南スーダン:両陣営が戦争犯罪を行っている
指揮官は人権侵害を止めさせ、アフリカ連合は調査を始めるべき
(ナイロビ、2014年2月27日)-南スーダンの2大石油生産拠点で最近行われた戦闘の際、政府支持派と反政府派の武装部隊双方が、戦争犯罪に相当する可能性のある、重大な人権侵害を行った、と本日ヒューマン・ライツ・ウォッチは述べた。
ヒューマン・ライツ・ウォッチ調査員は、石油を生産している上ナイル州とユニティ州の州都、マラカルとベンティーウを、2014年1月29日から2月14日にかけて訪れた。両陣営の武装部隊が、極めて重要な援助用施設を含む、民間人の財産に広く略奪を加え破壊し、多くの場合出身部族を基準とする、民間人を標的とした攻撃や超法規的処刑を行ったことを、調査員は明らかにした。
「この武装紛争での無慈悲な破壊と暴力には驚かされます」、とヒューマン・ライツ・ウォッチのアフリカ局長、ダニエル・ベケレは語っている。「両陣営は、自部隊が人権侵害を行うのを止めさせ、部隊の行為に責任ある者を裁判に掛ける必要があり、アフリカ連合(以下AU)は随分前に約束した調査を加速させるべきです」
ヒューマン・ライツ・ウォッチ調査員は2013年12月下旬以降、首都ジュバ、ボル(ジョングレイ州)、ベンティーウ、マラカルで起きた疑いのある、重大な人権侵害と国際人道法違反について調査した。調査員たちは、戦闘や攻撃の被害者と目撃者数百人を聞取り調査し、安全対策上立ち入り不可能な場所を除く、全ての攻撃現場を調査した。
マラカルとベンティーウの町は現在、広範囲に破壊され殆どゴーストタウンになっている。恐怖に慄いた住民が国連基地や周辺の田舎部に逃げ出したためだ。多くの場合出身部族を理由とする、更なる攻撃や民間人を狙った行為への脅威が、大多数の住民の帰還を許さないでいる。両町とも、重要な政治的・経済的拠点で、様々な部族の出身者が長い間、共に生活してきた。
戦闘を停止すべく、政府部隊と現在「スーダン人民解放軍内反政府派」として知られる反政府部隊が署名した協定が、2014年1月23日に成立したにも拘わらず、両陣営による新たな攻撃が行われきた。信頼性の高い報告によると、政府部隊が2月初旬に、ユニティ州のリール、ガツディアンその他の場所を攻撃、その一部はウガンダ軍に支援されていたことを示している。
ヌエル族武装戦闘員から成る、通称「白軍」を含む反政府派部隊は、2月18日にマラカルを攻撃した。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、「反政府派部隊が2月19日、マラカル病院で複数の民間人を殺害した」、「マラカルにある国連キャンプ内とその周辺で戦闘が発生、更に犠牲者が出た」、という信頼性の高い報告を受けた。
ディンカ族出身のサルバ・キール大統領と、ヌエル族出身のリエク・マシャール前副大統領の間の政争が、今回の武装紛争の背景だ。南スーダン大統領護衛隊の隊員が、2013年12月15日に首都ジュバで衝突し、戦闘は始まった。キール大統領は、戦闘はマシャール及びそれと手を結ぶ者によるクーデター未遂だと述べ、一方マシャールはそれを否定した。12月15日以降、武力紛争は、ユニティ州、上ナイル州、ジョングレイ州の各市町村に拡大した。
如何なる武力紛争においても、人道援助用に使われているものを含む、民間人や民用財産を狙った殺人や攻撃、略奪は禁止され、戦争犯罪となる。今回の紛争には既に、出身部族を理由とする明確にパターン化した報復殺人、大規模破壊、広範な略奪などが見られると、ヒューマン・ライツ・ウォッチは調査をもとに指摘した。
ヒューマン・ライツ・ウォッチ調査員はジュバで、南スーダン治安部隊のディンカ族隊員が、危機第1週においてヌエル族の兵士や民間人を広く殺戮し、大量逮捕を行ったことを明らかにした。ヒューマン・ライツ・ウォッチはまた、ボルの町中でディンカ族民間人が殺害されたことを取りまとめた。ボルでは、ヌエル族の「白軍」を含む戦闘員が、市場や民家を略奪・破壊し、自宅や建物の中に隠れていた民間人を殺害しのだ。南スーダンの各地で起きたように、その攻撃を行ったヌエル族青年は、動機としてジュバでのヌエル族殺害への報復を挙げていた。
ヌエル族が多数を占める地域、ベンティーウ及び隣接するラブコナで、12月20日と21日、スーダン人民解放軍(以下SPLA)隊員の政府支持派と反政府派の間で戦闘があった。反政府部隊は両町を、2014年1月10日まで支配した。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、政府支持派SPLAとスーダン反乱軍「正義と平等運動(JEM)」の戦闘員から成る政府部隊が、店舗・民家・市場・援助機関事務所などに広く略奪を行ったという、複数の報告を受けた。ベンティーウの広い地域とラブコナの殆どの地域が、両町の奪還の際に焼かれた。
住民によれば、政府部隊が到着する前に、殆どの民間人は自宅から逃げたものの、政府兵士は、残っていた民間人を射殺したそうだ。ヒューマン・ライツ・ウォッチはまた、政府部隊が、その後数日にわたり反政府部隊を追跡する際に、ユニティ州ギート郡で複数の村を焼き払った、という複数の報告も受けた。
