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SWAN日記 ~杜の小径~

オルフェウスの窓/SS《セピア ライト》

 
 
オルフェウスの窓/SS《セピア ライト》
 
〈2017年にヤプログにUPしたSSです〉
~お話が長くなってしまって前後編に分けようかと迷ったのですが、纏めてUPします。
 
1917年ロシア革命から100年の節目の年にUPしたくて長年温めていたお話ですが、おそらくオル窓で最初で最後のSSになると思われます;^_^A
タイトルはオル窓のLPレコード(懐かしい‥笑)、歌詞の一部より。
 
◇◇◇◇◇
 
「貴女は誰…?クラウスは何処なの?」
ユリウスの言葉に、マリア・バルバラは愛する妹を抱きしめた。
 
ユリウスが行方不明になり、何年の月日が経ったのか。
彼女が生きていると信じ、私はアーレンスマイヤ家を守ってきた。
妹は上級生のクラウスという男性を追いドイツを離れ、ロシアに渡っていたらしい。
ユリウス…ユリウス!
やっと再会できたのに記憶を失っているなんて…!
ユリウスを連れて此処まで来てくれたヴェーラさんは多くを語らずドイツを出ようとしているのを無理を言って引き留めた。
二人とも男装をしてドイツに入国してきたのだ。今のロシアを出国するのも大変でしたでしょうに…しかもパスポートも男性として。
ヴェーラさん…男装をしていても身のこなしを見れば生まれの良い方だと判る。
今さらロシアにも戻れないのでしょう。
彼女はユリウスをドイツに送り届ける為だけに死をも覚悟して亡命してきたのだろう。
彼女も一人にしておけないと感じたから。
ユリウスは彼女の家に数年お世話になっていたそうだから、妹の話も聞きたい。
ダーヴィトもイザークもユリウスの心配をしているし、判る範囲のことは知っておきたかった。
ロシアでのユリウスを教えてもらいたい、アーレンスマイヤの屋敷も私とユリウスで生活するには広すぎるから…と説得して、ヴェーラさんには暫く滞在してもらうことになった。
 
アーレンスマイヤ家に戻ったユリウスは時々心が不安定になる。
記憶を喪うほどの何かがあったーーー。
ダーヴィトもイザークも革命中のロシアの事を調べてくれている。
記憶が混合するユリウスはクラウスとアレクセイの名を良く口にしていた。
困惑するマリア・バルバラとダーヴィトに、
「アレクセイ・ミハイロフのことですわ」
ヴェーラが教えてくれた。
「アレクセイ・ミハイロフ?革命の…?クラウスとアレクセイが同一人物だというのか?彼は死んだと…彼の子を身ごもっていたのは金髪のドイツ人だったと…まさか」
「ええ。ユリウスですわ。…女の子は死産だったのですけれど…」
二人は俯いたヴェーラをただ見つめるしかなかった。
ユリウスは窓からの景色を眺めている。
わかっていないのか…自分を守るため記憶を忘れようとしているのか…。
 
ある日。
ユリウスは一人で外出した。
散歩にでも行ったのであろうと思っていたのに午後になっても帰宅しない。
何処に行ったのだろうと探している時に、アーレンスマイヤ家に連絡が入った。
 
