tabinokoのとはずかたり

ネットの辺境でひっそりと、自分の好きなこと ―観劇、旅行、アロマetc― について、つぶやきたいと思います。

ミュージカル ブッダ―buddha

2013-06-09 22:02:28 | 観劇
 劇団わらび座の作品は初めて観た。
 手塚治虫原作らしいが、読んだことはなく、内容にも興味がなかった。

 発端は、いつものごとく今井清隆さんが出演するからだ。
 きっと、またブッダのパパ役なんだろうなと思っていた。
 すっかりパパ役が板に付いた感のある今井さんである。

 場所は大阪のシアターBLAVA! 
 方向音痴の私でも出口さえ間違えなければ順調にたどりつける、なかなかいい劇場だ。
 そんなことで劇場の良し悪しを決める自分が情けないが、方向音痴の本音である。
 したがって、東京で好きなのは、銀河劇場とパルコ劇場と帝劇である。博品館もタクシー以外でたどりつけた例が無い。何とかホールとかになるともう最初からタクシー頼みである。)
 
 さて、今回、何が一番驚いたかというと、パンフレットの分厚さである。
 雑誌なみなのである。
 山積みになっているそれを見て、「手塚治虫の漫画雑誌が売っているんだなあ。熱心なファンが多いんだろう。」
 そう思いながら「パンフレットください。」と言ったら何とその雑誌を渡されるではないか!
 「え、これがパンフレットなんですか!?」
 スタッフさんは、「そうですよ。後ろには漫画が載ってるんです。」とパラパラとめくって見せてくれた。
 「はぁ・・・」と絶句した。
 だって、A5判厚さ1~1.5㎝もある漫画つきのパンフレットなんて初めて見たんだもの。
 表紙は手塚治虫の絵だし。
 「最初の方のページにはキャストコメントも載っていますよ。」
 はっ、今井さんを忘れるところだった!
 今井さんのコメント見たさに、つい「ください。」と言ってしまった。
  スタッフさんは「ありがとうございます!ビニール袋にお入れしますね!」と言って、20ℓはゴミが入れられそうなただの、本当に普通のビニール袋に入れてくれた。
 これ、入れてもらっても、持ち手も何にもついてないし、丸めてまとめるしかないじゃないか。
 ご厚意はありがたかったが、もし大きめの鞄で出かけなかったら、ビニールにくるまれた『わらび座の手塚治虫マガジン』なるパンフレットを手に持って帰って来なければならなかったんだと思うと、その日に限って通勤かばんででかけた自分をほめた。

 パンフレットがあまりにも強烈だったので、ストーリーがすっ飛んでしまった。
 一応観た日はちゃんと理解して、家に帰ってパンフレットの漫画を読んだら、公演内容の章が全部載っていた。 何と親切なわらび座。

 簡単に書くと、物語はブッダの前半生、シャカ族の王子でありながら出家して旅を続け、最後に悟りをひらくところまで。
 そこに、オオカミの地をひくタッタ、女盗賊ミゲーラとの出会い、荒行をする僧侶たちとの対立、強大な隣国コーサラ国との争いなどが展開されていく。
 ブッダはまだ修行中の身なので、当然迷い、悩み、苦しみ、自分の無力を責める。
 そのブッダを敵視するコーサラ国のルリ王子。
 ルリ王子も大国の王子である重圧に悩み、迷える人間である。
 自分の母が奴隷階級出身と知り、怒り狂って母親を奴隷部屋へ追いやってしまう。
 そんな不幸な母をやさしく面倒みるのが、父親の薬によって巨人(というより怪物)になってしまったヤタラ。
 主な登場人物はこれくらいであるが、まわりには常に奴隷階級の人々が苦しみもがいている。

