![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/4a/cfa0c53f69ad2f7e370bb52b54093112.jpg)
クモハ32000さまのブログ「切粉だらけの工作室からⅡ」で、鉱山の機関車の工作を拝見し、2004年10月17日に地元いわき市四倉町の八茎鉱山の機関車を見に行ったことを思い出しました。
いわき市と言えば、かつて石炭産業で賑わいましたが、炭坑以外の鉱山もありました。
八茎鉱山は地元では銅山と呼ばれていましたが、この時点で既に銅鉱石の産出は終了して久しく、当時坑内で使われていた電機が2輌、保存されていました。
ちなみに、ここでは銅鉱石と共に石灰石を産出し、これを利用してセメントを製造していたのが、古典蒸機600がいたことで知られる住友セメント四ツ倉工場でした。
トップ画像の反対側から。EL201とEL202の2輌が保存されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/02/ee82d9f31e2c69fdb23326c35c38c8a4.jpg?random=031dadf7dd5b37ee67f13719d43dddca)
EL202。格子付きの前照灯が厳めしい。軌間は610mmだったように記憶しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/bd/894fcd96af6fbec8708191a02a747bff.jpg?random=a476c5d0320a2d70ccb7b439574a17fd)
EL201。形態的にはEL202とほぼ同じです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/4e/a850318981d030fc293ac0fca1ca15dc.jpg?random=dc1e3109fad019286e48b2b7e6568b93)
小さなパンタグラフ。畳むときは、ぶら下がっている紐を引いたのかな?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/27/c5065b15bb8b3db0e0ceb7d700ef049d.jpg?random=e6c50762ead95c107383ba7439503fc6)
EF201の台車。車輪はスポーク。車体のサイズに比して、台車が大きめです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/66/6dd154b0f16f411e9a78d5d98e5edf47.jpg?random=f0c615e2b14528d146ac7bfa243bbc53)
側面には、ナンバープレートと八茎鉱山の社紋が付いています。
乗務員室(?)の床から下がっているものを良く見てみると・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/ab/d46407e7243f740dbaed1d8c22539b20.jpg?random=b06009ed40a10de940bfbd8ab4055e36)
どうやら、電磁吸着ブレーキのようです。碓氷峠のEF63にも付いていましたね。
これが装備されていると言うことは、坑内の線路は急勾配だったのでしょうね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/f9/68b2622acdfe624e503877da6a729e69.jpg?random=510fa06e9880a204e4bac85c6b208fac)
EL202の小さな乗務員扉が開いていたので、内部を覗いてみると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/ba/d199a8635e8011e4d2acc5850ed2ea01.jpg)
このようなプレートが付いていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/7e/3c97a7ac9f7f5b75add9e56bdab6f90c.jpg?random=92ac035d99bd1b593363156f4436bf02)
運転室内。かなり狭いです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/d2/820b8b65fcec0e36d2524d6e8df08884.jpg?random=a5fa4a3087ef4e8cc9ebf36a514ccb5a)
坑内に通じる線路を見に行きましたが、坑口は閉ざされており、レールは残っているものの、土と鉱石に埋もれていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/c0/065eb863ba13bebe1463b72f2cfc3400.jpg?random=bcf7e956237261ec1a9c60224b2423e4)
鉱車で運ばれた鉱石は、ここから搬出されたのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/ad/e15bad715e320e2333551a7e1843f1b8.jpg?random=f6e560b0184135966d3eb4049c1c8661)
この車庫の中には、どんな車輌が居たのでしょう?
