せきらら結婚生活日記

日々の日記です。

阪神・淡路大震災から、はや10年

2005年01月17日 23時56分00秒 | せきらら私話
1995年1月17日・午前5時46分。6433人の尊い命を奪った阪神・淡路大震災が起こりました。あれから10年。「10年」という文字を見ると長いような気がしますが、自分の記憶をたどってみると、あっという間の10年だったように感じます。

1995年1月17日・午前5時46分。今までにない強い揺れを感じて起床。私が起きたときにはすでに激しい横揺れが始まっていました。
このとき父は、トイレにいて、一番最初の「ドンっ」という音と一発目の強い縦揺れを感じたらしいく、
「トイレの水が吹き上がってきたぁ!」
と叫んでいました。
幸い我が家は、神戸から西へ離れること、電車で40分ほどのところ。当日の我が家のある地域は「震度4」でした。テレビの位置がずれたり、本棚の本や机の上の小物類は落ちてきたりしましたが、大きな被害はなく、ライフラインもまったく問題なし!
ただ、数分後に目に飛び込んできたテレビの画面に思わず、「うそやろー!」
いつも通りなれた阪神高速は倒壊し、いつも利用していた電車の線路は遮断され、いつも通ったり、横を通っていたビルが崩れ落ちて道路をふさいでいる。
そのすさまじい光景に驚愕すると同時に、神戸に住む親戚・友人の安否のことが頭をよぎり、即座に連絡を取りに行くも、これがなかなかつながらないのです!
しばらくニュースに釘付けになりながら、折を見ては電話をかけ続けていたのを覚えています。
後で聞いた友人の話だと、ライフラインがまったく閉ざされた状態で、情報を得る手段もなく、他の地域がどんな状態になっているのかを知ったのはずいぶん後になってからだとのことでした。

幸い親戚・友人はみな無事だったのですが、大学時代の恩師は自宅が崩壊し亡くなられました。
当時44-5歳くらいだったかと記憶しています。とてもエネルギッシュで、活気あふれる講義をしてくださいました。よくしごかれたのを思い出します。
また、当時の同僚の、
「箪笥が頭の上まで倒れてきて、あと数センチずれていたら間違いなく生きていなかった!」
との体験談に驚愕したものでした。
震災から2ヵ月後の同年3月、大学で追悼式が行なわれ、久々に母校を訪れた時のこと。
通常、三宮-西宮間は電車で15分くらいの移動時間が、この日は、電車・徒歩・バスと乗り換えて3-4時間近くかかったのを覚えています。
途中目にした、倒壊した家々、陥没した道路の数々、数多くの復旧作業中の工事現場・・・
今でも脳裏に強く焼きついています。

あれから、10年。早いものです。
神戸は、この10年ほんとによく頑張りました。
阪神高速・各路線の線路の昼夜を問わず続けられた復旧作業、付近の住民の方々も、
「なによりみんなの足(交通)が復活することが先だから。」
と、夜中の工事の騒音にも耐え、想像以上の速さで交通機関が復旧したと聞いています。
瓦礫の山と化した街を、整備・復旧するのは並大抵の作業ではなかったと思います。
みんなの努力と頑張りの積み重ねが今の神戸を作り上げたのだと、この10年神戸を見てきて、思います。

あれから、「もう」10年。されど、「まだ」10年。
「減災」に向けた復興は、まだまだこれからも続くのです!
これからも、みんなで乗り越えていこう!と強く思うのでした。

[神戸新聞・阪神大震災特集]

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