川口和夫のブログです

団塊世代の徒然草風のブログです。

「抽象力」人間の秘めたる力

2024-04-24 08:06:54 | 日記

No⑧

  No⑧は抽象力について考えてみました。

①科学技術における「抽象力」の力

  ノーベル賞などの科学技術の発展に多大な貢献をして人達が良く言っています。

  研究に行き詰っているとき突然閃いたものが大発見につながった、と。これこそが「抽象力」の賜物のようです。

  ふと全ての疑問が一挙に解決して一筋の道が開けてくる、それが抽象力だと思われます。

  これはAIでは出来ない人間だけが持っている「特殊な能力」です。

②普通の人の普通の頭にも閃く「抽象力」があります。

  ある問題について思い悩んでいると、突然その全容・原因・そして本質が見えてくるんです。

    例えば美しい風景やお花などを凝視し続けると「その何が美しい」のかが突然閃くことなどです。

    周りの色んなものが消えてなくなり「美」そのものが見えてくる・・それが「抽象力」のようです。

③この抽象力が何に使えるかです。

  自分の様々な問題に思い悩むとき、ちょっとその場を離れてみると突然「事実の本質」が見えてくるんです。

   そうすれば「何をどうすればいいのか」に繋がっていきます。解決の糸口が見えてくるんです。

  ア-ティストであれば「美しいもの」の本質を考えます。もちろん色んな能力を駆使してです。

   「それがな何か」が見つかれば、「どう表現するか」に繋がり、作品になっていくんですね。

    またその世界を変形して新なイメ-ジが湧いてくるようです。

    見る側にたてばその作品の「焦点」を見れば良いことになります。名画とは画家の焦点が見える作品であるようです。

  どうも「あること」に思い悩み半端ではない苦労していると、脳がその無効な部分をそぎ落として、ある一点に絞ってくれる。

    それが「抽象力」であると思われるんです。

④抽象力を使いこなしていきましょう。それは誰にでもあるハズなんです。

  深く思い悩むとき、それに疲れたらちょっとその場を離れてボ-とした時間を作ってみましょう。  

  脳の違う部分を使ってアレヤコレヤと思いを巡らす、瞑想なんかも良いと思われます。眠ることも効果絶大で。

  すると突然「脳の回路」がつながって何かが「閃いて」くるんです。それをキャッチするんですね。

     急がば回れかもしれません。一つことに集中することは大切ですが、それは脳を疲労させるだけで

    新しい発想は生まれず、そんなある種のユトリの時間も必要なのかな、です。

     それはもしかするとあなたのカミサマのお助け?かも知れません。思考がループ回転してまとまらないとき

  何度も何度も繰り返しているとき、その溜ったエネルギ-が突然の上昇力を生む、そんな仕組みをカミサマが用意

  してくれているのかとも思えるのです。それがどんな仕組みなのかはまだ解明されてはいませせんが、私に

  はそれを感ずるのです。そしてそれが天のカミサマにつながる小さな入口であるのかもと。

 

最初は慣れないかも知れませんが人間には誰にでも「抽象力」が備わっているんです。

皆で「抽象力」を鍛えていきましょう。焦点が定まれば次にあなたの人生に「創造力」が生まれ心が豊かになります。

もちろん人には個人差がありますから簡単ではないでしょうか、しかし「ヤレ」ば必ず結果がついてきます。

そうです、人間の脳にはすべてを集約する「抽象の回路」が備わっているんです。

それが私の提案です。思い悩んだら脳の「自然回路・抽象力」に期待して待ちましょう。

 

 

 

 

 

 

 

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科学技術の急速な発展について

2024-04-16 09:16:12 | 日記

No⑦

 

No⑦はこの70年の驚くべき科学技術の発展についてです。

 