ユリウスが川に落ちたのを見ていた人が叫び、数人の助けを集めてくれたとのことだった。
流れの速い川で助けられたのが奇跡的だと誰もが口を揃えた。
ユリウスは川に沈んでは浮かび…必死なようだったと…。この時季の川の水は冷たく身を切る寒さであっただろう。大量に水を飲んでしまい、急使の連絡を受けたマリア・バルバラ達が病院についた時には肺炎を起こしていた。
「ユリウス!ユリウス!何故ひとりでこんな所まで…っ!」
苦しそうにしながらもマリア・バルバラとダーヴィト、ヴェーラを確認したユリウスは力無く微笑んだ。
「…この街の病院にアナスタシアを捜しにきたのだけれど…いなかった。心配かけて…ごめんなさい。マリア・バルバラ姉さま…」
「…ユリウス…!?」
「…思い…だした…。みんな…思いだした…んだ」
ユリウスの瞳から涙が溢れる。
「おい、ユリウス!お前を川に落としたのは誰だ!?」
見た者の話では、小柄な男と言い合った後に川に落とされたようだと言っていた。
そして、その男は直ぐに立ち去ったと…。
「…ヤーコプだ…」
「ヤーコプですって?もう屋敷には居ないわ。彼は死んでしまったでしょう?」
マリア・バルバラの言葉にユリウスは首を横に振る。
「…アネロッテ姉さまの仇を取るために…ヤーコプは死んだふりをしてぼくと会う機会をずっと待っていたんだよ」
「…アネロッテの仇…?」
「マリア・バルバラ姉さま…これを…」
ユリウスは握り締めていた指をマリア・バルバラに預けた。
ユリウスの掌には古ぼけた鍵。
「ユリウス!?」
「ずっと…ヤーコプが持ってたんだ。僕が川に落とされて…鍵を投げ入れたのが判ったから…」
動体視力には自信があるんだ…と力無く笑ってみせる。
「ヴェーラ…有難う。ぼくをドイツまで連れて来てくれて…」
「いえ…良いのよ、ユリウス。これも兄から頼まれたことなの。私も貴女はドイツに戻ったほうが安全だと…」
「…レオニードは?彼は何処にいるの?ロストフスキーは?」
「…兄は…亡くなったわ。ロストフスキーも…」
ヴェーラは俯いた。
「レオニードは何故…?」
答えられないヴェーラは、ただ俯くだけだった。
兄は私達の偽造パスポートをつくり、亡命する手筈を整えた後…自ら命を絶った。
兄の腹心であったロストフスキーも私達を送り出して、兄の後を追うように…。
私達を無事送り出すことが兄の最後の頼みであったのだろう。
ヴェーラの様子を見ていたユリウスの瞳から涙が溢れ、頬を伝い落ちる。
「ぼ…ぼくは生きていてはいけないんだ…みんな…いなくなる。みんな死んでしまうから…」
「ユリウス…!」
マリア・バルバラはユリウスを抱きしめた。
「だ…っ、だって、アレクセイも赤ちゃんもお祖母様も…レオニードもガリーナも…ゲルトルートだって…ぼくに関わった人はみんな…っ」
泣き崩れるユリウスをマリア・バルバラは涙をこらえて抱きしめることしか出来なかった。
記憶が戻っても辛い現実を受け入れられず泣き崩れるユリウスをヴェーラは涙を溜めて見つめていた。
そして、意を決したようにヴェーラは口を開いた。
「…ユリア…」
ヴェーラの発した言葉にマリア・バルバラとダーヴィトは彼女を見つめた。
「ユリウスの子どもは生きています」
ユリウスは目を見開いてヴェーラを見る。
「ヴェーラ…?」
「ユリウスに似た女の子。名はユリア」
ゆっくりとヴェーラは話し始めた。
~ユリウスに似た金髪の女の子。
ユリア。
名前は兄が…つけた。
この子は生まれた時、息をしていなかった。
仮死状態だったの。
兄は医師達に蘇生処置を頼んで…数分後に息を吹き返した。
でも、虫の息だったから不安な空気が流れていたけれど直ぐに呼吸も落ち着いた。
ユリウスの子どもが…アレクセイ・ミハイロフの子どもがいると世間に知れれば、利用されかねない。殺されるかもしれない。
兄にはそれが耐えられなくて…ユリウスには本当に申し訳ないのだけれど、死産ということにした。
兄が密かに教会の施設に預けたわ。
海外との養子手続きも請けおっている教会で…国が革命中とはいえ、生まれてきた子ども達には罪は無い。生きる権利があるのですもの。
ユリウスが無事ドイツに帰国して落ち着いたら、アーレンスマイヤ家の養子に迎えてもらえれば幸せだろうと思っていた。
ユリウスは記憶を失ったままで、記憶が戻る保証も無いけれど…姉であるマリア・バルバラさんが健在なのはロシアで調べて判っていたから…落ち着いたら連絡をいれて可能であればユリアを養子にと話をしようと思っていた。
でも、ユリウスは記憶を戻した。
それならば…。
「ユリウス。みんな貴女の側からいなくなったわけでは無いわ。ユリアは生きているのよ…アレクセイと貴女と子どもが。ユリアの為にも貴女は生きなければならないわ」
「ヴェ…ヴェーラ…、ほ…本当に?本当にアレクセイとぼくの赤ちゃんが…生きているの?」
「…ええ。生きているわ。密かにリュドミールに連絡を入れて…ロシアの教会施設から養子縁組の手続きを進めましょう」
「…リュ…リュドミール…彼は無事なの?」
レオニードとヴェーラの歳の離れた弟。
「ええ。無事よ。侯爵家を離れてボリシェビキとなったけれど…貴女とロシアを亡命する際も弟に助けられたわ」
「…そう。赤ちゃんも…リュドミールも…生きているんだね」
泣き顔のまま、ユリウスは口元で微笑んでみせる。
そんなユリウスの背中をマリア・バルバラは優しく抱きしめたのだった。
 
