
当時5歳の娘から突然送られてきた手紙。
娘がまだ1歳半のときに妻が連れて家を出て以来のことだった。
自分のいちばん大切な宝物。
「お久しぶりです。」
「実はわたし、10月から広島の芸能スクールに通っています。」
え!?
どゆこと?
通ってるって、福岡から広島まで?
高校はどうした?
辞めちゃったの??
突然届いた娘からのショートメールに狼狽する。
「今はお母さんに車で送ってもらってるけれど、近いうちに広島に引っ越そうと思っています。」
「今は単位制の高校に通っていて、毎日学校へ行かなくても卒業できるので安心してください。」
娘のメールは続く。
お母さんて・・・元妻が毎日広島まで高速乗って車で送迎してるのか?
単位制の高校?
じゃあ今まで通っていた高校はけっきょく辞めちゃったってこと?
私立だけど大学付属の割といい高校だったはず・・・。
「どんだけパフューム好きなん?」
大のPerfumeファンの娘。
平静を装い、まずはそんな返信をした。
突然で謎だらけだったので、色々訊きがてらさらに返信した。
広島の芸能スクールに通っているのは今は日曜日だけ。
なので元妻も仕事が休みで送迎が可能とのこと。
いくつかの疑問は払拭された。
しかし芸能スクールだなんて・・・娘はいったい何を目指しているのだろう?
娘が5歳のときにくれた手紙。
まだ字の書けない弟の名前も代筆している優しいおねえちゃんだ。
高校入学前にちらっと元妻から聞いたのは、
娘が自身のような境遇の片親で育った子どもや、孤児の心のケアをするような、
臨床心理士、心理カウンセラーになりたいと。
そのための学科があるのが、田川にある県立短期大学で、
高校卒業後は、そこへ通いたいと語っていた。
当時まだ中学生だった娘の将来の夢を聞いたとき、
そのきっかけとなったのは娘の境遇で、
子どもをケアしたいと思うってことは、自身もそんな思いをしたということで、
親としてとても申し訳ないと痛感したとともに、同時に感心・感動もした。
娘が田川へ戻ってくれば、もしかしたら会える機会が増えるかもしれない!
・・・そんな淡い期待も抱いていたのに。
娘が6歳くらいのときにくれた手紙。
好きな動物がたくさん書かれている。
両親に似て、絵を描くのが好きな子だった。
“ペネロペ”ってキャラクターをこれで初めて知った。
しばらくクマだと思っていたが、コアラなのね。
そして10月の終わり、また娘からショートメールが届く。
「11月7日に広島へ引っ越すことに決めました!」
「もう住むアパートも決めて順調です。」
「不安よりも楽しみでいっぱいです!」
ええー!?
福岡におる期間、もう十日くらいしかないじゃん!
高校卒業してから行くと思ってたのに、早過ぎんだろ!?
またも娘に不意打ちを食らう。
娘が7歳くらいのときにくれた父の日のプレゼントと手紙。
自身で作った、ネコ?型の紙ねんど製のマグネットをくれた。
姪っ子がかじってしまって、色が禿げてしまい、耳をもがれたてしまったけれど、大切にとってある。
「お願いなんですが、引越資金を少しいただけると嬉しいです。」
続けて金の要求もしてきた。
・・・。
正直、突然のことで全く得心できない。
娘にはできる限りのお金の援助はしたいものの、
得心できなきゃ、そう簡単に出すわけにはいかない。
「三千円。」
それだけ返信しておいた。
「ありがとう助かります!」
すぐにお礼の返信が来た。
娘が小学校入学した直後にくれた手紙。
名札にはお友達の名前まで。
だが、途中で転校してしまうハメに。
娘が小学校6年のとき、とあるきっかけでそれから3年間は絶縁状態だった。
中学時代はまったく交流がなく、娘が高校に入ってようやく会話ができた。
それでも息子のように、うちに遊びに来ることはなく、
盆や正月など元妻が実家に戻ったとき、うちに来る息子を迎えに来たときなど、
年1・2回会って、少し会話を交わすのみだった。
娘が7歳くらいのときに初めてくれた父の日のプレゼント。
お店で自分に合うデザインを選んでくれたとか。
正直、微妙なデザインだし、とんかつまい泉なんて知らないし、
すっかりくたびれていて、襟元はダルダル,脇の辺りは穴が開いているけれど捨てられない。
自分の誕生日や父の日などに、簡単なメールをくれたり、
ちょっとしたプレゼントをくれたりもした。
ギクシャクした関係は終わったと思っているが、
大きくなった娘としっかり会話をしたことがない。
広島へ行ってしまう前に、一度娘に会ってきちんと話がしたい。
娘が9歳くらいのときにくれた手紙。
当時園芸店で働いていたので、仕事中の自分を想像して描いてくれた。
文章の内容に涙が出る。
子どもたちはもちろん、元妻も、この時もしかしたら復縁を望んでいたのかもしれない。
この後、元妻が他の男と交際を始めてしまったので娘の希望は断たれた。
このときもショックだった。
そこで娘が引っ越す前の最後の自分の休み。
11月3日のお昼に会う約束をした。
祝日だったので、間違いなく会社から呼び出しを食らうと判っていたので、
社長に予め事情を話し、その日は絶対に休めるようにした。
案の定、休日出勤出してもらおうと考えていたようだ・・・危ないあぶない。
娘が14歳くらいのときにくれた父の日のプレゼント。
自分が植物好きなのを判ってて、雑貨店で選んでくれたフェイクグリーンのインテリア。
元妻と息子も一緒にと思っていたが、元妻は仕事。
息子も朝から友達の家へ遊びに行ってしまったということで、
娘とふたりきりでランチすることになった。
娘とふたりきりなんて初めて。
おそらく最初で最後になるだろう。
どんな話をしようか?