反政府部隊が支配していた際に反政府兵士は、1月10日の当日とその前数日にベンティーウとラブコナから逃げ出す前に、警察や民間人と一緒になって、両町で略奪を働いた。反政府兵士と民間人は田舎部に逃げる際、他の民間人から貴重な食糧を盗んでいる。
調査員はまた、2013年12月に先だち、政府治安部隊隊員を含むヌエル族が、ベンティーウとラブコナで生活するディンカ族を狙って殺害するのを含め、襲っていたことを明らかにした。
主にシルック、ヌエル、ディンカの各部族コミュニティーからなる民族的に多様な町であるマラカルでは、12月24日に政府支持派と反政府派の部隊が、SPLA兵舎・空港・他町の拠点となる場所で衝突、武装紛争が始まった。政府は12月27日にマラカルを奪還したが、2014年1月14日、1月20日、反政府部隊による3度目の攻撃を受けた直近2月18日にも、同町の支配権を奪われている。
同町は広く焼き討ちと略奪を受け、殆ど全ての民間人は、街の北側に位置する村々・教会・病院・国連建物の敷地内に逃げ込んだ。
ヒューマン・ライツ・ウォッチは、両陣営が町を実質支配していた際に、民間人を攻撃、食料や人道援助物資を含む、民用財産を破壊・略奪すると共に、出身部族を理由に人々を狙って襲撃したことを明らかにした。例えば、反政府部隊がマラカルを事実上支配していた、1月の1週間で、ヌエル族「白軍」戦闘員は、民家を1軒ずつ略奪、住民に銃を突き付けて強盗を働き、何人かを冷酷に殺害している。
目撃者や家族によれば、政府部隊がマラカルを支配していた1月20日から2月中旬までの間、兵士は民用財産に略奪や焼き討ちを行い、マラカル研修病院の内部などで、ヌエル族男性を狙って殺戮を行った。
国連南スーダンミッション(UNMISS)は、民間人数万―紛争が最も激しかった際にはマラカルで27,000人超、ベンティーウで7,000人超―に安全な避難所を提供、更に住民を安全な場所に移動させた事例も幾つかあり、間違いなく多数の命を救った。
「南スーダンの武力紛争は終結には程遠く、民間人は依然として、国連建物の敷地内でも、人権侵害に遭う危険があります」、とベケレは指摘した。「両陣営の軍指揮官は、自部隊に民間人と民用財産への攻撃を止めるよう、直ちにかつ明白に命令する義務があり、更に指揮官は人権侵害を行った兵士の責任を問う必要があります」
被害者にとっての「法の正義実現」確保及び、特に出身部族を理由とするターゲットキリングの結果がもたらした、広範な人々が抱える怒りに対処するには、今回の武装紛争時に行われた人権侵害への、徹底的かつ公平な捜査が、必要な最初の措置だ。それらに取り組まなければ、それらの人権侵害は更なる暴力をもたらす危険がある。
国連ミッションは2月21日、武装紛争時の人権侵害に関する暫定報告書を公表、両陣営による人権侵害を詳述した。その報告書は、積極的な進展であるが、両陣営による更なる人権侵害を防ぐ取組として、もっと頻繁に報告を公開する必要がある。
AU平和・安全保障理事会は2013年12月30日、「2014年3月30日までにAU調査委員会に、武装紛争時の人権侵害他の虐待事件に関し、報告をするよう」求めた。その任務には緊急を要しているにも拘らず、委員は未だに指名されていない。
「AUが約束した調査が、延び延びになっています」、とベケレは指摘した。「更なる人権侵害を予防と、恒久的な平和に繋がる道への極めて重要な第1歩としての両方の意味で、AUによる調査は緊急に必要とされています」
Bentiu and Rubkona
ユニティ州ベンティーウとラブコナにて
Bentiu and neighboring Rubkona are a gateway to key oil fields, with a population largely of ethnic Nuer. On December 21, 2013, following skirmishes between pro and antigovernment forces at army barracks, General James Koang, the head of the SPLA’s Division 4, defected and declared himself the military governor of Unity state. His forces exercised control over the towns until January 10, 2014, when government forces attacked and recaptured them.
ベンティーウと隣接するラブコナは、主な石油産出地への入り口であり、住民の大半はヌエル族で占められている。2013年12月21日に軍の兵舎で、政府支持派と反政府派による小競り合いが起きたのを受け、スーダン人民解放軍第4師団長、ジェームズ・コアーン大将は軍から離脱、ユニティ州の軍事知事就任を宣言した。2014年1月10日に政府部隊が両町を攻撃・奪還するまで、彼の部隊は両町を支配していた。
