goo blog サービス終了のお知らせ 

smiletiger's 日米見聞録 

- 日米うろうろ そこで 見たもの 聞いたはなし ザ ケンモンロク -

五月 終わる

2011-05-31 20:34:51 | 日記

なんとかの ひとつ覚えではないが 光陰は矢の如く飛んでゆき 2011年5月も本日で終わった。  矢の如く というのが古い というのなら 今どきのことばで リニア新幹線の走るが如くと 言い換えよう。

                         

リニア中央新幹線 (というのが確定された本名の由) は早い。 東京 大阪を1時間でつなぐ。
1962年4月 ”リニアモーター推進浮上式鉄道” の研究が 国鉄+鉄道技術研究所 (たしか 東京 国分寺にある) にて開始。 1972年3月 車体が 浮上し 走行を確認。 1979年 宮崎の実験線にて 無人ながら 試験車両 ML-500号 が 517km/h 世界最速を記録。

1997年12月24日 山梨に新設された実験線にて 設計最高速度 550km/h 記録。 1999年11月 営業目標速度 500km/h での すれ違い、 相対速度 1,003km/h の実験に確信。 2003年12月2日 時速 581km を記録し 鉄道の世界最速をギネスが認定。 2008年10月8日 山梨線 累積走行距離 70万km を記録。

2011年5月20日 国交省は 法に基づき 中央新幹線の 建設 および 営業主体として JR東海 を指名。 26日 整備計画を決定 それによると 区間 東京 大阪。 最高運行計画速度 505km/h。 概算建設額 (車両を含む) 9兆300億円。 運行は 両ターミナルを結ぶ ほぼ直線の ”南アルプス ルート” 全線の 略60% は トンネルとなる。

経過地。 東京・品川 - 神奈川 (多分 橋本) - 山梨 (多分 都留市) - 長野 (多分 飯田) - 岐阜 - 愛知・名古屋 - 三重 (多分 亀山) - 奈良 - 大阪 (多分 梅田に ターミナルを置く)。 京都には寄らない。
2027年 東京-中京圏 の 先行開業 東京 名古屋間 40分。 2045年 全線開業 東京-大阪間を 67分で 走りきる。 [引用: JR東海アドペイジ linear.jr-central.co.jp/ などから]

この列車が走る頃 僕は もう こちら側には居ず 向こう側から 安全運行を念じつつ眺めていることとなるでしょう。 しかし 乗ることは出来ないね。

[Photo: JR-Maglev Shinkansen Model MLX01-02 by JR Central]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 


てっせん もどき

2011-05-30 12:05:59 | 日記

メモリアル デイ。 5月の最終月曜日は アメリカ合衆国の 独立戦争から始まる戦争の歴史の英雄や戦没者を偲ぶ記念日です。 本日は 気温90度を越すだろうという真夏のような快晴の日です。

アメリカの人々は 今日から夏が始まると思っています。 スケジュールが 夏モードに替わります。    

                                                                             
 蔓はなれ 月にうかべり 鉄線花    水原 秋桜子

 鉄線 てっせんかずら 風車(かざぐるま)花 クレマチス。
 中國原産 漢名’鉄線蓮’ 日本には寛文年間に渡来。 キンポウゲ科の落葉蔓草。 蔓を出して
 他のものに巻きつくが その蔓が 針金のように強いから 鉄線 と呼ばれる。 葉は 対生して
 掌状に3枚ずつ出る 複葉。 初夏大きな 白色 または 青紫色の 六弁の花を開く。 だが、
 花に見えるのは実は 蕚 (がく) である。  雄蕊 (おしべ)が 暗紫色で花の中心が引き締まって
 見える。  [引用: 高橋治 ’木々百花撰’ 朝日文庫 など]

さて、 ここで 平謝りせねばならないことあり、 これまで てっせん と書いてきたものが そうじゃないこと、 上掲の写真を ご覧の通り I さんの庭に咲く蔓花は 花びらが (実は 蕚片だけれど) 4枚しかないこと、 つまり この花は てっせん じゃないことであります。 ですが 花びらの数 以外は まさしく てっせん で 可憐 感じの良い花であることには違いありません。