 面白かったのは、開演5分前になると、鼓のような太鼓を叩く男性(おそらく身分は最下層)と女奴隷たちとが登場して、太鼓の演奏をはじめ、ゆかを這うようにしてふきはじめるのである。
 ゆっくりした音楽と、無言でゆっくりと床をふく女性達。
 目はどこか遠くを見ており、焦点が定まっていない。
 ゆったりとした流れの中で、物語が始まる。
 自然にブッダの世界に入って行けるいい演出だと思った。
 
 シャカ国の滅亡、ルリ王子との対立、奴隷階級の人々の苦しみ、それらがすべてブッダに問いかける。
 「助けてくれ!」
 「この苦しみから救ってくれ!」
 「おっかさん死んだ!」
 「熱い!助けて!」
 ブッダはじっと座し、静かにひたすら考え続ける。
 そして悟る―受け入れよう、すべてを―
 物語はそこで終わる。

 さて、お目当ての今井さんは、第1幕でコーサラ国王として最期に登場する。
 威厳たっぷりにあのお腹にひびくバリトンで堂々と悪役を演じていた。
 第2幕では、なんとヤタラで登場した。
 巨人の役なので着ぐるみを着て、顔も今井さんとはわからないほどのメイクが施されている。
 このヤタラの存在が、重々しいテーマの物語でほっとできるいいアクセントになっている。
 気は優しくて力持ち、重厚なバリトン、優しさと温かさ。
 いかにも今井さんらしい。
 
 最近の今井さんは、語り部的な役やパパ役、悪役が多くなってきたが、私は、こんなヤタラのような今井さんの優しさがあふれる役が好きだ。(もちろん悪役もカッコいいけれど。要するに全部好きということか。)
 
 わらび座のミュージカルの実力は、まあまあかな・・・と思った。
 全員同レベルで安心して観ていられる。
 主役の戎本みろさんは、外見も演技もブッダそのものという感じだった。
 他の配役の人たちも皆上手く、帝劇や四季で時々見かける「何でおたくがここにいるの???」というほど飛びぬけて下手な人はいなかった。

 終演後、短いトークショーがあり、戎本さん、遠野あすかさん、今井さん、司会の方(名前失念。長翔さんか岡村さんだったかな。)が出てきた。
 ブッダと3人の弟子たちみたいに見えて面白かった。
 今井さんはヤタラの扮装のままだったので、椅子に浅くしか腰掛けられず、ペットボトルのふたも開けにくそうで、その姿一つ一つが本当に可愛らしかった。

 この公演の後は、7月末の『二都物語』まで今井さんとは会えないのが残念だが、また素晴らしい歌と演技をしてくださることを期待している。
 



SHEW CASE "ODYSSEY"

2013-06-08 16:05:44 | 観劇
以前から、忘備録のつもりで日々の出来事や、観劇の感想を書いてきたが、DVDが販売される公演に関しては、今後書かないことにした。
 余計な先入観を植え付けて、その人の純粋な感想をゆがめてしまいたくないからだ。
 したがって、Twitterで感想をつぶやくことはあっても、blogに残すことはしない。
 『マスカレード』に関しても、いろいろ考えたことはあったが、書かないことにする。

 その代わり、DVDが販売されない公演に関しては、ざるで水をすくうがごとく、すぐ忘れてしまうおばちゃんの悲しさで、忘備録として今後も書き連ねて行こうと思う。

 さて、『SHOW CASE "ODYSSEY"』。
 『マスカレード』からわずか1週間で新しい公演!
 正直なところ、このきちきちのスケジュールでは、以前の踊りをつぎはぎに合わせて、言い方は悪いが誤魔化すんじゃないかと内心思っていた。
 
