シドニーの風

シドニー駐在サラリーマンの生活日記です。
心に映るよしなしごとをそこはかとなく書き綴ります…祖国への思いを風に載せて。

歴史感覚

2009-05-10 22:17:55 | あれこれ
 私が通った大学は、学生運動の名残りで、真面目に講義に出席することを潔しとしない、骨のある(ひねくれた)性格を引き摺り、講義はただのきっかけに過ぎず、学問は自ら究めるものと嘯きながら、遊び呆けていたのですから世話ありません。そんな中で、敬愛する教授が一人いて、阪神タイガース・ファンなのが玉に瑕でしたが、こまめに聴講したものでした。その教授に魅かれたのは、最初の講義で、国際政治における虚々実々の駆け引きはヘロドトスの「歴史」を読めばわかると言われ、まるで人間社会はこの2千年以上もの間、進歩がなかったかのようなモノの言い(スケールの大きさ)に衝撃を受けるとともに、その後も、時間を縦軸に(歴史感覚)、地理を横軸に(国際感覚)した幅広い視野と、そのベースにある人間に対する深い洞察(哲学)で、時事問題を軽く切って捨て、初めて学問の奥深さを(人間性とその社会の変わらない姿を)教えられたからでした。
 その後の半生で双璧をなす敬愛する人物は、国民的歴史作家の司馬遼太郎さんです。彼の素晴らしいところは、歴史家と言うより文明史家とも言うべきところで、文明という視点で見た歴史は常に交流の歴史であるが故、彼の視野には時間軸(歴史感覚)とともに地理軸(国際感覚)が組み合わされ、ジャーナリスティックな冷徹な目線を、作家としての豊かな表現力に包み込み、私たちの前に鮮やかな歴史物語を紡いでくれたのでした。
 前置きが長くなりましたが、昨日の続きで、ものの見方・考え方の基本は、国際感覚と歴史感覚(更にそのベースにある哲学)に裏打ちされたものであるべきだと、個人的に思って来ました。この両者は、司馬遼太郎さんのところで触れたように独立して存在するのではなく、密接不可分の関係にあります。ともすれば私たち日本人は、「経験」の範囲でしかモノを見ない国民性をもちます。それは恐らく太平洋戦争がトラウマになって、私たちの「歴史」感覚は、昭和20年で切れてしまっているからと見て間違いありません。しかし、ビスマルクが言ったように、愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶものです。受験勉強で学ぶ歴史は私もなかなか好きになれませんでしたが、本当の歴史は血もあり涙もある人間の営みそのものであり、その叡智から学んで行きたいものです。


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