本を読んで確かめましたが てっせん だとすれば 6枚の花弁がなくてはならない筈。 そうであれば 4枚の この花は なんという名の花なんだろう。 博学の貴殿に 是非 お教え いただきたく。

この花を見ると 昔 暮らしたアトランタの家の郵便受けの柱に巻きついた 青い大輪を 思い出す。

[Photo: Clematis @ Ishida Garden - May 25, 2011]

 

 

 

 

 

 


2011-05-29 11:01:25 | 日記

                                           

 くたびれて 宿かる比(ころ)や 藤の花    芭蕉

 藤。 マメ科の蔓性落葉樹。 日本に自生する 野田藤(のだふじ) と 山藤、 古く中國から渡来した
 支那藤などがある。 野田藤の名は 大阪の野田の 藤の宮 という お宮にあるのを代表して、
 蔓の右巻きのものをいう。 関西以西に 自生する 左巻きのものが 山藤 で葉が毛深い。
 白藤は山藤の変種。 野田藤の園芸品種のうち 白い花の咲く藤は、 正確には 白花藤 (しろばな
 ふじ) という。 支那藤は蔓が左巻きで葉に毛がない。 藤の若葉は あくが強いが食用になり 
 花もまた 茹でたり 揚げものにしたりして食べられる。 [引用: 大野林火監修 ’入門歳時記’ 角川書店]

明治神宮には 菖蒲園があって 只今 シーズンに入って美しい花を咲かせ たくさんの人びとを集めていると思います。 神宮に参拝に行かれる人は、 菖蒲を見物に行かれる人も、 9割以上 原宿から入って 原宿へ戻ると思われる。 100人のひとの 5~6人が行くだろうと思われる 代々木へ至る参道を歩くと 途中に 菖蒲の株分けや 養生などするための (だと 思う) 長方形の畑が並んでいる。 その脇に 見事な藤の棚があって 腰掛があった。 という記憶があるのだが間違いか。 50年前のデートの記憶。 間違っていても当然、 と居直る。

[Photo: Wistaria @ Mr.Ishida's Garden - May 25, 2011]

 

 

 

 

 


あやめ 咲く

2011-05-28 12:25:40 | 日記

                                

 あやめ草 足にむすばん 草鞋の緒    芭蕉

 奥の細道の旅で 端午の節句に 仙台入りした 芭蕉に 土地の画工が 紺の緒の草鞋(わらじ)を
 送った。 芭蕉は贈り主を 風流だと書いて たいへん喜び 花を緒に結んで弾んだ気持ちの句を
 作った。 さりげない 旅の この点景に、 節句に菖蒲の花を身につけるのは 病苦から逃れるとの
 言い伝えが あることを 忘れてはならない。 芭蕉は 足先に花を結ぶ華やぎのほかに これからの
 長旅を意識しているに違いない。 [引用: 高橋治 ’くさぐさの花’ 朝日文庫]

水曜日 昼過ぎ 当地に居る友人 I さん宅へ行き ご亭主が丹精する 庭の草花を愛でてきました。 数年前に植えた 藤が 今年初めて咲いた と聞いて 駆けつけましたが 数日遅れたらしく 盛りを
やや過ぎておりましたが それでも 十分鑑賞に耐える状態でありました。 写真も撮ってきました。

板塀には 僕の大好きな てっせん =Clematis が たくさん寄り添って 風に揺れておりましたが 花の色が 薄紅色で それはそれで可憐な姿でありました。 あの花は 青い色が良いと思っています。

数本の 菖蒲を切っていただいて うちへもって帰り 連れ合いが クリスタルの水差しに活けました。 夜更け この花から香りが届きます。 想像するよりも強く 遠くまで届きます。

[Photo: Iris @ Mr.Ishida's Garden - May 25, 2011]

