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Aimer, ce n'est pas se regarder ...

タイトルの精神の下
いや,なんとなく書いてます

JR信号トラブル

2005-05-25 17:46:19 | Weblog
本当はカープの前田とか書きたいのですが今日はこれで頭がいっぱいです。

今日午前5時30分ごろ横浜駅構内にて信号トラブルが発生し横須賀線、東海道線がしばらく運転を見合わせました。
7時ごろ駅に着きましたがまだ、止まっていてホームは人でいっぱいでした。
技術的なことはよくわからないので、信号機で何で1時間以上かかるのかなんて野暮なことはいいません。

湘南新宿ラインの電車に乗ったら、もう車内もホームも人がいっぱいいるのに車内アナウンスで「この列車は回送になります」と、さすがの手際のよさ。
ここでの私の感想はいかにも素人のもので「これ普通の東海道線にして速度落としてでも、普通に運転したほうが良いのに、他の私鉄だったらこんなに時間かからないし、JR西だったらそのまま無視して運転するだろうに(不謹慎)」

その後駅間にいた電車が代わりにホームに。「この電車は当駅を出ますと、貨物線を通って次は品川に停車します。」


すばらしい電車じゃないかJR君
つまり横浜には止まらないわけですが、2-3回言わないと理解できない客もいるようで、何回かアナウンスがあってから慌てて下りるバカお客もいました。
これなら早く着けると思ったので、乗っていたらいつまでたっても発車しない。
アナウンス:「この列車の発車時刻はまだ決まっておりません」

先にそれを言え
しばらくすると、「8時15分頃の発車となります」
ところが15分になっても発車せず。
「ただいま信号を変える手続きを取ってます。変わり次第の発車となりますので車内にてお待ちください」

普通は、そういう手続きが済みそうな時間も考えて、発車予定を決めそうなんだがどうだろうか?
結局、その後20分ほど待たされました。その間
「ご乗車できないお客様もおられるので、いま一歩中ほどにお詰めください」
もう詰めようがないから乗れないんじゃないのか?

そのあと電車は品川につきました。途中戸塚の駅などで駅の外まで人があふれているのを見ました。
救いは品川についてから乗った山手線になっちゃんのコンタクトの広告が貼ってあったことです。まあこれで良しとします。授業には間に合いませんでしたが。

安全のため時間がかかるのは大いに結構です。でも私が望むのはその後の計画を立てられるような正確な情報です。私ののぞみはそれ(となっちゃんの広告)だけです。
品川につくときも京浜東北線が遅れている情報は入ってこなかった...見込みでも言ってくれればもう少し対処のしようもあったのに...

鳩対策

2005-05-14 14:07:08 | Weblog
電線のはとが迷惑なので、追い払う方法を考えました。

電線のそばにアース線を張ると鳩感電。

残酷だとみんなに怒られました。


今週は事情によりまったく更新していないのになぜか昨日32件もアクセスが...?

鳩が増えたのは、電車で集めた雑誌を売っているおばさんが昼にえさをやっているからと判明しました。

床屋にて

2005-05-09 18:48:35 | Weblog
昨日髪をばっさり切りました。
なんか、登録してある住所の情報が、法改正により本人の承諾が必要になるらしくA4の紙一枚の書類に署名しました。住所や、髪質くらいもれてもいいやと思ったのであっさりと署名。
そうしたら次のお客が、拒否してました。「法律で認められている権利を放棄する書類に署名させるとは何事だ」と、つまりもし情報が漏れたときお客が訴えた場合に、お店が情報をもつ承認を得ていた証拠のための書類なので、告訴する権利をわざわざ放り出したくないのだそうです。
まあ、頭の切れる人(床屋だけに)もいるものだと感心しました。用心深いともいいますね。横で盗み聞きしていただけなので詳しくわかりませんが...
口調が少しきつかったので、応対していた店員さんの声が半分キレ気味に聞こえました。

帰りがけに、プロ野球クイズをやっているのでどうぞといわれました。
順位予想でした。
パリーグは順位表から単純にロッテと書きました。
セリーグは、これはポリシーなので今の順位とは関係なく広島カープと書きました。
カープは私にとって宗教のようなものなので...

