「感情のコントロール シリーズ4「感情に大切な考え方」
ある方が自転車に乗っていましたが、車にはねられた。と言う話を聞いたときに、
大方ははねられた方に対する同情を感じ、車の運転手に対して怒りを感じる人もいます。
また、運転手に同情し、車にはねられた人に対して怒りを感じる人もいることでしょう。
同じ事を聞いても、まったく感じ方が違うのです。
カウンセリングセミナーの中で、「少女が笑っていると言う場面をイメージしてみてください」といって
目を閉じてしばらくイメージしてもらいます。
そうすると、「3歳くらいの女の子が草原でブランコ乗りながらニコニコ笑っている」とか、
「白いワンピースを着て、麦わら帽子の女の子が友達と楽しそうに遊びながら笑っている」とか、
「アルプスの少女ハイジのようにニコニコしている」などと同じイメージをする人いますが、
大半の人々は、ひとり一人まったく違うイメージをしています。
感じ方であり、イメージはすべて「考え方」に影響を与えています。
感情は考え方や「信念」から生まれます。
つまり、過去のあった楽しいシーンと楽しくない場面をイメージすると、
楽しい場面を思い描くと快適な感情が生まれ、楽しくない場面を思い描くと不快な感情が生まれるのです。
つまり、感情は考え方の選択によって決まります。
たとえば、相手を喜ばせなければならないと考える人は、それがうまくいかないと不安や罪悪感を感じたり、
自分や相手に怒りを感じてしまうことでしょう。
相手を喜ばせることが自分の人生の生きがいなっているからです。
ですから、相手が喜ばないと、「せっかく、わたしがしたのに喜ばなかった。
あんたことをしなければ良かった」と言うように後悔します。
私がしたことが相手のためにならなかった。自分がダメ人間というところまで発展してしまうからです。
論理療法の創始者であり、心理学者のアルバート・エリス博士はこのような思考は「不合理な信念」の表れと言っています。
この信念は現実にはありえない不合理な考えだからです。
いつでもすべての人を喜ばせることができる人はいないからです。
相手が喜ばないからといって「自分はダメ人間」と決め付けることはないのです。
カウンセリングに来られる方々はこのように無意識のうちに「不合理な信念」であり、
「不合理な思考」によって人間関係にさまざまな問題が引き起こされているのです。
どうしても「相手を喜ばすべき」「相手を喜ばさなければならない」という「べき」「~しなければならない」という、
「べき思考」が、不快な感情を生み出すもととなっています。
このように、不合理な考えは幼児期の体験からきています。
子どもの頃は自分で選択し判断することができない中で両親であり養育者が大きく影響しています。
高い基準をもっている両親に必死に合わせようと努力します。
何事も完全にしようと言う要求がそこにありそこの要求にこたえようとすることにより、完璧主義が身についてしまうのです。
しかし、このように幼児期に自分が選んだとしても、新たに選択しなおすことができるのです。
その秘訣は次回にお伝えさせていただきます。(つづく・・・・・)
ある方が自転車に乗っていましたが、車にはねられた。と言う話を聞いたときに、
大方ははねられた方に対する同情を感じ、車の運転手に対して怒りを感じる人もいます。
また、運転手に同情し、車にはねられた人に対して怒りを感じる人もいることでしょう。
同じ事を聞いても、まったく感じ方が違うのです。
カウンセリングセミナーの中で、「少女が笑っていると言う場面をイメージしてみてください」といって
目を閉じてしばらくイメージしてもらいます。
そうすると、「3歳くらいの女の子が草原でブランコ乗りながらニコニコ笑っている」とか、
「白いワンピースを着て、麦わら帽子の女の子が友達と楽しそうに遊びながら笑っている」とか、
「アルプスの少女ハイジのようにニコニコしている」などと同じイメージをする人いますが、
大半の人々は、ひとり一人まったく違うイメージをしています。
感じ方であり、イメージはすべて「考え方」に影響を与えています。
感情は考え方や「信念」から生まれます。
つまり、過去のあった楽しいシーンと楽しくない場面をイメージすると、
楽しい場面を思い描くと快適な感情が生まれ、楽しくない場面を思い描くと不快な感情が生まれるのです。
つまり、感情は考え方の選択によって決まります。
たとえば、相手を喜ばせなければならないと考える人は、それがうまくいかないと不安や罪悪感を感じたり、
自分や相手に怒りを感じてしまうことでしょう。
相手を喜ばせることが自分の人生の生きがいなっているからです。
ですから、相手が喜ばないと、「せっかく、わたしがしたのに喜ばなかった。
あんたことをしなければ良かった」と言うように後悔します。
私がしたことが相手のためにならなかった。自分がダメ人間というところまで発展してしまうからです。
論理療法の創始者であり、心理学者のアルバート・エリス博士はこのような思考は「不合理な信念」の表れと言っています。
この信念は現実にはありえない不合理な考えだからです。
いつでもすべての人を喜ばせることができる人はいないからです。
相手が喜ばないからといって「自分はダメ人間」と決め付けることはないのです。
カウンセリングに来られる方々はこのように無意識のうちに「不合理な信念」であり、
「不合理な思考」によって人間関係にさまざまな問題が引き起こされているのです。
どうしても「相手を喜ばすべき」「相手を喜ばさなければならない」という「べき」「~しなければならない」という、
「べき思考」が、不快な感情を生み出すもととなっています。
このように、不合理な考えは幼児期の体験からきています。
子どもの頃は自分で選択し判断することができない中で両親であり養育者が大きく影響しています。
高い基準をもっている両親に必死に合わせようと努力します。
何事も完全にしようと言う要求がそこにありそこの要求にこたえようとすることにより、完璧主義が身についてしまうのです。
しかし、このように幼児期に自分が選んだとしても、新たに選択しなおすことができるのです。
その秘訣は次回にお伝えさせていただきます。(つづく・・・・・)