 

 

 

 

 

 

 

 


窓ガラス交換

2011-05-27 13:15:40 | 日記

今年の2月の始め べらぼうに寒い日が続き シカゴ シティ の気象観測史上 3番目という深さの雪が降った。 20インチ つまり 50センチ以上の降雪であった。 視界を閉ざす 降る雪は もちろん 寒さの イメジを裏切らないが 本当に寒いのは 風である。

                      

そんな或る日、 夜更けまで パソコンの前に座って なにやかや 調べものなどをしていたとき 目の前のカーテンの奥に 異様な音が響いた。 入り江の沖に停泊の軍艦が 大砲を撃ったような音。 強弱で言えば 強くなく、 高低でいえば 高くない どん という音。 この音の発信源はカーテンの奥にはない。

隙間風の侵入を防ぐため また 室内の暖気を外に逃がさないため この地で暮らすには 厚手のカーテンが不可欠であるが 同時に 窓ガラスは 2重の heavy duty なものが求められる。 
我々の ねぐらは 11階建てのコンドミニアムの10階、 南向きのユニットで 1枚 高さ 8フィート 横幅 4 フィートの引き戸で外界と仕切られ 引き戸には 2重のガラス板が (一枚いちまいは かなり 分厚く、 その間隙には ナントカ ガス が充填されている、 と仕様書にかかれている) 嵌められている。 これを Double Pane Window といい、 Pane (ペイン) とは 一枚の窓ガラスのこと。

その 室内側のガラスが破壊された。 破壊を推理するに ダブル ペイン の間隙のガスが抜け つまり 温度の緩衝地帯が消滅し 戸外の冷気が侵入し 防御に 耐えられなくなった内側のガラスが破れたのではなかろうか。

5月も末に近く 気温も上がってきたので 破損ガラスの交換をすべく サービスショップ を探して電話してみた。 最初の修理屋さんは 交換し 破損したガラスを処分するに 1,080.-也 と言ってきた。 仕事の前に 手付けで半額を頂きたい とも言った。
次に、 この コンド に お住まいの 親切おばさんが 教えてくれた ガラス屋さんに連絡すると 610.-ドル で請け負うという。 その電話のやり取りをしたのが先週の土曜日、 三日後 火曜日 朝 8時過ぎ、 ニコラス という 大きなからだの青年と アシスタントがやって来て フレームを外し 解体し ダブルペイン 新旧を交換し ガラス窓 うちそとを きれいに拭き 仕事を終えた。

新しくなった窓は ガラスが嵌っているとは思えぬ程 クリーンで うちの中にも 5月の風が流れた。

ムーチョ グラシアス。 彼らは メキシコからやって来た。

[写真: 割れたガラス(左) 取り替えた 新ガラス窓(右) - 05-24-11]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Baltimore - MLB観戦記

2011-05-26 12:25:31 | 日記

シリコンバレイ奮戦記を共にする ひとり、 友人 KS君から 僕のブログに 打てば響く返信があった。 K介君は 優秀なエンジニアで 一風変わったところがあった。 一風変わったところがないと 優秀な
エンジニアにはなれない。

僕は 高校生の頃から物理の成績は良くなく じぇんじぇん先生の (という名前の素晴らしい担当教師が居た。 バスケットボール部を見ておられた) 覚えも めでたくなかった。 先生が 何故 生徒たちから 
’じぇんじぇん’ と 慕われるかというと、 「その解答 ‘全然’ だめだね」 と否定なさるとき お国訛りで そう 発音されるから。
それはさておき、僕は エンジニアリングには じぇんじぇん蒙昧なるも、 いい エンジニアか そうでないかは区別が付く。

                     

さて、 話は 1986年6月5日木曜日のこと。
この週、 月曜日から水曜日まで ボルチモアの コンベンション センター で行われた IEEE主催の 権威ある MTT-S = Microwave Theory and Technologies Society の出展を終えた僕たちは、
くたくたに くたびれた後の休息に、 メジャーリーグの野球を観に行こう ということになった。 このとき 東京からやって来た エンジニア は ふたり、 K介君と N君、 N君は 熱狂的な阪神タイーガース ファン である由。

