※本記事、"城井ノ上城址"では戦国時代に豊前国数郡を支配していた武将、
宇都宮鎮房(うつのみやしげふさ)の城とされた、城井ノ上城について書いています。
鎮房以外にも宇都宮氏は一帯に居り、鎮房一族は領地の地名に由来して、
姓を城井(きい)とし、城井鎮房を名乗ります。
歴史書などでは、この城井鎮房で表記されていることも多いですが、
本記事では最も知名度の高い、宇都宮鎮房表記にしています。
昨年8月、福岡県築上町にある、城井ノ上城址(きいのこじょうし)へ行ってきた。
戦国時代、豊前国のこの周辺を支配した武将、宇都宮鎮房の城とされた天然の要害。
城井谷城,萱切城とも呼ばれる。
一昨年放送されていた大河ドラマ、軍師官兵衛を観ていて、
主人公の黒田官兵衛(孝高/如水)の、福岡にあるゆかりの地に興味を持ち、
最も興味を持ったのが、最大の宿敵となった宇都宮鎮房のゆかりの地。
自分の住んでいる場所に最も近い場所であり、また、この武将の生きざまなどに惚れてしまい、
大河ドラマ放映中に、まだ宇都宮鎮房が登場する前に、中津城はじめ、ゆかりの地をめぐった。
官兵衛の嫡男、黒田長政の軍勢を完膚なきまでたたきのめし撃退した宇都宮鎮房。
その鎮房の城井谷の最深部にある最後の砦、城井ノ上城。
もちろん、この場所へも行ったのだが、険しい谷の奥にある山城。
あいにく豪雨で城址はおろか、そこへ行くまでの道も閉ざされており、行くことが叶わなかった。
一年越しに念願叶って、城井ノ上城址へと行くことができた。
盆前のうだる暑さのときだった。
横一文字にひび割れの入った、胴切れ墓。
宇都宮氏の怨念だといわれている。
まずは昨年も訪れた、宇都宮市の菩提寺、天徳寺を訪ねた。
鎮房はじめ嫡男の朝房,前当主の長房の墓にお参りする。
黒田親子に謀殺され、この地で滅んだ宇都宮氏。
その悲劇の武将の墓に手を合わせる。
うっそうとした林のなかに、ひっそりと並ぶ三人の墓。
ここは静かで涼しい場所だ。
天徳寺を出て、一路 城井ノ上城址を目指す。
そのまま谷の行き止まりのような場所にある、キャンプ場の駐車場に車を止める。
前回は豪雨のため、ここから先に進むことができなかった。
宇都宮一族の石碑と、城井ノ上城入口の石碑がある。
ここからは徒歩で、城井ノ上城址を目指す。
脇にある案内看板を見ると、城址まで1キロちょっととなっていた。
平坦な道ならばたいしたことのない距離なのだけど・・・。
しばらく歩くと、巨大な岩が眼前にそびえ立つ。
有名な三丁弓の岩だ。
この岩の上に弓の射手を3人置いておくだけで、
敵の侵入を防ぐことができたということから、このような名前が付けられている。
現在は舗装され整備されてはいるが、当時は天然の険しい谷沿いの獣道だったろう。
思うように動けないこの場所で、上から弓で狙われちゃ、ひとたまりもなかったと思う。
しかしこの岩に登るのも難しそうだ・・・。
三丁弓の岩の少し手前にあるミニチュア天守閣。
看板もなにもなくて、誰が何のために制作したのか判らない。
汚れ具合がおどろおどろしい。
三丁弓の岩を過ぎると、大きく"入山注意”と書かれた看板が。
この辺りも耶馬日田英彦山国定公園に属する。
そのためゴミ捨てなどを禁止する注意書きが書かれていた。
大河ドラマの影響か、この辺りも観光客が増えているのだろう。
看板の文章を読んで、そんなことを考えていたら、
さっそくその脇に捨てられた弁当のパックを発見。
そのパックに貼られていたシールを見たら・・・トライアル田川店。
まーーーた田川の糞か!
どこへ行っても害なことやるな田川民はよ!