今週の続き物の最後

2005-05-07 19:25:51 | Weblog
今週続き物で教育について書いてきたわけですが、もう疲れたので今日でお開きです。

学歴社会が崩壊し始め(少なくともそういう雰囲気にはなっている。まだ就職にはコネがききますが。)
よりいっそう勉強する意味を見出しにくい状況にあります。
しかも教師も信頼されていません。
で学力低下が叫ばれています。

こう言うひとがいます。「学力が1位じゃなくても良い」と

多分そういうレベルではないのです。産業立国を仮にも国是とするなら憂慮するべきです。
競争って激しいですよ。
「世界一の経済大国でなくて良い」とかおっしゃいますが、
世界何位なんてコントロールできるもんじゃないですよ。
基本的な能力が低ければ産業の競争なんかあっさり負けますよ。
心を大切になんていいますが、経済悪化すれば治安悪くなりますよいまの日本だったら。
何でも詰め込めといってるわけじゃなくて、最低限の知識を教えてあげましょうよ。
月の満ち欠けやんないんだそうですよ、理解するか否かともかくせめて、やるべきだと思います。
できる子には十分な知識を、できない子はそれなりにやれば良いと思うんですよ。
何でもかんでも低いレベルに合わせれば良いってもんじゃないです。

ただ学歴で生涯が決まるって言うのはよくないと思います。
理想としてはチャンスが平等にある社会です。
そして何度でもやり直せるような社会になれば、ってえらい抽象的になりましたが、
経歴にかかわり無くやる気があればチャンスのある社会です。
こうなれば大人になってから教養をつけようって人は出てくるのではないでしょうか?
まあ、つまり雇用の流動性です。
極論を言えば犯罪者でも罪を償えば差別されるべきではないということです。(いまさら言うと奇妙ですね)
●草先生も教授に復帰できるそんな社会。
●賀元議員もまた議員になれるようなそんな社会。

そのためには、法で定めた責任を果たさせるようにしなければなりません。
だから少年法やら、裁判官の趣味やら判例に引きずられるような情状酌量には反対です。って違う話になりました。

すみません。
絶望した!
身長伸ばしてきます。

突然のメール

2005-05-06 20:04:54 | Weblog
をさせていただきました。っていうメールが着てたので
なんだ、と思って読んでみると 出会い系サイトの登録だった。
さすがにメールできているのは気持ち悪いので見なかった。
どうやって数字のアドレスから男だってわかったのか?

気持ち悪いので、学校で開いているホームページを閉じようか悩み中

昨日の続き4

2005-05-06 18:48:04 | Weblog
連休は終わってしまいましたが、続きます。
学校の本来の役目、つまり勉強を各論でかきます。今日は特にわからない領域なのでトーンダウンします。あくまでただの意見です。
基本的な発想は、「超勉強法」(野口悠紀夫著)です。

国語
とりあえず漢字の読み書きと作文力をつけていただきたい。読解力は生徒が本を多く読むようにすれば良いと思います。論理的に考える際のまさに基礎となる部分が読解力と、作文能力だと思います。読んでいて気持ちのよいものでなく、相手に伝えるための構想力をつけるためにも文を書かせたほうが良いと感じます。
子供に日経でも読ませたらどうでしょう。

算数
完全に理解しなくても良いからまず使わせてみましょう、計算。そのうちなんとなく判るようになります。文章問題は落ち着いて考えれば、たいがいわかるはずです。計算力というよりは読解力の問題です。
円周率を3にしてもあまりゆとりにはならないと思います。

数学
式を立てるときは落ち着いて、ミスをしないように1ステップずつ解けば受験問題程度の問題は大体解けるはずです。難しい問題は解答をみてとき方を覚えると良いです。大体過去の先賢たちが時間かけて発展させてきた内容をいきなり解けというほうが無理です。解き方を覚えるというのが学ぶことだと思います。あと基礎的な公式を暗記するのを疎ましく思ってはいけません。特殊関数の微分なんかは覚えていないと無理です。

歴史
これはいろいろ国際問題になっていますが、確実に確認できる事実をつなげたものを教える程度で良いと思います。以前も書きましたが、加害(程度はどうあれ)者である(あった)という事実自体を知らないのはさすがにまずいでしょう。話を興味深くするために叙事詩みたいなものみなってしまったらそれはそれで学問ではなくなりますが...
以上は教える側、学ぶ側は歴史小説でも漫画でも良いから読んでみたらどうでしょう、固定観念がつくとまずいですが興味を持つきっかけにはなります。「ローマ人の物語」なんかはお勧めです。テストには出ませんが...

