勘定所 かんじょうしょ 『日本大百科全書』(JapanKnowledge) 江戸幕府の役所。勘定奉行(ぶぎょう)を長官とし、天領支配と貢租徴収、財政事務、天領と関八州の大名領・旗本領の訴訟を管掌した。江戸城本丸殿中の御殿勘定所、大手門横の下(しも)勘定所に分かれる。職員は勘定組頭、勘定、支配勘定などで、最初は御殿詰・上方(かみがた)・関東方に分かれていたが・・・・ . . . 本文を読む
はじめに 「高橋三平」「近藤重蔵」登場の背景 幕府の蝦夷地調査 (「函館市史』通説編第1巻p419-420より) 幕府では、ロシア人の北方諸島進出の確認、たび重なる蝦夷地近海の外国船の出没や、あるいは国後・目梨のアイヌ騒動など、まさに物情騒然たるなかにあって、もはやこれをこのまま看過することはできなかった . . . 本文を読む
檍丸の傳は新舊の人名事典の何れにも出てゐない。その傳としては、岡本柳之助著北海道史稿に出てゐるものであって、これがいつも引合いに出されることになってゐる。但し岡本氏は何に拠ってその傳を立てたのか、その點が更に分からなかったが、先年伊勢の松木時彦翁から、中西弘縄著神部名人略傳といふものの「村上島之丞」の一章をわざわざ手寫して寄せらえたのに據ると、伊勢新聞明治25(1892)年5月8日の發行の号に・・・・・ . . . 本文を読む
戦前や戦時中の昭和天皇の発言をひも解いて驚愕するのは、もし同じ発言を一般国民がすれば‹政治犯として投獄される›レベルの言葉をずっと言い続けていたこと。仮に僕があの時代に生きて同様の言葉をいえば、憲兵が飛んできて治安維持法違反でしょっぴかれ、右派からは「国賊」「売国奴」のレッテルを張られ、家族まで猛攻撃されるだろうということ。 . . . 本文を読む
(1) 故村上島之亟 「函館市功労者小伝」より 本性秦、名は檍丸初め伊勢の浪士なろ、後幕府に仕ふ。地理学に通じ、地図を善くし、国学を修め、和歌を詠ず。一に志摩之允と云ふ。一日三十里を歩す。松平定信之を奇とし、召して幕府に仕へしむ。 . . . 本文を読む
1 [地名「箱館」について]の訂正(訂正済み)と補遺
ニ 市川十郎
市川十郎 いちかわ-じゅうろう 出典:フリー百科辞典(Wikipedia) 嘉永3年(1850年)、父を補佐して松前藩福山城の築城に参加、その後幕命で蝦夷地(現在の北海道、樺太(サハリン)等)を実地調査し鎌倉時代の僧日持の足跡などをたどる。・・・・・
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[地名「箱館」について]の訂正(訂正済み)と補遺 イ河野通信 奥州平泉に流された人。 大山祇神社所蔵の紺糸威大鎧(国宝)。通信所用の伝来が付く。 治承4年(1180年)8月に源頼朝が反平氏の兵を挙げると、それに呼応し治承5年(1181年)に父・通清と共に本拠の伊予国風早郡高縄山城(現在の愛媛県松山市)に拠って平維盛の目代を追放した。しかし伊予内外の平氏方の総攻撃を受け、通清は同城で討ち死にした . . . 本文を読む
Ⅲ・1・2『新羅之記録」 次に、「新羅之記録」のコシャマインの戦いの記述をみてみる(数字は引用者)(9)。 ① 内海之宇須岸被攻破夷賊事者、有志濃里之鍛冶屋村家数百、康正2年春乙孩来而、令打鍛冶於い刀処、乙孩与鍛冶論刀之善悪価而、鍛冶取刀突殺乙孩、依之夷狄悉蜂起而、自康正ニ年夏迪大永五年春、破東西数十日程中住所村々里々、殺者某事、起元於志濃里之鍛冶屋村也、活残人集住皆松前与天河(中略) . . . 本文を読む
5コシャマインの戦いに関する『新羅之記録』の史料的検討コシャマインの戦いとは、康正3年(1457)に、蝦夷地(現、北海道)南部の渡島半島で勃発した史料上最初に確認される和人とアイヌ民族との戦いである。この戦いに勝利した蠣崎氏(近世の松前氏)は、他の和人勢力を支配下に置くことになる。それほど重要な戦いではあるが、それを伝える史料は近世に成立した『新羅之記録』のみである。今までの研究は同書に信頼を寄せて為されてきた。 . . . 本文を読む
1 「新羅之記録」概説
新羅之記録の正式名称居=神武天皇正統十五世の孫・応神天皇八幡大菩薩政党十八之孫・人王五十六代惟仁親王七代之苗裔、新羅三郎刑部丞陸奥守義光朝臣正統十五代後胤・当家之元祖信広朝臣以来代々年譜並二名誉奇特之記(*苗裔(びょうえい)「デジタル大辞泉」遠い子孫。*惟人親王(これひとしんのう)は清和天皇の名)、最初の松前氏の現存最古の記録家譜。 . . . 本文を読む
◎「箱館夜話草」概説(安政4[1856]) 淡齋如水著(本名蛯子吉蔵、通称亀屋吉郎右衛門)(『函館市史』史料編第一巻p449) 此処はむかし河野加賀守政通の館の旧跡にして箱館と云ふはこれによるよしいい云ふ。永正8(1511)年4月18日、東蝦夷地の夷人等ことごとく蜂起して、ウスが嶽の館をはじめとして志苔の館、与倉前の館に至るまで、みな蝦夷人のために襲われてせめ落さる。 . . . 本文を読む