笑いとばしたら、心も晴れるさ。

人生、山あり谷あり、壁に耳あり障子にメアリー、
結構毛だらけ猫灰だらけ、おしりの回りは…わりと綺麗っ!!

卒業~Ⅰ

2010-03-11 05:55:29 | 日記
今日娘は中学を卒業する。
本当に3年というのは短い時間だった。
でもこの3年間に娘は多くの人との出会いがあった。
入学、担任はシノダ先生。
転勤になったばかりで「何もわからない」と不安の第一声。
しかし面白くて娘は2日で「中学が楽しい」と言った。
部活の顧問と仲間たち、
3年生はそれはそれは恐かったらしい(笑)
初めて経験する「女の縦社会」
2年生が庇ってくれて耐えられた。いい先輩たちだった。
1年の仲間たちとは始めは喧嘩ばかり。
トーカギ小出身が一人だった為、壁を感じていた。
恐ろしく多い人数でいろいろ派閥もあったようだ。
少しずつ作り上げては壊すの繰り返しの関係だった。
顧問の教頭先生、娘曰く「怒ってばかり」
1年の頃はまだ遠い存在だったに違いない。
クラスの友達とは仲がよかった。
まだ同じ小学校の子と遊ぶ事が多かったが、
ドビー、マイケル、ミヅキはよく家にも遊びに来ていた。
「名前をいってはいけない例のあの人」も
(※注:元彼。我が家で名前を出すと怒られる。ボルデモート?)
娘の前では禁句になっているがいい子だったと思う。
2年生、担任はスギヤマ先生。
私の子供でもありなくらい若い先生。
とにかく熱血そしてストレート(笑)
アニキ的存在でいろいろ相談できる先生だ。
2年になってクラス替え仲良しと離れしばし呆然、
しかし落ち着きを取り戻すと一番充実してた学年。
部活のメンバーも皆急激に仲がよくなっていった。
まわりにつられ?勉強も少しやりだした(笑)
先輩が卒部すると自覚も芽生え自習練も欠かさなかった。
そこそこ部活で成績を残しレギュラーになれた。
3年、同じく担任はスギヤマ先生。
受験生という立場を除いても一番しんどい学年だった。
順調だった部活で怪我をした。
最初に行った病院では「軽くひねった程度」と診断され、
湿布を貼って2~3日様子を見てとの事だった。
しかし一向によくならない。
部活は休めないで無理を続けた。
いよいよバットが握れなくなり初めて「痛い」と泣きついた。
私の通っている整骨院につれて行った。
そこで靭帯がかなり損傷している事がわかった。
始めの処置が適切でなかったので時間がかかると言われたが、
無理をしなければ練習に参加できるようにする。と言ってくれた。
治療には毎日通った。練習に参加しながらなので、
ケア中心であったが、引退後にしっかり治すと約束し、
とりあえず総体前には痛みがない状態に持って行けた。
しかしそれから娘のスランプが始まった。
痛みをだましながらの練習で、
本来のスイングを忘れてしまったのだ。
教頭先生から受けたアドバイスでさらに混乱してしまった。
総体前に進路についての三者面談があったが、
娘は高校でソフトはやらないとスギヤマ先生に言いだし、
先生を驚かせた。
バッティングに自信がない、総体で皆に迷惑をかけると言うと、
野球部の顧問で甲子園の経験もある先生が、
「自分が思う自分のスイングをしろ」とアクションつきで
語ってくれた。何の三者面談だかわからなかったが、
このアドバイスが長いトンネルの出口となり有難かった。
総体前からもそうであったが、
部活の父兄は皆熱心で、娘たちは大変助けられた。
総体が終わるといよいよ受験だ。
塾の先生は熱心に指導してくれた。
3年の5月から他の塾から移り、本当に勉強がダメだった娘。
最低クラスの公立高校でも行ければ上出来だったのが、
最終的には中クラスの公立に合格出来た。
お金もかかったがそれ以上の恩恵は受けたと感謝している。
クラスの友達ともめちゃくちゃ仲がいいようだ。
部活の引退後は約束通りこまめに病院に通っている。
先生たちはとても親切だし、娘をかわいがってくれている。
この3年間に関わったすべての人のおかげで
今日卒業式を迎える事となった。
皆さま本当にありがとうございました。
コメント
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