①戦後はタライに七輪、カマドの時代

 私が生まれた昭和20年ごろはのどかでしたが、生活は大変な時代でした。

 洗濯はタライに洗濯板でゴシゴシ、料理はカマドや七輪で火をおこし煮たり焼いたりで手間がかかりました。

 お風呂は五右衛門風呂にマキを焚き付け、冷めない内に早く入れで、沸かすのは主に子供の仕事でした。

 江戸時代から続く「村」の生活で、今に比べれば随分と時間がかかったものでした。

 皆貧しかったけど、平和な楽しい暮らしだったと思います。村全体が争いのない共同体でした。

②三種の神器の時代・昭和30年代

 戦後10数年で生活は便利になりました。TV、冷蔵庫、洗濯機の「三種の神器」などの電化製品が出回ってきたんです。

 いわゆる文化生活・製品で主婦の生活は随分と楽になりました。何事も今と同じ「ヒネルとポン」になってきました。

 雑誌などの刊行物も本屋に並び、生活はエンジョイするものへと変わって行きました。

③高度成長で便利な時代・昭和40年代

 道路、鉄道、航空機などが整備され高速道路、新幹線の建設が始まり、モータリゼ-ションの時代へ。

 会社の仕事はソロバンから電卓、タイプからワープロ、大型コンピュ-タ-も導入されて仕事も便利に。

 ただ仕事は機械がするもので、人間はその従者、使い捨ての将棋の駒になって行った感がありました。

④インタ-ネットの時代

 ウィンドウ95の登場が契機でした。世界につながるインタ-ネット社会へと広がって行ったのです。

  脳機能の機械的な利用でしょうか。OS(神経回路)そして記憶装置(記憶領域)が小さな箱に収まったのです。

  沢山のアプリケーションが開発されました。表計算・文書・会計・経理・給与・総務庶務・・そして外部に繋がるネット社会へ。

  その結果、特殊な業務ノウハウは小型のコンピュ-タ-のプログラムに収録されて、人間はそれを操作する人になったんです。

 それからのスピ-ド化、小型化、多様化の技術革新は恐ろしいほどで、今は指先で操作できるスマホになったんです。

  そして今や電車に座るとほぼ全員がスマホと取り出すのが普通になりました、

 超便利になったな反面、ついて行けない層が急増、悪徳詐欺などもも横行して困ったことになっています。

⑤AIの時代・機械が人間に代わる?

