平らな深み、緩やかな時間

306.大江健三郎死去、『新しい人』再読

はじめに私に関することの連絡です。

今日の5時まで、東京・京橋のギャラリー檜で個展を開催しています。展覧会の案内状とパンフレットのpdfファイルを次のリンクからみることができます。

http://ishimura.html.xdomain.jp/news.html

私自身は公私の忙しい時期と重なってしまって、あまり在廊できません。最終日も終了ギリギリに搬出のために駆けつけることになってしまいました。初日も在廊できず、お会いできなかった方々には申し訳ないことをしました。

それでも苦心して描いた作品なので、多くの方にご覧いただけるとうれしいです。一昨日も6時前に画廊に辿り着いて、一人で作品を眺めていましたが、現時点ではやれることはやったなあ、という気持ちと、もう少しいろんなことを試みた方が、ご覧になる方にも楽しめるのではないか、という反省と、両方の気持ちが湧いてきました。そして昨日は6時過ぎになりましたが、何人かの方とお会いできて貴重な話をしました。とても楽しかったです。

 

とにかく、自分の表現を突き詰めることと、絵を描き始めた頃の原初的な気持ちを維持することと、双方を柔軟に取り込むことが肝心です。それがわかっていながら、ちょっと表現が固くなっていたかもしれません。

在廊できずにこんなことを書くのは図々しいのですが、作品をご覧になった方々には、またお会いできた機会に感想を聞かせていただけるとありがたいです。

自分で言うのも何ですけど、先のpdfファイルに掲載した写真と本物の作品とでは、印象がずいぶんと違うと思います。あいにくの雨の予報ですが、よかったら画廊に足を運んでください。



さて、今回の本題です。

ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎(1935 - 2023)さんが亡くなりました。大江さんは88歳という年齢で、死因は老衰ということですから、生命を全うした大往生だと言えるでしょう。また、大江さんは国際的な作家であると同時に、地域性を尊重した作家でもあったので、BBCジャパンの記事と故郷の愛媛新聞の記事の二つのリンクを貼っておきます。

https://www.bbc.com/japanese/64948345

https://www.ehime-np.co.jp/article/news202303130085

また、NHKのニュースでは、文化人のインタビューが掲載されています。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230313/k10014006861000.html

その中で、大江さんの読者の気持ちに最も近いのは、映画監督の山田洋次さんのコメントではないでしょうか。

 

山田洋次さん「羅針盤を失ったような気持ち」

大江さんと親交があった映画監督の山田洋次さんは「物事を考える上で正しい指針を与えてくれる人がいなくなってしまった不安と悲しみに包まれています。加藤周一さんと大江健三郎さんの存在が長い間日本人にとってどれほど大切だったかを思いつつ、今大江さんを失うことが、現在のような混沌としたこの国の、さらに世界の状況にとって大きな損失だということを考えます。心ある日本人にとって、羅針盤を失ったような気持ちではないでしょうか」とコメントを出しました。

(NHKニュースより)

 

例えば、ここで名前が出ている加藤周一(1919 - 2008)さんと大江さんがともに呼びかけ人となった「9条の会」という活動がありました。

http://www.9-jo.jp/appeal.html

この呼びかけ人として名前の記載されている9人の方のうち、大江さんが亡くなってしまった今となっては、ご存命なのは澤地久枝さんだけではないでしょうか。このような政治的な発言をすれば、彼らがいかに尊敬されていたとしても、その活動には賛否両論がつきまとうわけですが、それでも彼らが日本人の羅針盤となり得ていたことは否定できないと思います。

私はこの人たちの中でも大江さん、加藤周一さん、そして梅原 猛(1925 - 2019)さんの著作に親しんできた人間ですが、とくに大江さんは創作者としてより重要な人でした。

大江さんの創作の方法論については、このblogでも取り上げてきました。

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/98e49d70e08fcdeafdef2203b6638889

大江さんの創作方法論の原理となっていたのは、ロシア・フォルマニズムから学んだ「異化」という方法論でした。くわしくは私の上のblogをお読みになるか、あるいは本格的に学びたい方は大江さんの著作を読んでみてください。

