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お盆 敗戦の日

2021-08-15 20:01:07 | 政治
お盆 敗戦の日
  今日はお盆であり、日本が太平洋戦争に敗戦した日です。巷では終戦記念日と言われていますが、これはまやかしできれい事です。戦争に負けてどれだけ悲惨だったか、かりにも記念日と言えるものでは有りません。日本国内の大都会は焼け野原、住む家も無く食べ物も無かった。
  私の家族は大阪市内の13日の大空襲を見て、急ぎ市内から郡部に疎開したので災いから逃れましたが、戦後、親に連れられ市内の家のあとに行きましたら、辺り一面焼け野原。空襲で、もし私の家の防空壕に逃げ込んでいたら、焼夷弾の熱と酸欠で、命は無かったでしょう。
   私が疎開した先は、実は産業経済新聞社の山の家で、敷地内には竹藪が3山、栗林が1面、畑が4面、その間に池が3っありました。春には筍掘り、秋の台風 が過ぎた後は栗拾いをやりました。芋掘りや野菜の収穫は半分強制で手伝わされましたが、今では楽しい思い出になっております。
  終戦直後には都会から遠い田舎の私の家まで少しの伝手を頼って多くのお客さんが来訪されました。その度に私の飼っている(正確には飼育の世話を命じられている)ニワトリやウサ ギが1匹ずつ減って行くのです。来客を歓待するために、すき焼きをするのですが、その肉になりました。もっとも私もお相伴しましたが。
  そして 帰りには唐草模様の大きな風呂敷にサツマイモを一杯詰めてお土産にしました。帰りがけに両親がいつも言う言葉を憶えておりますが「この次は遠慮せずにリュックサックを持ってきて下さいね」。お土産は芋が主で筍や野菜になりますが田圃が無かったのでお米が穫れなかったのです。お米は近くの農家から分けて貰うことになりますが十分でなく、来客用が主で、私たちの常食はサツマイモや畑で穫れた小麦の粉やマッカーサーの配給の脱脂小麦粉(メリケン粉)で作った「だんご汁」でした。ですから私はイモで育ったといつも言っております。戦中戦後の記憶は、まだまだ有りますが、戦争は負けたらあきません戦争は勝たねば!!


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