During the period when Koang’s forces were in control, opposition soldiers loyal to him, as well as police and civilians, extensively looted markets, shops, and the offices of numerous international aid organizations.
コアーンの部隊が両町を支配していた間、彼に従う反政府派兵士、並びに警察と民間人は、市場・店舗・多くの国際援助団体事務所を広く略奪した。
After taking control of the town on January 10, pro-government forces also looted and burned large areas of Bentiu, including markets on either side of the main road and almost all of Rubkona market and surrounding neighborhoods, leaving only charred remains.
政府支持派部隊はまた、1月10日に町の支配権を奪還した後、主要道路の両側に位置する市場及びラブコナ市場の殆ど全てを含む、ベンティーウの広い地域と周辺地区に、略奪と焼き討ちを行い、黒焦げになった遺体だけを残した。
Bentiu and Rubkona are currently under government control. Some civilians have returned to the town looking for food, but the majority of the population continues to take shelter at the UN base or have fled to other areas.
ベンティーウとラブコナは現在、政府支配下にある。一部の民間人は食料を探しに町に帰ったが、住民の多数派は国連基地あるいは他の地域に避難し続けている。
Attacks on Civilians by Government Forces
政府部隊による民間人への攻撃
As the government forces entered Rubkona from the north on January 10, Dinka who had taken shelter at the UN compound, including some pro-government soldiers who had fled during Koang’s defection, jumped over the fence and joined the attacking forces. Witnesses saw the government soldiers give these men weapons, including machetes, and described seeing some men from this group beat Nuer civilians living next to the base and burn numerous huts.
ラブコナの国連建物敷地内には、コアーンが軍から離脱した際に逃げ出した政府支持派兵士の一部を含むディンカ族が避難していた。政府部隊が1月10日にラブコナに入った時、そのディンカ族がフェンスを飛び越え、攻撃部隊に参加した。目撃者は、政府兵士がそれらの男たちに、ナタを含む武器を与えたのを見ており、グループの男たちの一部が、基地の隣で生活するヌエル族民間人を暴行し、多数の小屋(民家)を焼いた様子を詳述している。
At least five people were killed, including an elderly woman who was burned in her hut. “They came, pushed me in, and then lit my house on fire,” said another elderly woman who survived and who still had severe burns on her face and arms when she spoke to Human Rights Watch. “They were singing in Dinka when they came up to me. When they saw that I had [traditional scarification] marks, they identified me as Nuer.”