 AIが人間の頭脳に代わる存在として登場してきました。

 知識・情報・記憶力はAI、その膨大な量は当然人間の脳を上回るものです。そんなものはこれから不要になる感があります。

  チョンとスマホを叩けば何でもかんでも出てくる時代になるんです。

  将来は人間の脳の代替となる、そんな可能性を秘めています。まだ先のことは分かりませんが・・・。

 ただAIコンピュ-タ-が今出来るのは過去の記録や記憶の集積で、まだ新しいモノを創り出すことは出来ません。

  AIが苦手なのは脳の「事物の抽象化」「想像力」「瞑想」などのファジイな働きの部分のようです。

  新発見のための研究開発の実験なども不得意な分野でしょうか。

  もちろん「カミサマ」の言葉を聞くことも助言をいただくこともありません。宇宙と未来にはつながっていないのです。

  それらは人間の「創造力」に関係する分野のようで、そこがこれからの人間の仕事になる感じが私はしています。

 またAIは勝手な暴走を始める危険を持っています。それを防ぐを「コントロ-ル」の機能の必要性があります。

⑥飽食の時代

  ご飯に味噌汁から、世界中のグルメに世界が広がってきています。世界中の何でも食べられる時代なんですね。

  昔を思うとまさに夢の世界なんです。これも科学技術の進歩の賜物かも知れません。

  ただ食料自給力の低下、農業の衰退などが問題となっています。困ったことも多い、こんな時代がいつまで続くんで 

   しょうか?。私たちは昔に戻れますが皆さんはどうでしょうね。

⑦近代兵器の恐怖

  広島、長崎の原子爆弾の恐怖から始まった戦後はその恐怖をさらに増しています。

  新たに水爆が開発され遠距離・運搬手段としてミサイルが開発されてきました。その精度は近代電子兵器の発達によって

  飛躍的に向上しているようです。また宇宙には人工衛星が無数飛び回っており、さしずめ宇宙戦争のようです。

  そんな軍需産業・軍事力を持つ国が力を誇示し、世界制覇を目指す大国主義へと睨み合っているのが現実でしょうか。

  科学技術を戦争の手段に使ってはなりませんね。我が国は戦争をしない国是を守るべきなんです。

  悪魔に魂を売った人間の失敗とも言えます。科学技術が権力者の後ろ盾になってはいけないんです。

⑦未来展展望

  人間のこれからの役割は・・・・

    ・科学技術の成果に使われるのではなくそれを活用する立場に立たねばなりません。

    ・必要最低限の知識は必要です。しかしあくまで中心は人間であることは忘れてはなりません。

    ・知識・記憶力に頼らない「新しい創造」が人間の「役割」だと思います。直観や感性などを磨き、世界を正しく

     認識しそして創造できる自分達を創り出すことがこれから重要になると私は思います。

    ・世界色々の情報が溢れています。情報過多の時代とも言えます。取り入れる情報の選択の必要もあります。

 

 

 

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Myアート考

2024-04-15 13:09:16 | 日記

No⑥

No⑥は私のアートに対する感想や考えです。

 