遅い 昼飯を食べて ホテルのフロントで 野球場への行き方を聞いて 通りへ出て バス停にて 我われ3人 バスを待っていたところへ 1台の パトロールカー が滑り込んできた。
現れたのは 初老の ポリスマンで  「そこで 何をしている」 と聴いてきた。 3人で 野球場へ行きたいんだ と 答えると 「よし、 諸君を 連れて行ってやる」 パトカー に乗れ と言った。 僕たちは 言われた通り 後部座席に乗り 瞬く間に ボルチモア メモリアル球場の正面に到着した。

ポリスマンは 路上の屋台を指差し 「あそこで 茶色の紙袋に入った ピーナッツを買って、 球場の中に入ったら ビールを売っているところがあるから 座席に一番近いところで それを買ってゲームを見てくれ」  それじゃぁな  Let Enjoy !  と言って去っていった。

その夜のゲームは ボルチモア オリオールズ と シアトル マリナーズ戦。 だが  勝敗が どうであったか などは 一切覚えていない。
勿論 シアトル に イチロー が登場する 遥かな昔のことである。 それから 25年が過ぎた。

                         [Photo: Baltimore Oriole's Memorial Stadium - Oriole's Photo Service 1990]

 

 

 

 

 

 


Palo Alto にて - III

2011-05-25 12:39:23 | 日記

パロアルト、 エルカミノ レアル大通り と ハンセン ウエイ の角の モテルのおばさんが ひっくり返った話の ブログを ご覧いただき、 早速 F先達がご返信をくださいました。

そのときの メモを 引っ張り出してきて ’おばさんが 突然 倒れた’ ことは まざまざと思い出すけれど その前後のことは 全く蘇らない、 とのことでありました。

                               

あの日の朝、 宿泊費などの支払いを済まし ドアの鍵を渡し チェックアウト、 どうもありがとう それじゃまた と言って 受付カウンターを離れようとしたとき カウンターの内側に居た おばさんが どさっと倒れた。 僕は 泡を食って カウンターの内側に飛び込み おばさんに近寄ってー という いきさつでありました。
床の上の おばさんの印象は 氷のテーブルの上に 気持ちよさそうに横たわる あざらし の如くでありました (などど書くと おばさん 怒るね)。

F先達の おたよりに依れば、 あのときの ヴァリアン社訪問の理由は ’もしも 電源に故障が生じ、 切断されたとき、 我が社の製品 (2,856MHz RF Driver) は どのように リカバー されるのか’ というテーマの話し合いであった、 ということでありました。
そのことについて、 恥ずかしながら 僕は 一切 記憶がありません。 そういう ややこしい話が あのとき あったんだ。

上掲の写真は "Super 8 Motel" の受付カウンター の様子で同モテルのアド写真から転用しました。

尚 "Super 8" は その昔 "Currier Motel" という名称であったことを 僕のメモで見つけました。 
"Best Western"
ではなかったらしい。

                         [Photo: "Super 8" Motel Receptionist Counter by their Ad Picture]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Palo Alto にて - II  

2011-05-24 12:31:36 | 日記

カリフォルニア サンフランシスコ半島の シリコン バレイ 勃興に 大いに貢献した スタンフォード大学の振興策に乗った巨人が居ます。

            

人物は ウイリアム ショックレイ博士 = William Bradford Shockley, Ph D (1910~89) で スタンフォードの策を背景に 半導体研究所を設立、 トランジスタ- を発明し、 仲間と3人で 1956年 ノーベル物理学賞を受賞、 研究所に多くの人材を集めました。 