少なくとも5人が殺害されたが、内1人は高齢女性で、自宅小屋の中で焼かれた。その攻撃を生き残り、ヒューマン・ライツ・ウォッチが話を聞いた時、まだ顔と腕に重傷の火傷を負っていた、もう1人の女性は、「あの連中は来て、私を中に押し込み、アタシの家に火を点けたんだよ」、と述べた。「アタシん家に来た時、連中はディンカ語で歌っていたよ。アタシの顔の[伝統的なスカリフィケーション] 模様を見て、ヌエル族だって分かったのさ」
Almost all of Rubkona and Bentiu’s civilian population had fled the towns ahead of the government attack. Government forces shot at the remaining civilians, killing some as they fled toward the UN compound. A witness told Human Rights Watch that he saw Sudanese rebels from JEM and government soldiers taking aim and shooting civilians as they were running toward the UN base.
ベンティーウとラブコナのほぼ全ての民間人住民は、政府による攻撃に先だち両町か逃げた。政府部隊は残った民間人に発砲、国連建物敷地内に向かって逃げる民間人の一部を殺害した。ある目撃者によれば、JEMに所属したスーダン反乱軍と政府兵士が、国連基地に向かって逃げる民間人を狙って、発砲するのを見たそうだ。
After the government forces recaptured the town, witnesses saw about 30 civilian bodies on the road between the town and the UN base, including some in areas where there had been no exchange of fire with opposition forces. Civilians who fled to nearby streams and swampy areas said the government soldiers shot at them in their hiding places in tall rushes.
政府部隊が町を奪還した後、目撃者は民間人約30人の遺体を、国連基地と町を結ぶ道路上で、反政府部隊との銃撃戦がなかった地域でも見た。近くの小川と湿地帯に逃げた民間人は、政府兵士は背の高い草むらに隠れた彼らを銃撃したと述べた。
“I saw three people shot … in the head and chest,” said one man who hid among reeds for three days without food or water. “On the second day of hiding they decided to walk out [of hiding] and then they were shot.” Another man who hid nearby in a riverbed said soldiers burned the rushes, perhaps to get a better look at where people were hiding: “If you got out you would be killed, if the grass [rushes] moved they shot at you,” he said. The same man saw soldiers shoot a boy running beside him as he fled, and saw the bodies of a woman and two other children in the river after soldiers shot them.
「人が3人撃たれるのを見ました・・・頭と胸です」、とアシの中に3日間水も食料もなく隠れていた男性は語った。「隠れて2日目に[隠れている所から]出ようって決めたんですが、また撃たれました。」 近くの河床に隠れていたもう一人の男性は、隠れ場所を見通しを良くするためだろう、兵士たちは草むらを焼いたと、以下のように語った。「出てれば、殺されました。草[むら]がなくなってたら、撃たれてました。」 同じ男性は、自分が逃げていた時、傍らを走っていた1人の少年を、兵士たちが撃ったのを目撃、更に銃撃の後、1人の女性と2人の子どもの遺体が、川の中にあるのを見たそうだ。
Human Rights Watch was also shown the remains of five civilians reportedly shot on the same day in a neighborhood of Rubkona, close to these hiding areas. Their bodies had been burned at the site. A young man, around 18 years old, said he had been shot in his left thigh by government soldiers as he ran away from them. A government worker said his 19-year-old nephew was also killed on January 10 and his body had been left in the Kallevalle neighborhood of Bentiu. Several people told Human Rights Watch that they had seen or heard of bodies left in various neighborhoods in Bentiu following the recapture of the town.