①出会いは小学一年生の時でした。

 初めて描いた「ニワトリ」の画が市の展覧会で小学生が一人だけの特選になったんです。

 ただ夢中になって(ムキになって?!)書いただけで自分の自信作でももなく、特に画の才能があったとも

   思えず、正直驚きました。結果的になまじの成功は良くなかったのか?と今では思います。

②空白の12年で高校卒業でした。

 故郷の山野を駆け巡ることが大好きだった少年時代でした。  

 写生の時間は最初の5分で下絵を描いて遊び回り、最後の5分で大急ぎで色を塗りで。

 そんなことでロクな画が描けるわけもなくで、鳴かず飛ばずの12年間でした。

 田舎の少年は画や書や音楽などは「軟弱なもの」とバカにしていた記憶があります。困った少年でした。

 まあ、なにも知らない山猿だったんですね。まことに恥ずかしながらで。

 唯一の例外が、小6の全員で一枚ずつ描いた中から卒業文集の表紙に採用されたツクシの画でした。

   あまり力まず自然に描いた?画が先生方の目にとまり、100名の卒業生の中から選ばれたんです。

   この文集の表紙だけは今でも保存して時々見ています。

③大学での音楽との出会い、文学との出会がありました。

 運動部・卓球部の練習に疲れ果て大瘦せして退部した頃、友人に誘われて吹奏楽団に入ったんです。 

 最初はそれこそ「ドレミ」からの入門、ラッパのマウスビ-スの音出しからでした。

 次第に音楽の奥深さを知り、練習に熱中したものです。大学はロックアウトでほぼ二年間毎日練習できました。

    そんなことで大学の吹奏楽部卒業と自分では思っています。

    その頃の仲間たちとは今でも親友、そして音楽は私の生涯の友となりました。

 本も良く読みました。音楽の練習の合間に文庫本などを年に50冊ほど、特に小説を濫読して文学に憧れました。

 兄の長期にわたる入退院などの家庭の事情で、学問・音楽・文学などの進路を塞がれ、東京のサラリ-マンになったんです。

④また空白の33年間でした。

 サラリ-マンの生活は結構キビシイものでした。電車の中で小説などを読むのがセイゼイになって、です。

 文学・青年風?はある上司に「もっと働け」とドヤシつけられて、さらに仕事に熱中するようになりました。

   あとでその上司は私のことをスゴク評価してくれていたことが分かりました。愛のムチだったんですね。

 正直アートなどを考える余裕のなかった仕事漬けの生活だったと思います。

 唯一アートとの出会いが30年前の家族旅行で訪れたルーブル美術館でした。

   モナリザや分厚い絵具で塗り固められた壁一面の絵画、ギリシャなどの精巧な彫刻などが一杯でしたね。

   素晴らしい作品群でした、絵画や彫刻の見事さに圧倒された記憶が今でも残っています。

 そして55才で会社をヤメ、小説家になろうと決心して人生の再出発をしたんです。

⑤感性復活の旅をしました。

 あちこちに旅にでかけ自然に接していわゆる「感性の復活」をしようとしました。

   ニュ-ヨーク一人旅にも行きました。メトロポリタン美術館の作品群にも大感動でした。

 しかし錆びついた心と体を元に戻すのは大変でした。冷暖房の効いたビルの中で数字と書類に睨めっこの自分

 はそう簡単には変わってくれないのでした。

 小説を何十冊か書くも世間に認められず、アイディアと文章力がかみ合わず・失意でした。

  もっと若くて統合失調の幻想でも良いから?自由な発想が湧きだせば・・まあ遅れてきた青年でしたか。

  結局自分流が確立できず、売れない小説家になり果てた次第で・・・。

⑥会社を辞めて10年あまり、フェイスブックでのアーティストたちとの出会いが目を覚ましてくれました。

 そこで目を奪われたのは、プロの写真家たちの作品や、陶器・絵画などの見事さでした。

 そしてそんな人たちの作品を創るための懸命な努力があることを知ったんです。

 それが私の本物のアーティストの皆さんとの出会いだったのです。

⑥そして今

 少しだけ鑑賞眼が・・・一点に集中して作り上げる「創造力」というものの大切さ

 そのスキのない完璧さ・・・一流になるには・修行また修行・ここも厳しい世界なんですね。

    なにを書こうとしたのか意図が大切、プロは対象物の切り取り方が違うな

    どう描いたのか、どう創ったのか、苦心・努力の跡もまた大切なようでした

              良い作品にはその向こうから差し込んでくる「光」を感じるものであるようです。

     しかしアーティストとして生き残ることの大変さは人なみではないんでしょう

  でもまだアートの世界を十分に理解した・・とは言えませんね。おぼろげながら。それがまあ現実なんです。

⑦これからの私は

 自分でも何かを創り出して行きたい願望がますます強くなっています。何ができるかな・・・。

   まずは広いジャンルの音楽を楽しみ、良い写真を撮って・・今できるのはそんなことでしょうか。

 この世界でもカミサマの声を聞きだして、審美眼を養い・美しいものを探し出していきたいものです。

 そんなあんなで、私もアートの夢の世界に少しでも近づきたい。私の今はそんな心境・情況なんです。

 

 すいません。なかなか結論みたいなモノが書けなくて・・・それだけ奥が深いんですね。

でも私にも「夢」があります。アートを愛する皆さんが集まって、「美しい社会を作っていきたい」

もちろん私自身も覚悟を決めてがんばります。

そう私が目指しているのはアートの世界がもっともっと広がって、エゴのもたらす戦争や競争のない

皆さんが幸せになれる新しい社会の創造なんです。

 

 

 

 

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真の創造性を

2024-04-05 08:27:11 | 日記

 

N0⑤

 

エゴの造りだす幻想からは真の「創造性」は生まれない。これが私の個人的な考えです。

 

