摩耶山にはケーブルカー+ロープウェイで来ることもできるし、
摩耶山から六甲山には30分に一本ほど高原?バスも走っている。
六甲経由であれば乗用車で来ることもできる。
三角点を後にロープウェイの終点にある掬星台に向かう。
その途中で道を振り返れば、これから下る道も見えている。
反対側には車もあれば、六甲行きのバスも待っている。
その展望台で神戸から大阪、和歌山まで見える。
展望台のベンチに座って弁当を広げる。この展望台には
ロープウェイでやってきた、ベビーカーを押した家族連れや、
連休の観光旅行でしょうか?大きなキャリーバッグをひいた
人たちと、リュックをしょったハイカーとが入れ混じっている。
今日はどちらかといえば、ハイカーが優勢か?!
弁当を食べてゆっくり下界を眺めると、
神戸空港の沖合に関西空港も見えている。
こんなに近いのかという感じである。
こんな近くに2つも空港が要るのか?
税金の無駄遣いを目で見えるようにしてくれている展望台だ。
と、悪態をつくのはそれくらいにして、そろそろ下山しよう。
下山のコースはロープウェイ・ケーブルカーに沿った史跡公園
経由摩耶ケーブル下へ出る道である。
13:30
最初は階段でどんどん下っていく。
すれ違いに登って行く人もいるが、これを登りたいとは思わない。
杉林の中に石組の遺跡が現れる。
これが旧天上寺跡の史跡公園。
案内板によると天上寺が炎上したのが昭和51年1月とのこと。
ということは、初めて摩耶山にケーブルカー+ロープウェイで上ったのは
昭和48年。その時にはまだあったことになる。
実際、連れ合いはロープウェイから見えていた記憶があるとのこと。
ここから山門下まで急な階段の下り。その途中で、振り返ると
写真ではそれほど急であるように見えないが、
この先の
より、上側の方が何倍もきつい勾配だった。
上側には真中に手すりがあるが、下側は勾配が緩いので手すりもない。
という階段を下り山門へ到着。
昔は仁王様が立ってたのではないかな? 大きな草鞋だけがぶら下がっていた。
という福岡の宝満山を思わせる急な階段状の下りで、膝が笑いだす。
ふくらはぎがパンパンに張ってくる。
五鬼城展望公園で30分ほど休憩。
休むと立ち上がる時に筋がきちんと入るか?
なかなかうまく入ってくれなくて、歩き始めは苦労する。
とかやって下界に降りる。
15:30頃摩耶ケーブル下に到着。
街へのバスはその横から出ており、たくさんの観光客、ハイカーがバスを
待っていた。
今回ここに降りるコースを選んだのは、昔両親が住んでいた家がどうなって
いるか見てみようという腹があった。転勤族の社宅であるが、その家は
この先の角の家である。もとの家がそのままあった。変わっていたのは
昔は無かった駐車場が作られていたこと。ただ、現在は空き家の風だった。
この写真を撮っている最中に、三宮行き、六甲行きの2台のバスが行って
しまった。昔の記憶ではバスは1時間に数本。しばらく来ないだろう。
ということで、ケーブル下バス停には戻らず、坂を下り、三宮から六甲を
結ぶメインのバス通りまで坂を下る。
両親が住んでいた時から両側は桜並木だったが、木が大きくなっている。
南面の「陽のあたる坂道」のノリですね。
メインのバス通りとの交差点の信号には「さくら並木通り」という
札が下がっていた。こんなすてきな名前を付けてもらったのですね。
バスで三宮に出て無事登頂が終わった打ち上げ。
バスの中で座ったのが良くなかった。バスを降りて歩くのが非常に困難に。
連れ合いが元気いっぱい、入る店を探しまわる。
結局、阪神の改札口に近い「千人代官」へ。
祝杯をあげる。
17時過ぎ、混んできた店を後にする。
次回は六甲山を目指すことを約束してKさんと別れ、17:30頃の
RSで岡山へ。車中は熟睡だった。
それにしてもシンドイ登り、下りだった。
夏の久住よりしんどかった。調べてみると
久住山 1787m
牧ノ戸峠 1333m
標高差 454m
に対して、
摩耶山 700m(三角点とTV塔の間を取って)
新神戸駅 50m(あるブログに書いてあった数値)
標高差 650m
である。しんどい筈だ! 低い山と侮ってはいけない!
