(1) 故村上島之亟 「函館市功労者小伝」より 本性秦、名は檍丸初め伊勢の浪士なろ、後幕府に仕ふ。地理学に通じ、地図を善くし、国学を修め、和歌を詠ず。一に志摩之允と云ふ。一日三十里を歩す。松平定信之を奇とし、召して幕府に仕へしむ。 . . . 本文を読む
1 [地名「箱館」について]の訂正(訂正済み)と補遺
ニ 市川十郎
市川十郎 いちかわ-じゅうろう 出典:フリー百科辞典(Wikipedia) 嘉永3年(1850年)、父を補佐して松前藩福山城の築城に参加、その後幕命で蝦夷地(現在の北海道、樺太(サハリン)等)を実地調査し鎌倉時代の僧日持の足跡などをたどる。・・・・・
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[地名「箱館」について]の訂正(訂正済み)と補遺 イ河野通信 奥州平泉に流された人。 大山祇神社所蔵の紺糸威大鎧(国宝)。通信所用の伝来が付く。 治承4年(1180年)8月に源頼朝が反平氏の兵を挙げると、それに呼応し治承5年(1181年)に父・通清と共に本拠の伊予国風早郡高縄山城(現在の愛媛県松山市)に拠って平維盛の目代を追放した。しかし伊予内外の平氏方の総攻撃を受け、通清は同城で討ち死にした . . . 本文を読む