先月のある日、小生の知人の息子が自殺したという。この話を聞いたのは今月に入ったからだったが、実はその息子が死ぬ二日前、その知人に俺は会っている。そのときは、本人は至って元気で「暑いですね、連日……。いつもお世話になっております」などと言ってニコニコしてた。息子が自殺したのはその二日後だと言う。俺はそれを聞いたとき、ビックリした。彼女は、どんなに悲しんだだろうとかと思うとわが胸が引き裂かれる思いがした。その日は眠れなかった。自殺した理由はわからないがこの一年ほど鬱病で外にも出られない状態だったという。ところが先月になって病状が多少良くなりかけていて、その知人はホッとして喜んでいたというのだ。ところがそれが鬱病の落とし穴だった。専門家に言わせると鬱病が良くなりかけたときこそ、一番危ないのだと言う。悪いときは、死ぬ力もないが良くなりかけているときが一番危ないのだというのだ。亡くなった彼は35歳だったという。なんで35歳という若いのに死を選ばなければならないのか。俺なんかは、いまでもそうだが死ぬと言うことを考えたことがない。それほど、世の中が面白くてならないからだ。35歳当時はもっと面白かった。よく仲間と飲み歩いたものだ。言いたいことを言い、やりたいことをやっていた。それでもやりたりなかった。とにかく夢をもって精一杯生きていたように思う。ところがいまの青年からそんな遊びと夢をみんな政治と社会が奪ってしまったのではないだろうか。自殺した息子はやはり会社に勤めていて、追い詰められるように働いて、とうとう鬱病になり、会社を辞めさせられてしまったと言うのだ。会社が青年を使い捨てたのだ。それがいっそう病状を悪化させたとある知り合いは言っていた。いったい日本の社会はどうなっているのか。青年こそ大事にしなければならないのに、その青年を使い捨てにしていては絶対社会の発展はないと思う。こんな状態がつづいたら、日本社会は破綻してしまうぞ。そんな思いでいっぱいだ。死んだ知人の息子のご冥福を祈る。と同時にかならず、その青年たちの仇討ちを果たしてやるぞ、俺らは……!!。
こんな青年を使い捨てにする社会を見て富士山も泣ているぞ!!
こんな青年を使い捨てにする社会を見て富士山も泣ているぞ!!