地理
ある程度の暗記はしょうがないと思いましょう。最近暗記=悪みたいな風潮はなんなんでしょう。

政経(公民)
これは制度がバンバン変わるとやる気が落ちますが、まあ何が問題でどう変わるのかなんて考えれば面白くなるんではないでしょうか?私はあまり好きではありませんでした。部活の顧問が政経の先生でした。

物理
興味が無い人には苦痛以外の何者でもないでしょうが、数式を見ても動じない心を持ちましょう。ポテンシャルやら想像しにくい概念は納得の行くまで考えるほかありません。数学と一緒でとりあえず解いてみて答えを見比べて理解するほうが良いかもしれません。少し難しいですが「ファインマン物理学」なんかお勧めです。普通の中学生には無理でしょうが、高校生はわからない式は適当に飛ばしていれば1巻と2間くらいは理解できそうだと思います。

化学
これも暗記を我慢しましょう。計算問題は落ち着いてやれとしかいえません。人間やれば覚えられるものです。

英語
いっぱい読みましょう。あとつづりは文章を書かないと覚えられません。書いても間違えます。
できない場合は、「これからは中国だ」とか言って中国語やるのもよいでしょう。
イタリア語も面白いですよ


これだけのことをそれに専念して勉強できるのは学生のうちだけです。
世間から役に立たないといわれることを学べるのも学生のうちだけです。
たとえやったことを忘れてもやれば思い出せるのです。

さらに昨日の続き

2005-05-05 18:45:48 | Weblog
続き物を書こうとしたのは良いのですが他のことが書けません。
それはともかく、教育の話今日は、教育を受ける側の心がまえというかなんで教育を受けるのか?ですが

それは、「だまされないようにするため」だと思います。
情報を取捨選択する能力です。

政治、経済、宗教といろいろな相手に対してです。
普段私たちは経験的な知識でやはり判断しているように思えますが、
基本的な知識というのは重要です。

以前書いたような「フォトンベルト」なんていうのも高校程度の物理の知識があれば引っかかりようもありません。
普通に四則演算ができれば、マルチ商法になんて本来ひっかからなさそうなもんです。あれは、(頭のよさそうな人がいう計算が自分にできるはずは無い、きっと本当なのだろう)という思い込みのせいで引っかかるのだと思います。

もちろん、本格的に教育(学歴ではなくて)を武器にするには高等教育を受けるに越したことはありません。小中学校でやるようなことは社会に役に立たないという人が多くそれは事実ですが、社会で役に立つような侮機(知識)を得るための道具を学んでいるのです。

たしかに、歌手とか、スポーツ選手とか、そういう仕事で、義務教育で学んだ内容を使うことは無いでしょうが、結局そういう人たちも社会の中で暮らしているのであって、税金も払えば、選挙にも行くし、変な新興宗教にはまったりもすれば、わけのわからない環境グッズを売りつけられたり、訴えられたり、あるいは単純に常識を知らなくて恥をかくかもしれません。

勉強なんかしなくても生きては行けます。テストで高得点を取らなきゃだめだなんていう気は毛頭ありません。それでも、あまりに常識から外れたことに立ち会ったとき”疑う”ことができるというのは大事です。また、事件や争いが発生したときそれを解決するのに必要な知識を得なければならないこともあるでしょう。そういうときに役立つのが基礎教育の内容です。

全部暗記する必要はありません。それに関係する資料をみて大雑把な理解ができる程度の知識が残っていれば大丈夫です。一回自分で理解しようとして考え抜いたものは、後になっても少しの苦労で思い出すことができます。