 

今回は、大江さんの逝去の訃報を知って、この機会に若い頃に読んで、またいつか読み直してみたいと思っていた『新しい人よ、眼ざめよ』という小説を取り上げてみようと考えました。この小説は、大江さんの長男で障がい者である光さん(呼び名が「イーヨー」となっています)と大江さんの家族(妻、長女、次男)のことについて語りつつ、イギリスの詩人であり、画家でもあったウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757 - 1827)の作品を読み込んでいく、という大江さんならではの複雑な構造を持ったものでした。それに加えて、明快とは言えない大江さんの文章表現が相まって、若い私には読み応えが十分過ぎて、消化不良のまま読み終えてしまったのでした。今ならば、多少はその内容が読み取れるのではないか、という希望的な観測もあったのです。

その希望がかなったかどうかはともかくとして、まずは大江さんの小説を読んだことがない方がいらしたとしたら、この小説の苦い味わいについて触れておかなければなりません。ニュースやテレビの教養番組で紹介されてきた大江さんは、穏やかで柔和な笑顔を浮かべ、その一方で政治的な正論を臆せずに語る人でした。彼の小説を読んだことがないと、もしかしたら大江さんのことを、うわべだけのきれいごとを言う人だと誤解することもあったかもしれません。もしも大江さんがそんな偽善の人で、その人が障がいのある息子との暮らしぶりを描いたのだとしたら、さぞかし見せかけの慈愛に満ちた、表面的な物語になるだろう、という予測が立ってしまいます。

しかし、それは間違いです。

例えば次の場面を読んでみてください。

 

やはりおなじ春休みのうちのことだったが、息子が発作のなごりの鬱屈のなかで、FM放送を高い音で聴いている。それが数時間つづいて、家族の誰もがまいってくる。そこで妹が兄に、

ーイーヨー、すこしだけ音を小さくしてね、と頼んだのだった。息子は荒あらしい威嚇の身ぶりを示して、かれの躰の半分ほどの妹をすくみこませた。

ーイーヨー、だめでしょう、そういうことをしては!と妻がいう。私たちが死んでしまった後は、妹と弟の世話にならなければならないのよ。いまみたいなことをしていたら、みんなから嫌われてしまうわ。そうなったらどうするの?私たちが死んでしまった後、どうやって暮すの?

僕は、ある悔いの思いにおいて納得した。そうだ、このようにしてわれわれは、息子に死の課題を提出しつづけていたのだ、それも幾度となく繰り返して、と・・・ ところがこの日、息子はわれわれの定まり文句に対して、まったく新しい応答を示したのだった。

ー大丈夫ですよ! 僕は死ぬから! 僕はすぐに死にますから、大丈夫ですよ!

一瞬、息をのむような間があってーと言うのは、僕がこの思いがけない、しかし確信にみちた、沈み込んだ声音の言明に茫然としたのと同じだけ、妻もたじろいでいたのを示しているが ーそんなことないよ、イーヨー。イーヨーは死なないよ。どうしたの? どうしてすぐに死ぬと思うの? 誰かがそういったの? 

ー僕はすぐに死にますよ! 発作がおこりましたからね! 大丈夫ですよ。僕は死にますから!

僕はソファの脇に立っている妻の傍に行き、両手で顔をしっかり覆って、黒ぐろした眉と、俳優をしているかれの伯父に似た、強く盛りあがっている鼻梁を、指の間からのぞかせている息子を見おろした。妻も、僕も、あらためて息子にかけるべき言葉を、いかにも無益なものと感じて、喉もとにのみこむ具合だ。いまあれほどはっきりした声を発しながら、息子はもうかすかな身じろぎさえしないのである。