その中に ロバート ノイス = Robert N. Noyce や ゴードン ムーア = Gordon Moore などの秀才が居ました。 ですが 集まった秀才たちは 直ぐ ショックレイ博士と うまく折り合いが付かなくなり (博士の ’やりかた’ が 全ての人に問題を起こす) やがて 8人が 半導体研究所を辞めてゆきます。 8人の中の ノイス や ムーア は 新しい支援者を得て フェアチャイルド セミコンダクター社を始め やがて集積回路を発明する。 ジェリー サンダース は AMD を創業させる。

上記は トランジスター と IC の50年も前の出来事ですが 歴史を思い浮かべると 今でも 当時の雰囲気が エル カミノ レアル の 周辺に漂っている気がします。

或る日、 1990年代の始め頃と思うが、 パロアルト の ヴァリアン社にて エンジニアリング ミーティング をしたときのこと。 東京から訪れた 3人の エンジニアと 先方の技術陣との ミーティングの アジェンダ が すべて クリアになり SFO空港から エンジニアーたちは 晴ればれと成田へ、 僕は アトランタへ戻ることとなった。

空港の傍のホテルで みんなが集まって 搭乗時間まで暇をつぶしていたとき エンジニアー のKH氏 が 突然 パスポートがない と言いだした。 僕たちは スーツケイスの 何処かから出てくるだろうと 高をくくっていたが いくら探しても どこにもない という。 Hさんの顔に 深刻さが増す。

いよいよ ない ということが明らかになり 僕と Hさんは 昨夜泊まった "Super 8" へ とりあえず行ってみよう ということになり タクシー に乗り込んで エル カミノ レアル と ハンセン ウエイの角のモテルへ急行した。 カウンターの おばさんに尋ねるも 落し物は何もない という。 そこで 念のため 今朝 チェックアウトした部屋を見てよいか ときくと 'Yes' という。 そこで 駄目で もともと 2階のその部屋に入って 薄暗がりの部屋の隅に パスポート を発見。

そのときの Hさんの ’我 発見せり’ の嬉しい叫びを思い出す。
僕の 放ったヒットは そこまで乗ってきたタクシーを モテルのパーキングで 待ってもらっていたこと。 Hさんと ふたり それに乗って空港へ急行、 Hさんは結局 全員のエンジニアと一緒に帰国することができたのであります。

めでたしめでたし。

                                  [Photo: Hoover Tower (285ft) @ Stanford Univercity Campus]

 

 

 

 

 

 

 


Palo Alto にて

2011-05-23 12:38:52 | 日記

合衆国 カリフォルニア州 パロアルト は 今も 活発な動きを示す アメリカの起業家の目指す聖地で
あり、特に 先端企業を起こす出発地でもあります。

                

その キィ ストーン は 隣り街に位置する スタンフォード大学であることは 周知の通りでありましょう。 大学は、 優秀だけれど まだ 海のものとも 山のものとも判らない 学生に ’出発’ のチャンスを与えるため 資金の援助をし、 所有地の一角を 破格の条件で提供した。

これに 優秀な若者たちを 膝下に置く という意図が有るにせよ やることが 太っ腹であります。 日本国にては ここまで スケールが拡大しない。 せいぜい ナントカ塾 というのを始め、 可能性のある青年を囲うというのが 関の山ではないか。

スタンフォード大学の城下町で 事業を起こし成功したものは ヒューレット パッカード はじめ枚挙にいとまありませんが その ひとつに ヴァリアン = VARIAN Associates が有る。 ヴァリアン青年は 例によって 庭の ガレイジ から仕事を始め、 今 医療装置+システムの世界的企業となっています。

このシステムに 我が社の製品が、 極めて正確な 大出力の信号を出す発信機、 採用されたのであります。 で、 東京本社よりの エンジニアなどと 頻繁に この会社に通いました。 その折に宿泊するのは エル カミノ レアル大通りの角に在る ”スーパー8” (かって 80年代中ごろは ”ベスト ウエスターン” だったと思う) という モテル でありました。
上掲にその写真。 この写真を見て 懐かしく思う かっての仲間が きっと居るだろう。

