SYUUの勉強部屋:仏教思想概要

仏教思想概要4:《唯識》(第1回)

(府中市郷土の森公園・修景池のハス      6月21日撮影)

 

 

 仏教思想概要4《唯識》のご紹介の第1回目です。
 すでにご紹介のように、このブログは、「仏教の思想」(全12巻)を中心として、仏教思想の概要を整理してご紹介しています。12巻は、インド編、中国編、日本編の各々4巻から構成されています。
 ということで、釈迦仏教、アビダルマ、中観と終わって、概要4《唯識》はインド編の最後となります。
 インド編は、全12巻のシリーズ全体の位置づけでは、「仏教思想の基礎」といえる部分になるかと思います。インド編4巻はそれぞれ独自の特徴的な思想背景を持っていますが、概要4《唯識》は最後に登場した仏教思想・哲学ということもあって、これまでの思想を統括するという性格も持っているかと思います。

 これまでもかなり難解でしたが、今回もかなり難解です。ただ、批判哲学の性格の強い前回概要3《中観》に比べると、理論が順次展開されており、じっくり読んでいただくとやや理解しやすいかな、とも思います。どうぞ、最後までお付き合いください。

 それでは、前置きが長くなりましたので、本日分スタートしたいと思います。本日は、唯識思想発展の歴史をみていきます。

 

第1章 唯識思想の歴史と思想背景

 

1.唯識思想発展の歴史

1.1.唯識思想発展の系譜
 唯識思想発展の個々の内容の説明の前に、発展の系譜を下図1のように整理してみました。

 以下、個々の思想内容について順次説明します。

1.2.唯識の思想家たち
1.2.1.『解深密教』とは
(1)執着の種子―アーラヤ識-
 『解深密教』は、如来蔵思想を盛った『如来蔵経』『勝鬘経(しょうまんぎょう)』などとともに、いわゆる中期大乗経典の一つとして、紀元後200~400年ごろにあらわれたと想定されています。
 如来蔵思想系の経典が、心を衆生に及んでいる仏として、衆生のもつ煩悩によって汚染されていても本来清浄なものとして解明するのに対して、衆生の心をより現実的なすがたにおいてとらえていています。
 衆生の心は、五蘊・十二領域・十八要素などと総括されるさまざまな現象的存在や、四念住(しねんじゅう)・四正断(ししょうだん)、ないし八正道などが、本来空であることを悟らずに、つねにそれらに執着するように傾向づけられている。この執着の種子(しゅじ)としてのアーダーナ識、またはアーラヤ識(阿頼耶識あらやしき)があり、その識があるゆえに衆生は輪廻すると説いているのです。

 

(2) 「三種の存在形態」論
 『解深密教』の「解深密」とは、いまだ明らかにされていない仏説の「秘密の意味」を「解き明かす」ことを意味しています。『般若経』の教説に「秘密の意味」がありますが、それはこれまで解明されていない。『解深密教』はその意味を解き明かすことを目的としているとしているのです。
 そのために説かれたのが「三種の存在形態」論で、実在は三種の存在形態をもってあらわれるが、それら三種はいずれも固定的な本性をもたない空である、ということが仏説の意味であるとしているのです。(「三種の存在形態」論については詳細を後述します。)
 三種の存在形態は衆生の心のあり方にかかわるため、『解深密教』は心の本質を考察して、先述のアーラヤ識説を立てました。このアーラヤ識説と「三種の存在形態」論とは唯識思想の骨格をなしているのです。

 

1.2.2.マイトレーヤ
(1)マイトレーヤの著作
 マイトレーヤの主な著作を下表1に示します。

(2) マイトレーヤは史的人物か
(ⅰ)アサンガの伝記にみるマイトレーヤ
 パラマールタ(真諦しんだい)の『婆藪槃豆法師伝(ばすばんずほっしでん)』にヴァスバンドゥの伝記とともに、兄アサンガの伝記も語られています。(パルマールタ:546年中国に渡る。倶舎論などの唯識、如来蔵思想の翻訳を行ったインド僧)また、玄奘の『大唐西域記』にも簡単な記述があります。
 いずれも、天(兜率天とそつてん)にも昇ってマイトレーヤ菩薩から『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』その他を教授され、その教理を人々のために解説したということが伝えられています。

(ⅱ)本書での見解
 マイトレーヤは実在の人物とする説とマイトレーヤの著作はアサンガによるものとする説があります。
 しかし、アサンガの著作との比較において、アサンガ説は取りづらく、アサンガが参考とした著書があったと考えられます。仮にその参考にした著者をマイトレーヤとするので良いと考えられます。

1.2.3.アサンガ、ヴァスバンドゥ、それ以後
(1)アサンガの著作
 アサンガにおいては、彼の伝記にて一部先述しましたが、活動の地については、プルシャプラとアヨーディヤー二つの伝記では一致していません。また、チベット伝では「マダカ国」としています。彼の著書を整理すると下表2のようになります。

(2)ヴァスバンドゥについて
 ヴァスバンドゥの業績については、「仏教思想概要2:アビダルマ」においてすでに説明していますが、ここで再度下表3にて示します。

 ヴァスバンドゥは、グプタ王朝下の安定した社会における古典文化黄金期(AD四~五世紀)、大乗仏教を精緻な学問体系として整えた学僧です。
 彼の唯識思想の発展史上の大きな功績として「識の変化」の概念形成があげられます。
「変化」はサーンキャ学説を特徴づける術後であり、ヴァスバンドゥの最初の著作が、サーンキャ学派のヴィンディアヴァーシンを論破するために著した『七十真実論』であることは興味深い事実です。
 ヴァスバンドゥの「変化」の概念形成過程は、彼の著作の変遷に見ることができます。(下表4参照)

(3)ヴァスバンドゥ以後の唯識
 ヴァスバンドゥ以後の唯識については以下の図2のように整理できます。

 

 本日はここまでです。次回は唯識思想の思想背景として「観念論の系譜」を取り上げます。しばらくお待ちください。

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