先日、「立花隆の本棚」という本を購入。立花隆の仕事部屋に置かれた、膨大な量の書物の写真と、立花へのインタビューで構成されている。蔵書のジャンルが幅広い。文学、思想、歴史、民俗、数学、物理、宇宙、サル学、美術、宗教、政治、エネルギー関連などなど。春画もあった。語学の入門書も。写真を眺めているだけでも、刺激的である。
インタビューによると、蔵書は約10万冊だという。最後まで読み通した本は、いったいどのくらいあるのだろう?おそらく、拾い読み・飛ばし読みした本も沢山あるはずだ。そんな断片的な読書も、もちろん読書のうちである。むしろ断片的読書の威力、という事を考えたりした。
ところで立花隆は、読書ノートは作っていたのだろうか?あれだけ膨大な量の蔵書だと、ノートを書きながら読書するのは難しいだろう。わたしの場合は、手書きで読書の抜書き帳を作る。時間がかかるので、多読は難しい。精読するのか、多読するのか。難しいモンダイである。
吉本隆明は生前、沢山の読書ノートを作っていたそうである。手書きでコツコツ書いていたに違いない。吉本の書斎の写真を見たことがあるが、立花隆よりもはるかに少ない蔵書だった。(それでも一般の人よりは多いだろうが)。「精読」の人だったのだろう。吉本の作品の内容はバラエティに富んでいる。「言語にとって美とはなにか」では、フロイト、マルクス、ソシュール、時枝誠記が絶妙にミックスされていた。「手書き」の力だったのだろうか、と思ったりする。