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ウヴェさんを訪ねる

2020-02-21 00:09:10 | 日記
先日、知り合ったドイツ人のウヴェさんの自宅を風呂帰りにお訪ねした。

仲間の送ってくれた料理をお土産に、打ち出の小槌の形をした石鹸も携えた。

お話を伺ったら、この町に移り住み、30年が経っているという。

筆者が住み着いて50年弱。

30年、広いとは言え、同じ町にいながら、知り合ったのはつい数日前。

袖振り合うも多少の縁、というが、やっと縁が巡って来たのだろう。

彼は、SNSもblogなどもまったくしないと言う。

携帯電話さえ、所持しているが、持ち歩かれないことが多いと言う。

「携帯しないケータイ電話」、と言って、2人で笑い合った。

大学で非常勤講師をしながら、執筆活動をされている。

人生では様々なことを経験するのも楽しいが、敢えてやらないことには触れないことも何事かを成し遂げるには重要である、と気づかせていただいた。

昼前にお暇した。「また来て」と手を振ってくださった。
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転換の哲学━━すべてを希望へ━━

2020-02-19 07:32:55 | 日記
生きていく上で、悲しみややりきれなさ、辛さを経験する。また、現在、そのような境遇の方も多かろう、とお察ししている。

渦中にある時は本当に苦悶し、悩み、耐え難いだろう。

しかし、それを乗り越え、笑い話にでも出来た時。

それは紛れもなくあなたの勝利・克服だ。

自身に勝ち、運命に克ち、人生に価値を齎す。

誰かと笑いあい、感謝の涙を溢れさせている。

そんなあなたが見えている。
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ドイツの方との邂逅

2020-02-16 17:32:26 | 日記
昨日(2/15)、町のしずくcanで見つけた、転入者との交流会に参加してきた。

丁度、同じ寅年で一回り上の男性で、現在は県立大学でドイツ語の非常勤講師をされていて、ご著書も何冊か日本語で出版されている。

様々なことに係られていて、この岩手で乗馬を広めたい、などとおっしゃられていた。

お父さんは、東ドイツにおられたが、身の危険を感じ、西に逃れられ、カトリックとプロテスタントの違いから、ウヴェさんの実のお母さんとはご結婚はされなかった、など、様々なことを話していただき、大変、楽しい時間だった。

交流会の開かれた施設へは初めて訪れたので、迷ってしまい、かなり遅刻してしまった。

参加者の方々は、東京などから何年か前、転入してきた方が多かった。斯くいう、筆者もかれこれ40年以上前に住みついた転入者である。

ここ岩手の南部藩だったときの出来事・人物について、初めてお教えいただいたことも多く、閉館の時刻だったので、外の駐車場で20分ほど立ち話もしていただいた。

ウヴェさんとの交流で、地元の活性化につながるイベントなども様々行えるアイデアなども沢山あったので、ご協力しようと心に決めた。

人と久しぶりに深く交流できて、とても楽しかった。人を変える・変えられるのもやはり人、そんな感慨が湧き上がった。
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なにを書けばいいのかわからない

2020-02-13 02:54:05 | 日記
なにも書くことが、浮かばぬまま、こうしてキーを打っている。

だが、こうして書いているということは、なにかを記さずにいられぬからなのだろう。

なにかを題材に、書くことは結構、容易に感じられる。例えば、誰かの本に対しての気づきとか感じたこととか。

自由に書くことは、内から湧き上がってくるものが溢れてとまらない時は、比較的容易だが、そのような状態になることは結構稀だ。

自由には憧れる人が多いだろうが、全き自由を前にすると多くの人は茫然とし、怖れを抱くことも少なくない。

所謂、「自由の刑に処されている」とか「悲しいほど自由」と感じられている状況だろう。

それ故、人は人と繋がり、契約などを結び、自らを拘束し、そこでの自由を求めたりする。ある程度の拘束の中(つまり、不自由な状況)での自由の方が安定しやすい様がうかがわれる。

自由に伴う責任というものへの恐れが、人を活動することへの躊躇(ためら)いへと導く。

だから、自由の中での行動へは自らの意識の飛躍(決断などと言われているもの)が求められている。
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地球ならぬ地平ではないだろうかという説 ──でも、それより大切なこと──

2020-01-15 06:39:52 | 日記
ずっと、この世界は地球と呼ばれ、回転しているにも関わらず、引力のおかげで、振り落とされることもなく、生活を営んでいけるのだと説明を受けてもどこか納得はできていなかった。

最近、フラットアースという概念に遭遇した。それは、古代の世界観に戻ったということなのだろう。この世界が地球ならぬ、地平なら、様々なことにも納得がいく。

この世には不思議なことだらけ。まず、自身が何者なのかもわからず、なにかになるのを目指し、日々の生活の中で他者との関りの中で自己表現することで露わになっていくものだろうと考えている。

究極のところ、この世界が球でも平でも四角でも構わないし、そんなことはわれわれにとって、さして重要なことではない。

それより、大切なことは、偶には喧嘩したり、憎み合ったりしながらも、殺し合いなどにはならない世界にすること。

できれば、隷属や不当な差別、過度の正義の主張でかえって争乱の世界を招かぬよう一人ひとりが自らを愛し、他者への敵愾心を制御できるようになること。

自身の特性を生かし、それが人々への最大の貢献であり、自分が最も輝けるライフスタイルであること、などに気づくこと。

以上の様に共生していければ、同じ一つの世界に棲み、それぞれの宇宙を生きているわれわれの時空は交錯し融合して、新しき世界が開けていくことだろう。
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