或る日、 東京本社の AF重役のお供をして ヴァリアン社を訪問、 引き上げるとき このモテルのカウンター にて チェックアウト完了の直後、 突然 カウンターの中で応対してくれていた おばさん が ばったり倒れた。 太った 大きな おばさん だった。 びっくりした 僕たちは カウンターの中に飛び込んで
’しっかりせよと 抱き起こし’ と思ったけれど ひっくり返った おばさん は びくともしない。 とにかく 救急車を と 電話機を握ったところで おばさんは 息を吹き返し ご自分で起き上がった。 F重役と僕は 顔を見合せて 安堵の吐息をつくのでありました。

という忘れがたい 思い出が この大通りに 明滅する。

                      [Photo: "Super 8 Motel" @ Palo Alto-Stanford by Ad Picture of Home Page]

 

 

 

 

 

 

 

 


Vehicle Sticker

2011-05-22 00:57:32 | 日記

市が取り決めるルールに 保有する自動車に対して 毎年、 7月1日から 翌年6月30日まで有効の
’登録’ をして、 ’ステッカー’ を買い、 フロントガラス右隅 すなわち 運転者の視界に邪魔にならないところに貼り付けなければならない - というのがある。

                   

実は、 数年前まで こういうルールがあるのだということを知らなかった。
ある年の夏、 住まいの コンドの 地下駐車場の、 エレベータで繋がっている、 コンクリ床の修理と 掃除をするという名目で 全ての車両を場外に置く ということになった。

建物の外部に 来客用の かなり大きな駐車場があり そこへ 全ての住民が 自動車を駐車するということになった。 僕たちは 2台分のスペイスを持っている。
そこへ、 千載一遇のチャンスとて、 目端の利く市役所の おっさんが やって来て ずらり並んでいる自家用車を 片っ端から ’お取調べ’ となり、 一網打尽 ステッカーの貼ってないのを 軒並み摘発、  僕のクルマも 槍玉 (やりだま) に上がってしまった。 その金額は覚えていないが、 たいした額ではなかったと思う、 相当の数の人びとに罰金が科せられた。 僕は そのことで このステッカーを貼らなくてはいけないんだ ということを学習した。

木曜日 市役所へ行って 2011~12年のを買ってきた (登録してきた というべきだろう)。 しかし 何の目的のために この登録をするのか いまいち それが良く判らない。 判らないけれど また お咎めを受けるのも癪だから 市役所へ行った。 上掲 写真の (フロントガラス 外から見れば 左隅です) 下部 右側が 11~12年の新ステッカー。 

尚 登録 および ステッカー費用は シニア料金 (車両オーナーが65歳以上)、 1ドルでありました。

                                        [Photo: City of Wood Dale 2011/12 Vehicle Sticker - May 2011]

 

 

 

 

 

 

 


El Camino Real

2011-05-21 18:30:21 | 日記

"El Camino" というのに シボレー の ピックアップ と同じくらい、 他の想いがある。
それは エル カミノ レアル = El Camino Real  スペイン語で The Royal Road ’王様の道’ と称する 州道82号線のことで アメリカ合衆国カリフォルニア州 の いわゆる シリコン バレイ の 真っ只中を南北に走る幹線道路。

                                

この道路の起源は古く スペインの伝道者たちが サン ディエゴ から 30マイルごとに ミッション = Mission (伝道のための教会みたいな施設) を造り、 北上を始めたのが 1683年、 サン フランシスコに至り ベイ を渡り (あの 早い潮流をどうやって渡ったんだろう?)、 ソノマ郡の 終点 ソラノ = San Francisco Solano de Sonoma に到着したのが1834年の由、 その間 20箇所に ミッションを開いたから 全長 600マイル 約1000キロメートルに及んだが 150年かけて開いたその道を エル カミノ レアル と呼んだのだ という歴史が残る。

