
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
最近は格闘技が盛んで、力や技を競い合い、強いものが勝つ、という風になっています。でも、強いものが勝ち、弱いものは負けるなら、正義というものが成り立たないのです。強いものだけが勝ち残り、幸せになり、繁栄するなら、弱肉強食で、動物と同じレベルです。
そういう生き方では、本当の幸せがくるとはとても思えません。
以下のお話は五井先生の『不動の心』からですが、現在の弱肉強食の政治、経済、法律、文化、教育から脱却するヒント、方法が示されています。
参考にしていただければ、幸いです。
“
人間は光です
人間というのは、ここに肉体があるんだけれども、実はここにあるのではなくて、光が流れて来ているんですよ。純粋な無念無想というか、空といいますか、そういう状態で光そのものになっているわけです。だから常に自分が光にのって、光そのものになって動いているわけです。植芝先生はそうなんです。光そのものだから、業の肉体はないんですよ。
肉体が立っていますから、肉体だと思って、向うはぶつかってくるけれども、光だから打てないんですよ。形があるけれどもない。そういう人にいくらぶつかっていっても駄目です。ちよっと見ると、遊んでいるみたいでしよう。八百長みたいにわざとぶつかっているように見えるかもしれませんが、かかってゆくほうは一生懸命汗を流している。汗を流してわざと出来るものじゃないですよね。一生懸命打っているんだけれど、どうしようもない。どうしてかというと、そこに植芝先生はいないんです。私が見るとよくわかる。肉体なんかありやしない、光があるだけですよ。宇宙にひろがっていますから、いくら打ったって無駄です。住んでいる次元、世界が違う。それと同じように、人間は空になって、我欲がなんにもなければ、本当は光そのものになっている。だから、不幸というものも、事故というものも、病気というものも、貧乏というものもぶつかって来ない。何故ぶつかって来ないかというと、事故でも病気でも貧乏でもみんな業想念なんです。カルマなんです。
業想念というのは何かというと、自分は神さまの光であるなどと思ってもみない。人間は人間で、肉体だと思っている想いがもとなのです。その業想念の波の中で生きているから、業想念がぶつかると、怪我をしたり、貧乏になったり、或いは病気になったりするんです。ところがそこをぬけ出して、神さまの中に全部入っている人は、光そのものになっているわけです。或いは光の波に乗せてもらっているわけです。業があると業をつかんでいるわけです。業と業とは仲がいいから、つかまれてしまう。業のままでいたら、怪我をするか、悪いことをされるかするんですけど、それが、五井先生という名前を通して、咄嗟に光の中に入ってしまうと、業は消えてしまうんです。業が離れちゃう。
幸福をつかむ方法
この世の中で幸福をつかむにはどうしたらいいかというと、光の波に常に乗っていることなんです。或いは自分が光になってしまうことです。光そのものになればそれは覚者というんです。植芝先生がそうですね。そうなってしまえばいいんだけど、なかなかそうなるには大変です。例えば植芝先生のような人が、宇宙と一つになればいいんだ、やってごらんなさい、というけれどどうやっていいかわからないですよね。植芝先生は遊んでいるみたいにやっているから、それをそのまま真似してみよう、なんてやったら、木刀で撲られちゃう(笑) 形を真似してもだめです。
宇宙と一つになるには、何生かけた前の世前の世から修行に修行を重ねて来た人が、また今生でうんと修行して、それでああなるわけです。名人達人を超えた超人、神の化身というんですね。神さまと全く一つになっている。全く一つになっているから、神さまを打つわけにはいかないです。神さまというのは宇宙にひろがっているのだから。それは光そのものになっているということと同じです。
ですからお弟子さん達も随分長いことやっている人がたくさんあります。みんな術として、技としては出来ますね。しかし植芝先生のように鮮やかにはいかない。何故出来ないかというと、技ではないからです。すっかり空になって、神さまの中にすっかり入ってしまっている。”
※植芝先生とは、植芝盛平翁(上記写真左側)のことで、合気道の開祖であり、伝説の神人武道家のことである。
本年もよろしくお願いします。
最近は格闘技が盛んで、力や技を競い合い、強いものが勝つ、という風になっています。でも、強いものが勝ち、弱いものは負けるなら、正義というものが成り立たないのです。強いものだけが勝ち残り、幸せになり、繁栄するなら、弱肉強食で、動物と同じレベルです。
そういう生き方では、本当の幸せがくるとはとても思えません。
以下のお話は五井先生の『不動の心』からですが、現在の弱肉強食の政治、経済、法律、文化、教育から脱却するヒント、方法が示されています。
参考にしていただければ、幸いです。
“
人間は光です
人間というのは、ここに肉体があるんだけれども、実はここにあるのではなくて、光が流れて来ているんですよ。純粋な無念無想というか、空といいますか、そういう状態で光そのものになっているわけです。だから常に自分が光にのって、光そのものになって動いているわけです。植芝先生はそうなんです。光そのものだから、業の肉体はないんですよ。