後日、ユリウスが溺れた川の下流で男の遺体が上がった。
新聞記事では自殺であろうと警察が発表した遺体…姿形は変わり果てたとはいえ、死んだと思われていたヤーコプだと判断されたのだった。
 
肺炎の症状が治り、アーレンスマイヤ家に戻ったもののユリウスは体調を壊しやすくなった。
風邪をひくと悪化することが多い。
ベッドから窓の外を眺めては、まだ見ぬ娘に想いを馳せている。
「もうすぐユリアに会える」
それが、今の心の支えになっているようだった。
「ユリウス、ユリアにはピアノ?バイオリンを教えるのかしら?」
「貴女はピアノ科だったのでしょう?」
マリア・バルバラとヴェーラは夢と楽しみを増やすようにと話しかける。
「うん。ぼくはピアノ。ユリアにはユリアの好きなことをね。ぼくはピアノなら教えられるけど…バイオリンは…」
クラウスを思い出したのか、一瞬ユリウスの表情に曇りが見える。
「おいおい、ユリウス。クラウスとお前さんの子どもだろう?両刀使いでいけるかもな。クラウスとまではいかないが、おれもバイオリンは教えられるぞ?何てったって学生時代のお前さんのパートナーはおれだしね」
「ふふ…そうだね。ピアノを弾くようなら、ぼくやイザーク、マリア・バルバラ姉さまとヴェーラもいるし…」
「「ユリウス!」」
マリア・バルバラとヴェーラの声が重なった。
「わたしはピアノを習っていたけれど昔の話よ?」
「うん。ヘルマン・ヴィルクリヒ先生に習っていたんだよね。ヴェーラとはユスーポフのお屋敷で一度連弾したよね?」
「連弾したことはあるけれど、ユリウスが私のペースに合わせてくれたでしょう?」
マリア・バルバラとヴェーラの言葉にユリウスはクスクスと笑う。
「ははは。ユリアがピアノを弾きたいようなら誰に習いたいだろうねぇ」
ダーヴィトは笑いながら言葉を続ける。
「さすがにオレの持っているバイオリンも大人用だし…ユリアは何歳になるのだっけ?子ども用を一つ用意しておこうか?」
「うん!有難うダーヴィト」
ユリウスは目を輝かせた。
 
二ヶ月たった頃、ロシアの教会施設から委託を受けたというドイツの教会の神父が少女を連れてアーレンスマイヤ家を訪れた。
何故かイザークも一緒だ。
前もって教会から連絡を受けていた為、書類上の手続きは終わっている。
「こちらのアーレンスマイヤ家で、この子を養女に迎えてくださるとのことで…」
「お待ちしておりましたわ。遠いところを有難うございます」
玄関でマリア・バルバラを始め、ユリウス、ダーヴィト、ヴェーラが客人を迎えた。
ユリウスに似た金髪の少女。
「…は…初めまして。ユリアです」
恥ずかしそうにドイツ語で挨拶をするユリアに周囲の空気も和み、笑顔が溢れる。
「ユリア。アーレンスマイヤ家にようこそ」
マリア・バルバラが笑顔で答え、みな口々に歓迎の言葉を告げた。
「…ユリア。本当にユリアなの…?ぼくの…」
ユリウスは膝をついて、視線をユリアに合わせて瞳に涙を溢れさせた。
「…お母様…?」
ユリアは自分に似た淡いブロンドの髪質の女性を見つめた。
訳あって離ればなれになった母が生きていると知ったのは最近のこと。
教会ではロシア語での生活だが、ドイツ語も習っていた。
母が生きてドイツにいるからだったのだ…と気付いたのも最近のこと。
「うん…うん。ユリア、生きていたんだね」
ユリウスはユリアを優しく抱きしめた。
 
