の子孫では無いのでは無いか?という葛藤の中で育ち、奇しくも彼の妻ボルテ(菊川怜)が、そのメルキト族に奪われた後に、生まれた子供ジュチ(松山ケンイチ)に、自分の子供では無いのではないのか?という疑いの中で親子の葛藤があるという、このモンゴル民族の特有の”民族の血”というものの中での葛藤が描かれている。

さて、そうしたものをベースにしながらも、チンギス・ハーンがいかに小さな部族から、その武力と知力でのし上がって、モンゴル民族の王、ハーンに上り詰めたかが描かれる。
この間、モンゴル民族を含めて、メルキト族とかタタール族とかケレイト族とか、何だか宮崎アニメを見るような多彩な民族とその文化や衣装とかを描いていて、これは結構面白い感じ。

そんな中でもこの映画の最大の見せ場は戦闘シーン。
本場のモンゴルのオールロケという壮大なモンゴルの大地の中で、これまたモンゴルの軍隊も総出で協力したという騎馬戦の場面はかなり壮大なものになっていた。
かつて、角川監督の「天と地と」では川中島の戦闘シーンなのに、カナダロケでやる気のない白人らしき役者の演技で興ざめだったのに比べれば、本物のモンゴル人による戦闘シーンはかなりリアリティがあって迫力のあるものになっていた。
ちょっとチンギス・ハーンの半生を僅か2時間ちょっとの尺に収めたところでの駆け足な感じの大味な展開にはなっていたが、この戦闘シーンの迫力で最後まで見応えのある内容になっていた。

役者も側近の弟ハサル(袴田吉彦)、いわゆる四駿の一人で側近中の側近ポオルチュ(野村祐人)そして、テムジンの盟友(アンダ)の誓いを交わしたジャムカ(平山祐介)など魅力溢れる男優陣の名演技は素晴らしい。
それに加えて、母親ホエルンの若村麻由美や正妻ボルテの菊川怜、そして、側室でもあり戦士として戦場でも戦ったクラン(Ara)など角川映画特有の女優陣の魅力もなかなかのもの。特に久しぶりにスクリーンで活躍する若村麻由美は若い年から老年までの幅広い演技を見事にこなして素晴らしい演技だった。

この映画、まずは初めに述べた大前提としての”言語”の問題があるが、その他だと敢えて言えば息子”ジュチ”との関係の描き方だろう。もう少し突っ込んで描くか、むしろばっさりと描かないかするべきで、どうも中途半端。
松山ケンイチはいい俳優だと思うので、もっと活躍して欲しかったという意味では残念。本当はこの親子の葛藤と最後の融和というのを描きたかったのでは無いか?と思うともう少し描き方があったような・・・

これに対して、盟友ジャムカとの友情と裏切り、そして最後の和解とその男らしい描き方は良かったと思う。
それに何と言っても反町隆史の演技が良かった。
最大の見せ場のモンゴルの王、チンギス・ハーンとしての戴冠シーンの演技などは中途半端な演技だと失笑してしまうようなセリフを見事に演技切った。前作の「男たちの大和」でも演技が光った彼のチンギス・ハーンは素晴らしかった。
主役が光れば、映画自体も引き締まる。そのいい例ではないか?

世界最大の帝国を築いた男チンギス・ハーン。その男のエッセンスを見事描いたという意味ではいい映画だと思う。あくまでも初めに書いた前提を無視すればの話だが。


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