・・・・・1832(天保3)年称名寺の住職と檀家の協力により、箱館山に観音を配置する事になる。 翌年3月大阪の大津屋は栄徳丸の新造祝いとして、小豆島の花崗岩で彫られた石像を、航海の安全とを祈願して無料で運搬しだ。 1834年にかけて全山(観音山~鞍掛山)に配置する。 各観音の土台に西国の基寺の土を埋めたことから移土観音と呼ばれ、北海道にありながら西国三十三観音と名付けられた。 以上自然ガイド函館山より・・・・・・・
この三十三観音の全ての石像横に西国の基寺を詠んだ詩が案内板に記されている。 これらは西国の郷土と重なり、観音像に手を合わせるたびに、異国の地で、涙した市民も多かったのでないだろうか。 それだけ信仰心が篤かったことになる。・・・・・ 当時の観音巡りは、旧暦4月8日を休日として山開きを行い、市民は「新芽のヨモギの風呂敷餅・繋ぎ栗・紅蓮」を弁当代わりに背負って登った。 又この日は薬師堂のお参りも行われ、人々は山道に行列をつくったとの記録が残されている。 ・・・・・ この時代の思いが伝わってくるような思いがする。誰にでもある、どうにもならない思いを観音様に伝えるだけで安らぎを覚えたのではないだろうか。 なお観音様を拝む時は立ったまま手を合わせるのでは無く、しゃがんで低い位置から手を合わせ見上げると観音様のお顔が微笑んで視えるそうである。 腹黒い人には視えないかもしれませんが、一度自分を試してみては如何でしょうか。
,11-12-02-~,11-12-06- この日は雪が積もっていたので足場を踏み固め、小屋根の雪を払いのけての撮影であった。 この案内板を建ててた人、また書いた人はどんな方なのか、興味が湧いてくる。 12月6日今朝がたも大分冷え込んできていた。
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