近年、音楽情報に疎くなってしまいネットでも情報を得ようともしていないのです。
以前は雑誌を買っていましたが今や紙媒体が存続の危機の様な。
335さんのブログで知りました。
ギタリスト、ディッキーベッツが亡くなったと。80歳。
年齢的なモノは仕方ないとしてもブルーズロックが熱かった頃の生き証人の
ビッグネームがまた去ってしまった。
何とも喪失感が出てしまいます。リアルタイムで聴いていた方々は私の親世代か。
元オールマンブラザーズのギタリストで偉大なソングライター。
オールマンズを解雇されたりドラッグやグレッグオールマンとの確執とか
色々聞きますが、ソロで活躍して。
オールマンズが売れたのはギターの相方でギターヒーロー
デュアンオールマンが早世してからの事ですね。
以前に何度も書きましたが、
仕事で環八の渋滞に巻き込まれてている時、営業も終わらせ帰社する渋滞ストレスの中に
開局して日が無い東京のFM、JーWAVEが16時台に20分だけ
JAZZ寄りのクロスオーバーサウンドを流す番組でかかった
「エリザベスリードの追憶」
その頃、70年代初頭のクロスオーバーと呼ばれるジャンルにハマって居た頃で
散々ブルーズルーツのウンチクを友人が垂れていたリストの中に入っていた
オールマンブラザーズ。
当時ネットも無いので、何かで直ぐ情報を得て
翌日の仕事上がりに西銀座のHMVへと走り
手に入れたのが名盤「フィルモアイースト」
ガチコチのメタル野郎だと思われていたので、私がこのアルバムを持っている事に
驚く人間が多くて、そのイメージを崩す機会にもなった
オールマンズ。その入り口が、ディッキーベッツ作「エリザベスリードの追憶」
当時エレアコばかり弾いていたので、耳コピで速攻音録りしコピーを始めました。
コードやテーマ部から始め、ディミニッシュスケールを挟み
デッキーのソロパートに入り、その辺りを一応コピーするも
長尺の曲をエレアコで耳コピするにも弦の硬さで限界が有り
グレッグのキーボードソロが始まるトコで尽きました。
という事はデッキーをコピーしたという事ですねぇ(今気付きました)
切ない、でも重くない哀愁のあるこの曲もディッキー作曲。
デュアンが残した何かのインタビューで
「ディッキーはオレとのリードギターを比べられる事にナーバスになるんだよ」と
ディッキーを気遣うコメントをしていた事が印象的です。
渋谷のギターショップ、Nancyの社長さんが持っていたディッキーベッツが元オーナーの
59年製ギブソンレスポール、それを治すのに2年かかった事
社長さんが「今ディッキーさんがコレ弾いたら欲しくなっちゃうかもね」と
談笑したのも思い出深いです。
何だかドンドン、ロックの良い時代が亡くなっていく事に
凄い寂しさを感じます。
ご冥福をお祈りします。
以前は雑誌を買っていましたが今や紙媒体が存続の危機の様な。
335さんのブログで知りました。
ギタリスト、ディッキーベッツが亡くなったと。80歳。
年齢的なモノは仕方ないとしてもブルーズロックが熱かった頃の生き証人の
ビッグネームがまた去ってしまった。
何とも喪失感が出てしまいます。リアルタイムで聴いていた方々は私の親世代か。
元オールマンブラザーズのギタリストで偉大なソングライター。
オールマンズを解雇されたりドラッグやグレッグオールマンとの確執とか
色々聞きますが、ソロで活躍して。
オールマンズが売れたのはギターの相方でギターヒーロー
デュアンオールマンが早世してからの事ですね。
以前に何度も書きましたが、
仕事で環八の渋滞に巻き込まれてている時、営業も終わらせ帰社する渋滞ストレスの中に
開局して日が無い東京のFM、JーWAVEが16時台に20分だけ
JAZZ寄りのクロスオーバーサウンドを流す番組でかかった
「エリザベスリードの追憶」
その頃、70年代初頭のクロスオーバーと呼ばれるジャンルにハマって居た頃で
散々ブルーズルーツのウンチクを友人が垂れていたリストの中に入っていた
オールマンブラザーズ。
当時ネットも無いので、何かで直ぐ情報を得て
翌日の仕事上がりに西銀座のHMVへと走り
手に入れたのが名盤「フィルモアイースト」
ガチコチのメタル野郎だと思われていたので、私がこのアルバムを持っている事に
驚く人間が多くて、そのイメージを崩す機会にもなった
オールマンズ。その入り口が、ディッキーベッツ作「エリザベスリードの追憶」
当時エレアコばかり弾いていたので、耳コピで速攻音録りしコピーを始めました。
コードやテーマ部から始め、ディミニッシュスケールを挟み
デッキーのソロパートに入り、その辺りを一応コピーするも
長尺の曲をエレアコで耳コピするにも弦の硬さで限界が有り
グレッグのキーボードソロが始まるトコで尽きました。
という事はデッキーをコピーしたという事ですねぇ(今気付きました)
切ない、でも重くない哀愁のあるこの曲もディッキー作曲。
デュアンが残した何かのインタビューで
「ディッキーはオレとのリードギターを比べられる事にナーバスになるんだよ」と
ディッキーを気遣うコメントをしていた事が印象的です。
渋谷のギターショップ、Nancyの社長さんが持っていたディッキーベッツが元オーナーの
59年製ギブソンレスポール、それを治すのに2年かかった事
社長さんが「今ディッキーさんがコレ弾いたら欲しくなっちゃうかもね」と
談笑したのも思い出深いです。
何だかドンドン、ロックの良い時代が亡くなっていく事に
凄い寂しさを感じます。
ご冥福をお祈りします。
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