サンノゼ サンタクララ サニィベイル マウンテンビュー パロアルト、 僕は この エル カミノ レアルを背骨とする シリコンバレイに良く通った。 1980年代の始めから 90年代の後半まで 少なくとも 14~5年は 界隈を頻繁に行き来した。
パロアルト = Palo Alto に在る医療システムのV社、この道の やや南になるが ロスガトス = Los Gatos に在る ミリ波の送受信装置の P社。 我が社の製品の OEMビジネス に奔走した日々のことが忘れられない。 サンタクララ = Santa Clara の M電機半導体会社も懐かしい。

太平洋側の I-280、 ベイショアの I-101、 真ん中の El Camino Real、 サンフランシスコ半島の 3本の フリィウエイ は ほんとうに良く走った。

いま ふと思うのだが あの3本の道を行ったり来たりした日々、 雨に降られた記憶がない。 曇り空の印象も持たない。 シリコンバレイ と サンタクルーズ山脈には いつも晴れた日しかないんだと思う。

                                      [Photo: Page Mill Road @ Palo Alto near by VARIAN and HP] 

 

 

 

 

 

 


Chevrolet El Camino

2011-05-20 11:50:28 | 日記

毎日のように通る道路がある。
プロスペクト = Prospect Road という ローカルの 短い道路で 少し北へ行くと アーリントンハイツ ロード = Arlington Heights Road と名前を変えるが この道は 遥か北へ向かう 幹線道路のひとつ。

                

毎日のように往復する プロスペクト に面して一軒の家があり その ドライブウエイに 1台の自動車が置かれ 'For Sale' と 張り紙があった。 
僕たち夫婦は その車を見て とても懐かしい思いに駆られた。 シボレー の ”エル カミノ” というモデルで とうの昔に姿を消した ピックアップ トラック。 もう 何十年も この コンセプトの乗用+貨物車は見ることがない。 Chevrolet "El Camino" Pick-up Truck.

1977年 夏 僕たちは 初めてアメリカの土を踏んだ。 ロサンゼルスの空港から ハイウエイへ出て 走って、 先人が 何故 この国との 戦争を決断したのか 大きな疑問を持った。
僕たちは 妻の姉、 僕にしてみれば Sister in law の家に厄介になった。 きれいな 大きな家は サン ディエゴ あった。 そして 目の前に繰り広げられる アメリカ生活 は 何もかも大きく 豊かに まぶしく見えた。 

姉の夫は、 僕たちは パパ と呼んだ、 アメリカ海軍の技術兵で 厚木 福生 で任務に着き、 サン ディエゴに帰任し 退役して、 電動モーターの 販売 修理の会社を開き おおいに繁盛した。
或る日 パパは 僕たち3人に ラスベガス へ行って遊んできたらどうか といった。 小遣いを持たせ 買ったばかりの エル カミノ の キィ を渡し 'Let you enjoy' といった。

僕は 生まれて初めて アメリカを走った。 インタステイト 15号線を 北へ 北へ、 荒野を切り抜き 天上にまで続く 一直線の ハイウエイを エル カミノ は 実に爽快に走り、 行く先の ラスベガス もまた きらびやかな 夢の世界だった。

シカゴの郊外の道路わきに 置かれた古い シボレー  エル カミノ は 忘れていた I-15 の 地平線の彼方へ消える一直線のハイウエイを 鮮やかに蘇らせた。

                   [Photo: Chevrolet 'El Camino' 1974 5.7ltr/V-8 Engine - May 2011 @ Itasca, IL]

 

 

 

 

 

 


エンデバー 最後のミッション

2011-05-19 01:03:33 | 日記

またも 懲りずに スペイスシャトル の写真を貼り付けます。
下の写真は 最後のミッションに赴くべく 発射台上の シャトル エンデバー と 風にはためく 星条旗と エンデバー号の旗。 

                 

At NASA's KSC in Florida, flag wave briskly on Launching Pad 39A. The rotating service structure has been rolled away from Space Shattle Endeavor in preparation for the shattle's upcoming launch.   [by NASA/Kim Shiflett 05-16-2011] 