どうやって訊きたいことを訊き出そうか?
そんなことを色々と考えながら車を走らせる。
娘が10歳のときにくれた父の日の手紙。
“いつもありがとう”ではなく、“たまにありがとう”ってところが皮肉っぽくもあり、
娘らしいユーモアも感じられて実にニクい。
娘の住んでいるマンション前に車を止める。
しばらくして娘が降りて来た。
また一段と元妻に似てきた。
最後に会ったのは今年の正月だったか。
11ヶ月ぶりの再会。
助手席に座ると思ったら、後部座席に乗り込む娘。
慌てて後部座席全体に積んでいた荷物を一方へと寄せる。
お父さんの助手席には座ってくれないか~。
ちょっとだけショックだった。
そういえばこの車に娘が乗るのは初めてだな。
娘が9歳くらいのときにくれた手紙。
けっきょくスペースワールドへは連れて行けなかったな・・・。
特にどこへ行こうと考えていなかった。
近くの気になっていたインド料理店へ行こうとするも、あろうことか道を間違える。
それどころか「今日の夜、友達とカレー屋さんに行く予定。」と言いだす娘。
けっきょく30分近く車を走らせて、今年できたばかりの商業施設へと行き、
そこにある食べ物屋を物色することに。
ぐるっと回ったものの、ピンとくる店がなく。
オープン準備中の店もあり、この施設、まだまだ発展途上なようだ。
「どこでもいいよ。」
そう言いながら、「明日はラーメン屋さんに行く予定。」と言い始める。
さらに「3時には家に帰らなきゃいけない。」とも。
この日、夕方に娘の友達がお別れ会をしてくれる。
そのため、夕方5時には博多駅へ行かなきゃならない。
娘が6歳くらいのとき、初めてくれた折り紙のプレゼント。
これ何だったっけ?
これは迷ってはいられない。
最終的にパンケーキ屋をチョイス。
パンケーキとホットケーキの区別がつかないし、
自分はそんなもの食べる気はない。
だが、パンケーキ、娘が好きそうだし、
表に置いてあるメニューに、がっつり食べられる料理があったのでここにした。
娘はステーキプレートを注文。
パンケーキは頼まないんだな。
自分はアボカドサラダにジャンバラヤチキン、
それとチキンやサラダが一緒になったなんたらカレーを注文。
「え!?ジャンバラヤとカレーですか?」
ギャルソンエプロンを着こなした、がっつり体型のこじゃれた男性店員が訊き返してくる。
なんだよ、ご飯ものふたつ頼むのは不自然か?
チャーハンとラーメン頼むのと変わらんだろう。
娘が広島へ行くと言いだしてから、意識して広島を感じられるものを買っている。
代表的なのは、福岡でも普通に買える、もみじまんじゅう。
料理が届く間、娘とじっくり会話する。
通っている芸能スクールのこと。
高校のこと。
ひとり暮らしのこと。
なぜ福岡じゃなくて広島なのかと。
包み隠さず言葉濁すことなく、娘はきちんと答えてくれた。
やりたい事は まだおぼろげなようだけど、
それでも娘は自分の意思で広島という地を選び、芸能という道を選んだ。
何も反論することができなかった。
いや、反論する必要がなかった。
ただただ娘を応援したい気持ちでいっぱいになった。
広島といえば、お好み焼きも外せない。
鉄板で鉄ベラで食べるのがアツアツで美味いのよ。
「すみません。もう一度おうかがいしますが・・・。」
娘と会話していると、さっきのがっちり体型のギャルソンが飛んでくる。
「ジャンバラヤとカレーですよね?」
注文に間違いがないか、念を押しにやって来たのだ。
ご飯ものふたつ注文、そんなに不思議なことか?
