私たちの大道芸には天敵と言えるものがある。
1つは風であり、もう一つは湿度の変化だ。
どちらも厄介である。
風は強ければ人形が飛ばされる。
だから古い人形を見ると、
飛ばされないよう必要以上に重く作られている。
それ以上に厄介なのは、
吹く方向が、環境によってさまざまに違うこと。
例えば柴又帝釈天、
そこは入り口がいくつもあるうえ
本堂と講堂を結ぶのに渡り廊下があって
頭巾でわかる風の向きと
人形に掛かる風の向きと違っていることが多い。
そして頭巾と人形の間にも別の風の流れがあるようだ。
旧吉田屋商店では風が巻くことが良くあり、
5分前後の演目の中で、
右から吹いてきたり左から吹いてきたり。
獅子舞の中で尻尾を噛もうとして
噛めないことが度々ある。
尻尾を振りながら風のタイミングを計るのだが、
良しと思って噛もうとして、
口元から風に流されて尻尾が離れていくのを見る悔しさ。
夏は湿度が高く、手が汗ばんでいるので、
納豆のように糸を引くような感じになる時もあれば、
冬は乾燥しているうえ手がかじかんでいるので
持った糸が何かのはずみで滑り落ちることもある。
人形を遣っている最中に前線が通過し
南風が北風に変わることがある。
そうすると湿った風が乾いた風に変わるので
糸同士が絡み合ったり
糸を持った瞬間に糸が指に絡みついたり
なかなか厄介なものなのだ。
糸は湿気を吸ったり吐いたり呼吸しているので
糸の縒りが戻ったり緩んだりするのだ。
それは、糸が木綿のカタン糸である8番糸を遣っているからだろう。
踊りの中で小道具を付けたり外したりするのだが、
いつも同じようにできるわけではない。
風が流れていると、その風向きで糸を流すので
小道具を付けるのに糸が邪魔することがままある。
下手をすると糸も一緒に留めてしまうこともある。
そういった状況の中で人形を操るのであるから
踊りの振りを決めても、ずれていくことは多い。
じゃあそれは踊りではないのではないか
と言われるかもしれないが、
私はそれも踊りだと思っている。
音と振りがぴったり揃っているのを否定するのではない。
ただ糸あやつりの場合、それが難しいのだ。
でも踊らなければならない。
常に状況を把握し、適切な振りを選択する。
それも踊りなのだ。
私はそういった中で鍛えられたのだと思う。
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