川口和夫のブログです

団塊世代の徒然草風のブログです。

Myアート考

2024-04-15 13:09:16 | 日記

No⑥

No⑥は私のアートに対する感想や考えです。

 

①出会いは小学一年生の時でした。

 初めて描いた「ニワトリ」の画が市の展覧会で小学生が一人だけの特選になったんです。

 ただ夢中になって(ムキになって?!)書いただけで自分の自信作でももなく、特に画の才能があったとも

   思えず、正直驚きました。結果的になまじの成功は良くなかったのか?と今では思います。

②空白の12年で高校卒業でした。

 故郷の山野を駆け巡ることが大好きだった少年時代でした。  

 写生の時間は最初の5分で下絵を描いて遊び回り、最後の5分で大急ぎで色を塗りで。

 そんなことでロクな画が描けるわけもなくで、鳴かず飛ばずの12年間でした。

 田舎の少年は画や書や音楽などは「軟弱なもの」とバカにしていた記憶があります。困った少年でした。

 まあ、なにも知らない山猿だったんですね。まことに恥ずかしながらで。

 唯一の例外が、小6の全員で一枚ずつ描いた中から卒業文集の表紙に採用されたツクシの画でした。

   あまり力まず自然に描いた?画が先生方の目にとまり、100名の卒業生の中から選ばれたんです。

   この文集の表紙だけは今でも保存して時々見ています。

③大学での音楽との出会い、文学との出会がありました。

 運動部・卓球部の練習に疲れ果て大瘦せして退部した頃、友人に誘われて吹奏楽団に入ったんです。 

 最初はそれこそ「ドレミ」からの入門、ラッパのマウスビ-スの音出しからでした。

 次第に音楽の奥深さを知り、練習に熱中したものです。大学はロックアウトでほぼ二年間毎日練習できました。

    そんなことで大学の吹奏楽部卒業と自分では思っています。

    その頃の仲間たちとは今でも親友、そして音楽は私の生涯の友となりました。

 本も良く読みました。音楽の練習の合間に文庫本などを年に50冊ほど、特に小説を濫読して文学に憧れました。

 兄の長期にわたる入退院などの家庭の事情で、学問・音楽・文学などの進路を塞がれ、東京のサラリ-マンになったんです。

④また空白の33年間でした。

 サラリ-マンの生活は結構キビシイものでした。電車の中で小説などを読むのがセイゼイになって、です。

 文学・青年風?はある上司に「もっと働け」とドヤシつけられて、さらに仕事に熱中するようになりました。

   あとでその上司は私のことをスゴク評価してくれていたことが分かりました。愛のムチだったんですね。

 正直アートなどを考える余裕のなかった仕事漬けの生活だったと思います。

 唯一アートとの出会いが30年前の家族旅行で訪れたルーブル美術館でした。

   モナリザや分厚い絵具で塗り固められた壁一面の絵画、ギリシャなどの精巧な彫刻などが一杯でしたね。

   素晴らしい作品群でした、絵画や彫刻の見事さに圧倒された記憶が今でも残っています。

 そして55才で会社をヤメ、小説家になろうと決心して人生の再出発をしたんです。

⑤感性復活の旅をしました。

 あちこちに旅にでかけ自然に接していわゆる「感性の復活」をしようとしました。

   ニュ-ヨーク一人旅にも行きました。メトロポリタン美術館の作品群にも大感動でした。

 しかし錆びついた心と体を元に戻すのは大変でした。冷暖房の効いたビルの中で数字と書類に睨めっこの自分

 はそう簡単には変わってくれないのでした。

 小説を何十冊か書くも世間に認められず、アイディアと文章力がかみ合わず・失意でした。

  もっと若くて統合失調の幻想でも良いから?自由な発想が湧きだせば・・まあ遅れてきた青年でしたか。

  結局自分流が確立できず、売れない小説家になり果てた次第で・・・。

⑥会社を辞めて10年あまり、フェイスブックでのアーティストたちとの出会いが目を覚ましてくれました。

 そこで目を奪われたのは、プロの写真家たちの作品や、陶器・絵画などの見事さでした。

 そしてそんな人たちの作品を創るための懸命な努力があることを知ったんです。

 それが私の本物のアーティストの皆さんとの出会いだったのです。

⑥そして今

 少しだけ鑑賞眼が・・・一点に集中して作り上げる「創造力」というものの大切さ

 そのスキのない完璧さ・・・一流になるには・修行また修行・ここも厳しい世界なんですね。

    なにを書こうとしたのか意図が大切、プロは対象物の切り取り方が違うな

    どう描いたのか、どう創ったのか、苦心・努力の跡もまた大切なようでした

              良い作品にはその向こうから差し込んでくる「光」を感じるものであるようです。

     しかしアーティストとして生き残ることの大変さは人なみではないんでしょう

  でもまだアートの世界を十分に理解した・・とは言えませんね。おぼろげながら。それがまあ現実なんです。

⑦これからの私は

 自分でも何かを創り出して行きたい願望がますます強くなっています。何ができるかな・・・。

   まずは広いジャンルの音楽を楽しみ、良い写真を撮って・・今できるのはそんなことでしょうか。

 この世界でもカミサマの声を聞きだして、審美眼を養い・美しいものを探し出していきたいものです。

 そんなあんなで、私もアートの夢の世界に少しでも近づきたい。私の今はそんな心境・情況なんです。

 

 すいません。なかなか結論みたいなモノが書けなくて・・・それだけ奥が深いんですね。

でも私にも「夢」があります。アートを愛する皆さんが集まって、「美しい社会を作っていきたい」

もちろん私自身も覚悟を決めてがんばります。

そう私が目指しているのはアートの世界がもっともっと広がって、エゴのもたらす戦争や競争のない

皆さんが幸せになれる新しい社会の創造なんです。

 

 

 

 

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