<第2部へもどる>
<第1部へもどる>
摩耶山から六甲山には30分に一本ほど高原?バスも走っている。
六甲経由であれば乗用車で来ることもできる。
三角点を後にロープウェイの終点にある掬星台に向かう。
その途中で道を振り返れば、これから下る道も見えている。
反対側には車もあれば、六甲行きのバスも待っている。
その展望台で神戸から大阪、和歌山まで見える。
展望台のベンチに座って弁当を広げる。この展望台には
ロープウェイでやってきた、ベビーカーを押した家族連れや、
連休の観光旅行でしょうか?大きなキャリーバッグをひいた
人たちと、リュックをしょったハイカーとが入れ混じっている。
今日はどちらかといえば、ハイカーが優勢か?!
弁当を食べてゆっくり下界を眺めると、
神戸空港の沖合に関西空港も見えている。
こんなに近いのかという感じである。
こんな近くに2つも空港が要るのか?
税金の無駄遣いを目で見えるようにしてくれている展望台だ。
と、悪態をつくのはそれくらいにして、そろそろ下山しよう。
下山のコースはロープウェイ・ケーブルカーに沿った史跡公園
経由摩耶ケーブル下へ出る道である。
13:30
最初は階段でどんどん下っていく。
すれ違いに登って行く人もいるが、これを登りたいとは思わない。
杉林の中に石組の遺跡が現れる。
これが旧天上寺跡の史跡公園。
案内板によると天上寺が炎上したのが昭和51年1月とのこと。
ということは、初めて摩耶山にケーブルカー+ロープウェイで上ったのは
昭和48年。その時にはまだあったことになる。
実際、連れ合いはロープウェイから見えていた記憶があるとのこと。
ここから山門下まで急な階段の下り。その途中で、振り返ると
写真ではそれほど急であるように見えないが、
この先の
より、上側の方が何倍もきつい勾配だった。
上側には真中に手すりがあるが、下側は勾配が緩いので手すりもない。
という階段を下り山門へ到着。
昔は仁王様が立ってたのではないかな? 大きな草鞋だけがぶら下がっていた。
という福岡の宝満山を思わせる急な階段状の下りで、膝が笑いだす。
ふくらはぎがパンパンに張ってくる。
五鬼城展望公園で30分ほど休憩。
休むと立ち上がる時に筋がきちんと入るか?
なかなかうまく入ってくれなくて、歩き始めは苦労する。
とかやって下界に降りる。
15:30頃摩耶ケーブル下に到着。
街へのバスはその横から出ており、たくさんの観光客、ハイカーがバスを
待っていた。
今回ここに降りるコースを選んだのは、昔両親が住んでいた家がどうなって
いるか見てみようという腹があった。転勤族の社宅であるが、その家は
この先の角の家である。もとの家がそのままあった。変わっていたのは
昔は無かった駐車場が作られていたこと。ただ、現在は空き家の風だった。
この写真を撮っている最中に、三宮行き、六甲行きの2台のバスが行って
しまった。昔の記憶ではバスは1時間に数本。しばらく来ないだろう。
ということで、ケーブル下バス停には戻らず、坂を下り、三宮から六甲を
結ぶメインのバス通りまで坂を下る。
両親が住んでいた時から両側は桜並木だったが、木が大きくなっている。
南面の「陽のあたる坂道」のノリですね。
メインのバス通りとの交差点の信号には「さくら並木通り」という
札が下がっていた。こんなすてきな名前を付けてもらったのですね。
バスで三宮に出て無事登頂が終わった打ち上げ。
バスの中で座ったのが良くなかった。バスを降りて歩くのが非常に困難に。
連れ合いが元気いっぱい、入る店を探しまわる。
結局、阪神の改札口に近い「千人代官」へ。
祝杯をあげる。
17時過ぎ、混んできた店を後にする。
次回は六甲山を目指すことを約束してKさんと別れ、17:30頃の
RSで岡山へ。車中は熟睡だった。
それにしてもシンドイ登り、下りだった。
夏の久住よりしんどかった。調べてみると
久住山 1787m
牧ノ戸峠 1333m
標高差 454m
に対して、
摩耶山 700m(三角点とTV塔の間を取って)
新神戸駅 50m(あるブログに書いてあった数値)
標高差 650m
である。しんどい筈だ! 低い山と侮ってはいけない!
<第2部へもどる>
<第1部へもどる>
今日(13日)一日中休息にあてました。
連れ合いは朝から元気にボランティア?
へ出かけて行きました。
ふくらはぎ、ももが張っていて、まともに
歩けず、ロボットのように左右に体を
傾けて足を出しています。
明日の講義はもともにできるだろうか?
やっぱり足に来るのは下り坂ですね。
六甲の下りはロープウェイを使おうか?
と連れ合いと話しています。