うどんと天丼いっしょに頼むと変わらんだろう?
ご飯×ご飯だからか?
訊きたいことをひととおり訊いた後は、
娘がまだ小さかった頃の思い出話を語る。
娘自身もしっかり覚えているエピソードもあって、笑いがこぼれた。
もう娘とわだかまりはない。
これで何の悔いもなく、笑顔で広島へ送り出すことができる。
会話が弾んでいるところへ料理が届く。
ただのこじゃれたパンケーキの店ではなかった。
ジャンバラヤチキンもカレーも、サラダもなかなか美味い料理だった。
もみじまんじゅう,お好み焼き以外にも、
広島に居たひとなら判る、チチヤスヨーグルトに、母さんの味ますやみそ。
娘はステーキプレートを食べる。
ミディアムのビーフステーキと、少しのサラダ、カリッカリのポテトフライに、
ラグビーボール状に盛られたライス。
それがワンプレートになったもの。
「大丈夫?食べきれる?」
「だいじょうぶ。」
そう答える娘。
娘が小学校3年生くらいだったかな。
地元のカレー店へ行ったときのことを思い出した。
娘はライスだけが半分くらい残って食べ切れなくなり、
それを自分に食べてって差し出したこと。
その話を娘にしたら、「なんそれ!ひどっ!!」
すっかり忘れていたようで、そう言いながら笑う。
だが、「ひどい」と言った舌の根も乾かぬ数分後、
「ごめん食べきれん・・・。」
そう言ってライスだけ残った皿を自分によこす。
おい!
最後に、娘に紙袋を差し出す。
郵便局のATMに置かれてある現金を入れる袋だ。
それが1cmくらいに膨らんだものを差し出した。
「ありがとう!」
そう言ってそれを受け取る娘。
中を開いて苦笑する。
本当は羊羹あたりを仕込んで200万円くらい入っているように見せたかったが、
この封筒にはそんなブ厚いものは入らなかった。
板チョコレートを仕込んでかさ増ししていた。
数十万入っていると思ったか!
推定、元妻の半分以下の年収で、そこまで出せませんて。
ピン札で現金を入れておいたが、
本当はこの表面に指の形で泥汚れっぽく、ココアでも塗っておこうかと思ったけれど、
娘は元ネタなんて知らないだろうから止めておいた。
こうして娘と最初で最後であろう、二人きりの会食が終了した。
娘を送り届け、最後に記念に写真を撮る。
ツーショットは嫌がられるだろうから、娘だけのソロショットで。
「マスク外しちゃらん?」
そう言ったけれど、聞こえていなかったのか、マスクは取ってくれず。
広島へ旅立つ前の、最後の娘の姿をカメラに収めた。
予想よりも早く、そして突然に娘が巣立ってしまった。
ずっと前に離婚していて、元々一緒に暮らしてはいない。
それでも同じ福岡に居て、いつでも会えると思っていた。
こんな唐突に別れが訪れるなんて、まったく身構えていなかった。
しかし自分も高校を卒業してすぐに広島へと就職して行った。
それが娘は数ヶ月早いだけなんだよなあ。
子どもの成長は早い。
娘も立派な大人になろうとしている。
時が経つのは早い。
あと10年もすれば、早ければ5年もすれば・・・。
自分もおじいちゃんになってしまう可能性も。
アっと言う間に老いてしまう。
そんなことを考えると、一日いちにちをもっと大事に過ごさなきゃいけない。
そう思うようになってきた。
しかしうちの家系は広島に縁があるようだ。
自分は高校卒業後に広島へ就職したが、
うちのお母んも中学卒業後、集団就職で長崎から広島へと就職して行った。
そして今回、娘が広島の芸能スクールへ行くことになった。
三代続くこの縁は何じゃろ?
「広島へ行ったら、せんじ肉送ってね。」
そう娘に伝えていた。
せんじ肉とは、豚のホルモンを素揚げして乾燥させ、
それに塩をまぶしただけの、広島のソウルフード。
“せんじがら”とも呼ばれ、居酒屋などで供される。
だが、一番うまいのは、精肉店の軒先なんかで売られてるやつ。
スーパーやコンビニで売られているせんじ肉。
これはこれで美味しいけれど、やっぱり広島の精肉店なんかで売られてるのが格別。
最近じゃ福岡でも、コンビニやスーパーの珍味コーナーで、
ビーフジャーキーやサラミに混ざってせんじ肉が売られているが、あれはダメ。
やっぱビニール袋にどさっと入れられた、精肉店で作られたやつがワイルドで美味い!
あれは福岡じゃ手に入らない。
それを送ってくれと頼んでいるが・・・まあ落ち着くまでは無理じゃろうな。
娘が父を超える日も近い。
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