ヒューマン・ライツ・ウォッチはまた、上記の隠れていた地域に近いラブコナの1地区で同じ日に、射殺されたと伝えられる民間人5人の遺体を見た。遺体はその場で焼かれていた。18歳位の少年は、政府兵士から走って逃げた際、左大腿部を撃たれたと話していた。ある政府職員は、19歳の甥が1月10日に殺され、遺体はベンティーウのカレヴァレ地区に放置されていると語った。数人がヒューマン・ライツ・ウォッチに、ベンティーウが政府によって奪還された後、町の様々な地区に放置されている遺体を見た、あるいは、遺体が残されていると聞いたと話していた。
Ethnic Targeting Before the Government Attack
政府部隊攻撃前の所属部族を理由とした襲撃
Human Rights Watch found that prior to the clashes on December 20, 2013, ethnic Nuer members of security forces targeted ethnic Dinka civilians in Bentiu and Rubkona in reprisal for the killings of Nuer in Juba in December.
ヒューマン・ライツ・ウォッチは、2013年12月20日の衝突に先だち、治安部隊のヌエル族隊員が、12月にジュバで起きたヌエル族虐殺の報復として、ベンティーウとラブコナでディンカ族市民を狙って襲撃した、事実を明らかにした。
A government administrator was killed and two others were injured when a mix of Nuer police and wildlife personnel attacked a house in Bentiu, a relative of the inhabitants said. One woman said Nuer members of the wildlife service beat her aunt so badly on the night of December 20 that she later died. Another man said that Nuer policemen had killed four people in his house after he fled.
ヌエル族の警官と野生動物保護官で構成された一団が、ベンティーウの民家を襲撃、政府役人1人を殺害、2人を負傷させたと、当該民家住人の親戚は語った。ある女性によれば、ヌエル族の野生動物保護官複数が12月20日の夜、叔母を激しく暴行、その後叔母は死亡したそうだ。もう1人の男性は、ヌエル族の警官が自宅で、自分が逃げ出した後に4人を殺害したと話していた。
One church leader said he gathered frightened Dinka in his church on the night of December 19 as Nuer civilians and armed police moved around his neighborhood looking for Dinka: “I heard people talking behind my fence saying, ‘We will kill all Dinka.’ It was a mix of civilians and police.” He saw the body of a Dinka woman, a cleaner in his church, among around 15 corpses sent to the hospital the next day.
ある教会指導者は、12月19日の夜に自分の地区周辺を、ヌエル族の民間人と警官が、ディンカ族を探して動き回っていた時、恐怖にかられたディンカ族を集合させたと、以下のように話した。「私ンとこの壁の後ろで、みんなが“ディンカ族を皆殺しにする”って言ってるのを聞いたんです。普通の人と警察が混じっていました」。また、教会の清掃人だったディンカ族女性の遺体を、翌日病院に送られてきた15人分の遺体の中で見たと話していた。
A senior government official said that about 70 Dinka civilians had been killed during the targeted killing in the towns. As most Dinka had already moved to ethnic Dinka parts of Unity state, Human Rights Watch was unable to ascertain the full extent of the killings.
政府幹部職員は、約70人のディンカ族民間人が、同町でのターゲットキリングの際に殺害されたと述べた。ディンカ族の殆どが既に、ユニティ州のディンカ族地区に移動しているので、ヒューマン・ライツ・ウォッチはその時の虐殺の規模を解明できない。
Efforts by government officials, army officials, and the UN mission to collect Dinka and move them to the UN camp probably helped save many lives.
ディンカ族を集合させて国連基地に移動させた、政府職員、軍当局者、国連ミッションが行った活動が、恐らくは多くの人命救助の一助となっている。
Malakal
上ナイル州マラカルにて
Conflict spread to Malakal, the ethnically diverse town with large groups of Shilluk, Nuer, and Dinka, on December 24. Nuer forces commanded by General Garhouth Galwak defected from the SPLA and other security organs and clashed with the pro-government forces in several locations, including near the UN compound north of town.
シルック族、ヌエル族、ディンカ族の大きなコミュニティーを擁する民族的に多様な町であるマラカルにも、12月24日に武装紛争は拡大した。SPLAから抜けたガルハウス・ガルワク大将が指揮するヌエル族部隊と他の治安機関は、町の北側に位置する国連建物敷地の近くを含む幾つかの場所で、政府支持派と衝突した。
The government recaptured the town on December 27 and held it for several weeks. The town changed hands again with an opposition attack on January 14, 2014, back to a government recapture on January 20, and a another opposition attack on February 18. The attacking opposition forces in January and February included thousands of fighters in the so-called white army, the name used to describe large groups of armed Nuer youths fighting en masse, in addition to uniformed opposition soldiers.