ダーヴィトはイザークを見て言う。
「イザークはどうしたんだい?」
「うん。別件で来たのだけれど、そこで神父様とユリアに会ってね。アーレンスマイヤ家に行くと聞いたから一緒に来たんだ」
「はは。そうなのか。ユリウスに会いに来たのかい?」
「うん。それもあるけれど、ユリウスの娘さんを引き取るって手紙をもらっていたからね。良い機会だから預かり物を持って来たよ」
「…そのバイオリンか?」
「うん。実は数年前にロシアのバイオリニストであるアナスタシアから預かっていてね。元々はクラウスの…アレクセイのストラディバリウスだから、ユリウスが持っていたほうが良いと思っていたんだれど、彼のことを思い出すのが辛かったら…と言い出せなくて。娘さんを引き取るって知ったから、このタイミングで持って来たら、ユリアちゃんとバッタリ会ったというワケ」
「クラウスの…アレクセイのストラディバリウス…?」
イザークはユリウスにバイオリンを手渡した。
「見覚えがある。クラウスが愛用していたストラディバリウスだ」
ミハイロフ公爵家のストラディバリウス。
元々はアレクセイの兄ドミートリィの持ち物だと聞いている。
「…クラウス…アレクセイ…」
ユリウスはバイオリンを抱きしめた。
「バイオリン?綺麗な音がするのでしょ?」
ユリアが覗きこむ。
「ユリアはバイオリンを弾きたいの?」
ユリウスが優しく問いかけた。
「ピアノは教会の施設にもあったから教わったことがあるけれど…バイオリンは弾いたことが無いの」
「ふふ。弾いてみるかい?これはお父様の形見のバイオリンなんだよ」
「お父様の?」
「うん」
「弾いてみたい!」
目を輝かせるユリアに大人達は微笑んだ。
ユリウスはストラディバリウスをユリアに手渡す。
ケースに保管されいた弓に、イザークが持参した松脂をつけて準備を整えてくれた。
「はい、どうぞ。このバイオリン、大人のサイズだからユリアには大きいけれどね」
手に持ったユリアも構え方が分からず首を傾げているとダーヴィトが助け船を出す。
「貸してごらん」
ダーヴィトはバイオリンを構え、静かに弓を引く。
澄んだ音色にユリアの表情もパッと明るくなった。
「はい、ユリア。最初は思い通りに音が出ないかも知れないけれどね」
初心者では、ギギ…ギ~…と音が鳴りがちなのだ。
子どものユリアには少々大きいサイズのバイオリン。
ダーヴィトに手伝ってもらいユリアは見よう見まねで弓を構えて、そっと引くと。
澄んだ音色の一音。
また一音。
「おいおい、嘘だろう。凄いな」
ダーヴィトが驚きの声を上げた。
「ふふ。ユリアにはピアノよりバイオリンが合うのかもね」
ユリウスも嬉しそうに微笑んでいる。
「子ども用のバイオリンを用意しておいて良かったな」
二階のユリア用の部屋を指差してダーヴィトも笑って頷いた。
その円満な様子を見ていた神父は安心して帰って行った。
 
数ヶ月後、秋の終わり。
イザークが息子ユーベルを連れてアーレンスマイヤ家を訪れた。
「ちょうどユーベルが帰ってきているからね。連れて来たよ」
イザークも嬉しそうだ。
ユリウスのピアノに合わせてダーヴィトに教わりながらバイオリンを弾いていたユリアは歳上の少年ユーベルを見つめている。
「僕はピアノを勉強しているのだけれど、君はバイオリンを弾くの?」
「はい。まだ習い始めですけど…」
最初ぎこちない会話だったものの音楽をしている者同士、直ぐに打ち解けたようで楽しそうである。
簡単な曲を選び、ユリアのバイオリンにユーベルが合わせる形で始まったミニコンサートに大人達も心を和ませた。
「ねえ、ユリア。いつか僕と一緒にコンサートホールで演奏しようね。君のバイオリンの音色、とっても綺麗だ」
「…有難う!早くお父様のバイオリンを弾けるように頑張る!」
別れ間際のユーベルの言葉にユリアは嬉しそうに笑った。
 
そして迎えたクリスマス。
午前中、皆で出掛けた教会から戻り、昼食を摂る。
風邪気味のユリウスも「ぼくも行きたい。無理はしないから…」とユリアと手を繋ぎ、教会に出掛けた。
軽く昼食を摂り、ユリウスは自室で寝むことにした。
「ユリウス、少し熱があるのでしょう?お薬を用意するわね」
「有難う。マリア・バルバラ姉さま」
ユリウスはユリアの額にそっとキスを落とした。
「少し休んでくるね。また夕方にピアノとバイオリンを合わせようか」
「うん、お母様」
ユリアは嬉しそうに笑う。
「ユリアの上達は早いようですわね」
ヴェーラの言葉にダーヴィトも頷く。
「さすがクラウスとユリウスの子どもだよ。もう自分では役不足でね。良い先生につけたほうがいいなぁ」
「まぁユリア。未来はバイオリニストさんかしら?」
マリア・バルバラもユリアを見つめて微笑む。
ダーヴィトはマリア・バルバラと結婚し、アーレンスマイヤ家で姉を支えてくれている。
ヴェーラはユリアの家庭教師としてアーレンスマイヤ家にいてくれる。
たまに訪ねてくるイザークとの会話も楽しく、息子ユーベルの未来も楽しみだ。
ユーベルとユリアは文通をし、子どもながら遠距離恋愛をしているようである。
ユリウスは自分の周りの環境に安らぎを感じながら微笑んだ。
「もし…アナスタシアと再会することがあれば…ユリア。バイオリンを習えれば素敵だね」
「ええ、お母様。バイオリニストのアナスタシアさん…お母様とヴェーラ先生のお友達なのでしょう?」
「うん…そう。素敵なバイオリニストだよ。いつかアナスタシアが先生になってくれると良いね」
ユリアがアナスタシアにバイオリンを教えてもらえるなら、なんて素敵なことだろうか。
想いを馳せてユリウスは微笑んだ。
 