 ところが蓋を開けてびっくり!
 新作も懐かしい作品も織り交ぜて、感激しているうちにあっという間に終わってしまう1時間半のショーだった。

 出演者の中で、知っているのは長澤風海くんくらいの俳優音痴(?)で、なにしろDが目的で行ったので、ひたすらDを追っていた。
 セットリストはさっぱり忘れてしまった(笑)。
 『アンドロメダ』(今やDの代表作だね。TAKAちゃん♪)『四季』『タンゴ』など懐かしい群舞の他、新ちゃんの踊りを泰ちゃんが踊ったり、利ちゃんの楽しいタップの新作などとにかく盛りだくさん。
 幸い、千秋楽は、前から2列目だったので、皆の飛び散る汗を見、息遣いを聞いて、臨場感を味わうことができた。

 今回は1作品ずつの感想ではなく、1人ずつについて感じたことを書こうと思う。

○義くん―神に許された両性具有の美―
 とにかく美しい。そして、男性的でもあり女性的でもあるまさに両性具有の美をもっている人。体は立派に筋肉が発達した男性だ。だが、踊りだすと、途端にオーラが男性と女性の両方になるのだ。柔らかな動き、美しい指先、どこか違う次元を見ているかのような視線。
 私は、皓ちゃんとペアで踊っている時の義くんが大好きだ。
 皓ちゃんはモダンダンス出身で、義くんと踊りが似ており、背が高くがっしりとして、手足が長く理想的なスタイルのダンサーだ。
 だが、義くんと似ていても、あくまでも皓ちゃんは男性的だ。
 その皓ちゃんと踊る時、義くんの両性具有の美しさが発揮される。
 皓ちゃんにしっかりとホールドされ、背を反らす義くんの顎から首、胸のライン、すべてがしなやかで美しい。
 バレエの男女のダンサーによるパ・ド・ドゥには見られない、ある種のエロティシズムを感じる。
 だから、私は、義くんが女性と踊っている時よりも、男性と踊っている時の方が好きなのである。
 今年の温泉ツアーで、目の前にでんと座り酔っぱらってビールを飲み干していた、大阪の兄ちゃんが、一歩音楽にのって踊りだすと、途端にミューズに変身して多くの女性を虜にするのだから、本当に罪な美しき男である。

○新ちゃん―天衣無縫の創造性―
 この人にとって、音と言う音はすべてダンスになってしまうのではないか。
 創作をする人にとって、「生みの苦しみ」はつきものだ。
 だが、この人の天性の明るさを見ていると、この言葉はこの人にとって関係ないのかと思ってしまう。
 それ程に、自由に音を操って、信じられないくらい可動域の広い体で踊りこなしてしまう。
 新ちゃんが音にのっているのではなく、新ちゃんから音があふれてくるようだ。
 特に、ヒップホップを踊らせると天下一品だ。
 体の筋肉という筋肉がすべて音に反応しているかのように、全身で踊る。
 リズム感も抜群で、何人かでヒップホップを踊っても、全身の反応の違いが顕著に目立って新ちゃんに目がいってしまう。
 そして、振付の独創性。
 Dの踊りは、新ちゃんが大まかな構想を立てて、メンバー全員で相談しながら創り上げていくという。
 その構想力の独創性が素晴らしい。
 私が一番好きな作品『マスカレード』も新ちゃんが構想を立て、メンバーで創り上げていったと言う。 
 よく次から次へと創り上げていけると感心する。
 本当にこの人には生みの苦しみは関係ないのかもしれない。

○利ちゃん―端正さと安心感―
 利ちゃんは、よく自分のことを「Dの何でも屋さん」と言うが、どれだけDの要になっているか自覚しているのだろうか。 
 それほどに、この人はDに安心感をもたらす人だ。
 見るからに優しそうな気品あふれる容姿。
 何といってもDにタップダンスを持ちこんでくれた功績が大きいのは言うまでもなく、ジャズからコンテンポラリー、ヒップホップまで何でも踊りこなす。
 ものすごく運動神経のよいリズム感に優れた人なのだろう。
 演技もうまく、歌も(それなりにだけど(汗))上達し、MCも教えるのもうまい。
 本当に器用な人だと感心する。
 いつも感心するのは、体幹軸がまっすぐしっかりしていることだ。
 安定しているから、踊りがすっきりして見える。
 決して手足が長くないのに、観客を魅了てしまうことができる。
 得意のタップをもっとももっとたくさんの人に観てもらいたい。
 もっと外部公演に出演して、たくさんの人に知ってもらいたい人だ。
 