いわき市と言えば、かつて石炭産業で賑わいましたが、炭坑以外の鉱山もありました。
八茎鉱山は地元では銅山と呼ばれていましたが、この時点で既に銅鉱石の産出は終了して久しく、当時坑内で使われていた電機が2輌、保存されていました。
ちなみに、ここでは銅鉱石と共に石灰石を産出し、これを利用してセメントを製造していたのが、古典蒸機600がいたことで知られる住友セメント四ツ倉工場でした。
トップ画像の反対側から。EL201とEL202の2輌が保存されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/02/ee82d9f31e2c69fdb23326c35c38c8a4.jpg?random=031dadf7dd5b37ee67f13719d43dddca)
EL202。格子付きの前照灯が厳めしい。軌間は610mmだったように記憶しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/bd/894fcd96af6fbec8708191a02a747bff.jpg?random=a476c5d0320a2d70ccb7b439574a17fd)
EL201。形態的にはEL202とほぼ同じです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/4e/a850318981d030fc293ac0fca1ca15dc.jpg?random=dc1e3109fad019286e48b2b7e6568b93)
小さなパンタグラフ。畳むときは、ぶら下がっている紐を引いたのかな?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/27/c5065b15bb8b3db0e0ceb7d700ef049d.jpg?random=e6c50762ead95c107383ba7439503fc6)
EF201の台車。車輪はスポーク。車体のサイズに比して、台車が大きめです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/66/6dd154b0f16f411e9a78d5d98e5edf47.jpg?random=f0c615e2b14528d146ac7bfa243bbc53)
側面には、ナンバープレートと八茎鉱山の社紋が付いています。
乗務員室(?)の床から下がっているものを良く見てみると・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/ab/d46407e7243f740dbaed1d8c22539b20.jpg?random=b06009ed40a10de940bfbd8ab4055e36)
どうやら、電磁吸着ブレーキのようです。碓氷峠のEF63にも付いていましたね。
これが装備されていると言うことは、坑内の線路は急勾配だったのでしょうね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/f9/68b2622acdfe624e503877da6a729e69.jpg?random=510fa06e9880a204e4bac85c6b208fac)
EL202の小さな乗務員扉が開いていたので、内部を覗いてみると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/ba/d199a8635e8011e4d2acc5850ed2ea01.jpg)
このようなプレートが付いていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/7e/3c97a7ac9f7f5b75add9e56bdab6f90c.jpg?random=92ac035d99bd1b593363156f4436bf02)
運転室内。かなり狭いです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/d2/820b8b65fcec0e36d2524d6e8df08884.jpg?random=a5fa4a3087ef4e8cc9ebf36a514ccb5a)
坑内に通じる線路を見に行きましたが、坑口は閉ざされており、レールは残っているものの、土と鉱石に埋もれていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/c0/065eb863ba13bebe1463b72f2cfc3400.jpg?random=bcf7e956237261ec1a9c60224b2423e4)
鉱車で運ばれた鉱石は、ここから搬出されたのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/ad/e15bad715e320e2333551a7e1843f1b8.jpg?random=f6e560b0184135966d3eb4049c1c8661)
この車庫の中には、どんな車輌が居たのでしょう?
何せ10年以上前の事です。
今まで記憶に霞がかっていましたが、当時の記憶が鮮明に蘇りました。
八茎鉱山の機関車達でしたか。
もう一度訪れてみたいものの果たして現存しているかどうか気がかりです。
東芝(東芝府中)製の鉱山向け電気は結構デザインが本格的で、ちょっとおとぎ電車的ですが好ましく思えます。八茎のは20tで160kw/hですからかなり強力機ですね。
この八茎鉱山以外にも、三井三池炭鉱(これは中間車を挟んだ3両永久連結)、奥多摩鉱業にも2軸ながら同デザインの機関車が以前使われており、興味が有りました。
台車(多分TT某と形式があるはずです)が、デザインは南海のED5211そっくりです。
こういうメーカー独特のデザインが大きさに囚われず踏襲されているのを発見するのも実物観察の面白さがあります。
昨年にはもう現存していませんでした。
上屋まで設置され、大事に保管されていると思っていたのですが・・・
解体されてしまったのか、それとも熱心なマニアに売却されたのか、行方不明です。
その四倉小出身です。
休み時間等に車内に入って遊んだことを思い出しますが、当時既に状態は良くなく、座席のクッションのスプリングはむき出し、一部の窓ガラスは割れていたように記憶しています。
何故、東京から遠く離れたこの地に都電が保存されていたのか、当時先生から聞いた話では、地元の方から教育用に寄贈されたと言うことでした。
その後、老朽化のため解体撤去されてしまったのは残念でしたが、寄贈されたものを適切に管理できず、むざむざ解体の憂き目に遭わせてしまった学校の姿勢には疑問が残ります。
八茎の入口近くの坑口は、四ツ倉と玉山を結ぶ住友セメント専用線の玉山駅の少し奥にあったところでしょうか?
専用線が廃止になって間もない頃、鉄な友人と見に行ったことがありますが、EL201の同型車が何台かいたように記憶しています。
そのときカメラを持って行かなかったことを、今でも後悔しています。
こんなヘンな機関車、ここ以外にも同じようなデザインのが居たとは知りませんでした。
このジャンルは、ハマると本当に泥沼になってしまいそうですね。
この写真を撮影した当時、ちゃんと保存されていたのは機関車だけでしたが、別な場所に放置されていた鉱車や人車を詳細に撮影しておかなかったのを悔やんでいます。
帰りに事務所でお礼を言うと所長さんらしき人が出てきて
「そろそろ処分しなければいけないのですが・・・買ってくれませんか?」と言われました (汗
置き場所もお金もないので丁重にお断りさせていただきましたが、勿体無かったですねぇ・・・
10年前に、既に処分される方針だったのですね。
お値段は、当時の1トン当たりスクラップ価格×機関車重量20トンと考えると大体想像は付きますが、輸送費が高くつきそうです。
でも、本当に勿体無かったですね。