江戸糸あやつり人形 ー The Edo Marionette Group

江戸糸あやつり人形の公式ブログ
写真付きで、演目紹介、活動報告、リンク先などを
日本語、外国語で紹介します。

間(ま)

2023-02-27 00:01:54 | 人形について
間とは、得体のしれないものである。
ロックの流行をリアルタイムに聞いて育ったロック人間には、
とても理解できるものではなかった。

間が悪い  間延びしている

などと何度ダメ出されたことか。
いろんな本に眼を通したが、どこにも
間  とは
と説明している物に出会わなかった。
師匠やその兄弟は、お腹にいるときから義太夫に親しみ育っているから
理屈抜きに身に付いているように思えた。
古典を担っている人たちは、皆そうなのだろう。
だから、言葉で説明できないのだろう。

私たちの人形には、チョイと呼ばれる糸が付いている。
竹田人形座や他の人形では、チョーイと書かれている。
息遣いに使う糸で、のど木を前後に倒す仕掛けなのだが、
頭糸という眉間に付いている糸と合わせて
顎を突き出したり引っ込めたりすることができ、
それが息遣いになる。

パレスチナを回っている時、この「息遣い」を
アラビア語に訳そうとして、どうやっても出来なかった。
呼吸というだけでは言い表せない言葉。
ところが日本語を母国語にしている人たちは、
それを言葉で説明できなくても感覚的に通じてしまう。

人と会話しているとき、無意識に相手の息遣いに合わせていたり
息をつめたりしている。
例えば私が人形の解説をしているとき、
良い「間」で頷いている人を見かける。
それが息遣いなのだ。

肺の容量を10とすると
私の場合日常会話は、3~4ぐらいしか使っていないかもしれない。
それを5や6ぐらいまで吸って言う台詞
1ぐらいまで吐いて言う台詞
全然違う台詞になることは想像できるだろう。
その吸ったり吐いたりする速度を変えると
これもまた全然違った台詞になってくる。
この吸ったり吐いたりする時間が、「間」になるのだ。
即ち「息遣い」が「間」を作るのだ。
相手の台詞をどう聞いてどう受け止めるか、
その受けとめたことをどう切り返していくか、
そこに「間」が作られていく。

実はその相手の台詞を「聴く」、自分の台詞を「聴く」ことの
できない人が多い。
テレビドラマを見ていると、台詞を言い終えたときに
無駄に「はぁ」と息を漏らす人がいる。
これは無理な芝居をしているときに出てくる現象と
先輩に言われたことがある。
実は私自身、そういう時期があった。
「間」の帳尻を合わせるように息を漏らしているようだ。
はっきり言って、聞きづらい。

古典の人間は、子どもの時に師匠(多くは親)から
対面で台詞を付けられるので、自然と自分の台詞を聞くことを覚える。
私の場合、マクベスに出てくる老シーワード将軍の台詞を
師匠に付けられた。
ただ「あの森は。」というひとこと。
違う、違うと言われ続けて2時間
お陰で自分の台詞を聞くこと、役の声を作ることなど
今の自分を作る基礎を教えてもらった。
有難いことと、感謝しかない。

随分長い文章になってしまった。
これって、間延び?

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3月のスケジュール

2023-02-25 23:49:31 | 公演予定
ここには一般の方がご覧になれるものを紹介しています。

3月4日(土) MOTHER 50th Anniversary Live
 下北沢で50年間続けてきたマザー、1度でも飲食した方に
 感謝を込めて開かれるライブ
  会場:下北沢CLUB251
  オープン:16時半  スタート:17時
  料金: 前売り¥4000  当日:¥4500 
      (別途ドリンク代)
  出演者:カルメン・マキ ターナーズ L-TRANS
      すべての母さんへ にぎやかしバンド ほか
  予約:03-3421-9519 (MATHER)
     03-3412-5318 (mother's RUIN)

3月5日(日) 府中郷土の森博物館 梅まつり

3月11,12日 府中郷土の森博物館 梅まつり

3月18日(土) 被官稲荷例大祭
  奉納芸:13時から
  会場: 浅草神社脇、被官稲荷

3月21日(火・祭) 25日(土) 26日(日)
 旧吉田屋商店・大道芸
  時間:13時~15時
     雨天中止です
  「上野桜木」交差点角
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試論  目の動き

