今日娘は中学を卒業する。
本当に3年というのは短い時間だった。
でもこの3年間に娘は多くの人との出会いがあった。
入学、担任はシノダ先生。
転勤になったばかりで「何もわからない」と不安の第一声。
しかし面白くて娘は2日で「中学が楽しい」と言った。
部活の顧問と仲間たち、
3年生はそれはそれは恐かったらしい(笑)
初めて経験する「女の縦社会」
2年生が庇ってくれて耐えられた。いい先輩たちだった。
1年の仲間たちとは始めは喧嘩ばかり。
トーカギ小出身が一人だった為、壁を感じていた。
恐ろしく多い人数でいろいろ派閥もあったようだ。
少しずつ作り上げては壊すの繰り返しの関係だった。
顧問の教頭先生、娘曰く「怒ってばかり」
1年の頃はまだ遠い存在だったに違いない。
クラスの友達とは仲がよかった。
まだ同じ小学校の子と遊ぶ事が多かったが、
ドビー、マイケル、ミヅキはよく家にも遊びに来ていた。
「名前をいってはいけない例のあの人」も
(※注:元彼。我が家で名前を出すと怒られる。ボルデモート?)
娘の前では禁句になっているがいい子だったと思う。
2年生、担任はスギヤマ先生。
私の子供でもありなくらい若い先生。
とにかく熱血そしてストレート(笑)
アニキ的存在でいろいろ相談できる先生だ。
2年になってクラス替え仲良しと離れしばし呆然、
しかし落ち着きを取り戻すと一番充実してた学年。
部活のメンバーも皆急激に仲がよくなっていった。
まわりにつられ?勉強も少しやりだした(笑)
先輩が卒部すると自覚も芽生え自習練も欠かさなかった。
そこそこ部活で成績を残しレギュラーになれた。
3年、同じく担任はスギヤマ先生。
受験生という立場を除いても一番しんどい学年だった。
順調だった部活で怪我をした。
最初に行った病院では「軽くひねった程度」と診断され、
湿布を貼って2~3日様子を見てとの事だった。
しかし一向によくならない。
部活は休めないで無理を続けた。
いよいよバットが握れなくなり初めて「痛い」と泣きついた。
私の通っている整骨院につれて行った。
そこで靭帯がかなり損傷している事がわかった。
始めの処置が適切でなかったので時間がかかると言われたが、
無理をしなければ練習に参加できるようにする。と言ってくれた。
治療には毎日通った。練習に参加しながらなので、
ケア中心であったが、引退後にしっかり治すと約束し、
とりあえず総体前には痛みがない状態に持って行けた。
しかしそれから娘のスランプが始まった。
痛みをだましながらの練習で、
本来のスイングを忘れてしまったのだ。
教頭先生から受けたアドバイスでさらに混乱してしまった。
総体前に進路についての三者面談があったが、
娘は高校でソフトはやらないとスギヤマ先生に言いだし、
先生を驚かせた。
バッティングに自信がない、総体で皆に迷惑をかけると言うと、
野球部の顧問で甲子園の経験もある先生が、
「自分が思う自分のスイングをしろ」とアクションつきで
語ってくれた。何の三者面談だかわからなかったが、
このアドバイスが長いトンネルの出口となり有難かった。
総体前からもそうであったが、
部活の父兄は皆熱心で、娘たちは大変助けられた。
総体が終わるといよいよ受験だ。
塾の先生は熱心に指導してくれた。
3年の5月から他の塾から移り、本当に勉強がダメだった娘。
最低クラスの公立高校でも行ければ上出来だったのが、
最終的には中クラスの公立に合格出来た。
お金もかかったがそれ以上の恩恵は受けたと感謝している。
クラスの友達ともめちゃくちゃ仲がいいようだ。
部活の引退後は約束通りこまめに病院に通っている。
先生たちはとても親切だし、娘をかわいがってくれている。
この3年間に関わったすべての人のおかげで
今日卒業式を迎える事となった。
皆さま本当にありがとうございました。
本当に3年というのは短い時間だった。
でもこの3年間に娘は多くの人との出会いがあった。
入学、担任はシノダ先生。
転勤になったばかりで「何もわからない」と不安の第一声。
しかし面白くて娘は2日で「中学が楽しい」と言った。
部活の顧問と仲間たち、
3年生はそれはそれは恐かったらしい(笑)
初めて経験する「女の縦社会」
2年生が庇ってくれて耐えられた。いい先輩たちだった。
1年の仲間たちとは始めは喧嘩ばかり。
トーカギ小出身が一人だった為、壁を感じていた。
恐ろしく多い人数でいろいろ派閥もあったようだ。
少しずつ作り上げては壊すの繰り返しの関係だった。
顧問の教頭先生、娘曰く「怒ってばかり」
1年の頃はまだ遠い存在だったに違いない。
クラスの友達とは仲がよかった。
まだ同じ小学校の子と遊ぶ事が多かったが、
ドビー、マイケル、ミヅキはよく家にも遊びに来ていた。
「名前をいってはいけない例のあの人」も
(※注:元彼。我が家で名前を出すと怒られる。ボルデモート?)