○皓ちゃん―天性のダイナミズムと抒情性―
 ダンサーなら、皆、皓ちゃんのスタイルをうらやましいと思うのではないだろうか。
 均整のとれた頭身、美しく発達した筋肉、細い腰、長い手足。
 モダンダンスで育った皓ちゃんは、D加入当初はまだバレエ的な動きが強かった。
 ヒップホップなどのストリート系を踊ると、どうしてもバレエの優雅なライン、指先まで神経の行き届いた美しさが全面に出てしまい、不釣り合いだった。
 ヒップホップの、瞬時に体を締めたり緩めたりする動き、ちょっと乱暴なくらいの奔放な動きが似合わなかった。
 だが、昨日の”ODYSSEY”ではストリート系も踊りこなしていた。
 Dに入って、いろいろな踊りに揉まれて随分成長したと思う。
 そして、この1年間は、特に存在感が素晴らしく際立つようになったと感じる。
 舞台の中央に立つ者の”華”が身についてきたのではないだろうか。
 そして、私が、皓ちゃんの踊りで好きなのは、表情(表現力)である。
 物語性のある音楽で踊る時、皓ちゃんの表情はくるくる豊かに変わる。
 それは、曲のもつ物語性を自分なりに解釈しているからだろう。
 皓ちゃん自身は、ロック系よりもロマンティックな曲で踊るのが好きだと言う。
 いつも、おバカキャラで笑いをとってムードメーカーの皓ちゃん。
 だが、彼のblogを見ると、きちんと観客への謝意、新作への意欲などが語ってある。
 彼の本心にはとてもナイーブな抒情性があふれているのだろうと思う。

○泰ちゃん―天性の明るさとスケール感―
 ついこの間まで、ほっそりとして少年体型だった泰ちゃんが、肉体改造に励み、『マスカレード』の頃には見違えるように筋肉がきれいについていた。
 相当努力したのだと思う。
 それまで、泰ちゃんの魅力は永遠の少年性だと思っていたが、2月の『MOON LIGHT』ではビームを使ったなかなか印象的な自作のダンスを発表し、肉体改造を始め、随分変わってきたなあと思っていた。
 昨日、群舞で踊っている時の泰ちゃんを見て、随分貫録がついて、他のダンサーより見劣りしなくなったと思った。
 以前は、細すぎて、肩や胸筋の動きが固くてちょっとDの中ではまだほんの少しだけ見劣りするかなと感じていた。
 でも、昨日の泰ちゃんは見違えるほど力強くなっていた。
 3人で踊るヒップヒップナンバーでも、表情を含めぱあっと明るいオーラを発していた。
 泰ちゃんの魅力はこの誰にも真似できない天性の明るさだと思う。
 新ちゃんのナンバーを泰ちゃんが踊るナンバーがあったが、物まねではなく、ちゃんと自分の踊りになっていた。
 短期間でよくこれだけ上達したと感心する。
 まだまだ泰ちゃんは若く、伸びしろを感じる。
 もっともっとスケールが大きくなっていくと期待している。
 この天性の明るさを失うことなく、育っていってほしいと願っている。

 以上、ODYSSYの内容には全く触れず書きなぐったが、D以外のダンサーも全員素晴らしかった。
 ただ、私はしみじみDの表現が好きなんだと改めて確信した。
 新ちゃんが骨組を作り、メンバーがそれに肉付けしていく。
 誰にもできない自由奔放な表現。
 これが自分にはたまらなく気持ちがいいのだ。
 これからもDの表現は、舞台を愛する1ファンの私にとって重要なものになると思っている。