人はエゴの幻想に捉われて、それぞれの問題点を抱えています。

ある作家によれば全ての人は「統合失調質」「鬱病質」「テンカン質」の三種類の中の何れかの傾向・問題点を

持っているそうです。

これは重要な指摘です。病気と言われるのはそのごくごく一部の人ですが、ほとんどの人が何らかの心の問題

を抱えているとも言えるのです。そこがエゴの恐ろしいところなんです。

こでは「病気」の方をまず取り上げますが、それは多かれ少なかれ人そのものの何らかの問題であることを最初

に申し上げておきたいと思います。

①まずは「統合失調症」です。

 その特徴は思考が分散・拡張してまとまりを欠くと言うことです。色んなことに関心を持ち様々なことに

手をだすのですが、どれも中途半端でやりっぱなしに終わることが多いように私には見受けられます。ただ

自分は「正しい」と思いこむ「幻想」が強すぎて、周りの人はそのやりっぱなしに振り回されて迷惑をこうむ

ることが多いのは困ります。ただそれを克服するとアートの世界で素晴らしい活躍をすることも出来るんです。

②は「鬱病」です。

 その特徴は思考が外に向かわず自分の内側に籠ってしまうと言うことでしょうか。周りは敵ばかりと思い

自分を守るために穴の中に籠って、悲劇の主人公になって、周囲のすべてを批判し非難することが多いようです。

これはまた「世の中は全部間違っている」との「幻想」に固まって、引き込もりなどの「自己中心」に陥る危険

があります。

③は「テンカン質」です。

  その特徴は気分が不安定で突然パニックに襲われて周囲の人達を驚かすことが多い、つまり情緒不安定

に陥りやすい傾向があることと思われます。これは突然に現れて周りは当惑するものの興奮状態が止まらず

自分で自分のコントロ-ルができなくなるので困ったことなのです。

 

 さてその幻想を生む原因を色んな角度から探ってみると

①脳内物質のセレトニンやドーパミン、アドレナリンなどの「元気物質」の分泌が生まれつき少ないか多すぎ

 ることで、自分の体ながら自分では制御できない困った現象なんです。

②全身の神経回路が不調、つまり自分の体が自分の意図にかかわらす勝手に動き始めて恐怖や不安になって

 しまうこともあるようです。これも自分ではコントロ-ルしにくい体自体にある問題点なんです。

③それ以外にも自分の育った家庭環境や社会環境で感じた圧力やストレスの影響、その長い間の蓄積も無視

 できません。とくに「愛情」の不足が脳内に「記憶・蓄積」されて悲観的・悲観的になりやすいんです。

④またDNA・遺伝子も大きな作用をします。両親の資質、さらにはご先祖様たちの資質を受け継いで

 自分の気付かないところで、DNAが自分の思考や行動に随分と影響を及ぼしているようなんです。

特に家柄などが良いと(名家名流とか言うようですが)自分は偉いんだと言う幻想を持って、周りの人達を軽

く見てしまう危険などをはらんでしまうんです。

 

 さてここからが本論なんですが、こんな問題にどう対処して自分のカミサマの知恵を借りるのかです。

まずは「同調しすぎ」への対処です。相手のあるいは自分の困った問題に出会うと私達はついついそれに

巻き込まれてしまいます。「困ったな」「それは大変だ」「それは気の毒だ」「かわいそう」「なんとか

してあげたい」と言うのが人間の自然な「情」と言うものでししょう。

これは人として実に大切なことなんです。でもその感情に巻き込まれてはいけません。

 ここで考えなければならないのは「一緒になってその渦に巻き込まれてもどうにもならない」ことなんです。

そこに「N-1」の考え・理論が必要なんです。平たくいえば「一抜け」つまりそこから一旦抜け出すことです。

その問題の事態を3歩離れて「遠くから客観的に見てみる」ことが非常に大切だということです。

そうやって冷静に見てみるとそんなことになった「背景」や「何が一番こまったことか」が見えてくるハズです。

まずは「一抜け」ですね。

 

 そこからがカミサマの出番です。自分の中のカミサマに聞いてみるんです。「どうしたら良いか教えてください」

と聞くと親切なカミサマはきっと答えてくれます。そう自分の中から自分の「正しい答え」を探すんです。

それは「あれこれや色んな要因から来ているんだから、順を追って一つ一つ解決していくしかないね」とカミサマ

はきっとそんな風に答えてくれます。つまり「自分にできること」を丁寧に一つ一つやっていくだけなんです。

問題にもよりますが、難しい複雑に入り組んだ問題を一辺に全てを解決する「妙案」はカミサマでもなかなかナイ

ものです。一緒になって騒いでもダメなんですね。

大切なのは「愛」をもって粘り強く解決しようとする意思なんだと思います。

 