クマの被っている兜は、宇都宮鎮房のもの。
捨てられていた弁当の空容器。
半額のにぎりめしでハイキングすんなよと。
三丁弓の岩から数百メートル進むと、水子地蔵尊という、
お地蔵さんがたくさん並んだ場所があった。
風車やかわいい人形やらおもちゃがたくさん供えられてた。
その名のとおり、水子供養の場所のようだ。
その奥には・・・大きく立派なものが鎮座していた。
どうやら子宝祈願の場所らしい。
けっこう衝撃的だったので、この記事とは分けて紹介しようと思う。
車が入れるのは、この水子地蔵尊まで。
ここからは舗装路もなくなり、道幅も狭くなり、いっそう谷の奥へと進む。
ほどなくして、城井ノ上城址の登り口の看板が見えてくる。
ここからは完全に登山道となる。
気軽な気持ちで軽装で来てしまったひとは、この先へは進めない。
自分は城井ノ上城が、険しい谷山の最深部にあると知っていたので、
一応、長袖長ズボンにトレッキングシューズ、ミネラルウォーターも携行して臨んだ。
大河ドラマ軍師官兵衛にて、宇都宮鎮房を演じた、
俳優の村田雄氏が、ここを訪れ記念植樹した際に建てられた記念碑。
で、どれが植樹した木だったんだろう?
谷の奥を登っていく。
しばらくすると、見えてきた!
巨大な岩の間に、ぽっかりと空いた隙間。
これが城井ノ上城の表門。
門といっても、塀に作られた木や鉄の扉というわけじゃなく、
天然の岩が形成した、人ひとりがやっとくぐれるほどの穴なのだ。
この城井ノ上城、人工の建造物ではなく天然の要塞だったのだ。
城井ノ上城表門。
表門にはちょうど下山してきた、夫婦とおぼしき年配の男女が居た。
手袋に登山靴、リュックを背負い、両手に登山のステッキ(正式名称が判らん)の本格的な重装備。
やべえ・・・自分のこの格好で大丈夫なのか?
汗だくで、息を切らしながら下山してきたその男女とすれ違い、そんなことを考える。
表門の内部。
大人だと、かがんでくぐる必要がある。
表門をくぐると、いよいよ岩山登山の開始となる。
水が染み出す、急勾配の岩肌。
足元を確認しながら、慎重に歩を進めていく。
これは・・・裏門まで辿り着くことができるのか?
その先も、ゴツゴツした岩とチョロチョロと水の流れる沢の連続。
苔生した岩に足を滑らせ、堆積した枯葉に足をとられ、転がった倒木につまずく。
これ・・・城の中なんだよな?
ロープや看板などで、順路が案内されてはいるが、
登山道はコンクリや丸太などで整備されているわけではなく、
天然の岩と沢、雑木林の間を縫って進む、あくまでも自然のままの状態。
途中迷ってしまいそうになるほど、クネクネとけっこうな悪路が続く。
そうやって息を切らして登り続けると開けた場所に出た。
その中央付近に、城井ノ上城跡の看板が立っていた。
城郭があったならば、ここらが本丸に相当したと思われる場所だろう。
実際には建物があった痕跡はまったくなく、
やはり、この城井ノ上城は、戦時の緊急の避難場所であり最後の砦だったようだ。
ふだん居城としていた城は、谷の下の平野部に存在していたようで、
宇都宮市の居館跡も、谷のずっと下の平野部にある。
非戦時はただの谷山に過ぎなかったのだろう。
ふと見上げると、うっそうとした雑木林のなか。
一瞬、ここを渡るの!?と思った、沢にまたがった倒木。
真ん中あたりで苔で滑って、キンタマ強打してしまうのが目に見えている。
写真じゃ判りづらいけれど、けっこうな斜面を進んでなきゃならない。
昭和の初め頃まで使われていたという炭焼きの窯。
宇都宮一族に関連する史跡というわけではない。
何の看板だろうと近づいてみたら・・・。
本丸に相当したであろう、開けた場所を過ぎると、また複雑な登山ルートを歩かされる。
岩山の様相から一変して、今度はふつうの山道を歩かされる。
途中の沢では、おいしそうな水がチョロチョロと音を立てて流れている。
家から持ってきていたミネラルウォーターは、すでに生ぬるくなっていた。
汗びっしょりになっていたので、思わずその水をすくって飲んだ。
ひんやり冷たくて、とびきりおいしい!
しかし、手ですくって飲もうとすると、底の沈殿物が舞いあがって一時的に水が濁る。
ここはあれだ!
四つん這いになって水たまりに直接口をつけ、サルのように水を飲む!
山奥で天然のおいしい水をこの格好でがぶがぶ飲む。
こんなワイルドな体験はじめてだ。
冷たい水を飲んで体力回復し、裏門を目指す。
途中からまた、岩石混じりの悪路になってきた。
倒木も多く、ときおり順路が判らなくなる。
正直、こんなに険しいとは思ってもいなかった。
朝から何も食ってない・・・裏門まで辿り着けるのか?