2023-02-24 23:53:02 | 人形について
ここに述べることは余りにも私の感覚の表現であって、
的確な表現になるか不安である。
もしかしたら何度か書き直すことになるかもしれない。

日本の映画やドラマを見ていると、
役者の目が相手を見たまま動かない、ということが多い。
私にはどうしても窮屈に感じてしょうがない。
海外の場合、豊かに目を使っている。

人形の場合、私の人形の目は全く動かないのだが、
役者同様目を使う。
その使い方とは、目の先にイメージを作る。
相手の台詞を聞いてるとき、
そのイメージを目の前に作るのだ。
その内容によって、すぐ目の前だったり、遠くに見ていたり
足元だったりする。
そして相手の台詞を聞き終えると
それに対する思い、感情だったり意見だったり
そのイメージが湧いてくる。
その場所が聞いていたときと同じ場所であったり、
全く違ったりする。
そう言った感覚を持つと、
間(ま)ができ、行間の芝居が充実してくるのだ。
行間とは、台本の台詞と台詞の間を指すことにする。

先日ある地方に伝わる3人遣いの人形のドキュメンタリーを見た。
廃れそうになったことがあると言っていたから
伝承が上手くいっていないのかもしれないが、
目が効かないと、残念に思った。
義太夫で遣おうと、人形遣いが自分で台詞を言おうと
上記の原理は同じだと思う。

そして役者も同じなのだ。
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2023-02-14 23:12:54 | 公演報告
10日は雪が降り積もり、
11日はどうなるのかと思っていた。
雪が残っていると空気が冷えて、
とても人形を遣うどころでなくなるからだ。

府中市郷土の森博物館の梅林の下には、
雪がたっぷりと残っていた。
空は雲一つない快晴、
梅も結構ほころびはじめ
絶好のロケーション。
気温は、意外と暖かい。

人形を遣い始めたとき、
あぁ、この状況を写真に収めて欲しい、
と思ったが、
生憎と人出が少なく、残念だった。

雪には、決して忘れられない思い出がある。
それは日本テレビの本社中庭で大道芸ができた時のこと
日テレアートダイドウゲイというイベントが一時期あった。

その日は大雪だった。
当然中止と思ったのだが、日テレはやって下さいという。
雪はしんしんと降り続いている。
屋根の下の雪の積もっていないところで人形を遣ったのだが、
勿論見る人なんていない・・・
いや、ちょっと離れたところの柱の陰から見ている女性が一人。
こう書くとちょっとロマンチックな雰囲気になるが、
私はそれどころではない。
寒さで手がかじかんでしまって
人形を遣うことに四苦八苦していたのだ。

雪の降りしきる中での大道芸、
しっかり寒稽古となって、
後日人形を遣った時、人形の動きが全然違っていた。
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満月を背にして

2023-02-03 00:21:02 | 公演報告
幸いなことに、様々な場で人形を遣う。
今回は”青山月見ル君想フ”というライブハウスでの
ALKDO(アルコド)というバンドのライブ。
彼らは、豊田市の”橋の下世界音楽祭”の主要メンバー。
ニューアルバム”自在遊睦時代到来”の発売記念ライブだ。
T字路sというバンドがまず行って、
そして私たち。
立錐の余地のないほど集まった観客
私たちの場違いな出立、



人形が小さいから坐って欲しいというと、
実に素直に聞き入れてくれる。



人形を遣い始めると
食い入るような眼、眼、眼
反応がバンバン帰ってきて、楽しい。



そして最後にリーダーの永山愛樹さんの頭を
益々発展しますようにと獅子で噛む。



おおこの写真、まるでETのよう。

ALKDOのメンバーによると
私たちが出たことで、ほっこりと観客がほぐれたのだそうだ。
だからその後の演奏は、ノリノリ。そしてたっぷり。
18時から始まったのだが、すべてが終わったのは22時半だった。
ビールを飲みながら踊っていた私は、
翌日しっかりと筋肉痛だった。
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