歴史を顧みる
徳川幕府は織田信長や豊臣秀吉が作った遺構を尽く破壊した。
従って安土城は後世の想像図であり大阪城はヨーロッパに渡っていた屏風絵から再現した。
エッゲンベルクも秀吉と同じく成り上がり城主であった。
エッゲンベルク城の図書館から八枚に分断して利用されていた日本の屏風が見つかった。
分断され利用されていたパネルから元の屏風を再製した。
こうして豊臣秀吉の大阪城の姿が判明した。
左:淀君と秀頼と思われる。右:秀吉の来るのを出迎えている。
秀吉の大阪城は解体され移築された。
これより本題の大塩平八郎の話に入ります。
少し待ったね。