 ここで思い出していただきたいのはNo①で紹介した 

∑幸せプラン=「目標」×「現実の正しい理解」×「創意工夫」×「自己努力」の方程式です。

正しい目標、正しい現実の理解、正しい努力を創意工夫・試行錯誤の中でやって行くことだと私は思います。

そのエンドレスなサークルの繰り返しが「幸せ」に至る真実の「道」であるということなんです。

カミサマの一言はそんなことを思い出させることだと思います。カミサマは直接助けるのではなく、進むべき

道を思い出させてくれることなんでしょうね。

 そして「真の創造性」「自分らしく生きること」はその努力の中でしか生まれないと私は信じています。

幻想から生まれる「創造性」は「真の自分らしさから生まれる創造性」とは全く違っているんです。

その生き様の在り様、あるいはもしアートを目指すなら特に「真の創造性」は濁った水からは生まれてこないんです。

 

 まあ特に難しいことを言っているのではありません。「色々な幻想から離れて、自分自身と周りの人達

正しく見つめ」そして「目標に向かって正しい努力を続ける」ことだけをやれば良いんです。

そのために必要なのが自分の中にいる「カミサマ」の声を聞くことなんです。カミサマはいつも私たちの

身近に・そう私たちの中にいるんです。その姿は私たちの目には見えないんですが。

 

 それが「幸せプランナ-」である私からのたった一つの「提案」です。

そんなことを私はお勧めしたいと思います。それが宇宙の世界の平和につながると私は確信しています。

   

   ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 ただ「脳」や「体」のどの部分に「幻想・妄想」や「カミサマ」がいるかは残念ながらまだ解明されて

いないのが現状ではあるようです。脳科学は進んでMRIなどで血流を分析して脳の部分・部分の働きなどは

研究されていますがその全体系、どう全体がコントロ-ルされてどう部分・部分がめいめい勝手に動いているの

かはまだ未知の世界なのです。

 今はまだただ経験的にこれらのことがおこるかが確認されて「理論」になっているんですね。

それが将来、物理学・量子力学、素粒子論などでハッキリと解明されるのはそう遠くない未来であると思われるんです。

必ずそのその働きの「理論」が科学的に「実証」される日がやってくるはずです。

 また最近のアメリカなどでは「瞑想・マインドフルネス」を「宇宙」へのつながりの一つの手法として活用することが

われています。普段の思考回路から離れて自分の中をユックリと見つめ、人間の働きを大きな目で捉え、カミサマに近づく、

そんな新しい動きもあるんです。またそれは日本古来の「禅」の欧米流の進化でもあります。

 

 ただ一つだけ言えることは、元々が宇宙の塵の集合体である「人間」が宇宙の論理の中にあることは間違いのないことです。

そんなことで、私は人間は必ず宇宙・そしてその先にあるカミサマにつながると考えて論を進めてきました。

そしてカミサマは宇宙から私たちの中に差し込む「光」であるとの理解・認識を持つに至っております。

  まだまだ研究などは途中段階で全体像の海図の完成は十数年先なんでしょうが、今は羅針盤の進路を宇宙の彼方「光」の方向に

向けて、明るい社会を目指して行くことにしましょう。

 

  私自身の自己分析をしてみると、どちらかと言うと「統合失調質」の傾向があり、DNAとしては千年以上「武士」だった

という「上から目線」の傾向があるようなんです。そんな資質が私自身を誤った方向に進みささせかねない「危険」がある

ことを認識すべきなんだと思います。皆さんはどうでしょうか?。まあ完璧な「人間」はいないわけで、そこは理解・認識

し補正して「光」の世界を目指して参りましょう。

 

 

 

次回からは個別の事象について私の考えを述べて行こうとおもいます。

 

 

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