6月に行った研修旅行の記事を今頃UPしてるなんてえのは、どういうぐうたら野郎なんでしょうヤ(←自分!)
写真の説明で進めますと、
1段目左:
千鳥ヶ淵戦没者墓苑の礼拝堂です。戦地の土で作った陶棺が安置され、そこに遺骨が納められています。
1段目右:
1日目の案内役を務めて下さった、東京教区の須賀さん(前出)。その後は小松教区教区会議長の佐々木さんです。
2段目左:
九段下の陸橋から見えた武道館。ほんとに「光るタマネギ」ですね。(←爆風スランプです)
2段目右:
靖国神社の参道にあるレリーフの一つ。これのテーマは「肉弾三勇士」。敵防衛網突破のために爆弾を抱えて突入した三人の兵隊さんたちです。英雄ともてはやされたそうですが、辛い実話が伝えられています。この三人は被差別出身の人たちで、自分たちの出身地域に対する差別や偏見をなくさせようと、命を投げ出して「お国のために尽くした」とのことです。
3段目左:
戦争記念博物館「遊就館」のエントランスホールに展示されている「零戦」。高校生ぐらいまでは飛行機が大好きで、各国の戦闘機の本なんかを買いあさっていましたが、多くの人間がこれに乗って、あるいはこれに撃たれて、死んでいったんですよねえ。
3段目右:
二日目に防衛省を見学した時、正門前で抗議文を読んでいる沖縄出身のおじさんがいました。「防衛省は、これ以上、沖縄に、大、大、大迷惑を、かけるなー!」。これがまた、拡声器なしでも四方に響き渡る大きな声で、何度も何度も訴えているのです。少し話を聞かせてもらいましたが、「是非いろんなところでこういう活動を紹介してください。どうぞ写真を撮って下さい!」ということで、紹介します。
4段目左:
防衛省に入る時渡された見学者用IDカード。
4段目右:
旧市ヶ谷駐屯地本部正面玄関。あの「三島由紀夫事件」で、三島由紀夫が自衛隊員に演説したバルコニーです。旧の建物は取り壊されて、歴史的遺産として一部が保存されています。この中に入ると、「東京裁判」の舞台になった大ホールがあります。
写真の説明で長くなったので、「『靖国』という物語」についてもう一度書きます。
写真の説明で進めますと、
1段目左:
千鳥ヶ淵戦没者墓苑の礼拝堂です。戦地の土で作った陶棺が安置され、そこに遺骨が納められています。
1段目右:
1日目の案内役を務めて下さった、東京教区の須賀さん(前出)。その後は小松教区教区会議長の佐々木さんです。
2段目左:
九段下の陸橋から見えた武道館。ほんとに「光るタマネギ」ですね。(←爆風スランプです)
2段目右:
靖国神社の参道にあるレリーフの一つ。これのテーマは「肉弾三勇士」。敵防衛網突破のために爆弾を抱えて突入した三人の兵隊さんたちです。英雄ともてはやされたそうですが、辛い実話が伝えられています。この三人は被差別出身の人たちで、自分たちの出身地域に対する差別や偏見をなくさせようと、命を投げ出して「お国のために尽くした」とのことです。
3段目左:
戦争記念博物館「遊就館」のエントランスホールに展示されている「零戦」。高校生ぐらいまでは飛行機が大好きで、各国の戦闘機の本なんかを買いあさっていましたが、多くの人間がこれに乗って、あるいはこれに撃たれて、死んでいったんですよねえ。
3段目右:
二日目に防衛省を見学した時、正門前で抗議文を読んでいる沖縄出身のおじさんがいました。「防衛省は、これ以上、沖縄に、大、大、大迷惑を、かけるなー!」。これがまた、拡声器なしでも四方に響き渡る大きな声で、何度も何度も訴えているのです。少し話を聞かせてもらいましたが、「是非いろんなところでこういう活動を紹介してください。どうぞ写真を撮って下さい!」ということで、紹介します。
4段目左:
防衛省に入る時渡された見学者用IDカード。
4段目右:
旧市ヶ谷駐屯地本部正面玄関。あの「三島由紀夫事件」で、三島由紀夫が自衛隊員に演説したバルコニーです。旧の建物は取り壊されて、歴史的遺産として一部が保存されています。この中に入ると、「東京裁判」の舞台になった大ホールがあります。
写真の説明で長くなったので、「『靖国』という物語」についてもう一度書きます。