無心になって、険しい谷山を登っていく。
こんなゴツゴツしていても、まっとうなルート。
この日のナンバーワン、苔むし岩。
苔むした岩と岩の間から、何かの木が芽吹いていた。
ナウシカのラストシーンを思い出した。
だんだんと斜面が岩だらけの崖になってきた。
ここからは鎖場も登場。
ほぼ垂直の場所も何カ所かある。
縦に立てかけられた、朽木を這って登るような場面も。
これはヤバイぞ・・・リポビタンDのような光景になるやもしれん。
「ファイト一発!」やる相方が居ないぞ。
表門で出会った年配の登山者は、ここもクリアできたの?
そんなことを考えながら、この要塞の最後の難関を登っていく。
途中、"番人の穴"という看板の立てられた、天然のほら穴があった。
裏門にほど近い場所。
この大岩に空いた天然の空洞に、門番が潜んでいたのだろうか?
しかし滲み出した水で、ほら穴の中も周辺も濡れていて、
じめじめと苔生した、こんな薄暗い穴ぐら。
こんなとこで四六時中見張りする仕事とか、なんて貧乏くじなんだろう。
番人の穴を過ぎると、崖の遥か上に見えてきた・・・!
ぽっかり空いた岩の穴、あれこそが城井ノ上城の裏門だ。
写真じゃ判りづらいけれど、角度70°近くあると思う。
この看板から裏門までも、まだ遠い・・・。
最後の気力を振り絞り、断崖絶壁を登りきる。
そうして、ようやっと城井ノ上城の裏門に到着!
この裏門もまた、表門と同じく、天然の岩が重なり合ってできた自然のトンネルだった。
お盆前のうだる暑い夏だったが、いい風が吹いていてとても心地いい。
しばし、ひとつの山を征服して、その達成感に浸る。
見下ろしてみて、あらためてすごいところを登って来たんだと悟る。
この城井谷攻略に失敗する黒田長政。
援軍に来ていた毛利軍もろとも、黒田軍は壊滅的な大敗北を喫し、
居城であった馬ヶ岳城まで撤退することになる。
長政は父・官兵衛に詫びるため、家臣一同、頭を丸めてその謝意を示そうとしたが、
家臣のひとり、後藤又兵衛(基継)だけはこれに従わなかった。
もとより長政の無謀な城井谷攻略に否定的だった又兵衛。
君主として長政の器量に不満を募らせていく。
官兵衛亡きあと、黒田家を出奔してしまう又兵衛。
この城井谷での敗戦が、長政と又兵衛、ふたりに確執が生まれるきっかけとなったとも言われている。
裏門の真下。
実質、ここが頂上ってことになるのかな?
ここまで幟を持ってきた町の観光課のスタッフ?ごくろうさまです。
裏門の外には"根上の榊(さかき)"という場所があり、一本の榊の木があった。
そこから先も、急斜面で山を下るルートがあったが、反対側に降ることになる。
今来た城井ノ上城址を突き抜けるルートを戻ることにした。
途中、断崖絶壁の鎖場で、やはり夫婦とおぼしき、年配の登山者ふたりに遭遇。
最近のシニア、やたら元気がいいな。
!
セサミンか?!
セサミンだな!!
自分がこの方たちの年齢になったとき、こんな山登れる自信ないわ。
というか、この年齢まで生きられる気がしない。
降りは足取りも軽く、ずんずんと降りられた。
表門を出ると、大学生くらいの若者の団体ツアーが、地元ガイドの説明を受けていた。
だが、説明がひととおり終わると、表門をくぐることもなく、
さっさと水子地蔵尊のとこに止められていたマイクロバスへと戻る一行。
若者どもよ、山を登らんかい!
こんなおっさんでも、さっきのシニア夫婦でも登ってたんだ。
お前らが登らないでどうするよ?
・・・ってまあ、他にも周ってんだろうから仕方がないか。
こうして念願だった、宇都宮鎮房の城、城井ノ上城址を探索できた。
帰りに築上町の物産売場、メタセの森へと立ち寄り、遅めの昼食。
ついでに名物の激辛のカレー、宇都宮鎮房 迎撃カレーを買って帰路に着いた。
足の捻挫が治ったら、今年もまた夏に挑んでみようかしら?
あの美味い、水をまた飲みたい。
登山でよく見かける小石が積まれた岩。
これって何の意味があるのだろうか?
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