<中略>

ーあのようにいうことは、良くないと思う。イーヨーは将来のことを考えて、寂しいよ、と戻ってきた娘は、寒イボのたっているような、小さく縮んでいる顔つきをしていった。

妹と並んで立っている弟も、われわれ両親から独立した意見をいだいている様子をあらわして、次のようにいったのである。

ーイーヨーは、人指ゆびで、まっすぐ横に、眼を切るように涙をふいていたよ。・・・イーヨーの涙のふき方は、正しい。誰もあのようにはしないけど・・・。

妻ならびに僕は、実際自分自身を恥じてしょげこみ、これまで幾たびとなく繰り返した言葉、われわれが死んだ後、イーヨー、きみはどうなるか、あなたはどうするの、という言葉のことを思ったのである。僕としてはとくに、そのように重大な言葉が息子の心の深部にどう響いているか、よく考えもしなかった以上、死についてーかれにとっての死についてはもとより、自分にとっての死についてすらも、よく定義しえてはいないということだと自覚しつつ・・・

(『新しいひとよ、眼ざめよ』「怒りの大気に冷たい嬰児が立ちあがって」大江健三郎)

 

私は、障がいのある方の暮らしぶりを取り上げたテレビ番組やニュースを、ときおり見ることがあります。それらの番組で取り上げられた子供を持つご両親が、自分たちが死んだ後でこの子はどうなってしまうのか、ということをよく話しておられます。それは紛れもなく愛する子供の先行きを心配する言葉なのですが、その言葉が物語の中の「イーヨー」の心を深く傷つけてしまっている、ということを表現した場面が印象的です。この場面には、大江さんが決して独善的にならない客観的な目を持った人だということが、よく表れていると思います。そして、あえてその一場面を描く大江さんの表現者としての厳しい態度に、こちらも襟を正してしまうのです。これは小説でも絵画でも同じことですが、自分は善人であるとか、才能があるとか、そんなふうに自己陶酔してしまっては、よい作品などできるはずがありません。

それにしても、私が子供だった頃に比べると、障がいのある方への配慮が格段に進んでいるように思ってしまうのですが、結局のところ、誰もが安心して生きていける社会には程遠い現実があります。これは障がいの有無に限らず、ますます生きにくくなっている、という状況も影響しているのでしょう。しかしそれを差し引いても、この小説に書かれている障がい者をめぐる環境は過酷です。

例えば小説の中で、大江さんは「僕が核状況に反対する学生の集会と、障害者の親の会で話した記録をおさめている講演集に反撥しての手紙」を受け取ったことを書いています。その手紙の内容は次のとおりです。

 

ー国家、社会に責任を持つ者らはアメリカ、ヨーロッパ、日本を問わず、巨大核シェルターにたてこもって核戦争を生き延び、ソヴィエト潰滅後の世界を再建しなければなりません。と手紙の主はいうのであった。平常時においては娯楽も必要でしょうが、非常時には、作家は社会に寄生する無用物であり、障害児はさらにそうでしょう。実際の話、作家と障害児とで、核戦争後の世界を再建できるでしょうか?家一軒、建てられないでしょうか?無力感を持つ者は敗北主義におちいります。そのような者たちが、ソヴィエト独裁ファシズムとの、絶対に避けることのできぬ核対決に日々献身している、自由陣営の働き手に向けて悪声を放つのですか。これ以上世に害毒を流さぬよう、貴君の障害児とともに、自殺とはいわぬまでも沈黙なさってはいかがでしょうか?

(『新しい人よ、眼ざめよ』「魂が星のように降って、跗骨のところへ」大江健三郎)

 

この手紙には、私のような者でもいくつかの誤りを見つけることができます。

まずは、この手紙の主は、小説や文学、そしてたぶん芸術表現のすべてを、非常時には必要のない「娯楽」だと書いています。このように芸術を否定する考え方を推し進めれば、人間は生命を維持することだけが究極の目的である動物と同じになってしまいます。

それにこの手紙の主は「作家は社会に寄生する無用物であり、障害児はさらにそうでしょう」などと書いています。この人の頭の中では、「作家」も「障がい者」も社会の中に含まれない存在のようです。彼らは社会の外側から社会に「寄生」する存在などではなくて、社会の中で「共生」しなくてはならない人たちのはずです。