娘の前では禁句になっているがいい子だったと思う。
2年生、担任はスギヤマ先生。
私の子供でもありなくらい若い先生。
とにかく熱血そしてストレート(笑)
アニキ的存在でいろいろ相談できる先生だ。
2年になってクラス替え仲良しと離れしばし呆然、
しかし落ち着きを取り戻すと一番充実してた学年。
部活のメンバーも皆急激に仲がよくなっていった。
まわりにつられ?勉強も少しやりだした(笑)
先輩が卒部すると自覚も芽生え自習練も欠かさなかった。
そこそこ部活で成績を残しレギュラーになれた。
3年、同じく担任はスギヤマ先生。
受験生という立場を除いても一番しんどい学年だった。
順調だった部活で怪我をした。
最初に行った病院では「軽くひねった程度」と診断され、
湿布を貼って2~3日様子を見てとの事だった。
しかし一向によくならない。
部活は休めないで無理を続けた。
いよいよバットが握れなくなり初めて「痛い」と泣きついた。
私の通っている整骨院につれて行った。
そこで靭帯がかなり損傷している事がわかった。
始めの処置が適切でなかったので時間がかかると言われたが、
無理をしなければ練習に参加できるようにする。と言ってくれた。
治療には毎日通った。練習に参加しながらなので、
ケア中心であったが、引退後にしっかり治すと約束し、
とりあえず総体前には痛みがない状態に持って行けた。
しかしそれから娘のスランプが始まった。
痛みをだましながらの練習で、
本来のスイングを忘れてしまったのだ。
教頭先生から受けたアドバイスでさらに混乱してしまった。
総体前に進路についての三者面談があったが、
娘は高校でソフトはやらないとスギヤマ先生に言いだし、
先生を驚かせた。
バッティングに自信がない、総体で皆に迷惑をかけると言うと、
野球部の顧問で甲子園の経験もある先生が、
「自分が思う自分のスイングをしろ」とアクションつきで
語ってくれた。何の三者面談だかわからなかったが、
このアドバイスが長いトンネルの出口となり有難かった。
総体前からもそうであったが、
部活の父兄は皆熱心で、娘たちは大変助けられた。
総体が終わるといよいよ受験だ。
塾の先生は熱心に指導してくれた。
3年の5月から他の塾から移り、本当に勉強がダメだった娘。
最低クラスの公立高校でも行ければ上出来だったのが、
最終的には中クラスの公立に合格出来た。
お金もかかったがそれ以上の恩恵は受けたと感謝している。
クラスの友達ともめちゃくちゃ仲がいいようだ。
部活の引退後は約束通りこまめに病院に通っている。
先生たちはとても親切だし、娘をかわいがってくれている。
この3年間に関わったすべての人のおかげで
今日卒業式を迎える事となった。
皆さま本当にありがとうございました。
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