同町は12月27日に政府によって奪還され、数週間支配されたが、その後2014年1月14日には反政府部隊の攻撃を受け再び反政府側の手に落ち、1月20日には政府が再奪還、2月18日にも反政府部隊の攻撃を受けて反政府側と、度々支配者が代ってきている。1月と2月の反政府部隊による攻撃には、数千人の通称「白軍」戦闘員が参加した。「白軍」というのは、武装したヌエル族青年の大きな戦闘集団と、制服を着用した反政府兵士を表現する場合に使われてきた名である。
Forces on both sides killed many civilians, often based on their ethnicity. The death toll is unknown, but many people interviewed by Human Rights Watch said they saw dozens of bodies lying on main roads in January and February. In addition to the targeted killings, civilians were killed in the crossfire during clashes near the UN compound on December 24, 2013, January 20, 2014, and February 18, and as a result of fighting inside the camp for displaced people inside the compound.
両陣営の部隊が、多くの民間人を殺害、多くの場合は出身部族がその理由だった。犠牲者の総数は不明だが、ヒューマン・ライツ・ウォッチの聞取りに応じた多くの人々が、1月と2月に主要道路上で横たわっている数十の遺体を見たと話していた。民間人は、出身部族を理由としたターゲットキリングに加えて、2013年12月24日、2014年1月20日、2014年2月18日にそれぞれ国連建物で起きた衝突の際の銃撃戦に巻き込まれて、及び国内難民向けに国連建物敷地内に設置したキャンプ内で発生した戦闘の結果、殺害されている。
Attacks on Civilians by Opposition Forces
反政府部隊による民間人への攻撃
During their attack on January 14, the opposition “white army” fighters, wearing colored headbands to indicate their country of origin, went house to house demanding money, phones, food, or other goods. They looted indiscriminately, including from ethnic Nuer residents, but appear to have carried out more violence against non-Nuer residents.
出身地方を示す色のヘッドバンドをした反政府「白軍」戦闘員は、2014年1月14日に行った攻撃の際、民家を1軒ずつ回り、金銭・携帯電話・食糧その他の物品を要求した。彼らは、ヌエル族住民を含め無差別に略奪したが、ヌエル族でない住民にはより激しい暴力を振るったようである。
In one example, two armed “white army” members shot a man from Maban county in the face and stomach, killing him instantly, when he refused to hand over money and mobile phones, said his 22-year-old wife, who witnessed the shooting:
例えば「白軍」隊員2人が、マバン郡で男性に金銭と携帯電話を要求、男性に拒否され、顔面と腹部を銃撃、即死させた事例がある。男性の妻(22歳)は射殺現場を目撃しており、以下のように語った。
When the rebels came from Nassir, we were at home. Some came together and demanded a mobile. My husband, Jumaa, said ‘No, we don’t have one.’ The rebels left but then two of them came back and again asked for a mobile and money. They pointed their gun at Jumaa and shot him in the belly and in the mouth.
「ナシルから反乱軍が来た時、私たちは家に居ました。何人かが一緒に来て、携帯電話を要求したんです。夫のジュマーは、「俺たちは携帯なんて持ってない」って言ったんです。反乱軍は出ていきましたが、2人が戻ってきて、また携帯電話とお金を要求しました。ジュマーに銃を突き付けて、お腹と口を撃ったんです」
A priest from Western Equatoria from the Moro ethnic group, told Human Rights Watch that he had remained in town following the opposition attack on January 14. He said that a soldier had arrested his son, tied his hands, and took him to the river at gunpoint. “The neighbor who saw this called us, and me and his mother went running after the soldier,” the clergyman said. “He started to fire in the air, then recognized me and let my son go.”