これ以外にも、この小説の中では、「イーヨー」は数々の危険にさらされていて、一度はさらわれそうになった後で、駅に放置されてしまったりします。しかし、それにもかかわらず「イーヨー」は現実の世界の光さんと同様に、美しい音楽を作曲して心ある人たちとの楽しみを共有します。光さんの音楽は、次のリンクから聴くことができます。

https://youtu.be/sed73hdy_n4

 

さて、ここまで書いてきて、私は大江さんがブレイクの詩を巧みに織り交ぜながら物語を推進していることについて、まったく書けていないことに気がつきました。ブレイクの詩と大江さんの物語の関係については、また落ち着いて書いておきたいのですが、この小説が「新しい人よ 眼ざめよ」というタイトルを冠せられた理由について、大江さんは小説の最後の部分で明かしていますので、その部分を引用しておきたいと思います。

 

背にも躰の嵩にも、大きい差のある兄弟ふたりが、なんとか肩をくんで食卓へやって来る。そしてそれぞれ勢いよく食事をはじめるのを見ながら、僕は直前の喪失感がなお尾をひいているなかで、そうか、イーヨーという呼び名はなくなってしまうのか、と考えた。それはしかし、自然な時の勢いなのだろう。息子よ、確かにわれわれはいまきみを、イーヨーという幼児の呼び名でなく、光と呼びはじめねばならぬ。そのような年齢にきみは達したのだ。きみ、光と、そしてすぐにもきみの弟、桜麻とが、ふたりの若者としてわれわれの前に立つことになるだろう。胸うちにブレイクの『ミルトン』序の、つねづね口誦する詩句が湧きおこってくるようだった。《Rouse up, O, Young Men of the New Age! set your foreheads against the ignorant Hirelings! 眼ざめよ、おお、新時代の若者らよ! 無知なる傭兵どもらに対して、きみらの額をつきあわせよ! なぜならわれわれは兵営に、法廷に、また大学に、傭兵どもをかかえているから。かれらこそは、もしできるものならば、永久に知の戦いを抑圧して、肉の戦いを永びかしめる者らなのだ。》ブレイクにみちびかれて僕の幻視する、新時代の若者としての息子らの──それが凶々しい核の新時代であればなおさらに、傭兵どもへはっきり額をつきつけねばならぬだろうかれらの──その脇に、もうひとりの若者として、再生した僕自身が立っているようにも感じたのだ。「生命の樹」からの声が人類みなへの励ましとして告げる言葉を、やがて老年をむかえ死の苦難を耐えしのばねばならぬ、自分の身の上にことよせるようにして。《惧れるな、アルビオンよ、私が死ななければお前は生きることができない。/しかし私が死ねば、私が再生する時はお前とともにある。》

(『新しい人よ 眼ざめよ』「新しい人よ 眼ざめよ」大江健三郎)

 

どうやら、「新しい人」というのは、障がいの有無にかかわらず、凸凹に肩を組む大江さんの若い息子たちであり、またそれは再生した大江さん自身でもあるようです。「やがて老年をむかえ死の苦難を耐えしのばねばならぬ」者であった老人は、再生するために死を迎えることになります。このような「死生観」の中で大江さんが息を引き取ったのだとしたら、「死」もまんざら悪いものではないと思います。

そしてこの大江さんの表現する世界観は、先ほどの「作家は社会に寄生する無用物であり、障害児はさらにそうでしょう」という世界観と、いかに違っていることでしょうか?そのいずれの世界に住むことになるのか、その選択は私たち自身に任されています。

 

そして蛇足になりますが、もしも私の絵を見た方が、私の絵の中に世界の再生のようなものを見出して、やはりこの世界に芸術は必要なものだと実感していただけたなら、それだけで私がこの世界に存在した意味があったというものです。

 

大江さんのご冥福を祈りつつ、この機会にもう少し大江さんの残したメッセージを深く読み取ってみたいと思います。また書きます。

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