肉体が立っていますから、肉体だと思って、向うはぶつかってくるけれども、光だから打てないんですよ。形があるけれどもない。そういう人にいくらぶつかっていっても駄目です。ちよっと見ると、遊んでいるみたいでしよう。八百長みたいにわざとぶつかっているように見えるかもしれませんが、かかってゆくほうは一生懸命汗を流している。汗を流してわざと出来るものじゃないですよね。一生懸命打っているんだけれど、どうしようもない。どうしてかというと、そこに植芝先生はいないんです。私が見るとよくわかる。肉体なんかありやしない、光があるだけですよ。宇宙にひろがっていますから、いくら打ったって無駄です。住んでいる次元、世界が違う。それと同じように、人間は空になって、我欲がなんにもなければ、本当は光そのものになっている。だから、不幸というものも、事故というものも、病気というものも、貧乏というものもぶつかって来ない。何故ぶつかって来ないかというと、事故でも病気でも貧乏でもみんな業想念なんです。カルマなんです。
業想念というのは何かというと、自分は神さまの光であるなどと思ってもみない。人間は人間で、肉体だと思っている想いがもとなのです。その業想念の波の中で生きているから、業想念がぶつかると、怪我をしたり、貧乏になったり、或いは病気になったりするんです。ところがそこをぬけ出して、神さまの中に全部入っている人は、光そのものになっているわけです。或いは光の波に乗せてもらっているわけです。業があると業をつかんでいるわけです。業と業とは仲がいいから、つかまれてしまう。業のままでいたら、怪我をするか、悪いことをされるかするんですけど、それが、五井先生という名前を通して、咄嗟に光の中に入ってしまうと、業は消えてしまうんです。業が離れちゃう。
幸福をつかむ方法
この世の中で幸福をつかむにはどうしたらいいかというと、光の波に常に乗っていることなんです。或いは自分が光になってしまうことです。光そのものになればそれは覚者というんです。植芝先生がそうですね。そうなってしまえばいいんだけど、なかなかそうなるには大変です。例えば植芝先生のような人が、宇宙と一つになればいいんだ、やってごらんなさい、というけれどどうやっていいかわからないですよね。植芝先生は遊んでいるみたいにやっているから、それをそのまま真似してみよう、なんてやったら、木刀で撲られちゃう(笑) 形を真似してもだめです。
宇宙と一つになるには、何生かけた前の世前の世から修行に修行を重ねて来た人が、また今生でうんと修行して、それでああなるわけです。名人達人を超えた超人、神の化身というんですね。神さまと全く一つになっている。全く一つになっているから、神さまを打つわけにはいかないです。神さまというのは宇宙にひろがっているのだから。それは光そのものになっているということと同じです。
ですからお弟子さん達も随分長いことやっている人がたくさんあります。みんな術として、技としては出来ますね。しかし植芝先生のように鮮やかにはいかない。何故出来ないかというと、技ではないからです。すっかり空になって、神さまの中にすっかり入ってしまっている。”
※植芝先生とは、植芝盛平翁(上記写真左側)のことで、合気道の開祖であり、伝説の神人武道家のことである。
植芝先生のような、真の強さを体現できる人が、たくさんできれば、戦争もいじめも、弱肉強食もなくなりますね。合気道の使命はますます強くなってきます。
私はインド生活ですが、インドから世界を見渡しながら、必要なことをやっていきたいなー、と思っています。本年もよろしくお願いします。
とても良いものを読ませていただきました。
昨年の最後の合気道本部道場の稽古で和光支部の川路師範に稽古つけていただきました。
気が物凄く技も凄いでした。未だに右肩が痛いです。
植芝先生は凄いですね。完全に光そのもの、神そのものですからお弟子さんが打ち込んでも吹き飛ばされるんですね。
今年は少しずつ精進して行こうと思います。
今年もよろしくお願いします。
今年は大きな節目になるでしょうね。
カルキという聖者も言っています。
特に日本の役割が大きいと思います
私は、しばらくインドに滞在ですが、今は世界中のことがわかりますから、常に光を放射しつづることを、意識してゆきたい、と思います。
本年もよろしくお願いします。
今年はいよいよ2007年ですね!
光の波に乗りながら、人類が大きな進歩を遂げる
年になるよう、ひたすら祈り続けようと思います。
今年もどうぞよろしくお願いします!
無限なる成功
あけましておめでとうございます
ヨガの聖者ではそういう神秘的なことがよく起こったみたいですね。やはり人間が光の球であることをよくご存知だったんでしょう。
emmy♪さま
よくわかってますよ
今年も波乱万丈で前進あるのみ(^_-)
誰だかわかってますよね?(笑)
今年も「emmy♪」をよろしくお願いします
私も、光がますます流れて来るような生き方をしたいと思います。
光がどんどん流れてきて肉体がだんだんなくなってきているヨガをやっているイギリス人の女性を見たことがあります。その人を写真で撮ると、肉体が半透明で写真に写ることがよくあるそうなんです。
今年も祈りに精進して、光そのものになりましょう
祈りとは、肉体観念を一度空っぽにして、神様にお返しして、光そのものとして生きることです。
そうすると、その人は永遠に続く幸せ、不動心の幸せ、宇宙に充満する幸せを体得できます。
では今年もよろしく
私も光の波に常に乗って、光そのものになりたいです☆
今年も祈り続けます。
世界人類が平和でありますように☆