勉強がすべてだとは言いません、勉強を放棄してはならないのだと思います。

なんか話がまとまってませんが、今日はここまで

昨日の教育の話の続き 閉鎖性について

2005-05-04 19:39:23 | Weblog
さて、昨日勢いで教育を2種類に分けたわけですが、さらにもう二つほど付け加えます。

・生きる術、つまり自力で生きてゆく力
・世の中の制度、たとえば信号の見方とか

これらはどちらかというと、子供が周りの人間を見てかってに学んでゆく性質のものです。
で、繰り返し主張すると、教師が教えるべきなのは、これらのうち、学問的なものだけである。

ほかは学校に求めるべきではないと思います。道徳教育というのもありますが、あんなものあまり効果は無いでしょう。大体何をやっていたか覚えていません。モラルやルールは社会経験を通して学ぶほかはありません。ちょっと想像すればわかると思いますが逆に人格者の先生に影響されすぎるほうが怖いと思います。

つまり子供に道徳心やらを植え付けたいのであれば、町に行かせましょう。
周りの大人がしっかりしましょう。

モラル教育の一番の問題としては、子供のいる環境の閉鎖性だと思います。
もっと学校を開放的にするのはどうでしょうか?安全面の問題がありますが、もう仕事をリタイヤした人とか、地域の学生さんやらがクラブ活動をバックアップしたり(格安で)、悩みを聞いたりできない子の勉強を見てあげたりするのはどうでしょう。あるいは放課後の教室を地域のサークルに積極的に貸したり。
こうすれば、子供たちもいろんな人がいることを知ることができるし、先生とあわない子でもそういう人がいれば頼りになるだろうし。クラブ活動なんかそういう有志の人に任せれば、先生も他の仕事に集中できそうなものなのですがいかがでしょう。まあ問題がおきたときの責任の所在でもめるのは目に見えていますが。

教員自体の任用の仕方にも多少問題があると思います。
今の制度では教員免許を持ってないと先生になれません。免許制自体はいいと思いますが、その取得にはなぜか大学の教職課程の単位が必要になります。大学は基本的に優秀な先生を養成する機関ではありません。最先端の研究者が、その関連分野の講義を行い学生が勝手に学んでゆく場です。教育学部も、先生のプロがいるのではなくて教育学の権威が集まっているだけです。
単位をとるために、教育について学生が考えるという点ではいいと思いますが、特にその授業を受けたからといって教育者の質が高まるようなことはありません。
教職課程を受講している知り合いが数人いますが、「有為の若者を育てたい」というよりは、「先生にあこがれている」という人のほうが多いと思います。大学という限られた機関で時間を割いて授業を受けた人だけに資格を与えるよりも、「有為の若者を育てる」といった志のある人にも教員へのチャンスを与えるべきです。大体2~3週間の教育実習だけで、どうなるとも思えません。「良い思い出になった」なんて人が時々いますが、思い出の為に授業をされた身にもなりましょう。教師の実地の能力は採用されてから培われるものだと思います。だから、授業のための学問の知識と、教育法規の知識を試験して合格したら、教員採用に応募できるように(つまり免許を与える)してみてはどうでしょう。試しにとってみて、正規の教員の補佐をさせてから正式に雇うようにすれば良いのではないでしょうか?
そういう風にしていろいろな経歴の人が先生にいたほうが、生徒のためにもなると思います。

学校というのは、改めて考えると産業の発展のために、基礎的な知識を若者に与える場です。特定の思想(愛国心も例外ではありません)を植え込む場所ではありません。
この観点から私は、国旗・国歌を強制したり、特定の民族のための教育をする学校に公費で助成したり、社会科教師の趣味で他国に修学旅行に行って生徒に謝らせたり(この生徒が侵略したわけではないのに)、授業とは関係の無い映画を見せたり、宗教行為を教育の一環として行ったり、するような一切の押し付けには反対です。幸い(と思ってますが)私はこういう押し付けには遭いませんでした(高校選びは少し押し付けられたような気がしないでもありませんが)。

これだけ学校は学科の教育に専念しろという趣旨の意見を書いておいてなんですが、倫理的なものについて考えさせる材料を子供に与える程度の道徳教育はしないよりはしたほうが良いかなと思っています。