1月14日の反政府部隊による攻撃の後も、マラカルに残ったと話す、西エクアトリア州出身でモロ族のカトリック神父によれば、1人の兵士が息子を逮捕し、両手を縛って、銃を突き付けて川まで連行したそうだ。「その場面を見た隣人が話してくれて、私と息子の母親が兵士を追いかけました」、「その兵士は、空に向かって警告射撃を始めたんですが、私と分かると、息子を離してくれたんです」
Many witnesses interviewed by Human Rights Watch said they had left the town before the January 14 attack. They said that people who returned to the town after the attack reported seeing dead bodies on the streets or in homes, and that the victims apparently had been shot during robberies. Since the opposition forces recaptured the town on February 18, witnesses reported seeing additional dead bodies and burning houses.
ヒューマン・ライツ・ウォッチの聞取りに応じた多くの目撃者は、1月14日の攻撃以前に町を離れたと話していた。彼らによれば、攻撃後に町に帰った人々が、街路上や民家の中で遺体を複数見ており、犠牲者は強盗に遭って射たれたように見えたそうだ。
Ethnic Targeting by Government Forces
政府部隊による所属部族を理由とした襲撃
Human Rights Watch received consistent reports from many sources that government soldiers targeted ethnic Nuer males for arrest and killings after January 20. A Nuer Presbyterian pastor was among those reported killed, as he was shot in the street in the days after the town was recaptured.
ヒューマン・ライツ・ウォッチは多くの消息筋から、政府兵士が1月20日以降、ヌエル族男性を狙って逮捕と殺害を行った、という一貫した報告を受けた。ヌエル族のあるキリスト教長老派教会牧師も、町が政府によって再奪還された数日後に街頭で射殺されたと伝えられる犠牲者の1人だ。
“When the government came, they targeted Nuers,” said a witness, a clergyman. “One pastor we know was killed. He put on his collar and wanted to visit the hospital but was shot on the way.”
「政府はここに来てから、ヌエル族を狙った」、と目撃者&聖職者は語った。「知人の牧師が殺されました。詰襟を立て、病院に行こうとして、途中で撃たれたのです」
A 20-year-old student told Human Rights Watch that a group of seven soldiers arrested him and two friends as they were walking to the UN compound on January 20. The soldiers tied the youths’ hands with rope, put them in a vehicle, and then handed them over to other soldiers at a military barracks.
20歳の学生はヒューマン・ライツ・ウォッチに、1月20日に国連建物敷地に向かって歩いていた際、友人2人と一緒に兵士7人の1団から逮捕された、と話した。兵士は、若者の手をロープで縛り、車に乗せて、軍兵舎で他の兵士たちに引き渡した。
“They lined us up outside of a building and started shooting at us,” he said. “When they shot at me I just fell down.” The three of them were left for dead, but an hour later another soldier discovered that one youth was alive and took him to the hospital. His wounds required amputation of his right hand.
「兵隊は建物の外で僕たちを並ばせ、撃ち始めました」、「撃たれて倒れたんです」。3人は死んだとして放置されたが、1時間後に別の兵士が、若者の1人が生きているのに気付き、病院に連れて行った。その傷で、若者は右手を切断せざるを得なかった。
Another student, 18, said that on January 24 a group of government soldiers arrested him and two other Nuer youths at their home in Muderia area, took them to the riverbank, and shot at them.
もう1人の18歳の学生は1月24日、政府兵士の1団によって他のヌエル族若者2人と共に自宅で逮捕され、川岸に連行されて、そこで撃たれたと語った。
“They took us because we are Nuers,” the youth said. “They walked us to the riverside near the hospital. They told us to sit down and then they shot us. I tried to run into the river after I was shot and I fell into the water.”
「ヌエル族だっていう理由で、僕たちは捕まえられました」、「病院の近くにある川岸まで歩かせ、そこで座るよう言われ、その次に撃たれたんです。僕は撃たれた後、川の中に駆け込もうとして、水の中に倒れこみました」
He was shot in the buttocks and the thigh, and could not walk. Another soldier found him later that day and took him to a church. He believes the other two youths were killed.
