えーあらい

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ビバモール寝屋川

2017-08-10 16:09:09 | 暮らし
ビバモール寝屋川
  台風5号が通り過ぎた翌日は朝から通院し、台風襲来日に行く予定の病院に昼食後出掛けました。これでお盆前の通院は全て終わりました。その翌日はお墓参り、お墓掃除に行ってきました。枝刈り、草むしり、墓石磨き、で汗びっしょりになりました。
  お墓に到着する手前にT字型の交差点があり、以前から右折信号待ちの車が長い列をつくるのを知っていましたが、お盆前と年末の、年に2回通るだけで、長い間気にしなかったのです。今回、気になったので、この道を右折すれば何があるのだろう、とGoogle地図で調べたら、ビバモール寝屋川と言う大きなショッピングモールが現れました。そして大きな駐車場。1戸建ての住宅群。その先には、第2京阪道路の 寝屋川北 出入口がありました。そして第2京阪道路の下を潜ると寝屋川公園がありました。
  そうです、この寝屋川公園こそは、私が子供の頃、大阪市内から親に連れられ疎開した、産業経済新聞社の山の家、そのものです。家の在ったところは第2京阪道路が走り、竹藪が3つ、栗林が1つ、池が2つ、畑が3つ、全てが公園やテニスコートに変わっていました。当時は山林地帯で、私はわら草履を履いて樫の枝を削った刀を腰に差し、山野を駆け巡っていました。夏は池で泳ぎ、畑で野球し、台風が去ったあとは栗拾い、芋掘り筍掘りを手伝いました。そして家には、犬、猫、兎、鶏が居ました、兎と鶏の餌がかりは私。その山林地帯でも山の向こうには射的場があり、立ち入り禁止の看板が立って、ここだけは這入れなかった。その立ち入り禁止の山林が「ビバモール寝屋川」に変わっていたのです。寝屋には牧場も在って、馬に乗せて貰った。鞍の無い馬を走らせて落ちそうになって叱られた事もあった。家に電気が無くて夜はランプ生活でした。ランプのホヤ磨きと灯油の購入は私の仕事で守口のガソリンスタンドまで1斗缶(18リットル)を自転車に積んで買いに行ったものです。そんなわけで、この土地は国民学校1年生から小学校4年生までを過ごした思い出の地なのです。お墓は、その山野を見渡せる場所、寝屋川市公園墓地にあります。寝屋川町は寝屋川市になった時、人口3万人の田園都市と言われました。それが今や23万6千人。


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