ミッション番号: STS-134 エンデバー号 自身としては36回目の飛行。
機長 = Commander は マーク ケリィ 海軍大佐 = Mark Kelly, Captain USN は 海軍航空隊厚木基地に 1987年ころ勤務していた由。 日本大好きのひと。 奥方は アリゾナ州選出の 合衆国下院議員 ガブリエル ギフォードさん。 本年1月9日 日曜日 血迷った学生に セミオートマティック軍用銃 グロック で 頭を射ち抜かれましたが 最速 最高の医療で 一命をとりとめ 娑婆へお戻りです。 これは とても明るいニュースで 大佐が シャトル搭乗の訓練を止めて 彼女を テイク ケア した態度に 全米が拍手を送りました。

大佐と 5人の飛行士は 16日朝 8時56分 轟音を残して宇宙へ飛んでゆきました。 6月1日帰還の予定。 このフライトを最後に エンデバー は 退役することとなります。

6月28日 スペイス シャトル プロジェクト 最後のミッションが残されています。 僕のブログの シャトル ストーリィ も それで おしまいです。
なにとぞ もう一回 お付き合いくださいますよう。

                             [Photo: 'Flags @ Launching Pad 39A' by Kim Shiftlett, NASA 05-16-11]

 

 

 

 


シカゴ郊外 春爛漫 -IV

2011-05-18 12:23:49 | 日記

シカゴの郊外の 春を 彩る。

                                   

                            木蓮は 飛ぶ帆の如く 散りにけり   野村喜舟

マグノリア = Magnolia は 辞書を引くと ’もくれん = 木蓮’ とでるが その仲間は多士済々。 辛夷 (こぶし) 泰山木 紫 や 白の木蓮。 この花は 昔 蘭 に似て居るので 木蘭 (もくらん) といったが、 その後 蓮の花に ということになり 木蓮 に定着した由。  上掲 写真は 紫木蓮、 花びらが地上に。

マグノリア は アメリカの南部、 アラバマ や ルイジアナ の雰囲気を 思い浮かばせる花。 たしか
ミシシッピ州の 州の花 だったと思う。 いずれにしても 暖かく 湿潤な南部の土地に咲く イメジを持つこの花が 冬の 乾いた 寒い イリノイ州の北部にも咲く というのが少し驚き。 

写真は アディソン大通り の 向こう側にある 住宅街の一角にて。 このあたりの家は、 古くに 開発された土地にあるからだろう、 みんな ゆったりと 広い前庭の奥に建っている。 通りすがりに見た花は たくさんの花びらを散らしていた。 そのさまは 帆掛け舟の 帆 の如く、 上記 俳人の 詠んだとおり。

[Photo: Magnolia @ Forest Preserved Avenue, Wood Dale, IL - 05-09-2011]

 

 

 

 

 

 


シカゴ郊外 春爛漫 -III

2011-05-17 00:59:17 | 日記

シカゴ郊外に咲く花。

                                                

                          公達(きんだち)に  狐化けたり 宵の春   蕪村

僕が 今 住まいとしている11階建てのコンドミニアムの裏庭に この クラブアップル ツリー  = Crab
apple Tree
の木が 一列に 15~6本くらい並んでいる。 普段は 気にもならない つまらない木だが 春になると 一変 赤い花を盛りだくさんに付ける。
薄く 濃く 紅(くれない)の 可憐な花が 春を告げ 2週間ほど咲き 風に散ってゆくが木の根もとの芝生の上が 花筵(むしろ)となる。 蕪村の句のような ’妖艶さ’ は感じさせないが きれいな花。 

いつまでたっても 暖かくならない冬は 地上のどこを見回しても色彩に乏しく 空気は灰色で
空は低い。 そういう 或る日 見下ろしたこの木の配列に 赤い花を見ると  ああ春が来た と思う。 
毎年 そう思う。

[Photo: Clubappletree @ Brookwood On The Greens Condominiuam - May 2010]