彼は臀部と大腿部を撃たれ、歩けなかったが、別の兵士がその日遅く彼を見つけ、教会に連れて行ったのだそうだ。他の若者2人は殺されたと彼は考えている。
Soldiers also arrested Nuer men at the Malakal teaching hospital, where thousands of residents, most of them Nuer, had sought refuge when the government recaptured the town. Witnesses said the soldiers pulled the young men out of the hospital, took them near the river, and shot them. One 24 year old student who had sought refuge in the hospital said he went to the riverbank after hearing gunshots in the evening and saw four bodies of Nuer men in their twenties.
兵士はマラカル研修病院でもヌエル族男性を逮捕した。同病院には、政府がマラカルを再奪還した際、殆どがヌエル族である住民数千人が避難していた。目撃者によれば、兵士は病院の外に若い男性を連れ出し、川の近くに連行して発砲したそうだ。同病院に避難していた24歳の学生は、夜間に銃声を聞いて川岸に行ってみたところ、20台のヌエル族男性4人の遺体を見たと話していた。
Another student, also in his early twenties, was in the hospital because he had been shot in the crossfire during the December 2013 clashes. He told Human Rights Watch that a soldier had entered his room where he was staying, demanded his younger brother, 20, come out of the hospital, then took him near the river and shot him. Their 60-year-old mother found the body the next day. “When I went to the river I saw my son with my own eyes,” she told Human Rights Watch. “I couldn’t bury him because soldiers were at the river.”
2013年12月に起きた衝突の際、銃撃戦に巻き込まれて負傷、入院していた別の20代前半の学生は、ヒューマン・ライツ・ウォッチに、自分の病室に兵士が入ってきて、20歳の弟に病院から出るよう要求、川の近くに連行して発砲したと話した。60歳の母親が、翌日遺体を発見したそうだ。「川に行ってみたら、息子が倒れているのを見つけたんです。川に兵士がいるので、息子を埋葬もしてやれませんでした」。
Widespread Destruction, Looting
広く行われた略奪と破壊
The clashes and attacks, widespread looting and destruction, and other abuses by both sides have left the town destroyed and empty. Many witnesses noted that Malakal has never seen this level of destruction, even during the long civil war. Tens of thousands of civilians, some fleeing ahead of the first clash in December 2013, are now in villages or taking shelter at churches or the UN compound, seven kilometers from the town.
両陣営が、衝突と攻撃、広範な略奪と破壊、その他の人権侵害を行い、町は破壊されゴーストタウンとなった。多くの目撃者は、長期にわたった内戦期間中でも、マラカルで今回のレベルの破壊が起きたことはない、と指摘していた。民間人数万人が、その一部は2013年12月に起きた最初の衝突の前に町から逃げ出し、町から7km離れた、村々や教会あるいは国連建物敷地内に今避難している。
Following initial looting and burning by opposition forces in December, thousands of “white army” fighters from Nassir, Ulong, and other Nuer areas did substantial damage during six days in January 2014, looting the remaining shops, homes, and humanitarian aid compounds. These forces continued to destroy civilian properties when they regained control over the town following a February 17, 2014, attack, according to aid workers.
12月に反政府部隊が当初行った略奪と焼き討ちの後、ナシル、ウローン、その他ヌエル族地域出身の「白軍」戦闘員数千人が、2014年1月の6日間(1月14日から20日)に、残っていた店舗・民家・人道援助用建物に略奪を加え、大きな損害をもたらした。援助事業従事者によれば、それらの部隊は、2014年2月17日の攻撃で、同町の支配権を再度握った際にも、民用財産を破壊し続けたそうだ。
Government forces also looted and burned civilian property after January 20, said displaced residents who are now at the UN compound, particularly as law and order broke down and many of the state’s top officials defected or fled. When Human Rights Watch visited the town on February 13, several homes were aflame or smoldering from fires caused by vandalism.
特に法と秩序が破たんし、多くの幹部職員が離脱や逃亡する中、政府部隊もまた、1月20日後、民用財産を略奪焼き討ちした、と国連建物敷地内に現在避難している住民は語った。ヒューマン・ライツ・ウォッチが、同町を2月13日に訪れた際、破壊活動で生じた火災で、何軒かの家から炎が上がり、あるいは煙が立ち上っていた。