喜之助人形劇フェスタで、アマチュア人形劇団の稽古を見た。
人形創りを趣味としている人の作った人形で、
見た目は良いのだが、手板が独特のバランスで作られており、
これを遣い続けると変な癖がつきそうで
遣うのはやめたほうが良いとかつて言ったことがあった。
中に1体女形があり、ちょっと気になった。
手板の前を極端に落として遣っているのに
カシラは上を向いたままなのだ。
糸の長さの調節を間違えているのかと思い
借りてみたら、そうではなかった。
結髪は後ろに長く垂らしているもので、
髪が重すぎてのけぞっているのだった。
本番はもうすぐだ。
最初は髪を持ち上げて顔が正面を向くようにして
途中でのけぞったら、チョイを少し張って少し肩をゆすると
元に戻ることに気付き教えたら、
チョイの張り方が分からない、と言う。
手板を持つ手を見たら、チョイの糸を握っているはずの薬指が立って
手板を支えている。
これを見たとき、私が初めて益田に教えに行った時の
益田の人たちの人形の遣い方を思い出してしまった。
その時益田の人たちは、マモリ(カシラを左右に動かす糸)の
タタラ(手板に組み込まれている2本の棒、中心に芯が通っていて
シーソーのように動かすことができる。マモリとゲソが付く)を
人差し指から小指まで4本の指で支えていた。
こうして人形の遣い方が崩れていくその過程を見てしまった気がした。
最近になって私の先輩が、その子供と一緒に獅子を遣っている写真を見た。
蝶が出てきて、獅子が1回飛び掛かったところで
獅子は後ずさりしてキッと獅子頭を高く蝶を見下ろすところがある。
この時左手は手棒を滑らして、
獅子の中にいる前の人の肩糸を親指で張るのだが、
その親子は二人ともそれをやっていなかった。
久しく遣ってなく、忘れてしまったのであろうか、
これも崩れていく1例であろう。
動画に収めればよいと人は言うかもしれない。
もしそうするのなら、何台ものカメラを設置しなければならないだろう。
こんなことがあった。
師匠から人形を教わっている時
「上條、どこを見ているんだ」と𠮟られたことが何度かあった。
ぼーっとしていたわけではない。
「ここだよ」と言われても
「えっ、どこ?」と思ってしまう。
それは私が教えている時にもあった。
ここのこれを見て欲しいのに
教えている相手は全然あらぬところを見ているのだ。
ある程度遣えるようになると、
ああ遣っている、こう遣っていると分かるようになるのだが
遣えないうちは、どこを見てよいのだかが分からない。
皮肉なものだとつくづく思う。