自室のベッドでユリウスは静かに瞳を閉じる。
午後の微睡み。
窓からの柔らかい午後の陽を浴びて、心地よい睡眠がユリウスを包み込んでゆく。
 
数刻経った頃、ユリアはピアノのある音楽室から聴こえてくる音色に耳を傾けた。
『お母様…?もう起きられてダーヴィトおじ様と一緒に弾いているのかしら?』
そっとユリアは部屋を覗きこむと。
そこには母と見知らぬ男性がピアノとバイオリンを奏でていた。
お父様の形見のストラディバリウス。
お母様の指も滑らかに鍵盤を踊る。
…綺麗。
ユリアが見とれていると、二人は自分を見て満面の笑みで微笑んで…フワリと姿が消えた。
「えっ!?」
今の…なに?
音楽室のドアの前で立ちすくむユリアにマリア・バルバラが声をかける。
「ユリア?どうしたの?」
「マリアおば様…いま、お母様が…」
呆然としたユリアがマリア・バルバラを見上げている。
「ユリウス?ユリウスはまだ眠っているでしょう?そろそろ起こしに行くところなのよ」
「………」
ユリアは黙ってマリア・バルバラの後に続いてユリウスの部屋に向かった。
「ユリウス、入るわよ」
マリア・バルバラとユリアはドアから顔を覗かせる。
「ユリウス?」
起きる気配のないユリウスの元に歩みよる。
ベッドの上でユリウスは幸せそうに眠っていた。
「マリアおば様…お母様は眠っているだけよね…?」
ユリアはマリア・バルバラのスカートにしがみついて小さく震えている。
「ユリア…?」
様子のおかしいユリアにマリア・バルバラはユリウスをみつめた。
「ユリウス…ユリウス!?」
息をしていない…!?
「…ユリウスッ!起きて!瞳を開けてちょうだい!」
マリア・バルバラはユリウスの肩を抱きしめた。
マリア・バルバラの叫び声にダーヴィトとヴェーラもユリウスの部屋に走り込んできた。
「ダーヴィト…っ、ヴェーラさん…ユリウスが…っ」
ユリウスの表情は穏やかだった。
まるで幸せな夢でもみながら眠っているように。
ユリウスは静かに天国に旅立ったのだ。
 
「ユリアは…わかったのね…?」
先ほどのユリアの様子を思い出して、マリア・バルバラが問う。
「…さっき…音楽室からピアノとバイオリンの音色が聴こえてきて…お母様とダーヴィトおじ様が弾いているのかと思って部屋を覗いたら…お母様と知らない男の人が弾いていたの。男の人はお父様のストラディバリウスを弾いていて…二人は私を見て笑って…消えちゃったの。凄く綺麗なハーモニーでお母様も幸せそうで…」
二人が私を見てみせた慈愛の表情。
お父様とお母様…?
幻かと思って…でもハッキリ見えたから…
泣きながらユリアはマリア・バルバラのスカートに顔を埋めた。
「クラウスが…迎えにきたんだな…。このところユリウスも体調崩しがちだったけれど…眠っているように穏やかな表情だ」
「ええ…そうね。ダーヴィト」
「ユリウスはアレクセイに逢えたのですわね」
「お母様…お父様…」
四人はユリウスを見つめる。
窓から射し込む セピア ライト。
夕刻特有のセピア色の暖かな陽を浴びて、眠るように天国に旅立ったユリウスは幸せそうに…微笑んでいるようだった。
 
かつてオルフェウスの窓で出会い、伝説に翻弄された三人。

ユリウス、クラウス、イザークの想いに応えるように、後にユーベルとユリアは結ばれ幸せな時を刻んでゆくのだった。

 
◆おわり◆
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